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梅雨の果てに  作者: 隆介
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 2時間後、俺は豪雨の中、首都高速道路を走っていた。一人旅を思いついた時から漠然と、東北方面へ行こうと考えていた。俺は大阪出身だから、大阪には祖父の家がある。関西方面へ行くと、俺は誘惑に負けて祖父の家に行ってしまうような気がしていた。祖父の家に行けば、泊るのに金はかからない。食事の世話もしてくれるだろう。しかし、それでは意味がない。誰も知らない、誰も助けてくれない土地に行くからこそ、一人旅の意味があるのだ。俺は豪雨の中、無心に車を走らせた。

 何時間経ったのだろうか。俺は川口の、浦和本線料金所に着いた。ここからは東北自動車道らしい。そろそろ疲れてきた。まだ免許を取って1年と2カ月しか経っていない俺にとっては相当の疲労だ。それに雨の中の運転は、特に気を使う。俺は料金所を過ぎて、最初のパーキングエリアで休憩することにした。渋滞もあったせいか、もう辺りは真っ暗になっていた。パーキングエリアに車を停めて、腕時計をみると、9時をまわっていた。時計を見ると、急に空腹感が襲ってきた。車を降りて、俺はまっすぐに店の中に入ってラーメンを注文した。パーキングエリアのラーメンは割高だが、何故かいつも特別な味がする。俺は旅の味がするラーメンを最後まですすった。ラーメンを食べて外に出ると、冷たい風が体を撫でた。火照った体には心地よかった。ポケットをまさぐってタバコを探した。ラーメンの後のタバコは至福のひと時だ。俺は喫煙所に向かった。喫煙所のドアを開けると、年配の男性が一人、タバコをふかしていた。俺が腰をおろしてやっと、その男性は俺の存在に気付いたようだった。

 「やっぱりこの時期はすごい雨ですね。」

 ふいに、男性が聞いてきた。 

 「はい。梅雨の時期は困りますよね。」

俺は話しかけられた事に少し驚いたが、顔を渋らせて答えた。

 「雨はいやだねえ。ところで、こんな時間におひとりですか?」

 「はい。ちょっと、車で一人旅をしようと思いまして。」

 俺は自分のタバコに火をつけながら答えた。

 「ほう。まだ若いのに、一人旅とは。珍しいですね。」

 男性の口調は、とても優しかった。

 「そうですか?でも実は、まだ始めて数時間しか経っていないんですよ。」

 「そうなんですか。でも、どうして一人旅をしたいのですか?友達やら、家族やらと旅行した方が楽しいだろうに。」

 男性は相変わらず、優しい口調で語りかけてきた。この男性には、会話がすすむ不思議な雰囲気があった。俺はその雰囲気にのまれていった。

 「実は、僕、過去に少しトラウマがありまして…。過去を払拭するためというか…。でも一人旅が本当に良い方法かは正直、迷っているんですよ。」

 俺は知らずの間に本音を打ち明けていた。見ず知らずの人にここまで胸の内を話している自分に驚いた。いや、他人だからこそ話しやすかったのかもしれない。

 男性は少し驚いたような顔をしたが、すぐに優しそうな顔に戻った。

 「トラウマか。君は若いのに大変な経験をしたんですね。」

 「いえ、僕の精神が未熟なもので。」

 「そうかい?でもね、私は70年近く生きているが、いつも思うんですよ。何度つらい思いをしても、体の痛みは慣れるが、心の痛みには慣れないのだとね。」

 俺のタバコは知らないうちに短くなっていた。この男性の言葉が、ふと心の中に入っていったような気がした。

 「ありがとうございます。」

 俺は思わずお礼を言った。このおじいさんに出会えてよかったと思った。

 「いいや。頑張ってくださいね。」

 俺はタバコの火をもみ消して、席を立とうとした。

 その時、男性が静かに付け加えた。

 「でもね、人間は過去を払拭することは出来ないんだと思うよ。人がどんなに過去を消したくても、過去は人を手放してはくれないのですね。まあ、年寄りの勝手な意見だがね。」



