零章
――――6年前――――
俺は教室の窓から空を眺めていた。どうやら今日の雨は止みそうにないな。全く、梅雨は嫌いだ。俺は机に伏せてまどろみ始めた。
「おい、直人。おい!」
俺は目を覚ました。前を見ると、先生が俺の方を見ていた。なんだ、まだ授業中かよ。
「直人、授業中だ。寝るな。」
先生は無表情で言ってきた。うるさい先公だ。俺は無視して再び机に伏せた。
「直人!授業がそんなに嫌なら帰れ!」
先生が今度は怒鳴ってきた。俺は待っていましたとばかりに鞄を掴んで教室から出た。下駄箱まで行って傘を教室に忘れた事に気がついた。しかし、今さら教室に戻るわけにはいかない。俺は軽く舌打ちして保健室に向かった。
保健室にはいつもお世話になっていた。中学の先生の中で、保健室の浅井先生だけは俺のお気に入りだった。保健室に入ると、いつものように浅井先生は机に向かって何かを書いていた。
「また直人か。また抜け出したんでしょ。ちゃんと授業に出なきゃ駄目じゃない。」
先生は俺に気付くと、すぐに説教を垂れてきた。
「ちげーよ。帰れ、って言われたから帰るだけだよ。」
「帰れ、って言われて本当に帰っちゃ駄目でしょーが。」
先生は怒りながらも、少し微笑んでいるようにも見えた。
「それで?帰るならなんで保健室に来たのよ?」
先生が顔をしかめて言った。
「ああ、そうだ。傘を教室に忘れたんだよ。貸してくれ。いっぱいあるだろ?ここには。」
「全く。しょうがないわね。この前貸した傘もまだ返って来てないんですけど?」
先生は顔をしかめて言ってきた。
「今度いっぺんに返すよ。」
俺は面倒臭そうに答えて、保健室の隅にある傘立てからビニール傘を1本取りだした。
「じゃあな。」
俺はそう言って保健室から出ていった。
校門を出たところで、携帯に電話がかかってきた。雄也からだった。
「はいよ。」
「ああ、直人。今日、俺の家で飲まない?」
「お前の家?いいけど、珍しいな。」
「今日から親父が出張なんだよ。母親もばーちゃんの家行っているから今日は帰って来ねーんだ。」
「そうか。じゃあ何時に行きゃあいい?」
「そうだな。とりあえずお前が学校終わったらいつも通り俺の家に来いよ。」
「俺、もう帰ってるんだよ。授業だるくてな。」
「まじ?じゃあ俺もそろそろ帰るわ。今どこらへん?」
「まだ学校出たばっかりだよ。」
「じゃあそこで待ってろよ。速攻で行くわ。」
「おう。そういえばお前まだ授業中だろ?電話してるとやばいだろ。」
「ああ、今拓也とトイレでさぼっているんだよ。一緒に行くわ。じゃあ待っていろよ。」
「ああ。」
電話が切れた。数分待っていると、雄也と拓也がやってきた。この二人を見ると、急に気分が楽しくなった。俺たちはいつも3人だった。
「よお。」
俺は笑顔で答えた。この日常が永遠に続くと思っていた。
6月17日。梅雨が終わりの事だった。
俺はここ3日、家に帰っていなかった。友達の家を泊り歩いていた。別に帰りたくはなかった。家に帰っても、親がうるさいだけだ。しかし、そろそろ服を洗濯しなければ。風呂なら友達の家で借りられるが、洗濯はできないのが厄介だった。
家に帰ると、母親がリビングで寝ていた。俺は起こさないようにそっと自分の部屋に向かった。部屋に入ると、少し懐かしい感じがした。俺はすぐさま、タンスから着替えを引っ張り始めた。すると突然、部屋のドアが開いた。
「直人。ちょっとそこに座りなさい。」
母親が起きると厄介だった。俺は無視して着替えを引っ張りだしていた。
「直人!あんたいい加減にしなさい!3日間もどこに行っていたの!」
母親の怒鳴り声にはもう慣れていた。俺は着替えを鞄に詰めて、母親の方を向いた。
「どけよ。」
「今日は家にいなさい。お父さんも今日は早めに帰ってくるから。」
「うるさいな。邪魔だよ。」
俺は鞄を持って家から出て行った。
雄也の家は大きな一軒家だった。何度も行っているので、チャイムも鳴らすことなく、当然のように家に入っていった。雄也の部屋に行くと、もう拓也と雄也がいた。
「よう。」
「おう直人。遅かったな。」
