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できれば笑っていて。できれば幸せでいて。できればそれらを望んでいて。
「どうして、そんなに……、似ているんだ…………」
そんな私の願いを私が壊す。
似ているって、誰に。
分かってるくせに。そうでなければ気が済まないくせに。
戦慄いた唇が、ゆっくりと開いて、絶望を歌うように静かに重く音を紡ぐ。
「…………やはり、お前は……、お前は、駄目だ。何故サンザがお前にその名を与えたのか分かった。だから駄目だ。お前は俺達の未練にあまりに似すぎているから。後悔を、そのままの形で思い出させるから。……お願いだ、去ってくれ。働き場なら他に紹介する。俺が、手続きも、手配も、全てするから、だから、お願いだ。あいつがお前にあの人を見出してしまう前に、去ってくれ……」
そのまま顔をくしゃりと歪ませて、リートは俯いた。頭に乗せた手をそっと引く。
何が私を私たらしめるのだろうか。ただでさえ私はこの名を貰ったのだ。私を知る人にとっては、苦い名を。
あいつとは誰? 何をしなければいい? 私に私を見出したから避けていたの? どうしたら貴方たちの側にいられる? 怖がらせたいわけでも、悲しませたいわけでもないからどうしようもないなら身を引くけれど、できるだけ近くにいたいというのも私の願いで。
私が生まれたのは魔女の在り方が特殊だったから、私だけがこの地に残った魂を受け継げた。
記憶も体温もそのままに。
私だと知られなければいいと思っていた。私の命は残滓だから、人よりもずっとずっと短い生になることは分かっていた。知られたら優しい彼らは悲しむ。
でも、知られずとも彼らを傷つけてしまうとは思わなかった。
どうしてかな。私は何時だってこの子たちを愛している筈なのに、それなのに間違えてしまう。こんな顔をさせてしまう。
ふと、あの日牢の前で泣いた領主様の顔が浮かんだ。泣きながら見せた顔は、丁度目の前のリートと同じ表情をしていた。
大丈夫だよと言いたい。なのに、その資格も権利も私は持っていない。彼らが求める私は過去に燃えてしまった。
燃え殻。灰から生み出た悪魔の話だってあるけれど、それなら私は何なのだろう。魂だけはそのまま誰かの器に入り込んだか、そもそもこの体は本当に人間のものなのか。
——……いや。
誰かの器を奪ったわけがない。だって、私は魔女なのだから。人への愛で生きる私に、そんな罪深い真似ができるはずがない。だったら、この体は本当に……。
——…………あれ、待って? それって可笑しい。
巡りかけた思考が、ふと違和感を唱える。
私の魂が残るのはまだ分かる。魔女になった時から、神の慈悲で与えられた私の魂は私のものではなくなった。だから肉体から離れ独立して存在した。
では、今あるこの体は何だ?
人への愛が前提である以上、誰かの器を奪ってしまうことはあり得ない。ならこの器は用意されたものになるけれど、人に望まれ死んだ私にそんなものが用意されるはずがないのだ。
ぞくりと背筋が凍る。
嫌だ。嫌だ。気付きたくない。そう思っても思考は巡る。巡って巡って、一つの仮説を導く。
誰かが、その身を対価にした?
それならば上手くいく。生物の営みの果て以外で器を造るなんて、神の奇跡でしか起こり得ない。そしてその神の奇跡の賜り方は魔女が示している。
つまりは、誰かが私のために死んだ。
——誰? 誰?
魔女の秘密を知っていて、私のために死ねる子は誰がいる?
ヘンド? 違う。あの子は警戒心が強いから、最後まで完全に私に心を開いていなかった。
ノズ? 違う。あの子は人より少し臆病だから、恐怖を持たずに死を迎えられない。
リクタ? 違う。あの子は責任感があるから、生まれたばかりの妹を置いてそんなことをするわけがない。
サンザ? 違う。
リサリー? 違う。
リート? 違う。
違う、違う、違う、違う。皆、そもそも魔女の秘密を知らない。
魔女の秘密を知っている、もしくは知る可能性のある子は誰?
『魔女の秘密は、領主様にも伝えられるよ』
——……あ、ああ。
そうであってほしくない。なのに、どうしてもしっくりと納得できてしまう。心が嫌な音を立てて、私の根幹を傷つける。
——ジークだ。
領主様ではない。あの人は私の為には死なない。
あの子が、死んだんだ。
どうして気が付かなかったのだろう。無意識に自分の都合の悪いことを考えないようにしていた?
