第31話
【フクロウの止まり木】をチェックアウトする日の朝。
最後の朝食を食べに食堂へ行くと、いつも担当してくれるケティさんが話しかけてきた。
「お客さん、料理人だったんですね」
昨夜、親父さんやアイラさんと一緒に料理談義をしたり料理を作ったりしていたから、そう思われたみたいだ。
「違うよ」
「えっ、そうなんですか? あんなに料理が上手なのに?」
「料理はただの趣味だよ」
ただの趣味で一流の料理人たちと料理談義をするのは可笑しいかと自分でも思った。
「俺は旅人だからね。この街以外の料理を少し知っているだけなんだ」
「知っているだけ…うぅーん、そうかぁ。私、この街から出たことがないから、他の街のことは知らなくて…。旅をするのって怖くないですか?」
「怖いよ。でも、いい出会いもあるから。…この街に来て、この宿と食堂に来れたのはよかったな」
本当に、この街に来てからの3泊4日は密度の濃い日々だった。
「そう言ってもらえるのは嬉しいかな。…あ、すみません、すぐに料理を運んできます」
食事を終え、一度部屋に戻る。この街で買った荷物はすべて俺のマジックバッグに収納してある。マジックポーチを腰にして、紺色のマントを羽織る。カムフラージュ用旅人セットの入ったリュックを背負い、最後にもう一度部屋の中を見回してから、部屋を出ていく。
受付のカウンターにはいつもの入り婿さんとジルハ少年。そして、この時間はまだ忙しいだろうにアイラさんがいた。
「おはようございます、アイラさん」
入り婿さんとジルハ少年とは、すでにあいさつ済みだった。
「おはよう、ヒロム。今回はお世話になったね。本当にいろいろありがとうな」
「こちらこそ。貴重なレシピを教えていただき、感謝しています。レカが手に入ったら、いつか親父さんの味を再現できるよう、作ってみますね」
「ぜひ、また食べに来ておくれよ。その頃にはきっと、この街の名物がまた一つ増えているはずだから」
「そうですね。また来ます」
リップサービスではなく、本当にまた来たいと思えた。
「商人や旅人さんに『また来ます』と言ってもらうのは、わたしらみたいな人間にとっては最高のご褒美。褒め言葉だよ」
「ヒロムくん。僕ももっと頼りがいのある宿屋の親父目指して頑張るから、また来てね」
部屋の鍵を返し、微笑み返す。
「頑張ってください。ジルハ君もありがとう。お世話になりました」
「ありがとうございました。どうぞ、お元気で…またのお越しを心よりお待ちしています」
受付の二人に小さく手を振って宿を出ると、アイラさんが外まで見送りに出てくれた。
「ヒロム少年」
もう客ではなくなったからだろうか、少し呼び方が変わった。
「なんでわたしらが君に料理を教えてくれと頼み込んだか、不思議に思わなかったかい?」
「思いました」
一見きつそうなアイラさんが笑うと、印象が変わる。
「キリジャが君に懐いていたからなんだ。あの男の特技といってもいいのかな。彼は不思議な男で、自分にとって頼りがいのある相手を見つけるのが非常にうまいんだ」
「頼りがいのある相手?」
俺がそうなのかは分からないが、確かに会った途端にぐいぐい来られた。
「頼りがいのある相手ということは、有能な人間のことでもある。ジルハを見つけてきたのもキリジャなんだ。橋のところで水路を見ていた子供に吸い寄せられるように近寄って行って、熱心に話しかけてた。一緒にいたわたしはまたかと思ったよ。子供は住み込みで働いていた商会が潰れて途方に暮れていた。キリジャはすぐに自分の仕事を手伝ってみないかと誘っていたよ。その場で採用を決めて正解だったのは、すぐに分かった。少し仕事を教えるだけでジルハは宿に必要な人になった」
「すごい特技ですね」
「ご両親や兄弟がよっぽど有能な人だったのか、本能で嗅ぎ分けるみたいだね」
アイラさんはじっと俺の顔を見た。
「だから、ヒロム。君のことも私たちにとって、必要な人になると予感がしたのさ」
入り婿さんの不思議な特技の話を聞いて…なるほどと思う部分もあった。
「彼はアイラさんのことも自分には必要な人だと思ったでしょうが、アイラさんもキリジャさんのことを必要な人だと思ったから…今があるんでしょうね。出会いって、面白いですね」
「本当にそうだな。だから、わたしたちはここを離れない。この街にはいい出会いがある」
「確かに…【フクロウの止まり木】にはいい出会いがありましたよ。また羽を休めに飛んできたいと思いました」
比喩もあるが、俺には本当に飛べる手段がある。飛行機に乗れば遠くからでも、歩きの百倍ほど早く移動できる。
