第35話
とっととギルドカードを作っておかないとレモンが迎えに来る…とハーレンダルさんが口にしていたのは冗談でも何でもなかった。昼ご飯は領主館に用意されているから、とかっさらうような勢いでまたしても舟に乗せられ、どんぶらこ。
正午はとっくに過ぎているからお腹空いたなーと思っていると、館に着いてすぐ食堂へ連れていかれた。
「レモン、遅いぞ」
「申し訳ありません」
空腹も吹っ飛ぶぐらい俺は驚いた。なぜなら、領主様だけでなく、そのご家族一行様まで俺の到着と食事の開始を待っていたのだ。
「遅くなりまして、申し訳ありません」
俺が悪いわけではないが、そう謝罪してしまう。
「いや、本当はこのぐらいの時間になると予測していたのだ。君が気にする必要はない」
領主様の俺へ向ける表情が柔らかいのは、家族の前でもあるからかな。とくに、年頃の娘の前では、短気な父だと思われたくないだろうし…
「先に紹介しよう」
と領主様は家族を一人ひとりを紹介してくれた。
奥さんの名前はミラーナ・セラ・ハイサルディ。髪は栗色で、瞳は緑。おっとりした感じの美人さんだ。笑顔が優しくて、ほっとする感じ。マイラさんのような女傑ではない。
領主の息子はトリトーナ・ハイサルディ。父親によく似ている。髪も父親と同じ赤っぽい金に茶色の瞳。性格までは見ただけではわからないけど、ミラーナさん似で優しそう。性格は悪くない感じ。
領主の娘はエスラ・ハイサルディ。彼女もミラーナさん似でおっとりした感じ。髪は赤っぽい金に緑の瞳。俺よりちょっと年上かな。着ているのがドレスということもあり、本物のお姫様って感じ。
この他に 嫁いだ領主の娘が二人いると、軽く付け加えられた。今は四人家族だけど、もともとは六人だったんだね。
俺は名前ぐらいしか言うことが思いつかないや、と思っていたら領主様が俺の紹介をしてくれたよ。
「彼はヒロム。ハイセイの街に来たばかりの少年だが、今後の街の発展につながる素晴らしい企画を立案してくれた得難い人物だ。しばらく館でともに生活してもらいながら、わが街を発展する仕事に力を貸してもらう。みなも彼と交誼を結び、何かを得、何かを学んでみて欲しい」
「はい。分かりましたお父様」
トリトーナ様。領主の息子で年上の彼に素直に受け入れられると、それはそれでお尻がもぞもぞしちゃうよ。
「よろしくお願いします、ヒロム様」
ギャー。かわいらしい感じのお姫様に様付きで呼ばれて…どうしたらいいの、俺。
おたおたしていたからか、男爵夫人がクスッと笑って場を和ませてくれた。
「あの…こちらこそ、よろしくお願いします。しばらくお世話になります」
冷や汗をかいたよ。
給仕係の人たちが素早く、そして静かに食事の準備を整えてくれて助かった。
料理を食べ始めてしばらくは緊張していたけど、料理がおいしくて緊張もほぐれたよ。食事を一緒に食べるのって親しみが生まれるね。出てきた料理のことや食材のこと、料理方法のことなど話しているうちに俺の趣味が料理であることがバレてしまったよ。
「エスラはいま花嫁修業中なのだが、よかったら何かひとつ教えてやってくれないか?」
「えっと…こちらには素晴らしい料理人さんがいらっしゃると…思うのですが…?」
「エスラには包丁を握らせたこともないし、簡単なものが出来ればいいのだが…」
過保護に育ててきた姫さんだが、何か一つでもできることを…ということかな。
「お願いします。私、頑張りますので…」
あーこれ、引き受けるしかないパターンだ。
*
昼食の後。俺が寝泊まりすることになる部屋へ案内してもらった。
部屋の大きさは六畳くらいの寝室と続き部屋のリビングの2部屋。トイレはリビングの端にちゃんと客用が用意されていたが、風呂はなかった。シャワーくらいあるかと思っていたけど、別の場所にあるのかな。
「ヒロム様を担当させていただくメイドのロルフェと申します」
平民なのに、様呼びが定着しちゃっているよ。姫様や若様にまでそう呼ばれていたら、メイドもそう呼ぶよね。とほほ……。
「ヒロムと申します。短い間ですが、お世話になります。何しろ急な環境の変化についていっていないというか…平民ですから至らぬ点が多々あると思いますが、遠慮なくご指摘、指導のほどよろしくお願いします」
黒髪に近い濃紺の髪なんて珍しくないのかな。初めて見たけど、すごく綺麗だった。
「すみません、髪が気に障りましたでしょうか?」
つい、じっと見ていたからなのかそう聞かれてしまった。
