第2話 小さな子供の名前
風呂場の扉を開ける。
そこにはベージュのタイルが敷かれ、シャワーとバスタブが設えていた。ピカピカの綺麗な風呂場だ。
「……姉ちゃんか」
この風呂場をピカピカにさせたのは姉だと和樹は推測した。
和樹家の家族構成は父親、母親、姉、妹、自分の五人家族だ。家も二階建ての一軒家であることからそれなりに裕福であり、幸せな普通の家族だ。
順番に絞っていくとまず両親は7月頃に仕事で海外に行っており、よほどのことがない限りしばらく家に帰ってこないと6月ごろに両親から聞いた。
そして高校一年生の妹は部活の合宿中。大学生の姉は夏休みで友人と沖縄に遊びに行っている。確か自分が転移する前に8月のあたまに旅行に行くみたいなことを言っていたのを和樹は思い出す。いつ帰ってくるかは聞いてないから分からないが。
となると、この中で最もスケジュールに余裕があり、家に帰ってくる可能性が高いのは姉だと判断できる。
「っ……まずいな」
ひとまず家に誰もいなさそうなのは確認したが、この状況はいつ姉が家に帰ってきてもおかしくないという状況である。
だが、それに恐れている訳にもいかない。
和樹はバスタブの上についている液晶画面からお湯のボタンを押し、蛇口を捻る。温度を確認しながらバスタブにお湯を満たしていく。
子供はそんな彼の様子をじっと見ていた。特に液晶画面の方を。見慣れない物体に珍しいと感じているのだろう。
和樹は服やズボン、靴を脱ぎ、カゴの中に放り込む。そして下半身にタオルを巻き、その中からパンツも脱ぐ。
なぜタオルを巻いてからパンツを脱いだのか。それはある可能性を考慮してのことだ。
「こっちに来て」
ちょいちょいと手招きすると子供は彼の目の前に立った。その顔は少し赤い。
和樹が子供の服の裾を掴むと、子供は彼の手を掴み、抵抗の意思を見せた。
「むぅ……」
子供は不本意そうな顔をしている。
「……もしかして、女の子?」
和樹の問いに子供は頷き、その頷きに彼は冷や汗を流す。下手をすれば犯罪になりかねない。
少女は和樹に背を向け、自分で服を脱ごうとする。だが、濡れて服が伸び、重くなっているせいか、どうしても少女の首の辺りでひっかかる。
「……はぁ」
和樹は少女を手伝う。すると引っかかっていたところが外れ、一気に服が脱げた。
「っーーーーー!」
「っ、ごめん!」
罪悪感を感じる和樹。俺はロリコンではない……ロリコンではない……と何度も心の中で念じる。
恥ずかしそうにする少女の髪と身体全体にシャワーを浴びせる。
続いてシャンプーをタオルにつけ、泡立てる。髪と身体をゴシゴシと拭き、そして角も同様に拭こうとする。
「っ!」
角に触れようとすると、少女は慌てて和樹から離れ、距離をとる。その瞳は大きく見開いていた。
「ごめん、嫌だったか?」
和樹の問いに少女はこくこくと頷く。
(そういえば獣人とか海人族にもあったな……この子もその類か)
ラノベで読んでいたある話を思い出す。彼らにはデリケートな部分がある。
それが尻尾だったり、角だったりと部位は種族によって違い、理由も他人に触らせてはいけない決まりがあったり、単に自分が触られたくないなど様々だ。
和樹は少女に泡立てたタオルを渡す。きょとんとした表情で彼の顔を見る。
(って、拭き方知ってるわけないよなぁ……)
和樹は自分も泡立てたタオルで自身の身体をゴシゴシと拭く様子を少女に見せる。
すると、少女は俺の様子を見てタオルを手に持ち、ぎこちない手つきで自分の角や身体を拭いていく。
(おぉ……1回見ただけでもう出来るのか)
その後、満足したのか少女は和樹を見る。拭き終わったようだ。彼はもう一度シャワーで少女の髪や身体全体を洗い流す。
「はぁ……」
和樹は思わずため息をつく。アニメでもこんなシチュエーションがあったがまさか自分がそのシチュエーションをやる時がくるとは思わなかった。
(昔はこうして姉ちゃんや妹と一緒に入ってたなぁ)
そうこうしているうちにベージュのタイルは汚れだらけになっていた。
少女をバスタブに入れた時、和樹はふと気づいた。
(あれ? この子めちゃくちゃ可愛くないか?)
