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第8話 シンクラウンジとアルテック

拠点の夜は、思ったより明るかった。


外壁の上に並ぶライトが、広場全体を白く照らしている。明るいというより、監視しやすい明るさだ。影が薄い。人の動きが見える。誰がどこにいるか分かる。


ユウは居住区の手前、簡易宿泊所と書かれたプレハブの前で立ち尽くしていた。

扉の横に、案内板がある。


《仮登録者 利用条件》

《居住区:制限》

《夜間外出:不可》

《期限:三日》

《更新には保証人が必要》

《識別未確定の場合、更新停止》


「……三日」


声が漏れた。


三日で、ここを出ろということだ。

あるいは、三日で“中身を確定しろ”ということだ。


ユウの首から下がる仮IDタグが、触れていないのにひやりと冷たく感じる。タグの裏のQR模様が、まるで自分に貼られたバーコードみたいだった。


(住民票がない)


自分の居場所がどこにもない。

いまここで寝られるのは、ナギの“責任者”という言葉のおかげで、仮の許可が降りたからだ。


でも、仮は仮だ。


三日後に更新できなければ、仮IDは失効する。

失効すれば無認証になる。無認証は、隔離か、追放か、どちらかだ。


(性別不明のままでも詰む)


仮に自分が“女”として登録されていたとしても、いずれどこかで矛盾が出る。

声が変わる。身体が変わる。あるいは――検査が入る。


この世界では、検査が「最適化」の顔をしている。


――健康のため。安全のため。規約のため。


全部、同じだ。


「ユウ」


ナギの声が背後から聞こえた。


振り向くと、ナギが腕を組んで立っていた。

疲れているはずなのに、目が冴えている。眠り方を忘れた目だ。


「この掲示、見たな」


「……見た」


「焦るな。焦って動くと捕まる」


捕まる。

ナギはさらりと言う。ここではそれが日常の単語なんだ。


ユウは唇を噛んだ。


「保証人って……誰がなれるんだ」


「拠点の登録者。居住区の住民。企業と繋がってる者。……だいたいそんなところ」


ユウは息を飲んだ。


(企業と繋がってる者)


つまり、上層部。

自分のメモに書いた通りだ。一般人として潜るなら、協力者が必要。


でも、そんな人間にどうやって近づく。

“僕は未実装の男です。住所が欲しいです”なんて相談できるわけがない。


ユウの脳の奥で、ミオの声が響く。


――弊社のマップサービスをご利用なされますか?


あのロボは、企業側だ。

企業は上層部に繋がっている。

なら、ミオに頼めば……。


いや、待て。


企業に頼るということは、企業に自分を差し出すということだ。

未実装の男を差し出したら、何が起きる。


保護?

檻?

実験?

利用?


「……どうする」


ユウが呟くと、ナギは肩をすくめた。


「情報を取る。ここは拠点だ。外より情報がある。だが、端末の同期は最小にしろ」


「同期……」


ユウは腕の貼付端末を見た。透明なフィルムが肌に貼りつき、淡く点滅している。

嫌な虫みたいに、剥がしたくなる。


ナギは続ける。


「シンクラウンジに行け。ローカルネットの閲覧所だ。仕事も拾える。……三日で保証人は無理でも、道筋は見える」


ユウはその言葉に引っかかった。


「仕事……拾える?」


「クレジットじゃなく、食券か寝床券だ。表向きは“作業協力”。年齢も関係ない」


年齢が関係ない。

それは救いじゃない。ここでは“子どもであること”が守られないという意味だ。


ユウは、背中のリュックの重さを確かめた。

ルカから買った水と食料。

そして、ポケットの会員カード。


会員カードが、拠点に入ってからずっと不気味に熱い。


(位置更新:ON)


誰が見ている。


ユウは、カードの角を指でなぞった。

指先に、微かな振動。


「……行く」


ユウが言うと、ナギが頷いた。


「フウが案内する」


その言葉に、フウが小さく顔を上げた。


「……うん。こっち」


フウはまだ小柄で、でも足取りは軽い。

拠点の通路を迷わず進む。


途中、居住区の入口を通り過ぎた。

そこには検問があり、腕を出す人、首のタグを見せる人、視線を避ける人がいた。


居住区は“内側の内側”だ。

仮登録のユウは入れない。


(ここに住む、ってことが)


