第7話 仮登録と未実装
拠点は、遠くから見ると“壁”だった。
崩れた街の輪郭の中に、そこだけ線がまっすぐ通っている。
コンクリと鉄骨を継ぎ接ぎした外壁。上には監視塔。塔の先端で小さなライトが点滅し、一定のリズムで周囲を舐めていた。
「……あれが拠点」
ナギが言う。声のトーンは変わらない。けれど、歩幅が少しだけ早くなったのが分かる。
壁の手前には、列ができていた。十人、二十人……もっといる。
武器を持った女、背負子を担いだ女、怪我人を支える女。年齢も装備もばらばらだが、どこか似た疲れがある。
ユウはその列の後ろに並びながら、喉の渇きより先に別の渇きが込み上げるのを感じた。
(……内側)
外は怪物がいる。銃犬と鎮静ミストのワニがいる。
でも、内側は――“制度”がいる。
拠点の門は二重になっていて、最初のゲートを抜けた先に、もう一枚のゲートがある。その間が通路になっていて、左右に監視用の窓が並んでいる。
通路の上に看板があった。
《入域前認証》
《端末同期必須》
《未認証者は仮登録窓口へ》
その下に小さく、嫌な追記。
《無許可端末・旧規格端末の持ち込み禁止》
「……同期必須、って」
ユウが小さく呟くと、ミサが横目で見た。
「普通はね。端末があれば、勝手に通る」
勝手に通る。
便利な言葉ほど怖い、とユウは思う。
列が進む。ゲートの前に立った人間が、腕を出す。手首の内側が淡く光る。
門の脇に立つ係員が、端末みたいな板をかざす。
ピッ。
《認証:OK》
《入域:許可》
表示が見えた。係員の板にだけ見えるのか、門の上のランプが緑になるのか、連動しているらしい。
次の人。次の人。流れ作業だ。早い。機械的で、慣れている。
ユウの胸がきゅっと締まる。
(俺は……どうする)
体内端末がない。
ミオに言われた言葉が、耳の奥で再生される。
――体内端末が存在しません。
ここで同じエラーが出たら、どうなる。
未認証? 仮登録? それならまだいい。
でもNSDの世界で、“未実装の男”が外を歩いているのはありえない。
ありえない存在が検知されたら――保護、拘束、隔離、実験。どれでもおかしくない。
列がさらに進む。
ユウの前に、フウが立った。
フウが手首を出す。薄いラインが光る。
ピッ。
《認証:OK》
フウの肩が少しだけ落ちる。緊張していたんだ、と分かる。
次はミサ。次はレン。次はアキ。次はナギ。
全員、緑。
そして――ユウの番が来た。
係員が、ユウの顔を見る。
視線が一瞬だけ止まる。年齢のせいか、装備のせいか、それとも……。
「手首」
言い方が短い。命令だ。
ユウは息を吸って、手首を差し出した。
(頼むから、“未実装の男”までは拾うな)
係員の板が近づく。
ピッ。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、板の画面が赤く点滅した。
《ERROR》
《体内端末が存在しません》
《未登録個体》
《保護・隔離手順:推奨》
ユウの頭の中が真っ白になる。
係員の目が変わった。
さっきまでの流れ作業の目ではない。
“異物”を見る目だ。
「……止まれ」
係員が手を伸ばし、ユウの腕を掴もうとする。
ユウは反射で一歩引いた。
その瞬間、ナギが割って入った。
「こいつは端末焼損だ」
声が低い。断言。迷いがない。
係員がナギを見る。
「焼損? なら仮登録だ。保護室へ――」
「保護室は混む。今この時間は事故る」
ナギは言い切った。
「仮登録ならここで貼付端末を出せ。通すだけ通して、内側で処理する。そうしないと列が詰まる」
係員が舌打ちした。列が後ろに伸びている。イライラが空気に溶けている。
「……端末焼損の証明は?」
ナギは一拍も置かずに答える。
「旧施設の落雷。皮膚損傷が残ってる」
ユウは、何の話だと思った瞬間、ナギの視線がユウの頬に落ちた。
銃弾が掠めた切り傷。血は止まっているが、痕は残っている。
係員はユウの頬を見て、少しだけ納得した顔をした。
「……貼付端末、出す」
係員が箱から透明なフィルム状の端末を取り出す。
ミオが出してきたやつと、似ている。嫌な既視感。
「腕に貼れ。同期する。同期しないとゲートは開かない」
ユウの喉が鳴った。
貼ったら、何が起きる。
同期したら、何が送られる。
“男”だとバレる可能性は?