しっかり丁寧に洗った少女の髪はずぶ濡れで茶色く汚れていた髪から白銀の髪へと変化していた。
側頭部に有する二本の白い角も艶が出ている。
少しやせ細っているが何か食べさせて栄養をとらせれば回復していくはずだ。
顔も少しやつれているが少女の顔はとても整っていた。それに加え青い瞳にふわっとした白銀の髪。回復すれば可愛らしい少女になりそうだ。にしても……
(これからどうすんだ……)
自分の髪と身体も洗い流し、風呂からあがる。そして柔らかいタオルで髪と身体を拭いた後、少女に服を着せる。
着る物は幸い小さい頃の妹の服があったため、それを着せた。
その後服を着た和樹はこれからどうすればいいか分からずため息をついた。
ぐぎゅおおおおー
腹の虫が和樹にも聞こえるくらいはっきりと鳴り響く。腹の虫の主は少女だ。少女は顔を赤くし、両手でお腹をおさえる。
「……とりあえず何か食べさせるか」
和樹は少女に向き直り、しゃがみこむ。
「えと、君……あっ」
そういえばまだ名前を聞いていなかった。このままというのも不便だと彼は思った。
「そういえば名前まだ聞いてなかったな。俺は和樹。君の名前を教えてくれないか?」
少女は青い瞳で和樹を見る。そして遠慮がちに呟いた。
「……ラキナ」
「ラキナ?」
和樹がそう聞き返すと少女は頷く。
「かずき?」
少女は和樹を指さしながら問う。
「そう、かずきで合ってるぞ」
和樹がそう言うとラキナは少し微笑む。
「よし、リビングに行くか。まずはご飯にしよう」
姉が帰ってくる可能性が充分にあるがそれより飯だ。腹が減っては戦ができぬということわざがあるように腹が減ってはどうしようもない。
リビングに入り、テーブルと椅子を見る。そしてラキナを見る。
「椅子が高いな」
そう判断した和樹はラキナに腕を伸ばして抱き上げるとラキナは驚いた顔をした。しかし暴れたり先程のように声を上げたりすることはなく、和樹の腕の中におさまる。
ラキナを椅子の上に座らせ、和樹は冷蔵庫のドアを開ける。
なんとなく予想はついていたが冷蔵庫にはほとんど食べ物がなかった。
あるのは納豆と卵。しかも卵は賞味期限切れだ。
(買い出しに行かないとなぁ……)
冷蔵庫を閉め、炊飯器を開ける。もちろんない。続いて棚の方へ近づく。
「おっ」
レンジでチンするタイプの三つ入りご飯パックを見つけた。あと、インスタントの焼きそばも見つけた。
冷蔵庫から納豆を取り出し、テーブルの上に置いている焼きそばの横に置く。ご飯のパックを開けて二人分取り出し、レンジでチンする。
その間にポットにお湯を入れて沸かす。
この一連の流れは和樹が夏休みに家でゲームをしたりアニメを見る(引きこもる)時によくやる飯パターンだった。もはや彼の手つきは完璧だ。
面倒臭い料理はせずに済む、食器はすぐ洗って乾燥機に入れるだけ、麺類の容器は捨てるだけという楽な片付け。
ふと和樹はラキナの方を見る。ラキナはずっと彼のことを見ていた。彼のやっていることが気になるのかもしれない。
そうこうしているうちにご飯は出来上がり、レンジから取り出す。そしてポットで沸かしたお湯をインスタントの焼きそばに注ぎ、フタをする。
「熱っ!」
ご飯のパックを開けると白い湯気が顔に当たった。
「だいじょうぶ?」
「あぁ大丈夫だ」
少女に心配され、大丈夫と答える和樹。
(本当はくっそ熱いけどな!)