 俺は夜中の0時頃、東北自動車道を降りた。既に宮城県に入っていた。あの男性の言葉が頭の中で反芻していた。思えば、俺はあの男性の事を何一つ知らないまま別れてしまった。名前も、どこから誰と来たのかも。名前ぐらい聞いておけばよかった。あの男性とはもう二度と会う事はないかもしれないが、あの男性の言葉は俺の中でずっと生き続けるだろう。俺は心が少し軽くなったような気がした。

 俺はその日、漫画喫茶で泊ることにした。俺は普段は漫画喫茶には行かないので、どんな所か分からなかったが、ここは素晴らしい、と思った。様々な設備が整っていた。漫画はもちろん、DVDやゲーム機、パソコン、シャワールーム、さらにはドリンクバーもあった。ブランケットの貸出もしているので、寝る際に寒さに困ることもなかった。もう0時半を過ぎていたが、俺は映画を1本観て寝ることにした。俺は日常からあまり外出しないので、家の中ではしばしば洋画を観あさっていた。ほとんど無趣味な俺だが、映画鑑賞、特に洋画の鑑賞は俺の数少ない趣味の1つになっていた。俺はジョン・タートルトーブ監督の「THE KID」という映画を観ることにした。この映画は素晴らしかった。この映画の物語では、大人になった主人公のもとに幼少期の自分が現れる。俺は自分の幼少期に自慢できる大人になれるだろうか?俺は映画が終わると、そんな事を考えていた。やっとまどろみ始めたのは、午前4時頃だった。

翌朝の午前9時、店員の声で俺は目を覚ました。ナイトパックの時間の料金で入店していたので、午前9時半には店を出なくてはならないのだ。俺は無理やり体を起こした。店の外にでると、昨日より雨が弱くなっていることに気付いた。車を運転し始めた時、まだ目がまどろんでいた。俺は近くのコンビニに車を停めて、熱い缶コーヒーと共に一服した。昨日は気がつかなかったが、宮城県は神奈川と違ってかなり寒い。俺は、この寒さを想定していなかった。着替えも、今着ている服の他に1着しか持ってきていない。まずはコインランドリーを探して今着ている服の洗濯をしなければ。だんだんと自分の無計画さに腹が立ってきた。俺は、まだ少し長めのタバコをもみ消して車に乗った。

 コインランドリーはすぐに見つかった。コインランドリーの中には誰もいなかった。俺は誰もいないコインランドリーを懐かしく思った。中学生のころ、地元のコインランドリーは、俺たちの格好のたまり場だった。地元のコインランドリーは無人のランドリーで、古かったため、誰も洗濯に来ることはなかったのだ。ここのコインランドリーの雰囲気は何故か地元のコインランドリーを思い出させた。もう地元のコインランドリーには何年も行ってない。この旅から帰ったら1度行ってみようと思った。

 今日は午後から、雨がひどくなっていった。今年は例年より梅雨の時期が長いようだ。俺は車を走らせていたが、どんどんひどくなる雨に負けて、車を近くのファミリーレストランの駐車場に停めた。俺はファミリーレストランで今後の予定を考えることにした。金を節約するために、ドリンクバーだけで粘ることにした。予定と言っても、別に行くあてがあるわけじゃない。とりあえず、宮城から北に行く気にはなれなかった。宮城を回って、とりあえず、日本三景の一つである松島にいってみようか、と考えていた。しかし、この梅雨の季節だと、せっかくの絶景も美しさが半減してしまうに違いない。それとも、雨の中の松島も、また美しいものなのだろうか。

 

 3時間ほど経っただろうか?俺の灰皿が吸いがらであふれてきたので、店員にいって灰皿を変えてもらった。相変わらずドリンクバーとタバコで時間を潰している俺は、店員にとっては迷惑な存在に違いない。俺は席を立って、コーヒーを入れにいった。ドリンクバーのコーナーでコーヒーのボタンを押して、コップがいっばいになるのを待っていると、後ろから、あの、と声をかけられた。振り向くと、見覚えのある男性の顔が目に入った。

 「やっぱり。直人じゃないか。お前こんなところで何をしているんだ?」

 男性は驚いたような顔をしていた。俺はその声にピンときた。

 「…あっ。村井先生。」

 村井先生は高校の時の生活指導の先生だ。生活指導の先生は、担任でもなければ勉強を教えることもほとんどないので、生徒にはあんまり知られていないのだが、俺は村井先生にはよく怒られていたため、お互いによく知っていた。先生は俺たちと一緒に、定年退職で高校を卒業したのだと聞いていた。