その響きだけで羨ましい。

でも、羨ましいからこそ危ない。羨ましさは判断を鈍らせる。


フウが、明るい看板の下で止まった。


《SYNC LOUNGE》

《端末貸与》

《閲覧・申請》

《ジョブ掲示》


シンクラウンジ。


外の世界が壊れても、英語の看板だけは残る。

残ったものが強いとは限らない。むしろ、強いものだけが残る。


扉の前には、受付端末があった。人間じゃない。機械の受付。

透明な板が立っていて、文字が流れる。


《入室には同期が必要です》

《仮登録者はゲストモードを選択できます》

《利用規約に同意しますか?》


「……利用規約」


ユウは苦笑いしそうになった。

どこまで行っても規約だ。


フウが言う。


「ゲストで入れる。……でもログは残る」


ユウは頷く。


「ログ、ね」


IT好きだった自分の脳が、勝手に補完する。


アクセスログ。検索ログ。滞在ログ。

どの端末で、何を見て、どこへ行ったか。


ログは嘘をつかない。

ログがある限り、逃げても追われる。


ユウは深呼吸して、画面に触れた。


《ゲストモード》

《同意》

《同期:最小》


貼付端末が微かに振動し、扉のロックが外れた。


中は、薄暗かった。


壁際に共有端末が並び、あちこちに簡易ブースがある。

キーボードのカチャカチャという音。

低い会話。

そして、電子音。


この空気は、妙に懐かしかった。


ネットカフェっぽい。

でも、ネットカフェの気楽さはない。

ここは生活のための“窓口”だ。仕事と登録と申請のための場所。


フウはユウを端末の一つへ導く。


「ここ。……触るなら慎重に」


「ありがとう」


ユウは椅子に座り、端末の画面を見た。


起動画面に、でかでかと表示される。


《ローカルネット閲覧端末》

《閲覧内容は監査ログとして保存されます》

《法令・規約違反の検索は保護手順の対象です》


「……怖すぎ」


ユウの声が小さく漏れた。


フウが肩をすくめる。


「普通」


普通が怖い世界。


ユウは手を動かした。

キーボード。懐かしい。

体内端末がない自分には、これが唯一の“旧文明っぽさ”に思えた。


検索窓。


《検索:キーワード入力》


ユウは考える。


欲しいのは何だ。


住所。住民票。登録。保証人。

未実装。識別未確定。

そして――男。


でも、“男”を検索するのは危険だ。

監査ログに残る。保護手順の対象。

最悪、今ここで係員が飛んでくる。


ユウは代わりに、別の言葉を入力した。


「未確定ID 登録」

「仮登録 更新 保証人」

「保護対象 手順」

「性別 任意 企業」


検索。


画面に、リストが出る。


《仮登録更新ガイド》

《保証人制度の概要》

《性別情報の取り扱い指針》

《未確定識別者支援プログラム》


“支援プログラム”。


その単語が、妙に甘い。


クリックすると、広告じみたページが開いた。


《未確定識別者も安心》

《性別情報は任意》

《仮登録から本登録へ》

《安全な居住区をご提供します》


そして、ロゴ。


《ALTEC CORPORATION》

《アルテック・コーポレーション》


「……アルテック」


ユウは声に出してしまった。


フウが覗き込む。


「それ……企業都市だよ」


ユウは画面を見たまま、喉を鳴らした。


「性別情報、任意……?」


ページの下に小さな注釈がある。


《※未確定IDの受け入れには審査があります》

《※審査のため、生体確認を行う場合があります》

《※同期推奨》


同期推奨。

審査。

生体確認。


甘い言葉の裏に、針がある。


でも――この世界で針がない制度なんて、存在しない。


ユウはさらに読み進めた。


《アルテック居住区は、NSD対策基準を満たした安全区域です》

《男性保護プログラムは適用条件を満たす場合に限り――》


“男性保護”。


ユウの胸が跳ねた。


(やっぱりある)


男性の割合が低いなら、守るための組織がある。

それは2030年の価値観でも自然だ。配慮、コンプライアンス、保護、差別禁止。

言葉は正しい。正しい言葉は制度になる。制度は管理になる。


(でも、ここなら……)


性別不詳でも登録できる。

つまり、今の自分でも“入口”には立てる。


少なくとも、保証人なしで何かできる可能性がある。


ユウは、ページの右側にあるボタンに目を止めた。


《案内サポート》

《法人的サポート窓口》

《移送・紹介・仮登録更新》


案内サポート。法人。


ユウは背筋が冷えるのを感じた。

法人って言葉は、保護より怖い。企業より制度的で、逃げ道が少ない。


ボタンの下に、小さな文字がある。


《申請内容は監査ログとして保存されます》

《入力情報は共有される場合があります》

《位置情報の同期を推奨します》


またログ。

また同期。


ユウは指を止めた。


(押したら終わりかもしれない)


でも押さなかったら、三日後に終わるかもしれない。


ユウの頭の中で、二つの終わりが争う。


ひとつは、ここで“未実装”が嗅ぎつけられて捕まる終わり。

もうひとつは、何もしないで期限切れになって追放される終わり。


どっちも、終わりだ。


ユウは唇を噛み、もう一度検索窓に戻った。


「アルテック 案内サポート 利用条件」

「案内法人 料金」

「仮登録 作業協力 食券」


ジョブ掲示が出てきた。


《清掃》

《搬入》

《データ仕分け(端末不要)》

《夜間巡回補助(端末必須)》

《受付補助(女性優先)》


ユウは一瞬、苦笑いした。女性優先。

男が希少資産の世界で、受付は女がやる。そりゃそうだ。


ユウは「データ仕分け(端末不要)」をクリックした。


《内容:旧ログの分類/紙資料の仕分け》

《報酬:食券×2/宿泊券×1》

《条件:仮登録可/未成年可》

《注意:監査対象》


監査対象。

でも、端末不要。

つまり、性別がバレにくい。人目に付きにくい。


ユウは、心の中で決めた。


(まず、金じゃない。食券と宿泊券を確保する)