「えっと…気に障るというよりその反対で、きれいだなと思って見てました。じっと見てしまってごめんなさい」
えっ? という顔をして、俺が嘘を言ってないかどうか確認するように見つめ返される。
「あの…お世辞、ですよね」
「うぅうん。嘘じゃないよ」
わざと砕けた言い方をしたら、彼女の頬がほんのり赤くなった。つい、つられて俺も照れくさくなってしまった。
「色が地味で、嫌がられることの方が多いので…驚きました」
「えっ、そうなの? 俺は落ち着くけど」
日本人だからね。黒髪が基本だし、染めている人もいるけど…やっぱり黒が一番だと思う。イメチェンで茶髪にしてみたいなと思うことはあっても、基本は黒かなーと思っている。
この世界に来てから黒髪を隠すことにしたのは、この世界では少数だと知ったからだ。目立つことで余計なトラブルを招かないように対処したに過ぎない。黒髪が嫌いなわけじゃない。
「その髪色だと意地悪されるの?」
「意地悪…ええ、少し嫌な思いをすることはあります」
「今でも?」
「このお屋敷に来てからは…ほとんどありません」
「ほとんど…なんだ。少しはあるってことだね」
「ですが、旦那様や奥様、ご家族の方も皆様良い方たちばかりですので、これ以上恵まれた職場はないと思っています」
「そっか…。それならよかった」
たとえ客から少しばかり嫌な視線を向けられても、その人たちはずっといるわけではない。そしてメイドとはいえ、嫌な客とは出会わなくてもいいように配置を願えばいい。その方がお互いにとってもいい。
「ご心配ありがとうございます。…この後のご予定なのですが、15時に一度お声がけに伺います。それまでお身体を休め、くつろいでいて欲しいとのことです」
「分かった。ゆっくりさせてもらうね」
彼女が部屋を出ていき、ようやく一人になれた。
「あー疲れた」
精神的な疲れを感じた。ベッドにダイブして、ぐでんと身体を伸ばす。
「あ、これ。いいマットレスだ。柔らかい」
シーツをべらっとめくってみる。
「羊の毛布の贅沢重ね…」
さすが、羊の革製品を作る工場を要する街だ。買えば一枚いくらするのかを俺は知っている。
精神的な疲労を回復するポーションはない。だが、リフレッシュ出来る香油ならある。
「これ、商品にしたら俺だけじゃない。需要ありそうだな」
香油を一滴ペンダントトップに垂らす。珪藻土だから垂らした香油はべたつかず中まで染み込んでいく。そしてペンダントトップ全体が体温で暖まって、ほんのり香りが広がる。
首から下げることで、下から立ち上るように香りが届く。すると脳が匂いの中に含まれる沈静成分を感じて神経の興奮状態が鎮まっていく。
気疲れしている人や仕事に忙殺されている人にもおススメしたい。体力はポーションで回復できても、気力までは難しい。魔力回復ともちょっと違うんだよな。
屋敷に入ったとき、フードは脱いでカバンに入れている。だから、旅用に着ていたごく普通のシャツにズボンにベストという組み合わせ。いかにも平民向けのシンプルなものだが、この屋敷にいる間ならもう少しいいものを着ても良いだろう。
平民臭い服で食堂に来るなと誰も言わなくてよかったよ。自分たちが貴族であることを鼻にかけるような人はきっといるはず。彼らがそうでなかったとして、全員がそうだとは思わないようにしよう。
買ったばかりのお気に入り、青色メインのシャツに着替える。靴も旅用のブーツではなく、ちょっとおしゃれなデザインの短ブーツに履き替える。それまで着ていた服は洗浄してからアイテムボックスに収納しておく。
「あ、商業ギルドのカードチェーンと二重になるな…」
ペンダントの2重のチェーンって…見た目的にどうなんだ? うーん…デザイン的にジャラジャラした印象。商業ギルドカードだけを下げるようにするか。
香油のペンダントは売り物用に作った試作品。自分で使うならシンプル過ぎるし、ちょっとアレンジしよう。
シルバーのインゴットをアイテムボックスから取り出し、少しカット。手首に巻いてバングルにし、中央にペンダントトップを嵌め込む。
匂いを嗅ぐときには手首を鼻に近づければいい。
「よし」
わずか数分で完成。バングルの輪がそのままでは寂しいから、ちょっとだけひねりを加えて…流線型のラインを加える。うん。こっちの方がいい。
モノづくりをするのって落ち着くな。俺の精神安定剤になっているかも。
