やさしい新緑の芽吹き―――②
「あんた、本当に手作業早いな」
「だってそれしかないからね」
「会いたい病がこの世からなくなったら、チラシ封入会社に転職してみれば?」
「それな」
あたしとカレンは誰もいない事務所の中で、封筒にチラシを封入したり、糊付けをしている。症例に関する問い合わせや緊急要請がない日は、こうして雑務をこなすこともある。例年、人恋しい時期と言われている冬から春は症例数が爆発的に増加する傾向にあったが、5月に入ってからぐんと暇になった。
「残りの分ちょうだい。カレンはどっかいけ」
「何だよその言い方!」
「柿ピーがないみたいだよ。ついでにチョコもお願い。」
「またパシリにするのか? さっき親父さんが買いに行ったみたいだけど」
「……そっか。じゃあその辺に座ってな」
「最初からそう言え、アホ。」
機動警察15課は何故か柿ピーを好きな方が異様に多く、電気ポットぐらいの大きなガラス瓶の中にいつも常備されている。ちなみにあたしはあまり好きではない。親父にクッキーもレギュラーの中に入れてほしいと何度もお願いしても、『子どもっぽいからダメ』と、却下し続けている。―――だったら、ひとりじめするしかないでしょ?
「あたしの机からお菓子箱とって」
「へいへい」
カレンの席に向かって自分の引き出しの鍵を投げる。こんな行儀の悪い仕草ができるのも、他に誰もいない時間帯だけ。1時間弱作業を続けているから、指先も少しずつ乾燥してきた。ハンドクリームも奥にあるから取って、と、言いかけると。部屋の中心にある固定電話から呼び出し音がけたたましく響きはじめる。
「はい。15課です。」
「ええっ、5歳の子がいなくなったって? それうちじゃなくて2課じゃねえの?
うちで聞いたってどうしようもないから、2課に戻してくれよ」
「はッ!? 身体が木の幹に取り込まれているって? じゃあうちだわ」
「何区のどこ? 公社病院のすぐ横?……わかった、ドンと一緒にすぐ出ます」
機転が効くカレンが電話に出てくれてよかった。あたしだったらどう答えていいか考えるだけで時間を取ってしまうから。山ほど積み上げた書類を親父の机の脇に置き、そそくさと防護服を取り出して、車の鍵を手に取る。
「ドンって誰? 親父?」
「お前のことだよん」
「なんか今日は疲れちゃいそう。カレン、運転お願いできる?」
「はいよ」
何がドンだ。つぎはぎしかできないぺーぺーの間違いだろう。彼女とコンビを組んで間もない時は、何でもかんでもジョークでまとめてしまおうとしているところがどうしても苦手だった。だけれど、今はその間抜けさが心地いいと想える瞬間もある。
―――吹き抜けを抜けると、窓辺をふと眺めると新緑が芽吹いていた。こもれびの間から柔らかいひかりがあたしたちを照らしている。今日も無事に終わりますように、と。祈りながら職場を後にした。
★★★
公社病院。区中央部医療圏に位置し、希少部位の悪性腫瘍や結核の患者の受け入れを行っていることで有名である。カレンは運転した車を公園の隅につけ、ふたりで革靴の足音をそろえて現場に到着する。惨劇を隠すように設置されたブルーシートの外では、公園の中で遊んでいたであろう子供やその親が何組も野次馬のように集っている。
「どいてください。」
「あたしたちはポリスだぞー!」
そろそろ親父も到着するだろうから、アリの巣の中のような密状態はマシになるだろう。
黒い防護服を引きずり、ひとごみをかき分けていく。息を切らしながら、公園の中心に植わっている大きな木の幹に子どもがひとり横たわっている。
「いたくて、血が止まらないよ、たすけて」
「大丈夫!お姉さんたちが来てくれたから」
症例の前にたどり着くと、近隣のマンション中に響き渡る声で泣きわめいていた。その横には、父親と保育士と思わしき女性が座っている。父親は力なく崩れ落ちるような姿勢で、額に脂汗をにじませていた。保育士は『症例から離れてください』という指示が入るまで、症例の簡単な手当てをしていたのだろう。うさぎの絵が描かれたエプロンが血に濡れている。
「……家族の誰かが公社病院に入院しているのか」
「はい。妻は長くがんを患っていて」
「私が目を放している隙に保育園からいなくなってしまったんです。今はお母さんの病状が悪く、それでも会いたかったんだと思います。」
カレンにおふたりから発症の経緯の説明がなされているうちに、あたしはパーテーションを立て、処置の様子がふたりが見えないように囲う。不運なことに、今日は風が強い。木と融合している部分はごく数センチだが、強い風が吹いていると処置中に傷口に砂が入る可能性がある。
重症例として判断し、木の幹ごと切り取って医療チームに丸投げしたほうがいいのか?
