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だって私、もう能無しにはなったとは魔女でしたから。
人を愛さずにはいられないものなんですよ。
「どうしてフィーネったら、いつもそうなのよ!!?」
「まあまあ、アニタ。落ち着いて、深呼吸しましょう?」
「私を怒らせている原因の癖して宥めるな!!」
赤毛を揺らしながら叫ぶアニタをどうにか落ち着いてもらおうとするも、何故か油を注いでしまったみたいだ。アネルカを思い出す。ここには怒りの矛先となってくれるシェードがいないので自力でなんとかするしかないのだけれど、私にはそういった才能が皆無なようだ。
教会へと奉公に出て早いことに半年程。順調に周りと打ち解け、特に同室となったアニタとは随分と仲良しさんになれたと思った矢先にこれだ。
本当に、どうして怒らせてしまったのだろう。
——何か怒られるようなことしたかなあ。
記憶を巡らすも自覚がない。自覚がないのは、あるよりもよっぽど質が悪いと聞くため自覚を持ちたいと思うのだが、それでもやっぱり心当たりは見つからない。困ったなあと笑って過ごそうとする私の浅ましさに、アニタは益々眉尻を吊り上げた。
「今回で何度目よ!? 買い出しを代わって、掃除場所を代わって、お使いを代わって、ありとあらゆる雑用を代わってって、何!? フィーネはあの女の小間使いか何かなの!?」
「アニタ、喉を痛めてしまうわ」
「私だって好きで叫んでないわよ!!? でもイライラするのよ、友達がこき使われてるのを見たら!!」
「友達……!」
密かに感極まる私に「感動するんじゃない!」と怒気が飛んでくる。
だって嬉しいものは嬉しいじゃない。
確かに、同僚の女の子から何度か頼まれ事をされることがあった。頻度は高いとは思っていたが、そもそも魔女という存在自体何でも屋みたいなものだったからあまり気にならなかった。
抜いた雑草の焼却、おばあちゃんの家の水やり、手紙配達、おじいちゃんの庭の畝作り、細かな頼まれ事を何でも熟してきた私は熟練のお手伝いさんだ。
元々魔女という存在は人の生活の根幹を支えるものだった。人の営みになくてはならない存在としての魔女がいなくなったのは魔女の歴史で見れば案外最近のこと。
人の技術の発達は近年凄まじい。魔女はなくてはならない存在から、次第にあったら便利なものになっていった。
祖母が子供の頃なんかは一つの町に二、三人は魔女がいたのが当然だったそうなのに。
まあ、だから私の魂は生きたのだろう。
そんなこんなで、私としては雑事は手慣れたもの。任せてほしいと意気揚々に言える数少ないことだ。
だからそんなに怒らなくてもいいとは思うのだが、アニタは酷く気に食わないらしい。それが私のためだと知ればとてもこそばゆい。
「アニタは優しいね」
「なっ、や、優しくないわよ!!」
髪の毛と肌の区別がつかないくらい顔を真っ赤にさせるアニタは、やっぱり可愛くて優しい。
「フィーネー」
「レリータ、どうかしたの?」
ぼんやりと間伸びした声は特徴的で、振り向かずとも誰か分かる。勿論、呼びかけられた以上振り向くけれど。
レリータ、アニタが激怒していた例の女の子である。
小走りで駆け寄ってくるおかげで揺れるお下げが可愛い子だ。
「この書類、リサリーさんに届けてくれませんか? 私この後用事があるんです」
「はい、いいですよ! 早い方がいいですか?」
「いや、あんまり急ぎじゃないんですけど、午前中にはお願いしたいです」
「分かりました、預かりますね」
じゃあ、と言って、二枚の書類を受け取ればレリータはまた小走りで去っていった。小柄ということも相まって可愛らしい。
「んー……。届けること自体はいいけれど、またアニタに叱られてしまうかなあ」
