第36話 自衛
「獣───」
その侮蔑的な響きに、翠の表情が硬く強張る。
「己と違う特徴を持つ者を差別する人物は、多かれ少なかれ存在します。そこに人間中心主義が伴った輩は、人と異なる生き物だと認識すれば───排除するのも躊躇しません」
竜だけではなく、竜王も、竜珠もそういった者達にとっては人ではないのだ。
ぞくり、と翠の背中に冷たいものが流れ落ちる。
「そういった人達は……多いんですか」
「多くはないと───信じたいですね」
こういった思想は表立って論じる者は少なく、余程の過激派でもない限り誰がそうなのか分らない。
誰からも善人と思われていた人が、ある相手には鬼のような表情で心無い言葉を吐く事だってあるだろう。
各々にとっての正義は千差万別で、どれほど分かり合おうとしても、相容れない事は……悲しいことながら、多い。
伝わらない、分かり合えない存在に排除するべきモノと認識される恐怖。今まで想像もしなかったそれに、翠の指に真っ白になるほど力がこもる。
「ですから、十分に気を付けて下さい。全てを疑ってかかれとは申しません。それでは味方となる存在までをも遠ざけてしまう事になります。ガイを常に傍に付ける事が望ましいのですが……あれにも一応は立場というものがあります。四六時中スイ様の傍に侍する事はできません。その代わりガイは、スイ様のお傍に付けようと、信じるに足る者を数名選定するよう既に動いて居ります。ですが、万全というものは有りません。スイ様自身も常に身辺にお気を付けなさいますよう」
「……はい」
こくりと喉を上下させ、翠はゆっくりと頷く。
そもそも命さえ狙われている可能性を考えたからこそ、ここに来たのだ。今更その可能性を肯定されたからといって萎縮している場合では無い。
「少々怯えさせてしまいましたか……。今回、あれほど表立って行動している事から、お命まで狙ってはいないと想定していますが……何事も警戒しておくに限ります。スイ様は、光珠により姿を隠す事が出来るのですよね。ガイによると、僅かな違和感は感じるようなので、それを頼みにしすぎないように心掛けておかれるとよろしいでしょう」
光珠にそんな芸当が出来るなど誰も知らなくて、スイ様が来られてから初めて知りましたよ。そう続けたセルジオに翠は首を傾げる。
「知られてなかったんですか?」
「ええ、私の知る限りではありますが。自惚れかも知れませんが、これでも知識はある方だと自負しております。けれど今まで目を通した過去の文献にも、光珠は竜珠の傍に有る存在としか書かれておらず、竜珠を護るために不思議な力を持っているとは言い伝えられていますが……詳しい生態も解らないままなのです」
「そういえば……今まで話しかけてもらった事が無いって、あの子達が」
「今までは、そういった必要が無かったのかも知れませんね。過去の事例では、竜珠と判明すると同時に、幼き頃から護衛付きの生活することが多かったようですし。光珠もその力を揮う機会が無かったのでしょう。此度は───その力のおかげで、密かに護衛を付ける事侭なりませんでしたが」
聞き捨てなら無い事をさらりと告げたセルジオは、ふと翠の周囲に視線を巡らせ問いかける。
「姿を隠す以外に、光珠が出来ることはどのようなものが?」
「少し浮く事が出来ますね。けれど飛び跳ねるより少し高いかなってくらいでした」
窓から飛び降りる衝撃を浮く事で相殺したり、翠の背より高いバルドルの顔近くまで浮いたりはした事があるが、その速度は緩やかなもので、逃げる手段としては不十分だ。
≪他にもできることあるよ!僕達もスイを護るんだ!≫
先程から、自分の事が話しに上がっているのを興味深そうに聞いていたコウが、大きな声を上げる。
「そうなの?」
≪そうだよ!えっと……ぼんやりと光ったり、ちょっとの間だけ痺れさせたり……ほんとのほんとにちょっとだけだけど≫
段々と弱気になるコウの姿に、翠はおいでおいでと呼び寄せ、掌に乗せた光に口付ける。
触れる感触は無いものの、感謝の気持ちは伝わったのか、ひゅるるる~と床に落ちるコウは薄紅色だ。
そんな姿を温かく見詰めながら、翠はセルジオにコウの説明を告げる。
時折頷きながら聞いていたセルジオの眉間が軽く寄せられる。
「……微妙ですね。決定打に欠けます。竜珠を護る存在と言われていたので過大評価していたようです」
容赦なく、スパッと告げるセルジオに、今度は怒りにか紅色に明滅しながらコウがセルジオにぶつかり始めるが───全てすり抜けてしまう。
その光景が目に見える翠は真面目な話の最中だというのに必死に笑いを堪える羽目になる。
「そ、そう、ですか」
「……如何なさいました?スイ様」
「い、いえ。……何でもありません」
何とか呼吸を整え、落ち着いた声で否定する。
まさかセルジオも知らない間に光珠がいくつもぶつかってきているとは思いもしないだろう。
「……まあ良いでしょう。後ほど隠し持てそうな、スイ様にも扱える武器をご用意します。決して傍から離さぬようお願い致します」
「───はい」
カッターや包丁など、今までに何度も刃を手にした事はある。けれど……身を護る為に手にするのは初めてだ。
身を護る。それは延いては誰かを傷つける可能性があるという事だ。
それが必要なのだと頭では理解はしていても、まだ感情は追いついていない。
けれど、武器を使う時に躊躇する余裕など無いのだ。
セルジオもまた翠にそれを理解させる為にも先ほどの話をしたのだろうから……。