四日目(二)
ノリヒトは、案内されるままにソファへと腰を下ろす。
正面――クラウディア・ノタリア。
「そう警戒しなくてもいいわよ。取って食べたりはしないから」
くすり、と笑いながら指先で机を叩く。
「それで?」
「ああ、これを」
ノリヒトは封書を差し出した。
クラウディアはそれを受け取ると、迷いなくペーパーナイフを手に取る。
すっと封を切り――中身に目を通す。
その瞬間。
「……」
ほんの一瞬だけ、表情が消えた。
だがすぐに。
「あら」
口元が吊り上がる。
「あらあらあら……いいじゃない」
椅子に深くもたれかかる。
愉しむように、紙をひらひらと揺らす。
「いいわね、これ」
視線が、ノリヒトへと向く。
じっと。
値踏みするように。
「……ふーん」
「いいわ」
ぱたん、と封書を閉じる。
「こっちは任せて、って伝えておいて」
「ああ」
ノリヒトは頷いた。
「伝える」
「それで?」
頬杖をつきながら、にやりと笑う。
「どう? 生活は」
「一緒に寝泊まりしてるんでしょ?」
顔に“面白がっている”と書いてある。
「ああ」
ノリヒトは隠すこともなく答えた。
「一緒に暮らしてる」
「同じ屋根の下で?」
「そうだな」
「……ふーん」
笑みが深くなる。
「まあいいわ」
興味を一度棚に上げるように、手をひらりと振る。
「役目は果たす」
「そう伝えて」
意味深に。
「ああ」
それだけ。
それだけのやり取りで、ノリヒトは立ち上がる。
背を向ける。
視線を感じる。
だが振り返らず、そのまま教会を後にした。
――帰り道。
市場は、いつも通りの喧騒に満ちていた。
人の声。呼び込み。生活の匂い。
だが。
「あんた……あの魔女と暮らしてるのか?」
唐突に声がかかる。
振り向くと、露骨に距離を取る視線。
「呪われてないのか?」
「知ってるのか、あいつがどんなやつか」
口々に。
そして――
店先で手に取ろうとした品が、わずかに引かれる。
ほんの数センチ。
だが、それで十分だった。
(……なるほどな)
ノリヒトは何も言わず、手を引く。
「……まあ、あんたがいいならいいけどな」
最後は、突き放すように。
それで終わり。
だが、その裏にあるものは明白だった。
ノリヒトはそれ以上関わらず、その場を離れた。
――夕食時。
静かな部屋。
いつもと変わらない食卓。
「クラウディアは」
ノリヒトが口を開く。
「任せろと」
「役目は果たす、だと」
一瞬。
モルテリアの表情が、ぱっと明るくなる。
「……そうか」
安堵。
それは確かに、そこにあった。
だが、すぐに沈む。
「……市場に行った」
ノリヒトが続ける。
「教会でもそうだが」
一拍。
「……扱いが違うな」
言葉を選びながら。
「言わない方がいいとも思ったが……」
そこで止めることもできた。
(……だが、それは違う)
そう思った。
だから、言った。
沈黙。
モルテリアの視線が、ゆっくりと落ちる。
「……そうか」
短く。
「……うん、いい」
感情を押し込めるように。
「いずれ分かることだしな」
その声は、あまりにも静かだった。
間。
長い。
ただの数秒のはずなのに、やけに重い。
やがて。
モルテリアが、ぽつりと口を開く。
「……忌み子なのさ」
淡々と。
「呪われている」
当たり前の事実のように。
「みんな、知っている」
視線は、どこにも向いていない。
「……少し、昔話をしよう」
ぽつりと続ける。
「これでもな……元は貴族なのさ」
わずかな自嘲。
「……記憶はないがな」
間。
「一族が、呪われた」
さらりと。
「理由は……まあ、推して知るべしだ」
「生き残ったのは……私と姉だけ」
ノリヒトは、何も言わない。
ただ、聞く。
「二人で暮らしていた」
「この家で」
「ある日――」
そこで、ほんの一瞬だけ言葉が詰まる。
「……姉が消えた」
すぐに平静を取り戻す。
「まあ……仕方ない」
「忌み子だしな」
それが理由になる世界。
「それ以来、一人だ」
諦め。
受け入れてしまった静けさ。
「……そうか」
ノリヒトは、それだけを返す。
だが。
それで終わらせなかった。
「……モルテリア」
名前を呼ぶ。
わずかに、彼女の顔が上がる。
(……放っておけない)
そう思った。
「お前は」
言葉を選ぶ。
「気高い」
「優しい」
「強い……」
一瞬、迷う。
「いや、弱さもあるか」
そのまま、言う。
「……それが分かる」
沈黙。
モルテリアの目が、わずかに揺れる。
だが――
「……そうか」
息を吐く。
「買いかぶりすぎだ」
一歩、引く。
「そういうのは……他でやれ」
突き放すように。
だが、その声は――弱い。
視線を逸らす。
(……寄り添うな)
(……そんなこと、されても困る)
そう思いながら。
(……でも)
心の奥で、否定しきれない。
ノリヒトは、それ以上踏み込まない。
ただ、席を立つ。
無言で食器を手に取る。
すると。
少し遅れて、モルテリアも立ち上がる。
何も言わずに、もう一枚の皿を取る。
同じ流れで。
同じ場所へ。
わずかに、距離が近い。
夕陽が窓から差し込み、二人の影を重ねる。
何も解決していない。
何も変わっていない。
それでも――
確かに、何かが変わっていた。
四日目は。
静かに、終わりを迎える。