バレないよう、早めに届けてしまおう。幸いというか、この後私は玄関の掃除を任されているのでその道中でリサリーには会えるだろう。
そう考えて止めた足を再び動かす。
リサリーは案外すぐに見つかった。
それでも声をかけられなかったのは、リサリーとリートが何やら話しているからだ。
内容は聞こえない。その距離にいない。
話が終わるまで待機することにして、曲がり角に体を隠す。何だか、リートの姿を久々に見たような気がした。
リートは教会の神父。大きな大きな、領の中で最も大きな教会を纏める神父。
忙しい人だ。けれど、それ以上に、私が彼に避けられているということのほうが理由としては大きいような気がする。
気に障るだとか、気に入らないだとか、そういうことが判断できるほどの接点はないはずなのに、どこか意識的な壁を感じる。神経質になり過ぎだろうか。
ジークもそう言えば最近見ていない。半年も経って定期的に訪れる彼に挨拶をするくらいの関係にはなったが、それだけだ。自ら会いに行ける訳でもない。それが当たり前のはずなのに、八年も会えていない期間があったはずなのに、いざ彼らが手の届く距離にいると視界に収めていないと気が済まない。
今のところ私のそういった欲求を解消してくれているのはサンザとリサリーだけだ。少し欲張りだろうか。
「じゃあ、また話が纏ったら報告するわ」
「頼んだ。じゃあ、また」
暫く物陰にいて、漸く話が済んだようだ。顔を上げて壁から顔を覗かせる。リートがいないことを確認してからリサリーに近寄った。
「リサリーさん、少しいいですか。これレリータから預かったリサリーさん宛の書類です」
「ああ、ありがとう。……それにしてもレリータったら、またフィーネに自分の仕事を頼んで……」
「いえ、ついでですから!」
おやおや、まあまあ。レリータのことは存外広く知られてしまっているらしい。
今まで二つ返事で請け負っていたけれど、それで彼女が良くない印象を抱かれてしまうならそれも少し考えた方が良いのかもしれない。
私の軽率な行いが原因なら、私が改めれば良い話だ。
「それと、フィーネは今日は玄関の担当でしょう? 十時頃にジークが来るから来賓部屋まで案内してお茶をだしてくれる?」
「分かりました! ジークさんですね」
唐突な依頼に口の端が上がるのが自覚できた。会いたいな、見たいなと思っていた途端だ。
了解しましたと頷いてその場を去る。その足取りはまるで羽が、背中ではなく足に直接生えたかのように軽い、軽い。
いけないなと思いつつも、どうしても私は嬉しくなってしまう。贔屓の自覚はある。人の子は全て可愛らしく、私の愛の対象ではあるけれど、やっぱり、私が魔女だった頃特段仲の良かった子供たちはどうしても一層可愛く見えてしまう。
今日も教会で手を重ね、何かに祈る人々を横目に玄関を目指す。道中で掃除用具を回収しながらも足取りに迷いはない。
綻ぶ口元の角度を何とか抑えながら玄関を開け放つ。
深い青と冴えた白のコントラストが美しい空に、清涼な緑が映える。教会は中庭もそうだが、自然が豊かだ。
視界には青と白、緑、それから建物の色だけがある。それが不思議で、自然と昂りが収まっていくのを感じた。この教会の玄関、及び教会全体を囲う庭にも花は植えられていない。花を見ることができるのは中庭だけだ。緑は奔放に生えているのに、それも雑草ではなく、薬草が殆どだ。
頭の奥がじりじりする。教会に来た時のように、また、既視感が降り注ぐ。
——違う。
振り払うように頭を揺らして箒を持った。
「さて、ぴかぴかにしますよ!」
なんたってジークが来るのだ。玄関とは建物の顔。ジークには美しいものを目に入れてもらいたい。
意気込んで箒を強く握り締め私は床に狙いを定めた。覚悟、砂埃。貴方たちには散ってもらいます。無邪気な子供たちによってつけられた足型の泥汚れだって、私が掃除担当になったならば見過ごされませんよ。