残ったシルバーで同じものを作る。少しずつデザインを変えるが、基本は香油を染み込ませるためだけのバングルだ。特別な付与はしない。
いつか自分の店を開くときの商品にしよう。庶民向けのモノは値段を抑えたいし、特別な付与はなくても売れそうなものを作ろう。
コンコンとドアをノックする音に驚いた。
「ヒロム様、よろしいでしょうか?」
慌てて時間を見ると15時前。すっかり夢中になっていた。
「ち、ちょっと待って。開けないで」
制作途中なものや材料、完成品全てアイテムボックスに収納し、おかしなものはないかと視線を素早く動かして確認してからドアへ。
「いま開けるね」とドアを開けるとメイドのロルフェがエスラ嬢と廊下に立っていた。
「ヒロム様、ティータイムのお誘いに参りましたの」
「お誘いありがとうございます。エスラ様」
廊下へ出ると、2人が鼻をすんと小さく動かした。
「とても素敵な香りですわね。ヒロム様の香りですの?」
「俺の、ということではないですが、俺の好きな香りです。とてもリラックスできるんですよ」
「確かに。とても落ち着いた香りがしますわ」
うんうんと2人に頷いてもらえてほっとする。匂いに対する感性は男女差でも個人差でも違う。ある人にとっては好きな香りでも、別な者には嫌いな匂いになるケースもある。
「まいりましょう。中庭に降りるバルコニーにテーブルを用意しましたの」
部屋から一階へエスラ嬢の案内で移動すると、バルコニーに用意されたテーブルで俺たちを待っていてくれたのはミラーナ夫人だった。男二人は多分、仕事に行っているのだろう。それか執務室で書類と格闘中か。
「まあ、素敵。お召し物を変えられたのですね」
「旅装のまま、食堂にお邪魔しまして、申し訳なく思っていました」
「お母さま。ヒロム様からはとても良い香りがいたしますの。とても細やかな気配りをされる方だと感心したしましたわ」
「エスラ、こちらへいらっしゃい」
娘を近くに呼んでどうするのかと思っていたら、少し離れた場所でこしょこしょこしょ。
「はしないですわ。殿方の香りについて…思ったことがあっても口に出すものではありません」と小声で注意している。聞き取れてしまったが、素知らぬ顔をしておく。
近くに戻ってきた気配に、さりげなく振り返り…にっこりほほ笑む。
「とても素晴らしいお庭ですね」
庭に見惚れていて、彼女たちの様子なんて気にしてないですよアピールだ。
「後ほど庭をご案内いたしますわね。大輪の花も素晴らしいですが、小さな花の群生を近くで愛でるのも趣がありましてよ」
「確かに。花で出来た絨毯のようで、その精緻さには心動かされますね」
もしかしたら、ここの庭に大輪の花がないことに対するけん制なのかもしれない。だが、金に飽かせて高価な花を揃えるより、この庭のように自然に近い庭のほうが飽きがこないし落ち着く。
用意されていた飲み物は当然のように紅茶だった。やはりこの国でも貴族は紅茶を好むものなんだろうか。
お菓子は素朴なものが多かった。カップケーキはドライフルーツ入りだったものの飾り気はない。クリームを添えることもジャムを添えることもないみたい。クッキーまでプレーンのみでびっくりした。ここが下町のテーブルなら驚かなかったのだけどね。
そう言えば、この国の甘味関係は調査しなかった。カフェにも寄らず、食事だけ。パン屋には寄ったが、そういえばデザート系はなかった。食事系ばかりだった。この世界のデザートはあまり発展していないのだろうか。
「どうかしら? お口に合うかしら?」
「はい、とても美味しいです」
「このクッキーはお母さまがお焼きになったのよ、ね」
ほう…男爵夫人のお手製だったのか。
「子供のころから、お母様が作ってくださるクッキーが大好きなの。私も教えていただくなら、クッキーがいいわ」
「まぁ…嬉しいわ。でも、せっかくヒロム様に習うのだから、クッキー以外のものにしていただいては?」
「そうねぇ。ヒロム様はどう思いになります?」
「その前にひとつ確認なのですが…エスラ様は包丁を握ったことがないと伺っています。包丁を使えると思われますか?」
似たもの親子は顔を見合わせ、さあと首をかしげた。
さてどうしよう。本当に初心者だぞ。不器用な者でもできる、子供でも出来るものじゃないと完成しないかも。
クッキーの基本とアレンジにするか? だが、せっかく母親が作ったこのプレーンクッキーが大好きだと言っている彼女に、もっと美味しくなるものを教えるのは避けた方がいいか?