「頼むよ。キリジャもあたしも…親父やかぁさんもみんなあんたのことが好きになった。客としてでもいいし、客じゃなくてもいい。またこの街に来たら、ぜひ寄っていって欲しい。待ってるよ」
このままいたら泣いてしまいそうな気がして、俺は急いで頷き。マントのフードを被った。
「名残惜しいですが、行きます。皆さんにお伝えください。ありがとうございました」
「ヒロム。よい旅を…」
アイラさんに見送ってもらい、宿を離れる。
思い付きで立ち寄った町だったが、本当に…ここへ来てよかった。
【フクロウの止まり木】の宿と【空と海】という名の、あの青にこだわった服飾屋は俺にとって大切な思い出の場所になった。
小舟に乗り、この街の景色をしばらく楽しむ。
「着いたよ。この先100メートルほど行くと黄色い看板に天秤の絵が描いてある店がある。そこだ」
「ありがとう」
街を出る前にスパイスを買いたくて寄り道した。
露店を横目に、調味料を扱う街の大商会へ行く。砂糖、塩、コショウ、スパイスは貴重なものが多い。露店に売っているようなものではない。
子供が買いに来たということで不思議そうな顔をされたが、金持ちの家の使用人のフリをした。堂々とした態度でちゃんとお金を払う意思を見せれば、初めは不思議に思っていたとしても客として扱ってくれるようになったし、商品を売ってくれた。
マジックポーチ持ちで大銀貨二枚、つまり調味料だけで20万の買い物を平気な顔をして終えると、上客扱いで店の外まで出て店員が見送ってくれた。
さぁ、今度こそこの街を出よう。
門番に入場札を返したら、なぜか名前を呼ばれた。
「ヒロムという名前の少年か?」
ぽけっとした顔をしたからか、2度同じことを聞かれた。
「ヒロムという名前の少年だな?」
「あ、はい…」
何だろうと思いつつ頷き返す。ヒロムの名前はこの街でしか使っていないから、知っている人はこの街の住人に限られるわけだが……
「すまないが、領主様がお呼びだ。これから領主館へ行ってもらう」
「えっ?」
驚いた声が出てしまうのも無理はないだろう。だって、なんで領主?
「どういうことですか?」
いきなり、領主館へ来いってどういうこと?
「知らん。上の指示だ」
いや、そう言われましても…俺としても困るんですが……
嫌だと言いたい。行きたくないと拒否したい。だが、そうはいかなさそうだ。
別の衛兵がやってきて、検問の列から脇へと連れていかれる。救いは、威圧的ではないということ。
「いま舟を近くに寄せる」
あれよあれよという間に、ひときわ大きな舟が目の前に。市民や観光客が乗っているものより一回り大きいが、それでも基本の形は同じだ。幅は細く、前後に長い。
波の高い海には向いていないが、波のない川ならば早く進む。…ああ、そうだ。カヌーと考えればそれなりの波があっても乗りこなせるか。荒々しい乗りこなしは運搬には向かないけれど。
「足元に気をつけろ」
はいはい。分かりましたよ。
渡し板を踏み超え、舟に乗り込み、中央近くの席に座る。水夫ではなく、衛兵の人がそのまま櫂を操って舟は岸を離れた。
俺、どこへ連れていかれちゃうんだろうという不安でいっぱいだったが…舟がセルネージュの川を遡り、街の中を流れる水路とは違う景色が目の前に広がると、少し観光気分が戻ってきた。
開き直って舟に揺られること10分余り。
対岸にひときわ大きな屋敷が見えてきた。ってか、ここも周りを水路で囲まれているのか。天然の要塞だけど自然が作ったとは思えない。
かなりの土木工事が必要な気がするけど…この世界には魔法がある。俺は習得してないから予想するしかないが、土魔法のすごいのなんかで土木工事をさくっとやっちゃうんだろうか。
あれ…
地図スキルで人がいるとは分かっていた。遠目スキルに切り替えて、岸辺に立つ人の顔を見て、どっと疲れを感じた。
なんでいるんだよ…元凶はあんたか、女将さん。確かに今朝は一度も彼女と会わなかったし、宿を出る際の別れの挨拶もしなかったね。
他にも三人のおじさんたち、警備兵らしき格好をした体格のいい男も二人いる。
「おはよう、ヒロム。驚いたかい?」
「驚いたなんて言葉じゃ言い表せませんよ女将さん」
舟が岸に近づき、声が届くほどになると女将さんの方から声を掛けてきた。
「驚かせて悪かったね。あたしもこうなるとは思わなかったんだよ」
それが本当のことかどうかは分からなかった。
「その少年が、例の…?」
じろじろ見られながら、無言のまま舟を下りる。ここまで送ってきた衛兵はすぐに舟の向きを変え、戻って行った。
フードを降ろす。まだ街を出て行っていなかったから、髪の色も瞳の色も変えていなかった。
「若いとは聞いていたが、まだ少年じゃないか」
失礼なことを言う、このおじさんは誰だろうか?
