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背景モブの付き人ですが、推し悪役令嬢をバッドエンドから救ったら王太子殿下に求婚されました  作者: 黒崎隼人


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第9話「崩壊するシナリオと舞台上の決意」

 王立セレスティア学院の歴史において、これほど華やかで、かつ空恐ろしい熱気を孕んだ大広間は後にも先にも存在しなかっただろう。

 天井を覆い尽くすほどの巨大な魔石シャンデリアが、何千もの光の矢を放ち、大理石の床を黄金色に染め上げている。

 弦楽四重奏の優雅な旋律が空気を震わせ、色とりどりのドレスや正装の制服が波のように揺れ動く。

 香水と白粉、そして極上のワインの匂いが混ざり合い、呼吸をするだけで胸が焼けつくようだ。

 私は壁際の暗がりに立ち、大広間の中央に設けられた特設舞台を凝視していた。

 手のひらに滲む汗をエプロンドレスの生地で拭うが、震えは一向に収まらない。


『ついに、この時が来てしまった』


 学院祭のメインイベント。

 王家に対する各貴族家の忠誠の誓約と、優秀な生徒の表彰が行われる式典。

 舞台の最前列には、アルデウス殿下をはじめとする王族と、学院長が着席している。

 その左右を固めるように、高位の貴族たちが扇状に立ち並んでいる。

 彼らの視線の先、舞台の袖から、一人の少女が進み出た。

 エルヴェティア・ローゼヴァルト。

 夜空を切り取ったような深藍色のドレスに身を包んだ彼女は、圧倒的な美しさで会場の視線を一点に集めた。

 金糸の髪が光を受け、歩くたびに波打つ。

 彼女の表情は氷のように冷たく、一切の感情を読み取らせない。

 その後を追うように、フロリアさんが舞台へと案内される。

 彼女は表彰を受ける優秀生徒の代表として呼ばれたのだが、その顔は戸惑いと緊張で強張っていた。


『シナリオが、動き出す』


 私の脳内で、ゲームのテキストウィンドウが重なって見える。

 ここでエルヴェティア様がフロリアさんの平民としての出自を嘲笑い、王太子に近づく不敬を糾弾する。

 そして侯爵家の貴族たちがそれに同調し、フロリアさんを精神的に追い詰める。

 それが、破滅へのトリガーだ。

 エルヴェティア様が、舞台の中央で足を止める。

 貴族たちが固唾を呑み、楽団の演奏がピタリと止む。

 静寂が、広間全体を押し潰すように降りてきた。

 彼女はゆっくりとフロリアさんに向き直る。

 私の喉が干からび、声を出して止めに入ろうとした、その瞬間だった。

 エルヴェティア様は、フロリアさんから視線を外し、舞台の下に並ぶ観衆、ローゼヴァルト侯爵家の貴族たち、そして王族へと正面から向き直った。


「皆様。私は今日、ローゼヴァルトという私の名前を使って、一つの政治的なパフォーマンスを行う予定でした」


 透き通るような、それでいて広間の隅々にまで届く声が響いた。

 一切の震えのない、絶対的な宣言。

 広間の空気が、凍りついた。

 侯爵家の一派の貴族たちの顔色が一瞬にして蒼白になり、どよめきが波のように広がる。


『え……?』


 私は自分の耳を疑った。

 シナリオのテキストウィンドウが、音を立てて砕け散っていく。


「平民の生徒を貶め、自らの優位性を示すことで、王家との結びつきをアピールするという、浅ましく、そして誇りを欠いた計画です」


 彼女の声は、さらに一段高くなる。


「ですが。私はそれをお断りします。今日ここで示すのは、家からの命令ではなく、私自身の意志です」


 エルヴェティア様は振り返り、呆然と立ち尽くすフロリアさんへと歩み寄った。

 その足取りに迷いはなく、深藍色のドレスが大きく翻る。

 彼女はフロリアさんの目の前で立ち止まると、ゆっくりと右手を差し出した。


「フロリア・サンベル」


 その声には、もう氷の冷たさはなかった。

 不器用で、けれど真摯な熱を帯びた、本物の言葉。


