第39話
翌日もせっせと本の洗浄作業を続け、とうとうあの本をロルフェさんが持ってきた。
「あれ? この本、何もタイトルが書いてないのですね」
えっ? と思った。
「立派な装丁なのに…日記でしょうか?」
ロルフェさんの視線は確かに黎明の錬金術師、直筆の文字をとらえているはずだ。なのに見えない、読めないという。
「中身は…どうだろう?」
ぺらりと開いてみると、彼女は俺の横から本をのぞき込み「やっぱり白紙ですね」と言った。
…びっくりだ。錬金術スキルを持たない者には読めない本、なのかもしれない。俺も錬金術スキルを得る前は、見えているはずの文字が読めなかった。いや、理解できなかった。
白紙ではなく文字が書いてあるという状態だったのは薬師と水魔法といった錬金術スキルと重なっているスキルをその時すでに持っていたから、理解できなくても文字が書いてあると認識だけできたのかもしれない。
さらにいうと全人語スキルという特別なスキルを持っていた俺でさえ、文字が書いてあることしか分からなかったのだ。全人語スキルも錬金術スキルも、どちらもない者には錬金術師の本は白紙に見えるのかもしれない。
「どのページもそうかな」
ぺらぺらと初めの方、中の方も試しに開いてみた。
「すべて白紙ですね。これ、本なのかしら? メモ用紙にしては立派な装丁ですよね」
「……そうだね」
この本は数百年前に生きていた大錬金術師が残した貴重な本。錬金術師しか読めない本。もしかしたら、今この屋敷にいる者で読めるのは俺だけなのかもしれない。領主様に読めていたら、大錬金術師が残した貴重な本があるから、取り扱いに気を付けてくれと事前に注意しそうなものだ。
「ヒロム様のスキルでも、その本に何かが書いてあるようにはならなかったんですよね?」
「どうなんだろうね。なにか特別な仕掛けがあるのかもしれないし、白紙の日記かもしれないし…不思議だね」
その本だけ本棚に戻さず、机の上に置いておく。それ以外の本は流れ作業で洗浄スキルで綺麗にしていく。
「終わりましたね」
今日の作業は2時間ほどで終了した。
「依頼はこれで完了かな。そしたら、報酬としての作業…読書に専念できるね」
「ヒロム様、本当にここにある本全てをお読みになられるのですか?」
「全部は読まないよ、いくら俺でも」
「良かったです。お読みになられるとしたら、何日かかるか分かりませんものね」
「ロルフェさん、お手伝いありがとうございました。いつもの仕事に戻っていただいて、大丈夫ですよ。俺はこのまま読書をしていますね」
「えっと…はい。では、後程お飲み物を持ってまいります。ごゆっくり読書をお楽しみください」
ここでの仕事が終わってしまったことを残念そうにしたロルフェさんがしぶしぶというように自分の仕事に戻っていく。部屋から追い出すようで悪いが、彼女がこの図書室で読書を楽しむのは、今でなくても出来ることだ。
彼女を見送って、さあ錬金術師の本を読もうと思ったのに…入れ替わりのように領主様が様子を見に来た。
「なんと。もう終わったというのか?」
「はい。綺麗にできるものは綺麗になったかと思います」
綺麗になったのは本だけじゃないけれど…触れないでおこう。
「それは…もしや……」
1冊だけテーブルの上に出したままにしている本に領主様はすぐ気が付いた。
「はい。これだけ、その…」
彼は本をさっと手に取り、ページを開き中を確認すると「ふぅっ」と残念そうな溜息をつく。
「そうか。やはりこれだけ白紙のままか」
「…申し訳ありません」
錬金術スキルを持たぬ者には白紙に見えるのだろうが…その本には汚れはないから、これ以上綺麗になりようがない。
「いや、よいのだ。ダメかもしれぬとは思っておった」
「そうですか…それで、その…この本のことは…」
「うむ。不思議であろう?」
「はい」
錬金術師にしか読めない本だと知らせた方がいいのかどうか少し迷った。だが、これをそうだと知らせることは…俺に錬金術スキルがあることを教えるということだ。ますますこの地に引き留められることになるかもしれない。
「子供のころから親に教えられ、守らねばならないことのひとつに…この図書室にある紙はたとえ白紙だろうと持ち出してはならぬ、ということがある」
「…白紙だろうと、持ち出さない」
何も書かれていないからと言って、処分しないように…そんなことを注意する者がいたのだろうか。
