やさしい新緑の芽吹き―――③
――――汐見ケ丘の日々①
真鈴とはじめて会った日に、『一番お気に入りのお店』へ招待された。そこは、あたしが見たこともない場所。浅葱色ののれんをくぐると、古めかしいテーマパークが広がっている。きしみかけている木製の棚に、色とりどりのポップな絵柄の小袋がところせましと並んでいた。
「これ、ぜんぶお菓子?」
「そうだよ。ぜんぶお菓子だけ。たまにおもちゃもある」
「うわぁああ……」
当時から愛想のないあたしは、あまり感嘆の言葉を口にすることはなかったけど。たっぷりお砂糖のかかったベビーカステラ。袋の中に何本も入っているきなこ棒。口の中でぱちぱちと音を立てるソーダ味のラムネ。自分でまぜるブドウ味の水あめ。目の前に陳列された都会っ子としてひたかくしにしていたわんぱく心が溢れ出してしまう。
「お父さんからお金を預かってきたから、真鈴も好きなだけ買ってよ」
「はーい」
あたしが調子に乗ってあれやこれやとお菓子をかごに放り投げていく。その中で真鈴が入れたものは、ハートのネックレス付きのラムネと、かば焼き一枚だ。こんなに魅力的なものがたくさんあるのに、このふたつだけしかかごに入れないって。……地元民は駄菓子屋に通いまくってるから、これといって買うものがないのかな? なんて考えながら。ふたりでひとつのかごを持ってレジに向かう。
「あれあれ、たくさん買うね。お嬢さんたち」
「いっぱいお金を持っているから大丈夫……どこいくの、まりん?」
店主のおばさんが会計をしている間に、真鈴はふらりと店先に出た。小さな背中を目で追いかけると、店頭に並んだ手芸道具を吸い込まれるように見つめている。縄跳びの持ち手のような編み物をする道具。あたしの家にもあるけど、マフラーをひとつ完成させた時点ですっかり飽きてしまった。
「リリアン。あたしはできない……」
「苦手なの? じゃあ、一緒にやってみようよ!」
うつむいている真鈴を笑わせてあげたい。こんなに素敵な場所を教えてくれて、『ありがとう』って気持ちを伝えたい。夏なのに編み物なんて季節外れだけど、動機としては十分だ。幼き頃のあたしの心に、はじめてやさしさが芽吹いた。おばちゃんが眉間に皺を寄せて、お金を気にしているけれど。幸い、ポケットの中には500円玉が1枚余っていた。
「りお、これのあみかた教えてくれるの?」
「もちろん」
思えば。これは真鈴としたはじめての約束だったのかもしれない。夏休みは想像していたよりもずっと長い。楽しいことをひとつずつ増やしていこう。この子とはきっと、そんな素敵な思い出が創れるような気がするから―――……。夕暮れの潮風に大切な気持ちが飛ばされないようにと、あたしは真鈴のちいさな手をきゅうっと結んだ。
「もう暗いから、気を付けるのよー」
ぱんぱんになったお菓子袋を持ったあたしたちは、落ちかけの夕日を背にしておばさんに見送られた。大はしゃぎしているうちに、こんなに時間が経ってしまったのかと、アスファルトに伸びていくふたつの影を見つめている。
「莉緒、楽しかった?」
「本当に楽しかった。東京にはあんな場所はないよ」
「……ふふっ、よかった」
いっしょに街を歩いているだけなのに、花が咲くような表情で笑ってくれる。
たくさんのお菓子。新しい友達。子どもながら浮ついている姿を見せるのが恥ずかしい。
思春期の頃の入り口までは隠そうと努力していたけど、結局あたしの気持ちは全て暴かれてしまった。それでも、きみは変わらない笑顔で受け止めてくれたよね。
あたしたちは6年もの時間の中で、汐見ケ丘のあちこちに足跡を付けていく。思い出を数えきれない程作ったあと、肩を並べてめめばあちゃんが待つ家に帰る。
こうした取り留めのない夏の日々の中で分け合った感情が、大切で仕方なかったのだ。
★★★
午後6時を回って帰宅したあたしたちに、めめばあちゃんの雷が落ちてきた。
まず、ご飯の前に買ってきた駄菓子を食べないこと。夕飯の天ぷらは3つだけ。そして、夜更かしはせず9時までに眠ること。しつけという名の罰がビンタ代わりにあたしたちのいたずら心を勢いよくはたいた。
「編み物、やりたかったのにな」
「今日も明日もずっといるよ? ゆっくりやろうよお」
「うん。莉緒」
「なに、真鈴」
「この夏休みが終わるまでそばにいてくれる? いつ東京に帰っちゃうの?」
……まだ夏ははじまったばかりだから、帰る日のことなんてこれっぽっちも考えてなかった。どうしてか、真鈴の大きな瞳は涙に濡れているようにも見える。こんな風にせがまれたら一日でも長くいるしかない。
「最期の日までいるよ」
「今日みたいに、帰る時まで楽しいことを沢山教えてね」
真鈴の本棚に置かれた古ぼけた鳩時計は、午後9時のチャイムを鳴らした。めめばあちゃんの怒鳴り声は思った以上に怖かったし、コンマ一秒でも早く布団の中に入らなきゃ。本当はあたしも編み物を教えてあげたかったし、もう少しおしゃべりも続けたいけれど。
「本当?」
「明日もずっと一緒にいるからね。おやすみなさい」
「うんっ……」
ふたりそろって同じ布団にもぐりこむと、同じシャンプーの匂いが広がる。ふっと母と一緒に眠っていた時の記憶をが呼び覚まされた。ぬくもりに心がかすんでいると、薄いかけ布団の中で真鈴と手が重なり、しまいには背中から抱き枕のように抱き着かれる。
「おやすみ、莉緒」
夏の太陽の下でつないでいた手のひらは、母のようにあたたかく。夏が終わり東京に帰った後も、贈ってくれた言葉を思い出した。この街での遊び、なんでもない散歩、そして共に眠る瞬間のひとつひとつが愛おしかった。
彼女が亡くなってからも。歳を取るたびに答えを探そうと、何度も胸の奥に残る気持ちをあてはめていくけど。そのどれもが違くて、その全てのようであった。
最期のその日まで、血と涙にまみれた残酷な結末を辿ることを知らずに―――……。