 「今思い出したのか?全く。それで、なんでこんなところにいるんだ?」

 「先生こそなんで?」

 「先生は定年退職で、お前たちと一緒に学校を卒業したから、今は仙台で家族と暮らしているんだ。直人はどうして?」

 「俺は車で一人旅しているだけですよ。大学のテストが7月に始まるんで、その前に。」

 「一人旅?なんか渋いことをやっているな。まあ、直人らしい気はするよ。」

 先生は微笑みながら言った。定年退職すると、やわらかくなるのだろうか。今の先生は、俺の在学中と違ってとても優しそうに見えた。

「先生も一人なんですか?」

 「今は散歩の帰りでな。雨の中の散歩が好きなんだよ。妻は付き合ってくれなくてね。」

 「そうですか。帰りは家まで送りましょうか?車で来ているんですよ。」

 「そうか。お前も、もう運転できる歳なのか。じゃあよろしく頼むよ。席を移動してもらおう。お前とは色々話したいからな。」

 そう言って先生は店員を呼びに行った。ここで先生と出会うなんて、全くすごい偶然だと感じた。

 「よいっしょ。まあ、お前が元気そうで良かったよ。」

 先生が自分の皿を持って俺の席まで来て、言った。

 「先生も元気そうで。」

 「歳のわりには元気かもしれないな。直人はタバコやめたのか?」

 先生が俺の灰皿を見ながら言った。

 「いえ、さっき灰皿を交換してもらったんです。」

 「まだ吸っているのか。二十歳を機に止めたらどうだ。」

 「止まなきゃとは思っているんですけどね。なかなか。」

 「全くおじさんみたいな事を。お前は高校の時から妙に大人びたところがあるからな。」

 「そうですか?」

 「なんとなく歳の割に落ち着いているというか、全く、やりにくい生徒だったよ。」

 先生が笑いながら言った。先生とこんな話ができる日が来るとは夢にも思わなかった。

 何時間か話し込んでいた。先生がふいに言った。

 「もう4時じゃないか。そろそろ送ってもらおうかな。」

 「分かりました。」

 「学生はお金があまりないだろう?今日は先生のおごりだ。」

 「いいんですか?ありがとうございます。」

 「いいんだ。1度、こういうのをしてみたかったんだ。それに、これから送ってもらうからな。」

 

 10分後、俺と先生は車の中にいた。

 「そうそう。そこを右に曲がってくれ。」

 先生の指示に従って俺は車を進めた。5分ほどで、先生の家まで着いた。大きな一軒家だった。

 「よし、ありがとうな。これから直人はどうするんだ?」

 先生が車を降りる際に尋ねてきた。

 「まだあまり決めていないんです。予定を立てていなくて。」

 俺は顔を渋めて答えた。

 「そうか。じゃあ今夜は家に泊ったらどうだ?どうせ、宿も予約していないのだろう?」

 先生は心配そうな顔をして言った。

 「いえいえ、それは悪いですよ。僕なら大丈夫です。」

 俺は驚いて答えた。

「そうか?じゃあ夜ごはんだけでも食べていってくれ。」

 「悪いですよ。突然じゃ先生の奥さんにも失礼ですから。」

 俺はすこし微笑みながら答えた。

 「気にするな。俺の元生徒なんだから、失礼なんてことがあるか。」

 先生も微笑んでいた。俺はあまり頑なに断るのも失礼だと思った。

 「そうですか?じゃあ夜ごはんは、ご馳走になります。」

 「そうか。よかった。でも家の夜ごはんは遅いけど大丈夫か?」

 「はい。いつでも大丈夫です。」

 「じゃあ、あがって待っていろよ。」

 「いえ、その前に、僕、松島に行ってみたいんだすけど、ここから遠いですか?」

 先生はすこし驚いたような顔をした。

 「松島?そうだな…車だと、ここから1時間ぐらいだと思うよ。」

 「そうですか。今から行って、夜ごはん前にお邪魔して大丈夫ですか?」

 「そうだな。時間は大丈夫だろう。家の夜ごはんは、大体8時ごろだからそのくらいに戻って来てくれれば。」

 「ありがとうございます。」

 「でも、梅雨の時期はあまりよく景色が見えないぞ。もっと時期をずらして来た方がいいんじゃないか?」

 先生が顔をしかめて言った。晴れた日の松島はそれほどまでに綺麗に見えるのだろう。

 「いいんですよ。この時期で。」

 俺は答えた。


 先生の言った通り、松島までは1時間程で着いた。やはりこの時期の松島には人があまり来ないのだろう。観光所とは思えない程、閑散としていた。俺は松島公園に車を停めて、辺りを歩くことにした。