「この本がいつからここにあるのかも知らないし、なぜあるのかも誰も知らない。何も書かれていない本に何か特別な意味や役目があるのかどうかも分からない」
「不思議ですね」
「我が家の謎のひとつなのだ」
領主様は笑った。
「形としてはここにある。だが、中身は誰にも読めぬし分からない。こんなものにどんな価値があるのかと言えば…ないのかもしれぬ。だが、わしはそれでもいいのだと思うようにしている」
「それでもいい、とは?」
「形あるものを残すことは、ないものを残すよりも容易い。しかし、ないからと言っておざなりにしてはならぬものは多い。わしはその本の中身はわが一族の心や生き方だと思うことにした」
「ココロ…そして生き方…」
この本の中でカーサイノ師は過去の領主のどケチぶりをさんざん書き、悪口を連ねていた。今の領主様がそれを読んだら、どう思うだろうか…
「いつまでも白い心を大切に、謙虚であれと…わしは次の世代へ伝えていこうと思っておる」
ああ、領主様…真実を隠したままでごめんなさい
あなたの心は白いです。はるか昔のご先祖様とは違います。ハイセイの街はきっと素晴らしい街として栄えることになるでしょう。
「これでわしが頼んだこの図書室の洗浄は無事終わった、ということだな」
領主様は手にしていた本を元に戻した。やはり、入っていた場所もきちんと覚えていらっしゃる。
「先ほどハーレンダルが来てな、こちらの仕事が終わったら商業ギルドへ来て欲しいと言っておった。昨日、今日とで君は疲れておるだろうから、明日以降にするようにと言っておいたが…体調はどうかな? 昨日は無理をさせたみたいですまなかった」
「いえ…そんな…昨日はその、ご心配をおかけしました。魔力回復ポーションをありがとうございました。いただいたポーション代は…」
報酬から引いてもらおうと思ったら、「よいよい」と手を振られた。
「そのくらいのこと、気にせんでよい。今日はゆっくり過ごすといい。君の意見を聞こうとレモンがやってくるかもしれぬが…この図書室にいる間は邪魔はするなと言ってある」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「では、また。晩餐の時に…」
「はい。ありがとうございました」
領主様を見送って、俺は室内に戻った。
「ふぅ」
自然と溜息が出た。
カーサイノ師が書き残したあの本。中身は俺にとって、この部屋のどの本よりも値打ちがある。
だが他の人にとっては何も書かれていない読めない本だから、「日記代わりに使うからくれないか」と報酬代わりにねだってみようかと思っていたが…先制パンチを食らった。
持ち出してはならない、本。白紙の本に一族の心のありよう、か……
カーサイノ師が生きていたころの領主は嫌な人だったかもしれないが、この時代の領主様はいい人だ。この街にいる間ぐらい、もう少しだけなら…この街の発展に繋がるお手伝いしていこう。
*
ハーレンダルさんに連れられ、商業ギルドの奥の奥。案内された先は厳重に保管された…金庫の中、だった。
「すご、い…ですね」
なるほどこれは守秘義務が生じる。ここにこんなに大量の銀貨、金貨が保管されているなんて…泥棒に知られたら大変だ。
「大変だろうが、一度試してみて欲しいのだ。長年染みついた汚れが落ちないものかどうか」
なるほど。硬貨にも汚れが沈着するし、環境次第では変色することもあるだろう。これを定期的に洗浄するとなると…ハッキリ言ってめんどくさい。一枚一枚洗浄していたら…の話だけど。
「あの、すみません…疑問というか、理解が足りないというか…」
ハーレンダルさんの頼みたいことが、硬貨の洗浄だということは分かった。分かったが…
「これって、しなきゃいけないことなんですか?」
汚れていようが硬貨は硬貨。汚れぐらいで価値が下がるわけじゃないのに、わざわざ洗浄しなくちゃいけないものなのか?
「そうだ。推奨されているのは数年に一度でいいが、な」
努力義務って感じか。
「だけど、お金が…つまり俺に仕事として依頼するということは支払いが発生します。つまり経費が掛かるということですよね。綺麗にしたところでお金が増えるわけでもないのに、わざわざ綺麗にするなんて…無駄じゃないですか?」
お金の使いかた、間違ってない?