「私はあなたを、一度も正確に見たことがなかった。身分や、周囲の目ばかりを気にして、あなた自身の光から目を逸らしていた。今日、初めて、あなたに対等に向き合いたい」


 フロリアさんの目から、大粒の涙が溢れ出した。

 彼女は震える手で、エルヴェティア様の差し出した手をしっかりと握り返す。


「ローゼヴァルト様……っ」


 二人の手が重なり合う光景。

 元のゲームには存在しなかった、誰も見たことのない奇跡の瞬間。


『違う。ゲームのエルヴェティア様じゃない。これが、本物の彼女だ』


 私の両目から、熱い涙が止めどなくこぼれ落ちる。

 彼女は自分で運命を切り開いた。

 悪役令嬢という仮面を叩き割り、自分の足で光の中へと歩み出したのだ。


「ふざけるなッ」


 感動の余韻を切り裂くように、一人の老貴族が怒声を上げた。

 ローゼヴァルト侯爵家の一門の重鎮だ。

 彼は顔を朱に染め、舞台を指差して喚き散らす。


「エルヴェティア様は、正気を失っておられる! 平民の付き人に毒されたのだ!」


 老貴族の鋭い視線が、舞台から離れ、壁際に隠れていた私を正確に射抜いた。


「白瀬響音! 貴様が令嬢を操ったのだろう! 出自も不明な怪しい付き人が、侯爵家を、そして学院の秩序を乱している!」


 無数の視線が一斉に私へと突き刺さる。

 殺意と軽蔑の混じった、冷たい刃のような眼差し。

 私は壁に背中を押し付けられ、息を呑む。


『来た。私が引き起こした新しいイベント。フラグを折りすぎた結果の、ヘイトの全集中』


 膝が震え、その場に崩れ落ちそうになる。

 私が黒幕として処理されれば、エルヴェティア様は守られるかもしれない。

 それでいい。私はモブだ。ここで退場するのが正しい役割だ。

 私が一歩前に出て、罪を被ろうと口を開きかけた時。


「それは事実と異なります」


 静かな、しかし大広間の喧噪を完全に制圧する声が響いた。

 群衆が割れ、道ができる。

 最前列の席から立ち上がり、ゆっくりと歩み出てきたのは、王太子アルデウス・フォン・セレステだった。

 彼の紫水晶の瞳は、老貴族を冷徹に見下ろしている。


「白瀬響音は、私が正式に任命した王太子直属の非公式顧問です。彼女の行動はすべて、私の管轄下にある」


 会場の空気が、真空になったように消え去った。

 老貴族が言葉を失い、口をパクパクと開閉させる。

 私は目を見開き、アルデウス殿下の広い背中を見つめる。


「そして。彼女を根拠なく誹謗した方々には、その発言の責任を取っていただく必要があります。王家に対する侮辱と受け取ってよろしいか」


 アルデウス殿下が周囲の貴族たちを見据えながら、完全に退路を断つ宣告をした。

 老貴族たちは青ざめ、声を失い、顔面を蒼白にして凍りつく。

 圧倒的な権力の行使。

 事態は完全に収束したかに見えた。


『助かった。でも、なんで殿下がここまで私を……』


 私が安堵の息を吐き出そうとした瞬間。

 アルデウス殿下が、ゆっくりと私の方へ振り返った。

 その視線が、私を真っ直ぐに射抜く。

 広間の何千人もの視線が、一斉に私に集まる。

 殿下は、これ以上ないほど真剣な顔で、静かに問いかけた。


「それと、白瀬響音。一つ、聞かせてほしい。……君は、私の幸せを願ってくれているか」


『え。え、なんでそんな質問を、今、ここで』


 心臓が警鐘を鳴らす。

 何かがおかしい。シナリオの崩壊どころの騒ぎではない。


「……は、はい。もちろんです。殿下には幸せになっていただきたいと、いつも」


 私は震える声で答える。

 殿下は、わずかに目を細め。

 そして、広間中に響き渡る声で宣言した。


「ならば。私は、白瀬響音に正式に求婚する意向を、ここに表明します」


 時間が、止まった。

 私の処理能力が、完全に限界を突破した。


『これは、ゲームにない。存在すらしない。モブの溺愛ルートが、爆誕した……?』


 極度の混乱と衝撃により、私の視界は急速に暗転し。

 私はそのまま、冷たい大理石の床へと崩れ落ちた。

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