ーーーいや、リスクが多少あっても、あたしが癒着部分を取り除かないと。
「これから執刀します。結構ショックな場面ですから、パーテーションの外で待っていても構いません」
「はい、どうかこの子を・・・・・・」
これまで託された『どうか』の数。いちいちひとつひとつ数えてはないけれど、あたしたちはどんな時も全てを叶えてきた。だからこそ、叶えられなかった痛みは知らない。いや、知らなくていい。どうか、次の瞬間が失敗にならないように。祈りと意思でメスを握る。
「ちょっといたいよ。がまんしてねー」
あたしが子どもの扱いが苦手だから、カレンも応援に入って症例を落ち着かせるよう務めている。注射が終わり、薬が効くまでの時間は、やわらかな子守唄を口ずさんだり。ちいさな背中をそっとさすってくれている。
「いたい、いたい、いたいけど・」
呼吸状態もあまり良くない。命に関わるような場面を避けるために、一分一秒でも早く終わらせたい。あたしたちは託された願いの重さを知っているから、駆け付けた現場では極力散らかさずに終えたいのだ。
「ママ?」
症例の全身の力が抜けてくると、カレンが風に煽られるパーテーションを抑えにその場を離れた。きっとそう呼びたいのはやさしく接してくれたカレンのことだろう。あたしはずっと怖い顔をして見つめたり、注射を打ったり。これから腕をメスで切り込むというのに。
症例はかすかな力であたしの腕を掴み、再びそう呼んでくる。
「……ママ、会いたかった」
あの日に殺したはずの感情が、ざわざわと音を立てる。ただの薬によるせん妄ということは分かっているのに。ーーーそうか、あたしは母親があたしを産んだ年齢に近付いてきたのだ。こんなつまらないことに心が揺れてしまう自分自身が、嫌いで嫌いで仕方ない。
ーーー雑念はどこかに片付けて、目の前のことだけを見つめよう。
なるべく薄い皮膚を深く貫かないように。輸血が必要になると大変だから、一次対応はなるべく早く終わらせる。そして、木の破片や粉塵が傷口に入らないよう、コンマ数秒でも繊細に縫い合わせるように。
「わかば、がんばれーっ!」
「大丈夫だよ!」
より一層精神を統一して挑むつもりが、ブルーシートの向こう側から聞こえる声が耳にこびりつく。きっと症例の友達だと思わしきひとの声援が聞こえる。母にも、きみにも、そう伝えたかった。残酷な運命が嗤ったのであれば、あたしが代ってあげたいとさえ思った。
「一緒に頑張ろう」
昔のことを思い出しても仕方ないから、あたしはちいさな命にそう声を掛けた。薬で意識が混濁しているのか、症例からの返事はないけれど。グローブ越しに感じるぬくもりが、あたしのぐらつく心を支えてくれている気がした。今日もきっと大丈夫ーーー。
あたしは伝えられなかった言葉や、残した後悔たちを縫いこんでいる。
どうか目の前の命が『会いたい』を、叶えられますように。




