最期の海に咲く花―――⑧
この海の中に隠された輝き。真鈴の瞳の色。めめばあちゃんが託した祈り。
鮮やかな景色が広がっていたのに、大切な色以外はすべてモノクロに変わる。今からその在りかに触れて、連れ去って、取り戻す。誰かに怒鳴りつけたとしても、後ろ指を刺されたとしても、そのために生きてきたと言っても過言ではない。
「迎えに来たよ」
出かける時はいつもふたり。この手が離れたのは、さようならの時だけ。十年間に渡る付き合いだったのに、はじめて口にした言葉だった。しかし、その耳は深い海に積み上げられた瓦礫で塞がれているだろう。聞こえなかったとしても、必ず届けたかった。
「だっ、う」
赤黒色の破片がウェットスーツにめり込み、左腕にしびれるような感覚を覚える。普段なら症例に出血や損傷が見受けられると思わず手を引くけれど、今回だけは後戻りはできない。あたしの体温はぐんぐん上昇し、狂いながら煮えたぎる。得体のしれない感情に支配され、あたしがこの海に攫われてしまいそう。……それでも、構わないけど。
「くずれ、た……?」
真鈴の身体を隠していた岩石が、砂のように細かく砕け散る。長きに渡る時間の中で降り積もった思いがばらばらに砕け散っていく。生ぬるい海水が溶ける光景に、はっと振り返った。この先にある真鈴の身体が、もとあるかたちで残されているかわからない。だけど、目をそらさず、見つめたいのだ。あたしを待ち続けてくれた、親友の姿を―――……。
「真鈴?」
この海に住まう生き物たちの死体でつくられた、要塞といえばいいのか。もしくは、災害が海底を激しく穿った痕跡なのだろうか。宝石箱というのにはあまりにも不気味だ。透き通った海に隠されたいびつな場所に、真鈴の小さな身体が隠れていた。
その姿は、夏の日々とともに恋焦がれた、やさしい女の子のままだった。
小さな耳朶や頬も、血色を淡く映している。検査や測定ができない環境だけど、おそらくバイタルも安定しているだろう。どういう仕組みで生きながらえたのかはわからないが、真鈴の命にたどり着いたという事実が、心臓の奥があたたかくさせた。
変わった点といえば、髪型ぐらいだろうか。足元に届くほど伸びきったそれは、真鈴の身体中に巻き付いている。小さな刃先で、絡まりのひとつひとつを取り除いていく。
会いたい病は、心に隠した寂しさがもたらす病気。あの夜、手当てをした真鈴の腕にも数か所か生々しい傷跡が残っていた。あたしの指先に絡みつき、邪魔をしてくる髪の毛も。水泡のように吐かれるかすかな息遣いも、『会いたい』が生み出した痛みの証。
「寂しい想いさせてごめんね」
「もう、ずっとずっとそばにいるから」
すべての糸が解けたとき、真鈴のあたたかい胸に力なき身体をあずけた。いつも抱きしめてくれた腕は、びくともしない。思い出がすべて揃っている保証もない。身体や脳も、生前のように動かせる可能性のほうが低い。すべてがうまくいくわけない。だとしても、ひとりの専門職として、大人として、そして約束を残した少女として、救出に臨んだのから。
―――しばらくそばにいていい? この願いが、叶わなかったとしても。
帰るべき場所を探していたのはあたしだった。真鈴のいる海水の温度に溶けながら、最期の海で息を繰り返す。全身の力が抜けきった頃、喉の奥が焼かれるような感覚に肩が揺れる。死に近い場所を傷つけられてから、自分自身が痛覚を失くしていることに気が付いた。
―――最期の場所に、たどり着いたよ。だから、もう一度笑って、真鈴。
もう二度と一緒に生きることが叶わなくても、こうして迎えに来たことだけでもいい。
どうかあたしがここまで走ってきた記憶を思い出してほしい。これから真鈴の生きる世界に、どんな困難が待ち受けていたとしても、お守りのように大切に持っていてほしいんだ。
気持ちを織り交ぜるように真鈴の鼻先に触れると、閉ざされた瞼がかすかに動いた。




