第42話
晩餐が終わった後、男たちだけのティールームで明日出発することを告げた。もう少し、と引き留めてくれるトリトーナ様の言葉も嬉しかったが、領主様の快く送り出してくれる言葉も嬉しかった。
「領主様。それで…出来れば今夜、少しだけお時間をいただけませんか?」
「それは…もちろん構わぬが…」
「図書室へ移動しませんか?」
領主様はちらりと息子の方を見たが、わしだけでいいと言ってトリトーナ様は呼ばなかった。俺としては彼も一緒であろうとそうでなくてもどちらでも構わなかったから、黙っておいた。
「もしかして、あの本のことか?」
領主様は部屋に入る直前に、小声で質問してきた。
「はい」
図書室の鍵を開けて中に入り、さらに奥の小部屋へ移動する。
いつもの場所にその本はあった。
「なんとなく気になって、魔力を強めに流してみたのです」
本を後ろから開き、裏表紙の一部に指先を置く。
「ここです。領主様、ここに魔力を注いでみてください。何かが仕掛けられている気がするのです」
本をテーブルの上に置き、問題の場所を指で指し示す。
領主様は俺と本を交互に見た後、俺と立ち位置を変えて本に指先を置いた。領主様が魔力を流していくとひときわ強い光が本から飛び出し、彼は驚いたように身を引いた。
光が消えたことを確認してふたりで恐る恐る、本をのぞき込む。
「文字が!」
カーサイノが残したメッセージが現れていた。
ハイセイの街はどのようにして作られたのか…。
偉大なる、錬金術師たちの偉業を称えよ。 黎明の錬金術師
俺はえっ? と思った。本のタイトルそのままだ。同じ文章を、わざわざ仕掛けまで作って表示する意味が分からない。
「…………」
しかし、領主様はじっとその文字を見ていたかと思うと、大きなため息をついた。
「領主様?」
「まずは、座ろう」
「あ、はい」
いつかのように、向かい合わせではなく隣り合う形で席に着いた。
「君は……黎明の錬金術師を知っているかね?」
「はい。…あ、知っていると言っても名前だけですが…」
直接会ったことはない。大錬金術師の残した本で錬金術を勉強させてもらっているから、間接的には弟子のひとりとして加えてもらいたいと密かに思っているが…
「この本がいつからここにあるのかも知らないし、なぜあるのかも誰も知らない。何も書かれていない本に何か特別な意味や役目があるのかどうかも分からない…とわしは言ったが…それは嘘だ」
「嘘、ですか?」
「黎明の錬金術師という大錬金術師とその弟子たちにハイセイの街を造らせたと…先祖様が、残した日記に記してあった」
「…………」
その日記とやらはここの図書室にはなかった。領主の私室かどこかに保管されていたのだろう。
「ハイセイの街が出来る前、この辺りは荒れ野であったことも書いてあった。しかし、思いがけずこの地から銀が採れた。それは街を作る資金となった。銀の他にシンダリンタルというとても貴重で希少な鉱物が採掘できたらしい」
うん、カーサイノ師が書いた本に書いてあったから、俺も読んで知っている。
「領主は目が眩んだ。あれこれ無理難題を吹っ掛け、仕事にケチをつけて大錬金術師に仕事の依頼料をほとんど渡さず…独り占めしようとした。大錬金術師たちは怒って、採掘した希少鉱物のほとんどを領主に渡さなかったらしい。領主の息子は親のしたことを謝罪し、悔いて日記を残した」
日記を残したのは、問題の領主の息子なのか。
「わしはそれを読んだ。だから知っていた。知っていながら、その本を白い心だと嘘を語った。そうありたいと願ったのは本当だ。だが、領主の息子が残した話と同じことを書いたものが他にもあるとは思わなんだのだ」
不思議な本であることは分かっていた。だが、錬金術師が残した本であるとはっきりとした確証を歴代の領主は持てなかった。薄々感じるものがあっても、自分からは先祖の罪を言い出せなかったのだろう。