おじさん、誰? とでも聞いてやろうか。それともおじいさんと言ってやろうか?
白髪頭で髪が後退しているから、いい意地悪になりそうだ。多分、実年齢はおじいさんの域にはいってなくて、もっと若いのだろうが…。
「会頭。まだ少年だろうと、我々の街に素晴らしい提案をくれた少年ですぞ」
そういうあんたも、少年少年言ってるけどね。
「はじめまして、みなさん。今日はとても良いお天気ですね」
にこやかに挨拶をかましてみた。
「そうだな。今日はとても良い天気だ」
3人の男たちの中で一番若い、そして一番日焼けしている男がにこやかに応じた。
「初めまして、オレの名前はマーセル。ハイセイ舟組合の副会長をしている」
この地域の挨拶は握りこぶしを動かして胸を軽く叩くというものだった。握手は初対面の人とは行わない。商談がまとまった時や、約束ごと、お互いに合意することがあったときなどにはお互いの手と手を握り合う…つまり握手をするらしい。
「初めまして、マーセルさん」
俺もとんとんと胸を打つ挨拶を返しておく。ちなみにこれ、子供がやるとなんだかかわいい。小さい子供がニコニコしながらとんとんやっているのを見ると、ほっこりする。
ということなのかどうかは分からないが、一番早く話しかけてきてしかめっ面をしていたおじさんも機嫌が良くなったのか、とんとんの挨拶とともに自己紹介してくれた。
「初めまして、ワシの名はハーレンダル。ハイセイの商業ギルドの長の一人だ」
あれ、この人。商業ギルドのトップさんでしたか。
「長と言っても3人いるうちの一人だ。これでも一番若いのでな、今回出張ってきた」
あれ…心の中で年寄り扱いして、おじいさん呼びをしたのが伝わったかな。
「初めまして、挨拶が最後になったね。レモン・カナディといいます」
彼もとんとんしてくれた。名前に家名があるから、この人は貴族なのかな。
「俺は領主様のもとで、主にハイセイの観光に関するお仕事を担当している役人だよ。急に呼び出して悪かったね」
この人が一番肩書が偉そう。だけど、子供にも分かりやすいようにって感じの挨拶をしてくれるのは、一種の嫌味かな。
しかし…レモンさんか。この世界のレモンはメリトールというらしいから、偶然の一致なんだろうね。
「突然で驚きました。それで、何の御用でしょう?」
「マイラからとても良い話を聞いてね。しかし企画立案者が今朝にもこの街から出て行ってしまうと聞いて、慌ててこうして集まったわけだよ」
ここにきて、おかみさんの名前発覚! アイラさんの母親の名前はマイラさんか。うん、分かりやすくていいね。
「ワシは軽く話を聞いただけじゃが、驚いたな」
「オレも驚いた。水夫たちにとって大変ありがたい話だ」
「まあまあ、みなさん。立ち話もなんですし、中に入りましょう。領主様もお待ちかねですし」
「おぉ、そうじゃった」
そしてみんなでぞーろぞろ移動することになった。
女将さんがいたずらっぽい笑みで、俺が怒っていないかどうか探りを入れてきた。
「悪いねぇ。だけど、領主様に言われたらあたしらでもどうしようもないさね」
「ってか、狙ってました? 行動が素早すぎるんですが…」
いったいいつ、領主に話を持って行ったり、商業ギルドの人たちと会っていたというのだろう。フットワークありすぎ。そしてパワフルすぎ。
あはははは…なんて笑っても誤魔化されないぞ。と思っていたのに、おばさんなのにチャーミングなウインクをされ、睨む目元がつい緩んでしまう。すごいやり手の女傑なんだけど、不意の仕草が可愛くなるのはアイラさん そっくり。いや、アイラさんがこの女将にそっくりなのか。
「もう、いいですよ。…で、俺はどうすればいいんですか?」
俺は駄々をこねるのをあきらめたように、溜息をついた。