「ああ、親がうるさくてよ。」
俺達はいつものように酒を飲み、タバコを吸いながら話した。騒いだ、という方が適切な表現かもしれない。酒とタバコと同じぐらい、雄也と拓也は一緒だった。
気がつくと、夜になっていた。俺と雄也はたどたどしい足取りで、家の中を歩き回っていた。ふと、水が飲みたくなってリビングの冷蔵庫を開けた。
「おい雄也。冷蔵庫に水ねーよ。コンビニ行かね?」
「水?台所の水飲めよ。」
「ばかやろう。俺はアイスも食いてーんだよ」
俺はふらふらになって言っていた。
「なんだそりゃあ。まあでも、俺もアイス食いたいし、行くか。」
「そういや、拓也は?」
「ああ、あいつは俺の部屋で寝てるよ。あいつの酒の弱さは治んないだろ。」
「じゃあ2人でいっか。」
「そうだな。」
俺たちは靴を履いて、近くのコンビニに向かった。今日は止まないと思っていた雨だったが、夜になって止んだようだ。俺たちはふらふらしながら歩いていた。コンビニまでは5分ほど歩けば着くのだが、コンビニに面している道路の向かい側から俺たちは来るので、信号ではいつも足止めを食らっていた。
「信号まじでしんどいな。」
俺たちがここの信号を待っている時、必ずこの言葉があった。信号が青になると同時に俺たちは道路を渡ってコンビニに入った。
「アイス、アイスっと」
俺たちは水とアイスを買って、コンビニから出た。行きと同じように信号を待って、道路を渡った。道路を渡り切ったところで、雄也が思い出したように言った。
「あっ。タバコきらしてんだ。ちょっと待ってろ。すぐ戻っから。」
雄也はそう言って、赤信号の道路を走って渡ってコンビニに入っていった。俺は一緒に行くのが面倒だったので、待っていることにした。
数十秒で雄也はコンビニから出てきた。道路の向こう側で、手でバツを作っていた。どうやらタバコが買えなかったようだ。年齢確認をされたのだろう。雄也は残念そうに道路を渡ろうとした。次の瞬間、俺の視界に軽トラックが割り込んできた。
俺には何が起きたか、一瞬分からなかった。道路には、軽トラックが止まっていて、雄也はその前にあおむけに倒れていた。突然、軽トラックは向きを変えて走り去った。俺は雄也の方に走っていった。目の前に倒れている雄也は、一見、大した外傷もないように見えた。俺はひざまずいて、雄也の頭を抱きかかえた。頭を持ち上げた途端、おびただしい量の血が雄也の後頭部から噴き出した。俺は絶句した。
目の前で起きている事が、俺の理解を超えていた。走り去った軽トラックも、血に濡れていく俺のパーカーも、もうどうでもよかった。
「雄也…ああ…そんな…どうして……」
俺は頭が真っ白だった。周りの雑音が、ずいぶん遠くから聞こえてくるようだった。
「血を止めてくれ…誰か!」
俺はただ叫んでいた。
「雄也…死なないでくれ……ああっ――誰か!」
俺は自分のベッドで目覚めた。俺は安心した。なんだよ、夢だったのか。俺は嬉しくなってベッドから跳ね起きた。目の前に、血のついたパーカーが横たわっていた。一気に鳥肌が俺の体中に広がった。俺は家を飛び出した。母親が何かを言っていたが、耳に入らなかった。俺は雄也の家に走った。家の前まで着くと、俺は何度も呼び鈴を鳴らした。何度鳴らしても、誰も出ては来なかった。そうだ。雄也の両親は、今日帰ってくるんだっけ?まだきっと帰ってきていないんだろう。雄也は昨日の事故の後だ、きっと入院しているから家にはいないに違いない。俺は自分を納得させた。俺は拓也の家に向かって歩き出した。数分で拓也の家に着いた。俺は再び呼び鈴を鳴らした。すると、数秒して拓也が玄関のドアから出てきた。
「よう拓也。朝早くから悪いな。昨日、雄也が事故ったの知ってる?多分アイツどこかに入院してると思うんだけどさ。お前場所知らない?」
拓也は俺の言葉に何故かすごく驚いているようだった。
「お前…昨日の事、何も覚えてないの?」
「…え?」
「あいつは死んじまったんだよ。」
拓也がポツンと言った。俺は意味が分からなかった。こいつは何を言っているんだ?