「『偉大なる、錬金術師たちの偉業を称えよ。』…そう書かれた石碑が、百年ほど前に見つかっておる」
「石碑が? 見つかっている?」
「屋敷の裏の木立の中に小さな石造りの建造物があった。草やコケに覆われていたのを綺麗にしたところ、石碑が見つかったらしい」
「……気になりますね」
「そうだな。子供のころから見ておるが…もう一度確認してみたくなった」
「今夜はもう暗いですし、明日の朝、行ってみませんか?」
「そうだな、そうすることにしよう」
領主様に図書室の鍵を返し、部屋へ戻る。ロルフェさんに風呂の順番が取れるか聞いてもらって、風呂に入った。
「ヒロム様…本当に明日、出発なされるのですか?」
「うん、その前に用事が出来たけどね」
「用事、ですか?」
「領主様と…ちょっと、行きたい場所が出来たんだ。朝が早いから、今夜はもう寝るね」
「………」
ロルフェさんは何かを言いかけたが、結局何も言わずに部屋を下がった。
俺は独りでこっそり、現場を先に見てくるかどうかを悩んでいて、ロルフェさんを見ていなかった。気配で立ち去ったことを感じただけだった。
「……んー」
どうするかなぁ。しばらく迷ったが…どうしても気になる。好奇心が抑えきれない。
隠密で気配を隠し、マップでも誰とも会わないように確認しながら屋敷を出た。夜目スキルで薄暗い木立の間を抜けることにも問題はない。
「これ、か…」
地図スキルさんが案内してくれたから、迷わずにここまで来た。
問題の石碑にはなるほど『偉大なる、錬金術師たちの偉業を称えよ。』と書いてある。ただし、古語だ。
領主様は昔の日記が読めたぐらいだ。古語を勉強して自ら読めるようになっているか、他の者に読ませて翻訳させたかのどちらかなのだろう。
「…ん?」
石碑? これ……鑑定して気が付いた。これ、表面に石灰とリカラ石を砕いたものを塗布してある。ただの石碑じゃないぞ。いや、石じゃない。
「マジか…」
触れて調べてみるとその下に何があるのか分かった。これ、間違いない。シンダリンダルだ。
まじまじと見てしまう。この大きさ、これだけの量…かなりの値打ちがあるはずだ。インゴットにすれば、いったい何十本分になるだろうか。いや、百本以上あるかも。
この貴重な鉱石があれば街は、この領はますます発展することが出来るだろう。
俺は静かにその場を離れ、部屋に戻った。
明日の朝、どうやってあの石碑の正体に違和感なく誘導できるだろうか。考えているうちにいつしか、眠っていたらしく…朝が来た。
夜中にこっそり、川のシンダリンダルを採掘しに行こうと思っていたことはすっかり忘れていた。
*
どうやって領主様にあの石碑の正体を伝えたらいいのか、いい考えが全く思い浮かばず、ロルフェさんが起こしに来てくれる時間より早く部屋を出た。もう起きて仕事を始めている使用人たちの迷惑にならないよう、静かに領主館を出る。
朝の空気は澄んでいて、とても落ち着く。
すっかり森の中の静かな暮らしに慣れてしまったのか、錬金術師さんの家が懐かしい。
綺麗に手入れされた生け垣や菫の花壇を見ながら中庭を散策して、考えに耽る。
<ガラスの錬成鋼であるシンダリンタルはスプリガンほどではないが、魔力の伝導率が高い。領主様に魔力を流してもらえれば、あれが石でないことが分かるよな>
※問題は、魔力を流してもらうように誘導する言葉ですね。
<そこなんだよ>
過去の錬金術師への謝罪代わりに石碑を綺麗にしませんか? と表面をこすり洗いしてもらう?
そしたら俺に洗浄スキルがあることを知っている領主様なら、報酬を出すからやってくれ、と言うはず。
んーダメだな。俺がやったらダメなんだという気がする。
それとも、俺が綺麗にするフリをしてコーティングされた石灰の建材を一部剥がしてしまうか? そこまでやってしまったら、洗浄したというより表面の破壊行為に近いな。ウーン…
うっかり壊してしまったら、中から貴重な鉱石が出てきました! だから、破壊行為は見逃してね?