頭の中に、ITの悪い想像が走る。
生体情報。声紋。骨格推定。ホルモン推定。――やりすぎだと思う。でもこの世界は体内端末が普通だ。やりすぎが普通かもしれない。
ユウが固まっていると、ナギが小声で言った。
「今は貼れ。拒否したら隔離一直線だ」
「……でも」
「後で剥がせ。内側に入ってから考えろ」
ナギの声は冷たいのに、妙に現実的だった。
生きるための“妥協”を知っている声。
ユウは歯を食いしばり、フィルムを受け取った。
腕に貼る。
皮膚に吸い付くように密着する。
ピッ。
フィルムの縁が淡く光る。
《同期開始》
《仮登録:進行中》
係員の板に表示が走る。
《仮登録:ON》
《識別:未確定》
《入域:条件付き許可》
条件付き。
言葉が鎖みたいに重い。
ゲートのランプが黄色になり、ゆっくり開いた。
「行け。中で仮登録窓口に必ず寄れ。逃げたら追う」
ユウは頷いて、通路へ入った。
通路の中は、外よりも音が多い。
人の声。靴音。どこかで鳴る機械音。
生きている音だ。
でもその生きている音の中に、規則が混ざっている。
通路の壁に、広告が貼られていた。
《弊社マップサービス》
《無料ダウンロード/初回限定》
《迷子ゼロへ》
ユウの心臓が、嫌な跳ね方をした。
(……弊社)
ミオの声。丁寧語。無料ダウンロード。未登録エリア。
あの“おかしな優しさ”が、ここにもある。
そのとき、ポケットの中が熱くなった。
(……?)
ルカの会員カード。
触れていないのに、薄く震える。
熱を持つ。
ユウは一瞬、足を止めかけた。
だが止まったら係員に見られる。ユウは何もなかった顔で歩き続けた。
通路を抜けると、内側の空間が開けた。
屋根付きの広場。簡易市場。水の配給所。修理屋。
人がいる。物が動く。生活がある。
壁際に、端末の案内板が並んでいた。
《ローカルネット接続》
《同期ポイント》
《アップデート窓口》
“アップデート”。
この世界でも、その言葉は生きている。
ユウは息を吐いた。
(ここに入れば情報が手に入る。記憶喪失の手掛かりも、もしかしたら)
でも同時に、ここに入れば目立つ。
目立てば、誰かが嗅ぎつける。
“未実装”。“男”。“旧文明製回復薬”。
全部が危険な匂いだ。
ナギが振り返り、低く言った。
「仮登録窓口。寄る」
「……うん」
ユウの返事は短くなった。
仮登録窓口は、ガラス板で区切られた小さなブースだった。
中にいる職員は、目の下に疲れが溜まっている。だが手元は早い。
「仮登録、番号」
ナギが先に言う。
「六名。探索帰り。端末焼損一名」
職員の視線がユウに刺さる。
「焼損? 貼付端末で同期してる?」
ユウは無言で腕を見せた。フィルムが淡く点滅している。
職員が端末板をかざす。
ピッ。
《識別:未確定》
《生体:仮》
《同期:不安定》
職員の眉が動いた。
「……不安定?」
ユウの喉が鳴る。
不安定の理由が、“男”だからだったら終わりだ。
職員は、画面を二度三度見てから、淡々と言った。
「端末焼損者は、仮IDを発行。市場エリアの利用は可。居住区は制限。夜間外出は不可」
まるで利用規約だ。
“同意しますか?”のボタンが見えないだけで、内容はそれだ。
「仮IDは?」
ナギが聞く。
職員が小さなタグを出す。
首から下げるタイプのプレート。裏にQRみたいな模様。
ユウは胸の奥がざわついた。
(QR……)
自分の記憶のどこかにある感覚。
コード。認証。URL。
趣味でAIやプログラムを弄っていたはずの自分が、こういう“システム”に絡め取られそうになるのが、皮肉で気持ち悪い。
職員がユウを見る。
「名前」
ユウは一瞬だけ詰まって、答えた。
「……ユウ」
「年齢」
「……十三」
職員が一瞬だけ目を上げた。
すぐ戻す。何も言わない。
でもその“何も言わない”が一番怖い。
「十三……保護対象」
職員が呟くように言った瞬間、ユウの背中が冷える。
保護対象。
ミオも言った。
保護は、檻の別名だ。
ナギが即座に言葉を挟んだ。
「こいつは同行者だ。探索の手伝いができる」
職員がナギを見る。
「端末焼損で?」
「焼損でも手は動く」
ナギの言い方は、まるで“機械”を扱うみたいだった。
でも今は、それがありがたい。感情で語ると余計に怪しまれる。
職員は数秒考えて、端末板を叩いた。
「……例外処理。仮ID発行。責任者はあなた」
ナギが頷く。
「分かった」
ユウの首に、タグがかけられる。冷たいプラスチックが鎖骨に当たる。
職員が最後に言った。
「貼付端末は、夜には切れる。切れたら再同期が必要。勝手に剥がすな。剥がしたら無認証扱い」
無認証扱い。
それはつまり――外と同じ。もしくは外より悪い。
ブースを離れた瞬間、ユウは息を吐いた。
「……通った」
「通した」
ナギが低く言う。
「お前は、“通る”だけで危険だ。覚えろ」
覚える。
覚えたい。
でも今のユウは、覚えることより先に忘れてしまう自分が怖い。
市場の端を歩くと、男がいた。
一瞬、ユウの足が止まりかけた。
男だ。明らかに男の体格。
でも――一人じゃない。両脇に武装した女がいて、男の腕を軽く掴んでいる。逃げないように、というより、外気に触れさせないみたいに。
男は伏し目がちで、何も言わない。
首には、金属の首輪みたいな端末。
その端末が淡く点滅している。
(資産)
第5話の言葉が、胃を殴る。
ユウは視線を逸らした。
見てはいけない気がした。見たら、自分も同じ檻に入る気がした。
そのとき、またポケットが熱を持った。
ルカの会員カード。
ユウは歩きながら、指先でそっと触った。
カードの縁が、淡く光っている。
(同期してる……? ここ、ローカルネットが生きてるから?)