なんて愚かな。なんて浅はかな。なんて馬鹿な。
死んで当然だ。人の為の命でありながら存在でありながら、その役を全うできずにのうのうと死んだ。
あってはならない。私はいつだって人の為のものなのに、人が私の為に動くなんて、まして命を擲つだなんて。
それが、よりにもよってジークだなんて。
「……おい?」
顔から血の気が引いていくのがはっきりと分かる。リートも気がついたのだろう。心配の色を滲ませた表情で顔を覗き込んでくる。
「…………ごめんなさい。ごめんなさい、待って、ごめんなさい、私、いや。ごめんなさい、違う、どうしよう、どうしよう、どうしたら……」
「お前……、どうした? 本当に大丈夫か?」
気遣ってくれるリートは有り難いけれど、今は返事をしていられない。
私が魔女になると決めた時、魔女だった母は何度も何度も私に説いた。
魔女になるとはどういうことなのか。その身が払う代償について、何度も何度も、しつこいくらいに。
だから私は知っている。それがどういうことなのか。
ねえ、ジーク。どうして私が為に死んだの。
人でなくなることの恐ろしさを、どうして、どうして。
「かえさないとかえさないとかえさないと」
何を?
もう全部手遅れでしょう。
——ああそうだ。
魂がある。まだ、魂が残っている。
せめて返さないと。贖罪としては軽過ぎるけれど、せめて、せめてこれだけでも。
お願い。お願いだ。私を魔女でいさせて。
人を愛することが魔女の絶対だ。
人を愛することが母様の願いだ。
だから私は人を愛した。だから私は魔女になった。
そして私は彼らを愛した。愛せた。
元は嫌いだった彼らへの愛を得られた。
でももうきっと、魔女にはなれないだなんて。
どれだけ罪深いことだろうか。
『かあさま、かあさま』
井戸から汲み上げた冷たい水の入った桶。先程まで常温になっていたその中身を変えたのは他でもない自分だった。
足腰の弱くなっていた祖母は日を追うごとに細っていった。心労が祟ったのか、そのとき祖母は熱を出していた。
看病疲れの母様のためにと、大して優れていない小さな頭で考えてぬるい水を変えた。
『……ありがとう』
母様は抑揚のない平坦な声でそう呟くと私の頭に手を乗せて撫でてくれる。
一時幸福な気持ちになったけれど、それも十秒にも満たない僅かな時間のこと。直ぐに母様の視線は逸れて祖母の方を向く。
あのとき、水の重みで手に取っ手が食い込んだことで生じた痛みに虚しさを覚えた。人の本質なんてそうそう変わることはない。今も昔も、私は我儘で欲深い、頭の弱い子供だった。
母の視線に焦がれていた。
こっちを見て。私を見て。ねえねえ、母様。
学校でいい成績を取った。自ら率先して母様の手伝いをした。祖母の介護だって代わった。
重い物を持った。雑草を抜いた。掃除をした。洗濯物を干した。ご飯を作った。買い物に行った。雑巾を縫った。
そして得られる「ありがとう」が、視線が、生きがいだった。
だから、何の努力も対価もなしにそれらを得られる町の人を私は、確かに憎んでいた。
母を摩耗する。母を使う。魔女様、だなんて敬称をつけるわりに杜撰に扱う。それも当然のように。当たり前だと言わんばかりに。
母様。
『わたし、魔女になりたい』
母様が昔話をした。
『魔女になりたい』
恐怖を感じてしまったらどうなるかを説いた。
『かあさま』
人でなくなることについて教えた。
『それでもいいの』
直ぐに死んでしまうかもと忠告した。
『母様』
それでも、私が魔女になれたら母様は楽になれるでしょう?
『私、魔女になりたい』
そうしたら、少しは褒めてくれるでしょう?