「商業ギルドの発展に貢献したメンバーの一人が残した、有名な言葉がある。『汚い金は身につかない。綺麗な金は身を助ける』
「……………」
それって…綺麗の意味が少し違うのでは? 汚い稼ぎ方をしたお金は湯水のようにすぐに使ってしまうから泡のように消える。真面目に働いて稼いだ綺麗なお金はいい人脈も作ってくれるから、もし困るようなことになっても助けてくれる人が現れる。
そんな意味じゃないのか?
「また、『お金は寂しがりやだから、多くあるところに集まる』という言葉も残した人だ」
ナニワの商人っぽい。ってか、日本人じゃない? しかも、大阪人ぽい。
「なんという名前の方ですか?」
「サザキェージ。…知らないかな? 我が国でも指折りの大商会、ヒーモトの創業者だ」
サザは佐々とか、佐座とかっぽい。キェージは木栄治とかそんな感じか? サザではなくササキだとしたら佐々木栄治という可能性も。
ヒーモトはきっと日ノ本。日本人だ。やっぱり俺以外にも、この世界に来た日本人がいたのだ。
「その人は、もう生きていない人ですか?」
「そうだな。二百年ほど前に生きていた方だ」
「そう、ですか…」
昔にいたとして、いま俺がここにいるように…他にも日本人がいる可能性はゼロじゃないだろう。
ただ、そういう人をどうやって探したらいいのか分からないし…そもそも、探した方がいいかどうかも分からない。善人ならいいけど、野心家だったり危険な思想を持つ人だったりしたら…関わり合いになりたくない。この世界にいる人だっていい人もいれば悪い人もいるはず。そういう人なら割り切れるというか…出来れば同じ世界に生きていた人にはいい人であって欲しいのだ。自然と希望を持ってしまうから、悪い事実は知りたくない。ショックを受けたくない。
「お金を洗うことは縁起がいいとも言われているのよ」
「そう、ですか」
「商売人は縁起を担ぐからな。大きな商い用に綺麗な金を用意してくれと頼まれることもある」
「なるほど。…分かりました」
仕事として請け負いましょう。俺の懐が痛むわけでもないですし。ええ、反対に潤いますからね。
「えっと…俺一人で作業、というわけにはいきませんよね?」
「すまないが、監視役として、ワシとイシェラが同席することになる。規則でな、済まんが…」
「いえ、確認してみただけなので…」
これを一気に、全部まとめて洗浄したら気持ちがいいだろうな。だが、やりすぎなような気もする。
「量が量ですので…その…少しずつ試してみるでもいいですか?」
「もちろんだ。…が、少しずつというのはどのくらいのことだ?」
ぐるりと見まわし、それぞれの硬貨ごと、箱に収められている状態を軽く確認する。
「それでは、この箱からいってみましょうか」
「え?」
驚いた声を上げたイシェラさんに、俺も同じ声を上げた。
「え?」
「大金貨の入った箱ごとか? 中身を取り出さなくてもいいのか?」
「あー そうですね。確認のために取り出していただかないといけないわけですよね。それなら手間は同じなので、一度出してしまいましょうか」
「…やっぱり、そうなります?」
イシェラさん、メンドクサソウ。
「確認作業しなくてもいいなら、出さなくてもいいですよ」
「いや。確認することは必要だ。ほら、イシェラやるぞ」
箱に収められていた大金貨。もしかしたら普段は数を数え、百枚単位で袋に詰めて保管していたのかも…。それを袋入りのままでは洗浄できないだろうと全部出して箱に収めていたのだとしたら…ご苦労様、な作業だっただろう。
大金貨以外は袋入りの状態だものな。この大金貨だけでやる気をなくしたと推測できる。イシェラさんの嫌がりようからも、そんな気がする。うん。
「お、わりましたね」
うん、大金貨って重いよね。当たり前だけど、一枚の重みが金貨より重い。
「お疲れ様でした」
箱から出された大銀貨が、床の上に山になっている。
「これで準備は終わったな」
俺の背後に立つ必要はないと思うのだが、なぜか2人とも俺の後ろに回った。そのポジションからの方が見学しやすいの?
