五日目(二)
五日目の夜――
静まり返った部屋の中で。
ノリヒト――憲仁は、ベッドに横たわっていた。
深い眠り。
だが、それは穏やかなものではない。
「――っ……」
熱い。
否――
焼ける。
体の奥底から、何かが暴れ出す。
血が沸騰するように。
骨の髄が軋むように。
内側から“燃やされている”。
「ぐ……っ……!」
無意識に、体が軋む。
その時――
皮膚の上に、浮かび上がる。
幾何学模様。
円と線が複雑に絡み合う、精緻な術式。
それが、全身へと広がっていく。
赤く。
脈打つように。
まるで――
“刻まれていたものが、表に出てきた”かのように。
(……呪……!!)
意識の底で、理解する。
そして――同時に。
それが、“外から来たものではない”と悟る。
違和感。
だが、考える暇はない。
次の瞬間。
それは、発動した。
――エクストラスキル。
《全解呪》。
言葉にすらならない“力”が。
憲仁の内側から、溢れ出す。
それは――
解く、という次元ではなかった。
否定。
拒絶。
存在そのものを、“あってはならないもの”として排除する力。
幾何学模様が、歪む。
赤く輝いていた術式が――
黒く、染まる。
ドス黒い炎が、内側から噴き上がる。
それは燃焼ではない。
侵食でもない。
ただ一方的な“消去”。
術式が、抗うことすら許されず。
崩れる。
砕ける。
散る。
塵となり――
燃えながら、宙へと消えていく。
完全に。
跡形もなく。
熱が、引いた。
あれほど暴れていたものが、嘘のように消えていく。
(……なんだ……これは……)
思考が、追いつかない。
だが――
もう、限界だった。
体が重い。
力が入らない。
意識が、底へと引きずり込まれる。
深く。
抗えず。
沈む。
――深夜。
ガチャ、と。
ドアが、静かに開く。
白い髪。
黒の魔術師服。
アイマスクの女――モルテリア。
彼女は、無言でベッドへと近づく。
そして。
そっと、手を伸ばした。
触れる。
その瞬間――
「……っ」
息が、止まる。
感じるはずのものが、ない。
あの、まとわりつく呪の気配。
澱のように沈殿していた魔力。
それが――
どこにも、ない。
「……そんな……」
思わず、声が漏れる。
あり得ない。
そんなはずがない。
あれは。
あの呪いは。
決して消えないものだったはずだ。
震える指で、確かめる。
もう一度。
もう一度。
――ない。
確信へと変わる。
「……これは……私の……」
かすれた声。
自分を縛り続けていた、呪い。
それが。
彼に移り。
そして――
消えた。
「……解けている……」
ぽつり、と。
呟く。
信じられない、というように。
そして、ゆっくりと。
その場に、膝をついた。
長い時間。
諦めていたもの。
受け入れるしかなかったもの。
それが――
今。
なくなっている。
「……は……」
小さく、笑いが漏れる。
乾いた笑い。
だが。
その奥にあるのは――
崩壊だった。
張り詰めていたものが、ほどけていく。
やがて。
ゆっくりと、立ち上がる。
そして。
ベッドへと、上がった。
触れる。
背中に。
温もりを、確かめるように。
「……どうしたんだ……」
眠りの中、憲仁が呟く。
「ああ……」
モルテリアは、ほんの一瞬だけ迷い――
「……触れていないと、実感が持てない」
小さく、そう言った。
そして。
「……こうしていたいんだ」
耳元で、囁く。
「いいのか……?」
「ああ……」
静かに、息を吐く。
「どう思われても構わない」
その言葉に。
ほんの少しの覚悟を乗せて。
「……抱きたいのなら」
声が、わずかに震える。
「……うん……」
だが。
憲仁の意識は、もう限界だった。
「……体が……動かない……」
ぼんやりと呟く。
「……すごく……眠い……」
力が抜けていく。
完全に。
沈む。
残されたのは、モルテリアだけ。
背中に額を預ける。
その温もりが。
現実だと、教えてくれる。
もう。
一人ではない。
その事実が。
胸の奥に、静かに広がっていく。
「……ありがとう……」
小さく。
本当に、小さく。
呟く。
それは。
誰にも聞かせるための言葉ではない。
ただ。
この瞬間にだけ、存在するもの。
「……おやすみ」
静かな夜。
その中で。
彼女は、目を閉じた。
長く続いた呪いは、消えた。
だが。
新しい何かが、確かに始まっていた。
五日目の夜は――
静かに、幕を下ろした。