「お前さ、しょーもない冗談言うなよ。」
俺はわざと笑ってみせた。しかし、拓也は笑わなかった。よく見ると、拓也の目は腫れていて、クマも酷かった。まるで、一晩中泣いていたのかのようだった。
「お前が最期まで雄也のそばにいたんだろ?」
拓也の目には涙が溢れていた。そんな馬鹿な。本当なのか?
「うそだろ?なあ。あいつが死ぬわけねーじゃん。」
「…悪い。ちょっと俺いま駄目だわ。通夜は今日の6時だそうだ。」
拓也は俺の言葉を無視して言った。そして、家の中に入っていった。
通夜には、行かなかった。俺は布団から出ることなく、一日を過ごしていた。俺はどんなに思い出そうとしても、あれ以降の事は思い出せなかった。だが、雄也が死んでしまったなら、死なせてしまったのは間違いなく俺のせいだ。俺は親友を殺してしまった。あいつには、人に好かれていたし、彼女だっていた。俺はそんな奴の、これからの人生を奪ってしまったのだ。俺は自分を憎み、呪った。死んでしまいたかった。親友を殺して、自分だけ平然と生きていくことなど、出来ない。俺は布団に体を沈めた。このまま目が覚めなければ、どんなにいいだろう…。しかし、眠ることなど到底出来なかった。俺は目をつむって時間が過ぎるのを待った。
次の日の夕方、拓也が家に来た。葬儀を今日行うらしい。拓也は俺を迎えにきたようだった。俺は行く気にはなれなかったが、両親に無理やり制服を着せられ、外に出た。外は横なぶりの雨が降っていた。葬儀に行く途中、俺と拓也は一言も言葉を交わさなかった。俺はこんなにも外が嫌いだったことはなかった。いつもは家の中が大嫌いで、ずっと外で遊んでいたのに、もう外に出る気にはなれそうもない。
葬儀は駅前の葬儀場で行われるらしい。俺が葬儀場に着いた時、その前で女の子2人が傘もささずに、座り込んでいるのが見えた。一人は知らない人だ。だが、もう一人は相川祐希、雄也の彼女だった人だ。俺は胃がざわつくのを感じた。相沢は取り乱して、泣き叫んでいた。
「どうして…?どうして雄也だったのよ…。」
彼女が口にした言葉が、ゆっくりと俺の耳に入り、脳まで届いた。俺はもはや自分が自分でいることに耐えられなかった。俺が事故にあっていればよかったのだ。俺はその場で振り返り、家に帰った。
何度か自殺をしようとしたが、どれも未遂に終わった。夏が終わると、俺は家にこもり、ひたすらに勉強に打ち込んだ。何かに必死になることで、一瞬だけ、罪の意識から逃れることができた。もう、拓也と遊ぶこともなかった。あまりに辛い思いを共有してしまったのだ。もう友達に戻ることはできない。俺は市で一番の高校に入学し、そこでも勉強を続けた。
あの事故以来、友達を作ることはなかった。