少女が見ている手前、痩せ我慢をしていた。
熱々のご飯を茶碗に移し、その上から納豆をかける。同時に納豆についていたタレをつけ、かき混ぜる。
「わぁ……」
ラキナの目がまるでご馳走を見ているかのようにキラキラと輝いていた。
「ラキナ、先にそれ食べていいぞ」
焼きそばが出来るまでまだ三分もあるが、腹ぺこの少女を待たせるわけにもいかない。とりあえず出来た納豆かけご飯から食べてもらおう。
そう考え、ラキナに言うが、それを聞いたラキナはなぜか首を横に振った。
「かずきまだじゅんびおわってない」
まだ幼いのにしっかりしていることに驚く和樹。
本当はお腹が空いてて今すぐにでも食べたいはずなのに。両親の教育がしっかりしていたのだろう。
(でもそれだったらなんでこんな所に……)
食べ終わったらラキナに聞いてみよう。和樹はそう決心した。
三分経ち、インスタントの焼きそばのお湯を捨て、ソースをかけてかき混ぜる。
「出来たぞ」
テーブルの上に並ぶのは二つの納豆かけご飯とインスタントの焼きそば。それ以外にほとんどなかったとはいえ子供に出すものとしてこれは酷いと自分が普段食べているにもかかわらずそう思う和樹。
(ちゃんと栄養のあるもの食べさせないとなぁ……)
「わぁ……!」
それでもラキナはまるで目の前にご馳走が並んでいるかのように目を輝かせていた。
すごく嬉しそうだ。
「かずき、これなんていうの?」
「これか? 納豆かけご飯だ」
「なっとう……ごは?」
首を傾げるラキナ。
(まぁ世界が違うから知ってるわけないよな)
ラキナは納豆かけご飯を見た後、和樹の顔を見る。
「これ、食べていいの?」
「おう、食べていいぞ」
和樹はラキナにスプーンを渡す。箸は多分無理だと思ったからだ。
「あっ、ラキナ。熱いから口に入れる前にはふぅふぅしとけ」
「ふぅふぅ?」
「あぁ、ご飯は熱いからそれで冷ました方がいい」
和樹が一度手本として自分の納豆かけご飯をスプーンですくい上げ、ふぅふぅと息を吹きかける様子を見せる。するとラキナはスプーンですくい上げた納豆かけご飯を一生懸命ふぅふぅ吹き始めた。その姿に思わず苦笑する。
「そこまでしなくていいぞ。3、4回ぐらいでいけると思う」
ラキナは和樹が言った回数分ふぅふぅすると、ぱくんと納豆飯を口に入れた。
ラキナの表情がパッと明るくなる。
「美味しいか?」
「うんっ」
ラキナの言葉に和樹も思わず嬉しくなる。料理してないのはこの際気にしない。
「そっか。良かったな」
和樹の表情を見たラキナは何か感じ取ったのか、にこりと笑った。
初めて見た笑顔だった。
(か、可愛い……! おっといかん。俺は決してロリコンなんかじゃない。純粋に可愛いと思っただけだ)
ちまちまと納豆かけご飯を食べていくラキナ。
「ラキナ、焼きそばも食べていいぞ」
「やきそば?」
疑問を浮かべるラキナの茶碗の近くに焼きそばを置く。
「いいの?」
「口に合うかは分からないけど食べていいぞ」
「……」
するとなぜかラキナは黙り込む。そして意を決して言う。
「かずき、これ、一つしかないよ?」
「ん? あぁ焼きそばか? いいんだよ、それはラキナの分だから」
正直和樹も今日はまだ何も食べてないため腹が減っているがここはラキナのために我慢することにした。
あのやつれた顔と少し痩せた身体を見てしまうとそうせざる負えない。
しかしラキナは焼きそばを少し遠ざけた。具体的に言うと和樹とラキナのちょうど間の位置まで焼きそばを移動させた。
「かずき、いっしょに食べよう?」
「いいよ、先にラキナが食べてくれ。余ったら俺が……」
「だめ。かずきもたべる。これさめちゃう」
「お、おう……」
ラキナの言葉によって、焼きそばは一緒に食べることになった。




