五日目(一)
五日目――昼過ぎ。
城塞都市の外れにあるパン屋は、焼き上がったばかりの香ばしい匂いに満ちていた。
ノリヒトは紙を差し出す。
店主はそれを受け取り、目を細めた。
「……ほう」
短く、息を漏らす。
視線が、紙からノリヒトへと移る。
「……珍しいな」
ぽつり、と呟く。
「いいのか?」
「何がだ」
ノリヒトは首を傾げる。
店主は一瞬だけ口を開き――
「……それ、夜に食うもんじゃねえぞ」
低く言った。
「は?」
「いや……」
すぐに首を振る。
「まあ、迷信みたいなもんだ」
それ以上は語らない。
奥へと引っ込み、しばらくして包みを持って戻ってくる。
「ほらよ」
「ああ、助かる」
ノリヒトは受け取る。
(……夜に、ね)
ほんの一瞬だけ引っかかる。
だが。
(まあ、土地の風習か何かだろう)
それ以上は考えない。
――帰宅。
「頼まれた物だ」
包みを差し出す。
それを受け取った瞬間。
モルテリアの指先が、わずかに強く包みを握りしめた。
「……そうか」
声が、ほんの少しだけ弾む。
呼吸が、一瞬だけ浅くなる。
すぐに、いつもの無表情へと戻るが――
「じゃあ、今夜はこれだな」
わずかに早口だった。
(……ずいぶん嬉しそうだな)
ノリヒトはそう思う。
だが、理由までは考えない。
――夕食時。
テーブルには、いつもより少しだけ豪華な料理が並んでいた。
肉の入ったスープ。焼きたてのパン。サラダ。ワイン。
そして。
白く、丸い食材。
球形のそれが、何個か一枚の皿に置かれている。
「これは?」
ノリヒトが問う。
「東の国の食材だ」
モルテリアが答える。
「米から作ったものだ。“モチ”と言うらしい」
淡々とした説明。
「取り分けてくれ」
皿が差し出される。
「ああ」
ノリヒトはそれを受け取る。
――その瞬間。
ガチャリ、と。
ドアが開いた。
「こんばんは」
軽やかな声。
クラウディアが、そこに立っていた。
まるで。
――その瞬間を、待っていたかのように。
「来たか」
モルテリアの声は、平静。
「うん。ご相伴にあずかるわよ」
にこやかな笑み。
だがその目は、一瞬だけテーブルの“それ”を確認した。
すぐに戻る。
(……気のせいか?)
ノリヒトは首を傾げるが、深く考えない。
「まあ、座れ」
三人が席につく。
「じゃあ――乾杯」
杯が触れ合う。
軽い音。
「しかし……あれだな」
ノリヒトが、ぽつりと口を開く。
「美人二人に囲まれて食事とは――」
「ぶっ!!」
ワインが、盛大に噴き出した。
一直線に――ノリヒトへ。
「……」
一瞬、無言。
モルテリアが、すっとナプキンを差し出す。
――すまない。
そんな無言の圧。
「ああ……助かる」
顔を拭う。
「あ、あんた……!」
クラウディアが咳き込みながら言う。
「びっくりするじゃない!」
「そうか?」
本気で分かっていない顔。
「ああ……モルが苦労するわけだ……」
苦笑。
モルテリアは、わずかに視線を送る。
――だろう。
クラウディアが、ほんの僅かに頷く。
「で、これは?」
ノリヒトが再び白い食材へ。
「分けよう」
「ああ」
三等分にしようとした、その時。
「私はいいわ」
クラウディアが手を振る。
「苦手なの」
一瞬。
モルテリアとクラウディアの視線が、交差した。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
「そうか」
ノリヒトは気づかない。
二等分にする。
一つを自分に。
一つをモルテリアに。
そのまま――口へ。
――その瞬間。
モルテリアの呼吸が、止まった。
口へ。
飲み込む。
「……悪くないな」
ノリヒトが言う。
その言葉と同時に。
モルテリアの肩から、わずかに力が抜けた。
安堵。
深く、静かな。
それを見ていたクラウディアが――
ほんのわずかに、笑った。
それからは、他愛もない会話が続いた。
「準備は整ったわね」
クラウディアが、何気なく言う。
「ええ……あとは流れだけだ」
モルテリアが応じる。
「?」
ノリヒトは首を傾げる。
「何の話だ?」
「こっちの話よ」
クラウディアが軽く流す。
「そうか」
それ以上、追及しない。
話題は移る。
昔話。
魔導。
教会の動き。
どれも、ありふれたもの。
やがて。
「あんた」
クラウディアがノリヒトを見る。
「ここに来てから、ずっと一緒に寝泊まりしてるの?」
「ああ……まあ」
自然に答える。
「ふーん」
にやり、と笑う。
「じゃあもう、男と女の関係ってことね」
――一拍。
モルテリアの動きが、止まる。
遅れて。
「……っ」
顔が、赤くなる。
「いや、それは違うな」
ノリヒトはあっさり否定する。
「まあ、いいわ」
クラウディアは肩をすくめる。
「そういうことにしておいてあげる」
そして。
ちらり、とモルテリアを見る。
――やったわね。
視線の会話。
――ああ。
わずかな頷き。
ノリヒトは、それに気づかない。
「じゃあ、そろそろ帰るわ」
クラウディアが立ち上がる。
「ああ……またな」
「ええ。明日は昼からなら空いてるから」
背を向けたまま、手を振る。
「……良かったわね」
ぽつり、と落とす。
「ああ、お前のおかげだ」
モルテリアが応じる。
ドアが開き。
閉じる。
静寂。
何気ない夕食。
いつも通りの一日。
――だが。
「……ふぁ」
ノリヒトが、小さくあくびをする。
「少し……眠いな」
「そうか」
モルテリアは、静かに答える。
その目は、どこか遠くを見ていた。
気づかないまま。
何も知らないまま。
ノリヒトは、椅子にもたれかかる。
五日目の夜は。
静かに――進んでいた。