 確かに、霧雨に隠れて景色はよく見えないが、歩いていると居心地の良さを感じた。東京や、神奈川にはない自然が、そこにはあった。俺は四大観まで歩くことにした。そこは、松島の数百個もある島々を一望できる場所らしい。案内の看板を見ると、どうやら山を20分ほど登らなければならないらしい。雨のために、土がぬかるんでいて、登るのは大変だった。山頂までつくと、もう服は雨で肌に張り付いていた。思っていた通り、雨で景色はあまり見えなかった。しかし、不思議と残念には思わなかった。この山頂の景色は、俺の心を表しているように思えた。俺は、行きのパーキングエリアの喫煙所で出会った男性のことを思い出していた。

 『過去は人を手放してはくれない』

 過去と切り離して、人は生きてはいけないのなら、忘れたい記憶はどうすればいいのだろう?あまりにも辛い過去は?乗り越えられない現実を抱いて、生きていくしかないのだろうか?

 

 俺は7時半ごろ、先生の家にお邪魔した。家に着くと、もうご飯の用意は、ほとんど出来ているようだった。先生の奥さんはとても優しそうな人だった。

「あら、いらっしゃい。」

「お邪魔します。すいません。夜ごはんをご馳走になります。」

「あら、いいのよ。どんどん食べていってちょうだい。」

奥さんの早苗さんは、嬉しそうに言った。

「ありがとうございます。」

俺も微笑んで言った。

 夜ごはんはとても温かくて、美味しかった。普段、あまり食が進まない俺も、お代わりをしてしまう程だった。いつか、こんな夫婦関係を築きたいと思った。

俺は結局、今夜はこの家に厄介になることとなった。早苗さんが、是非泊っていってくれと言われて、俺は折れた。泊ることが、先生と奥さんの迷惑になるのではないかと思っていたが、どうやら逆のようだった。俺のために布団の準備などをしてくれている時の早苗さんの顔は、本当に嬉しそうに見えた。

「うちの子供は、もう成人してこの家を出て行ったからね。久しぶりに家が賑やかで、早苗も嬉しいんだろう。」

 先生が、俺の表情を見て言った。右手には日本酒を持ってきていた。

「1杯やろう。直人はもう今年二十歳だろう?少しフライングだが、まあお前の事だからもう酒なんて飲んでいるだろう?」

 先生が小さいグラスに酒を注ぎながら言った。

「先生って意外とゆるい人だったんですね。」

 俺は思わず口が言葉をついた。

「まあ意外だろうな。先生をやっている時は、嫌でもお堅くなきゃいかんからな。」

 先生は笑いながら言った。

「ところで、直人はなんで1人旅なんてしているんだ?ただの旅行ってわけじゃあなさそうだ。」

 俺はこれを聞かれることを、ある程度、予想していた。車で一人旅なんて、そうそうやるものじゃない。

「実は、過去にトラウマがあって…。一人旅でもして、自分を変えたいと思っているんですよ。」

 驚いたことに、先生はあまり驚いていないようだった。

「そうか。お前が高校生の時から妙に冷静だったり、落ち着いていたりしたのは、昔に何かあったんじゃないかと思う事がたまにあった。」

俺は驚いた。何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

「先生に話してくれないか?最も、俺はもう先生じゃあないが。」

 俺は戸惑った。あの事件があって6年間、誰にも話したことはなかった。俺はふと先生の目を見た。先生の薄茶色の黒目が俺を見つめていた。俺は高校生の時から、この先生の目が苦手だった。先生と目が合うと、心の裏まで見透かされているような気分になる。

 俺は観念して話し始めた。

「6年前に、親友を殺したんです。」


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