フィルム端末も、首の仮IDも、全部“内側のネット”に繋がっている。
そして会員カードには《位置更新:ON》。
つまり――今、ユウの位置は更新されている。
誰に?
“行商組合”に。
ルカに。
それとも、もっと別の“上”に。
ユウは、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
(無料の代金は、後から来る)
第6話の感覚が、形になって戻ってきた。
ナギたちが水の配給所へ向かう。
ミサがフウを座らせ、レンが周囲を見張り、アキが苛立ったように腕を組む。
ユウはその輪の端に立ったまま、頭の中で二つの道を並べた。
拠点に留まる。
情報を集める。記憶喪失の手掛かりを探す。
でも目立つ。未実装がバレる。男がバレる。管理される。
外へ出る。
安全な道だけ通り、地道に情報収集する。
でも一人では無理だ。今日それを思い知った。護衛なし十三歳は死ぬ。
合理的なのは、彼女たちと行動すること。
でも合理的なだけじゃ、目的に近づけない気がした。
そのとき、ミオの顔が浮かんだ。
未登録エリア。無料ダウンロード。体内端末が存在しません。
あの無機質な声。
なのに時々、妙に優しかった声。
(もし……旧文明で、ロボやAI主導で動く企業が独立して残ってるなら)
安全があるかもしれない。
働き先があるかもしれない。
旧文明の知識が手に入るかもしれない。
何より――“端末の外側”にいる存在に、今の世界の歪みを聞けるかもしれない。
ユウは喉の奥で言葉を転がした。
(ミオに頼む。「働き先を探してる。紹介してくれ」って)
ワンチャンある。
でも、そのワンチャンは、同時に“企業に自分を差し出す”ことでもある。
ユウは唇を噛んだ。
「……俺、どうする」
独り言みたいに漏れた声を、フウが聞き取ったのか、ちらりとこちらを見る。
何も言わない。言わないのが優しさなのか、警戒なのか分からない。
その瞬間、貼付端末が小さく振動した。
《通知》
ユウの視界に、見えないはずの“何か”があるような感覚が走る。
フィルムが皮膚の上で淡く光る。
《位置更新:完了》
《連携:外部会員証》
《招待先:マーケット区画》
《担当:ルカ》
ユウの呼吸が止まった。
(……繋がった)
会員カードが、拠点のネットに“噛んだ”。
つまり、拠点の中にいる誰かが、ルカの存在と自分の存在をリンクできる。
ユウは、ぞっとしてカードを握りしめた。
そして、ブースの奥――管理窓口のさらに奥で、係員が誰かに小声で言うのが聞こえた。
「……未確定識別、また出ました。焼損じゃなくて……端末“なし”のパターンです」
心臓が跳ねた。
誰かが答える。
「……記録は?」
「残ってます。位置も……更新されてます」
ユウの背中が冷え切った。
“未実装”が、もうただの不便じゃない。
それは、システムにとっての異物で、異物は排除される。
ナギがユウを見た。鋭い目。
「……顔色が変わった。何が出た」
ユウは一瞬だけ迷って、短く答えた。
「会員カードが……反応した」
ナギの目が細くなる。
「……ルカか」
ユウは頷くしかなかった。
ナギは、息を吐く。
「拠点に着いて安心する暇はないな」
その言葉が、救いでも脅しでもなく、ただの現実として落ちた。
ユウはカードを握ったまま、心の中で決める。
(ミオに会う。会って、働き口を聞く。旧文明の知識を掴む)
でも――その前に、ここで“捕まらない”ことが必要だ。
黄色いランプが、どこかで点滅した。
(つづく)