貴族だから、砂糖を使っても叱られはしないだろう。だが、とりあえずは厨房を見てからだな。
「先に厨房を拝見させてください。それから考えます」
「まぁ…」
男爵夫人。なにがまぁなんだろ?
「ヒロム様はレシピをいくつも知っていらっしゃるのですね。わたくし、ひとつしか知りませんのよ」
それがプレーンのクッキーというわけか。
申し訳ないが庭の花の鑑賞は辞退させてもらい、ロルフェに厨房へ使いに行ってもらった。コック長の許可を得て、厨房にお邪魔したい。
「ヒロム様、こちらです」
「案内ありがとう。しばらくここにいるから、ロルフェさんの他の仕事に戻ってくれても大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
話はすでに通っているのか、少し邪魔そうにしながらも料理人たちは厨房の中に入れてくれた。
「クードルフです。エスラ様に菓子作りをお教えになるとのこと、うかがっております」
「コック長ですね。ヒロムといいます。料理が趣味なだけの平民がお邪魔して申し訳ありません。縁あってお嬢様にお菓子作りをお教えするお手伝いをすることになりました。ご協力お願いします。あ、先ほども言いましたが平民なので、気楽に接してもらえると助かります」
コック長は明らかにほっとした様子で口調も改めた。
「そうか、分かった。それで、わしらはどうすりゃいいんだ?」
「場所と器具をお借りしたいのと、菓子用の材料の提供をお世話になりたいです」
クードルフシェフは自身も食べることが好きそうな、ちょっと太めのおじさんだった。
「分かった。領主様のお願いだ、嫌だはねぇよ。ただ俺らの邪魔はしないでくれ」
「分かっています。…ところで、ミラーナ夫人にクッキーのレシピを教えたのはクードルフさんですか?」
「いや、その頃にはまだわしはいなかった。聞いたところじゃ、実家の厨房で働いていた女の料理人見習いに習ったらしい。わしらに聞いてもらえりゃ、もっと別なアレンジしたものもお教えできるんだがな」
「あ、やっぱり。アレンジできますよね」
「もちろんだ。ここにはいろんな食材が集まってくる。珍しいものだって、パーティの時にはお出ししているんだが…」
「参考までに食材をいろいろ見せていただいていいですか?」
「分かった。領主様のお声掛かりだ。好きなものを好きなだけ使ってもらって構わねえ。ただし、今夜の晩餐に使うものだけは勘弁してもらいたい」
「大丈夫です。先にきちんと許可を取ります。勝手に持って行ったりしません」
約束して、厨房だけでなく食材庫のほうも見せてもらった。かなり充実していて材料には困らない。困らなさ過ぎて、さて…どうしようと考え込む。
「そういえば、エスラ嬢の婚約相手…嫁ぎ先ってご存知ですか?」
「もちろんさ。幼馴染で、トリトーナ様のお相手ミランダ様の兄、ケイスール様だ」
兄妹で嫁ぎ先を交換するようなものか。向こうから娘をもらう代わりに、こちらの娘をやる…みたいな約束か?
「御領地の名前は?」と尋ねて、帰ってきた答えをもとに世界基本知識さんから情報を得る。
ここから北にある、山に囲まれた少し標高の高い盆地か。
セルネージュ川を遡った先にある領地で、ハイセイの街とは昔から親交が深い、か。なるほど…。しかも、ここでは甜菜を栽培しているんだ。
へぇ…王都から離れた田舎でありながら、砂糖を生産しているため爵位も上で財政的に余裕がある。なるほど。
寒冷地の土地で盆地。となるとすぐにカロリーを補給できるおやつレシピは知っていて損はない。
よし、火を使えるかどうか確認して大丈夫そうならあれにしよう。