バケツに水を汲んで縁に雑巾をかける。
さて、始めましょう。
集めて集めて、掃いて掃いて、拭いて拭いて。
掃除は好きだ。目の前のことに対処していくだけでいい。頭を空にできる。
砂埃があったら掃いて、泥汚れには濡れ雑巾を、石の隙間を縫うように伸びる雑草は抜いて、張られた蜘蛛の巣は払ってしまう。
「ふ、う……っ!」
どのくらい経っただろうか。心なしか草臥れて見える箒に焦げ茶の斑点模様になった濡れ雑巾を両手に提げ、漸く心ゆくまで掃除し切った。流石に経年劣化はどうしようもないけれど、なかなか満足のいく仕上がりだ。
腰を逸らせば骨の小気味いい音がする。固まった筋肉が弛緩していく感覚が気持ちいい。
「……あれ?」
道具を片付けようとすると、視界の端で今、段差に隠れて何か鮮やかな色が見えたような気がする。箒と雑巾をバケツに入れる。
スカートを体の前で畳んでからしゃがみ込み、そっと覗いてみる。
「…………」
一輪の花を見た。赤い花だ。
風が吹く。だから、花が、揺れて。
ゆらゆら、ゆらゆらと、赤色が、ゆらゆらと。
「——ネさん?」
赤。 赤。 赤。
私を——た、赤が、ゆらゆら、ゆらゆらと。
「——ィーネ」
近づく。近づく。揺らめきが、近づく。
足元に、熱が、赤が。
「フィーネ」
はっと視界一杯に広がるは、お茶に少し多めのミルクを溶かした淡い色。二度の深呼吸と二度の瞬きで、平常を取り戻す。
「ジー、クさん……。あぁ、話は伺っています、案内を……」
「大丈夫?」
綺麗な指先が伸びて、私の前髪を左右に分ける。
ほんの一瞬触れただけの温度が心地よくて何となくされるがままになってしまう。
けれど、少しだけ容易くなった呼吸によって頭が巡り始める。近い距離を自覚した。
「顔色が良くない。教会の中に入って、少し座って休みましょう」
「えっと……」
「何か飲みますか。最近は少し冷えるようになってきたから、温かい方がいい?」
「あの」
「手が冷たいですね。どのくらい外にいたのですか」
「ジーク様、私の仕事……」
手を取られ、まるでエスコートされるように立ち上がらせてもらう。そこで手を離してもらえばよかったのに、心のどこかに未練があったのだろうか。浅ましくも握り続ける手を引かれて私が案内する筈だった来賓部屋に、逆に私が案内された。手際よく準備されるお茶を見て漸く我に返る。
それは私の役割だ。人に使われることはあっても、人を使うことがあるのは頂けない。それは魔女としての矜持でもあり、単純に私が教会の職員で、ジークが客人であるからでもある。
止めようとするも手で制され、居心地悪く椅子に沈む。そうして目の前に置かれたお茶を眺めて、「頂きます」と手に取った。
というか、ここまで設備を把握しているなら私は必要だったろうか。お茶出しくらいしかまともにすることがなかったような気がするし、そのお茶出しすらさせてしまった。
落ち込む私の前髪が、また左右に開かれる。
「うん、随分顔色がよくなった」
「…………そんなに酷かったでしょうか」
「心配になるくらいには」
前髪を元に戻そうと額に触れる手が、ただ靭やかなだけではなくなって。
男の子も女の子も、手に差異はあまりなかった。けれど、今のジークの手は一目で男性と分かるようになっている。
「……お手数、おかけしました」
その過程を見守ることができなかったのは残念だけれど、こうして彼らと相対する今は貴重なものだから、私はとんでもない欲張りだ。
それを知って尚叶わぬ望みが湧くのだから、本当に私はどうしようもない。
ジーク、ジーク。
大きくなったね。立派に成長したね。
どうか、貴方がお爺さんになるまで見守ることができたなら、良かった。




