最期の海に咲く花―――⑦
ねぇ、莉緒。なんであたしが手首を切ってしまったのか、理由を知ってる?
ああ、ほっぺたの切り傷がついたことは気にしていないよ。どうか、この唇が動く間に。すべての生命が宿るこの場所に閉じ込められて、ひとりぼっちになる前に……。
★★★
一緒に海で泳いだあの日のこと。小さい頃から一緒にお風呂に入っていた莉緒には、はだかんぼうを見られても平気なのに。あたしの鎖骨から胸のふくらみの下、おしりのくぼみのあたりにはおびただしいほどの発疹が増えていく。幸い、莉緒が買ってきてくれたかわいい水着が、身体じゅうにできたぶつぶつを隠してくれた。
生理が早く来たとか、お腹が痛いと小さな嘘をついてもよかったのに。
ひとたび再会を果たすと、『大好き』を我慢することができなかった。夕凪に透き通る栗色の長い髪、凛とした緑かかった瞳、きれいな指先に触れてみたいと願ってしまった。
もし許されるのなら。生ぬるい水の中で、莉緒の肌のぬくもりを感じていたい。
東京に行くことも、一緒に何かを作ることも、勉強を教えてもらうことも、夏が終わってもそばにいることも。すべて届かぬ気持ちだとしても、このわがままだけは叶えたかったの。
「痛い」
鏡を見ながらつまんでみると、黄緑色の膿が滲み出す。町医者からもらった薬を飲んでみたり、めめばあちゃんのクリームをつけてみたり。毎晩お風呂で、取り付かれたように自分の肌を泡でこすった。乾燥して白い粉が吹いてしまうほど、洗い過ぎてしまう。莉緒が遊びに来る日を迎えても治らず、目に見えるかたちで悪化してしまった。
「莉緒にうつしてしまうかもしれない」
病気が進行したら、あたしもパパのように……。揺るぎなき事実は、潰れかかった胸に大きな傷を残していく。あれほど待ち焦がれた肌に。細いくびれに。しなやかな太ももに。子供の頃と同じように触れ合ったら。あたしと同じ赤い跡がついていく。この街を訪れる度に、気持ちよさそうに空気を吸い込む、その喉の中に息苦しさを混ぜ込んでしまう。
―――莉緒がいなくなっちゃう。痛いって、苦しいって、叫びながら。あたしが、そばにいたいと願ったせいで。この気持ちを知るくらいなら、生まれてこなければよかった。誰かを好きにならきゃよかった。
大切なひとを不幸にする人間の居場所なんて、どこにもあるはずないから。
「つっ……ぐ……」
あたしの両目からは涙が溢れ出し、息苦しさのあまり口からよだれが垂れる。こめかみを噛みちぎるような頭痛とめまいに、支配されていく。身体を覆いつくすような痛みに耐えられそうにもない。ぐったりと畳の上に倒れ込んでいる間に、時計の針は進んでいく。
莉緒と一緒に過ごす時間が、指先の間から零れ落ちていく。これから、あたしたちは大人になり、きっと別々の道に進んでいく。その一分一秒を、もう二度と取り戻せない。
「こわいよ……りお……」。
窓の向こうから聞こえる波の音は、子守歌のようにあたしたちを包んでいたのに。今は、穏やかな凪のそよめきも、嵐のような強い唸りに聞こえる。力なくうずくまった身体を突き破るかのように、せつなさが爪を立て続けていた。
心配をさせてはいけない。怖い思いをさせてはいけない。ひとりでも、耐えなきゃ。肌に汗をにじませ、こぶしを握りしめながら恐怖に耐える。どんなに心に罰を与えても、むせびながら莉緒のぬくもりを求めてしまう。願えば願うほどに、白い皮膚は紅蓮の色に止まることなく染まっていった。
「莉緒を苦しめるなら、生きていてもしょうがないよ……」
あたしは混った意識の中で、赤く腫れあがった右腕を勢いよく突き刺した。このまま汚れた存在になってしまうのなら。莉緒の触れてくれた部分さえ、埋め尽くされてしまうのなら。
生きていてもしょうがないから、もういっそ、この手で終わらせてしまいたい。
―――莉緒、包帯を巻いてくれて、ありがとうね。綺麗な顔をぐしゃぐしゃにさせて、泣くのはもうやめてね。それと、最期にぎゅうとしてくれて、ありがとう。さようなら。
この小さな街の最果てが、大きな波を立てながらあたしを誘う。月あかりに照らされた夜空が、床に崩れ落ちたあたしをじっと見つめていた。
めめばあちゃんとのあたたかい記憶や、莉緒のぬくもりがそばにあった部屋の中でおしまいにさせたかったけど。最期の願いは叶わず、思い出が染み付いた場所に攫われていった。
★★★
あたしたちは『会いたい』でつながり、『会いたい』で引き裂かれた。
この夏が終わっても、莉緒のそばにいることを許されたかった。本当は、寂しがり屋の莉緒の手を強く握ってあげたかった。泣きたいときは、そっと抱きしめてあげたかった。
あたしは莉緒の隣で生きる権利は与えられなかった。両親に置き去りにされ、友達もうまくできず、ひとりでは何もかもうまくできないあたしには、遠い星のような存在だったから。
ずっと一緒にいたいと、願うこと自体が間違いだったのだろう。
ならば、止まらない涙を散らばらせて、海の生き物たちに恵んであげよう。この街を生きるひとびとに、透き通る水と、命につながる食糧を。そして、莉緒に、たしかな思い出を――――……。あたしの心や記憶は、叶わない想いを海に放って、消してしまおう。
「させるかぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!」
生ぬるい海水の中に、地面を揺るがすような大きな声が解き放たれた。ウミガメがじたばたと足を動かし、この世界の異変に驚いている。小魚も一斉に岩石の後ろに隠れてしまった。人間の言葉は水泡になり溶けてしまうはずなのに。どうして、この声は壊れないのだろか。それに、視線を覆う黒い影は、船? こんなはずれに来るなんて、めずらしい。
あたしの瞳を、皮膚を、身体じゅうを覆っていた岩石が、勢いよく砕け散っていく。
大きく開いた瞳の先に、ひとすじの輝きがきらりと、海面を突き抜けた。
次の瞬間。『約束の女の子』が、手を差し伸べて――――。