うーん…ありえるか? これ? いや、無理がありすぎる気が…
庭で悩んでいると、地図スキルさんが領主様の接近を知らせてくれた。
「早いな。ヒロム。気になって眠れなかったのか?」
「あ、おはようございます。領主様」
声を掛けられるまで人の気配に気が付かないフリをしておいた。
「おはよう。…実はわしも気になってしまい、早くに目が覚めてしまったのだ」
「俺が起こしてしまったかと心配しましたが…」
「いや、そうではない。朝食の時間までまだあることだし、君さえ良ければ石碑のある場所へ行ってみないか?」
「はい。先にその石碑を見てみたいです。案内お願いします」
木立の中をゆっくり歩く。横に並ぶのは失礼ではないかと思ったが、領主様の足取りが俺に横並びを許してくれている気がした。
「今回のことでは、いろいろ世話になったな」
「いえ…俺としても、とてもありがたく楽しい依頼を受け、いい経験をさせていただいたと思っています」
「マイラから提案と相談を受けた商業ギルドと舟組合の代表がレモンに面会を求めてきたのは、夕刻であった。通常ならば本日の業務は終了している、翌日に出直してくるようにと断るところだが、マイラから「それでは間に合わない。後悔するぞ」とレモンは脅されたらしい」
「…女将さん……」
「女将一人だけならレモンも負けはしないのだが、ハーレンダルやマーセルにも説得されたらしい」
「……みなさんすごい結束力で、驚きました」
領主様は笑った。
「わしのもとにレモンが来たのは晩餐も終え。寛いでおる時間だった」
領主様も明日にしろとは言わなかったのか。それとも、言えなかったのかな。
「レモンも興奮しておったよ。ハイセイの街に新しい風が吹く、と」
屋敷からそれほど離れた場所ではないが、木立が入り組んでいて、もう屋敷は見えない。まわり全てが木の林だ。
「俺は街を出ようとしている時でした」
あの時のことを思い出して、どうしても苦笑が漏れる。
「うむ…。うまく捉まえることができたらしいな。マイラの言葉通り、逃がしておったら後悔するところであった」
「領主様…」
俺は小さく笑うしかなかった。
「ほら、見えてきた。あそこだ」
ぽっかりと、木立を丸く刈り取った空地がある。そこに小さな石組みの建造物があり、中に石碑が安置されている。入り口は空いていて扉はないが、石の屋根はある。
「百年前、ここを発見した当時は腰の高さまで土に埋まってた状態で、さらに草の蔓や茨のある草に覆われていたそうだ」
「土に埋まって…?」
そんなに念入りに隠されていたのか。
「百年前にここを見つけて発掘したご先祖は宝探しをしていて見つけたらしい」
「宝探し、ですか?」
「そうだ。領主の息子が残したという日記の話をしたな。その中に書いてあるのだ」
「ここに宝が眠っていると?」
知っていたのか? なら、なぜ…?
「黎明の錬金術師は多くの弟子を連れてこの地にやってきた。ほとんどの者は30歳を超えた高名な錬金術師達であったが、ただ一人だけ領主の息子と年が近く、親しくしてくれていた若い錬金術師がおったそうだ」
領主様と俺は石碑の前で足を止めた。
「領主の非礼を心から詫びた領主の息子に、風魔法が得意な彼がこう言ったそうだ。『師の怒りは凄まじく、とりなすことは叶わなかったが…怒りが解ける日が来れば、この地を輝きが照らすだろう』と」
怒りが解ける日が来れば、この地を輝きが照らすだろう。…その輝きが値打ちのあるもの。お宝だと推測することは容易い。
「黎明の錬金術師の怒りがいつ解けるのか、それは誰にも分からなかった。この謎めいた言葉が宝のありかを示すものだと、百年前のご先祖様がここを探し出したことを思えば…百年前もそして今日にいたるまで怒りは解けていないのだろう」
これこそが。この石碑こそがそのお宝だと気が付いていれば、これはもうここになかったはずだ。
「なるほど…」
風の錬金術師はカーサイノ師の言葉を伝えたにすぎないのだろう。なぜなら、ここに石碑がある。それが答えだ。自分でもやり過ぎたと思って、少しは返してやるか…でも、すんなりは返してやらんぞ…とあのお茶目な大錬金術師は思ったはずだ。
「黎明の錬金術師の怒りを解けばいい。ならば、簡単な話ですね」
「簡単? いま簡単だと申したか?」
「はい」
俺は石碑に近寄り、下から見上げた。
『偉大なる、錬金術師たちの偉業を称えよ。』
そう書かれた文字は消えることなく、今でも読み取ることが出来る。