リースに住まう神の居所は、町の外れにある森中の湖だった。
思わず感動してしまうくらいには美しい湖だった。
澄んだ水も、底の見えない水深も、湖に跨る巨大な木の根も、どれも神秘的で目を奪われる。
これほど素晴らしい湖ならば人がいてもいいだろうに、誰もいない。それがまた神秘性を押し上げる。
こんな場所があったんだ。知らなかった。
きっと町の人の誰も知らない、魔女の秘密というものなのだろう。
靴を脱いでそっと水の中に足を沈ませる。冷たくも温かくもない、人肌のような心地がする。
『少しでも怖くなったら、駄目だと思ったら直ぐに引き上げてきなさい』
そう母は言っていたが、これなら平気に思えた。
そして私は体を沈めた。深くに向けて、中央を目指して。
そうして私は魔女になった。
人は私を下の魔女様と呼んだ。
『おお、下の魔女様。この雑草燃やしてくれないか?』
『下の魔女様ー、畝作り手伝ってー』
『下の魔女様だ! ねえねえ、お花咲かせてよ』
命を削って望みを叶えて。
母の消耗を防いでみせて。
それだけの日々。それだけの生活。それだけの人生。
ああ。
——虚しい。
本当に、それだけだと思っていた。
『フィーネ』
珍しく顔色のいい母が私を呼ぶ。魔女様という呼称に慣れすぎたからか、母が私を呼ぶ機会が少なかったからか、その音はとても新鮮で、心臓がどきどきしたのを覚えている。
駆け足で寄れば柔らかく頭を撫でてくれる。
本当に今日はどうしたのだろう。不思議だったけれど嬉しかったから何も言わなかった。
そうして高鳴る心臓は次の瞬間凍ることになる。
『おばあちゃん、亡くなっちゃった』
『…………え?』
そう言って静かに微笑む母様に私は何も言えなかった。
何も、言えなかった。
分厚い雲と雨水が世界を仄暗くくすませる。
絶え間ない雨音と、人の声がした。なのにいつもより静かな世界なのはそれ程までに人の生み出す喧騒は激しいからだろう。
雨が降る。雨が降る。私の涙を誤魔化すように、雨が降る。
母様が亡くなった。祖母が亡くなってたったの二ヶ月で、母様は亡くなった。
事故でも事件でも自殺でもなく、奇跡の代償で魂が削れて、それで亡くなった。
けれど私には自殺にしか思えなかった。
祖母が亡くなって、母はよく町へ赴くようになった。魔女として奇跡を沢山齎した。
頼まれたことも、頼まれていないことも、何かお困りごとはありませんかと声をかけて気軽に奇跡を齎した。
朝から晩まで、私が止めても聞かずに。
静謐な世界。なのに、人の視線が何処までも煩い。憐憫も同情も不安も怪訝も入り混じった瞳が、煩い。
お前たちが母を酷使したせいだろうが。
ともすれば、そう叫んでしまいそうだった。
『魔女様……』
下の、という枕詞がなかったから反応が一拍遅れて振り返った。
大きな目が、それも沢山私を見ている。
丸っこいそれをぱちぱちと瞬かせて私よりも幾つか年下の子供たちがいた。傘があるというのにぎゅうぎゅうと身を寄せるから体が濡れているのが気がかりだった。
『どうかしましたか』
葬式はもう終わったというのに、今度は何だろう。花でも強請るのか。親のお使いか。手紙を飛ばしてと言うか、無意味に奇跡を欲すのか。それとも雨雲を吹き飛ばしてとでも言うのだろうか。
母が亡くなったときですら私は娘ではなく魔女として在らねばならない。
それが魔女という生き方だから。
『あのね、皆んなでお花……摘んできたの。それで、上の魔女様にあげていい? 今までいっぱいいっぱいお世話になったから』
『……花?』
草臥れた花々だった。下を向いて、茎が折れている。花弁は萎れていて葉の先が少し枯れている。
供花にするには見窄らしい。
『…………』
なのに、救われている自分がいた。
私が母への愛を人への愛と言ったように、きっと母様は人への愛に私を纏めなかった。
『うん、……うん、ありがとう…………』
けれど私は人への愛を得た。
母様だけに捧ぐ愛ではない、全ての人への愛を。
きっと私はその瞬間に、本当の意味で魔女になったのだと思う。
子供たちは花を墓に置けばすぐに自身の親元へ去っていった。何故か体温に溶けるような切なさを感じながらその姿をぼんやりと眺めていると、体を打つ雨粒が途切れる。視線を僅かに落とせば一人、私を傘に入れる子供がいた。
この子は覚えている。確か、……そう、ジーク君だ。領主様の一人息子。
『大丈夫?』
理知的な瞳が私を捉えた。
そうだ。その言葉をかけてくれたのはジークだった。
初めてだった。気遣われるのも、そう声をかけてもらえることも。人の肩で、泣くことも。
だから分不相応にも、私は得るべきではない愛を得た。
人々への愛と、人への愛。
思い出さないようしまっていた愛を、私は。