「では…いきますね」
手を動かす必要はないのに、ここでもパフォーマンスとして…軽く手を振っておく。
「…え」
「え?」
終わったと思うけど…効果なかったのかな。
と思ったら、すごい勢いでイシェラさんとハーレンダルさんが大金貨に駆け寄った。
2人は大金貨を鷲掴みにすると、手の中から大金貨を下へ落としていく。なんと大胆な確認方法。
「綺麗になってる!」
そりゃそうでしょ。綺麗にしたんだから。綺麗になってなかったら、その方が驚くよ。
と、思ったのはどうやら俺だけだったみたいで、二人はキラキラとした目で俺を振り返った。
「素晴らしい!」
「すごいです! この量を一瞬で!」
「……そ、うですか…良かった、です」
全部を一瞬で綺麗にしなくて。
「製造されたばかりのようじゃないか」
「はい! 汚い硬貨に嫌々触らなくてもよくなります!」
仕事柄、どんなに硬貨が汚れていても受け取り拒否はできないよな。偽造でない限り。
「ヒロム君!」
「は、はい…」
「どんどんやっちゃって! 遠慮なく、全部!」
って、本当に全部いきなりやれば彼らはびっくりするはずだ。全部というのは、最終的に…の全部の解釈で合っているはず。
「分かりました。次は金貨の箱、いきますね」
箱ごと、中に入っている金貨よ、綺麗になぁれ。綺麗になぁれ。綺麗になぁれ。
「次は大銀貨の箱、いきますね」
綺麗になぁれ。…お、今までで一番汚れていたみたいだ。綺麗になぁれ。綺麗になぁれ。
「次は銀貨の箱、いきますね」
いやいや、こっちの方が汚れはすごかったみたいだ。銅貨や大銅貨の方が人の手から手を繰り返しているはずだから、この後さらに硬貨は汚かったりするのかも。
綺麗になぁれ。綺麗になぁれ。綺麗になぁれ。綺麗になぁれ。
「追いつかないー! ハーレンダルさん、確認なんてしなくてもいいのと違いますか?」
「だが、な…規則で、数に間違いがないのか…」
「確認しなくても、ヒロム君がお金から離れたところに立っているのは、わたしたち見ていますよ」
「う、む…そうだ、な…」
ごめん、イシェラさん。俺アイテムボックス持ってます。それも超巨大なやつ。ウエストポーチのマジックバッグは規則とやらで部屋の外の金庫に預けてきたが…俺自身のアイテムボックスがあるから盗もうと思えば手にしなくても盗めちゃう。…しないけど。
ハーレンダルさんのスキル2というアイテムボックスの大きさは分からないが、彼にもここの金貨の山、入れようと思えば入れられるのではないだろうか。
「大銀貨だけで手いっぱいですよー。銅貨まで確認するとなると、何日かかるか分かりませんよ!」
「そ、そうだな…」
「数え終わるまで、この部屋から出られないなんてことになったら…死にますよ!」
「う…それは…困るな」
「困るな、じゃなく…死にますよ!」
2人が漫才のようなことをしている間にも、俺は洗浄を続けて…
「終わりました」
「「え?」」
2人とも、見ていなかったみたいですが、終わったんです。
「俺のやることは終わりました。俺も、確認が終わるまでこの部屋から出られないんですか?」
イシェラさんはじっとハーレンダルさんを睨むような目で見た。
無言の圧力、すごいな。
「そ、それぞれ一袋だけ。任意に取り出したものを確認しようじゃないか。それで洗浄済みと確認でき、数にも問題がなければよしとしよう」
おぉ、ハーレンダルさんが折れたぞ。会頭というトップも一職員に負けることがあるんだな。
「分かりました! ヒロム君、悪いけどもう少し待っていてね」
「大丈夫です。俺が確認作業を手伝うわけにはいかないでしょうから…入り口の離れたところでお待ちしています」
手伝って欲しそうな視線を向けてもダメでしょハーレンダルさん。イシェラさんが頑張っているんだから、ほら…早く手を動かして。
俺は少しだけ疲れたフリをして入り口近くの床に座った。フリの演技、少しずつ上手くなっている気がする…のは俺だけかなあ。誰にも確認できないから、自分で自分を褒めておこう。