三日を少しでも延ばす。

延ばせば、考える時間が増える。

考える時間が増えれば、ミオに会う道も作れる。


ユウが申請ボタンに指を伸ばした瞬間――


ポケットが熱くなった。


会員カード。


ルカの会員カードが、また反応した。


ユウは嫌な予感がして、そっとカードを取り出した。

表面に、小さな光点が走っている。


《位置更新:完了》

《マーケット区画:招待》

《担当:ルカ》


画面の端にも、小さな通知が出た。


《外部会員証と連携しました》

《招待を受け取りますか?》


「……連携?」


ユウの背中に冷たい汗が流れる。


(勝手に繋がった。勝手に招待が来た)


これが“便利”の正体だ。

利用者が何もしなくても繋がる。繋がるから楽。楽だから使う。

使うから、逃げられなくなる。


フウがユウの手元を見て、眉をひそめた。


「……それ、やっぱり危ない」


ユウは声を抑えて言った。


「俺、押してないのに」


フウは小さく頷く。


「でも来た。……来たってことは、誰かが見てる」


誰かが見てる。

ルカか。行商組合か。拠点のシステムか。

あるいは――企業。


ユウは視線を戻し、アルテックのページを見た。


男性保護。

性別情報は任意。

未確定IDでも仮登録可。


(ここが道なら)


でも道の入口に、ルカの影が伸びている。


ユウは、結局「案内サポート」のボタンに指を乗せた。


押さない。

乗せるだけ。


ボタンの下に、警告が浮かび上がった。


《警告》

《申請開始と同時に監査ログが作成されます》

《未確定識別者は保護手順の対象となる場合があります》

《同意しますか?》


同意しますか?


ユウは笑えなかった。


2030年の記憶の中でも、同意ボタンはいつも押していた。

読まずに。面倒だから。必要だから。


でも、この世界で押す同意は、命に直結する。


ユウは指を引っ込めた。


(今は押せない)


押したら、ここで捕まる可能性がある。

でも押さなければ、三日後に追放される可能性がある。


ユウは手のひらを握って開いてを繰り返した。

頭の中で、焦りが暴れる。


そのとき、背後から声がした。


「……未確定識別、また出た?」


ユウの背筋が凍る。


振り向くと、制服の腕章をつけた職員が二人、ラウンジの入口付近で話していた。

顔は見えない。声だけが聞こえる。


「出た。焼損じゃなくて、端末“なし”のパターン」


「……ありえない」


ありえない。

またその言葉だ。


職員の片方が言う。


「位置も更新されてる。外部会員証と連携したって」


ユウの喉が鳴った。


(俺のことだ)


フウがユウの袖を引いた。


「……出よう」


ユウは頷いた。


ラウンジにいるだけで、ログが積み上がる。

ログが積み上がるほど、逃げ道が減る。


ユウは端末を閉じ、席を立った。


歩きながら、頭の中で答えを組み立てる。


三日。保証人。仮登録。

アルテック。男性保護。性別任意。

案内サポート。監査ログ。生体確認。

ルカ。会員カード。位置更新。招待。


全部が繋がって、一本の鎖になる。


(どうする)


外へ出るのは無理。

一人で生きられない。

でも拠点に留まれば、制度に捕まる。


そのとき、思い出す。


ミオ。


未登録エリア。無料ダウンロード。体内端末エラー。

“弊社”。

企業が残っているなら、ロボが動いているなら、そこに旧文明の断片があるはず。


ユウは、心の中で決めた。


(ミオに会う)


会って、働き口を探す。

企業の内側を利用する。

でも利用されないようにする。


矛盾している。

でも矛盾したまま進まないと、この世界では動けない。


ラウンジを出た瞬間、夜の空気が冷たく刺さった。


拠点の広場はまだ明るい。

明るいから、影が薄い。

影が薄いから、隠れられない。


フウが言う。


「ナギに言った方がいい。……アルテックのこと」


「言う」


ユウは頷いた。


でも、その前に。


ユウはポケットの会員カードを握りしめた。

カードはまだ熱い。生き物みたいに。


(位置更新……誰に送ってる)


その答えを知らないまま、次に進むのは危険だ。


ユウは、カードの縁を強く握った。


その瞬間、カードが小さく光り、短い表示が走った。


《次回招待:本日 24:00》

《マーケット区画》

《担当:ルカ》


ユウの喉が鳴った。


真夜中。招待。

マーケット区画。


誘っているのか、捕まえに来るのか。


どちらでも、放置できない。


ユウは息を吐き、夜の明るさの中で静かに呟いた。


「……無料の代金は、後から来る」


(つづく)

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