「どう…どうせよというのだ! どうすればいいのだ!」
俺はにっこり笑って領主様を手招いた。
「どうぞ、石碑に触れてください」
半信半疑ながら、領主は俺が言った通り石碑に触れた。
この状態ではただ触れているだけだから何も変化は起こらない。
「俺の言葉を復唱した後、その石碑が偉大なる錬金術師さんだと思い、心からの言葉を届けたいと願いながら魔力を流してください」
「わ、かった…」
領主様は大きく頷いた。
「『偉大なる、錬金術師たちの偉業を称える。』」
そう、最後の言葉を1文字変えるだけでよい。
「『偉大なる、錬金術師たちの偉業を称える。』」
そして領主様の言葉と魔力が石碑の中のシンダリンタルに届き、表面の石灰にヒビが入っていく。
そしてすぐに、それが剥がれ落ちて中身が現れていった。長い間隠されていた宝のありかを示すように、キラキラと輝いている。
「おぉ…おぉおお!」
領主様は驚愕の表情を浮かべ、石碑を見上げた。
『偉大なる、錬金術師たちの偉業を称えよ。』という表面の文字は消えた。 もう怒りは解けたのだ。
すごい演出だなぁ。黎明の錬金術師さん、やるなぁ。
「ヒロム様……」
「へ?」
俺の前に膝まづいた領主様に、びっくり仰天だ。
「わがご先祖様の怒りを解いてくださり、ありがとうございます」
「え…ちょ、ちょっと待ってください! 俺は何もしていませんよ。ご領主様の魔力が届いたんです。それで怒りが解けたんです。俺じゃありません」
「いや…たとえそうであったとしても、わしだけの力ではどうにも出来なんだ。『偉大なる、錬金術師たちの偉業を称える。』その言葉を教えてくれ、導いてくれたのはヒロム様だ」
「いや…あの…第3者だからこそ気が付けた言葉遊びと言いますか…」
称えよ、称えよと言うんだから…じゃあ称えてやろうじゃん、とそれだけの思い付きだ。
「領主さま、どうか立ち上がってください。俺は…通りすがりの旅人。ただの平民ですから」
心臓に悪すぎるから、早く立ってください。お願いだから立ってぇ。
必死に頼み込むとようやく領主様は立ってくれた。
「領主様のこの街を思う…その高い志に触れ、わずかなりとも尽力できたのだとしたら…俺もこの地を訪れたことを幸いと存じます」
ちょっとだけかっこつけたことを言っておく。
「…君はわが街にとって得難い訪問者となった。永住して欲しいと願う思いはあれど、引き留められぬことも分かっておる」
領主様の表情には笑みはない。真剣な表情だ。
「この街に吹く風は人や荷物を載せた舟を進め、水路を爽やかに吹き抜けていく。君はこの街に素晴らしい贈り物を届けてくれた風だ。しかし、風は時に強いうねりとなり海は荒れ、街に被害が出ることもある。君は風のように自由にあるのがよいとわしは思う。わが街の狭い場所に押しとどめてはならぬ風だとわしは思うのだ」
「領主様…」
領主様は軽く目を閉じ、一度大きく息を吐いた。目を開け、俺をじっと見つめながら続けた。
「風にとっても過ごしやすい、楽しい街にしようと思う。よい領主でありたいと思っておる。時々でもよいから、また来て欲しい。ぜひまた訪れて欲しい、風の賢者さま」
あーなんか、違うんだけど…否定し続けるのもやりずらいというか…
「俺は風の賢者などではありませんが、領主様やこの街にとっての良い風と受け止めていただき、またの訪れを心待ちにしていただけるのは…とてもありがたく、嬉しいことだと思います」
また来たくなる街であることは確かだ。
うん、なんだかかっこつけたまま…このまま街を出ていこう。その方があれこれめんどくさいことがなさそうだ。
「どうか、皆様にもよろしくお伝えください。このまま旅立つことにします」
「ありがとうございました。風の賢者…ヒロムさま」
あー、もう。行くしかないよね。出ていくしかない流れじゃん。いいよね、荷物は全部持っているし。
と、思ったら最後に買った120のマジックバッグとマントを部屋に置いてきていたのを思い出した。隠密でこっそり回収してこよう。そうしたらすぐ出発だ。
木立の陰になる位置まで歩いて移動。そこから隠密で領主館へダッシュで戻る。誰の目にも捉えられない状態のまま、すすすっと部屋まで行ってささっと出ていく。
途中でロルフェさんとすれ違った。彼女に別れの挨拶をしないままなのは申し訳なくて、ありがとうと紙片に書いて玄関ホールのテーブルの上、花瓶で飛ばないように軽く挟んで残しておく。
さぁて、脱出だー。




