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背景モブの付き人ですが、推し悪役令嬢をバッドエンドから救ったら王太子殿下に求婚されました  作者: 黒崎隼人


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第8話「三つの警告とすれ違う心たち」

 王立セレスティア学院の廊下は、目前に迫った学院祭の準備で熱を帯びていた。

 色とりどりの装飾用リボンを抱えた生徒たちが小走りで交差する。

 木材を運ぶ男子生徒たちの掛け声や、出し物の打ち合わせをする賑やかな声が、高い天井に反響している。

 しかし、私の足取りはひどく重かった。

 制服のエプロンドレスのポケットに手を突っ込んだまま、私は唇を強く噛み締める。

 学院祭まで、あと1週間。

 私の中に埋め込まれた前世の記憶が、警鐘を鳴らし続けている。


『来る。ゲーム本編の最大のクライマックス。ローゼヴァルト侯爵家の陰謀が動き出す』


 エルヴェティア様の家であるローゼヴァルト侯爵家は、王家との結びつきをより強固なものにするため、学院祭の舞台を利用した政治的パフォーマンスを計画している。

 大広間でのメインイベントの最中、エルヴェティア様にフロリアさんを公衆の面前で糾弾させるのだ。

 平民であるフロリアさんが王太子に近づく不敬を咎め、ヒロインが悪役令嬢の格下であることを証明させる。

 それが、エルヴェティア様を回復不能なバッドエンドへと突き落とす引き金となる。

 私はこの破滅のシナリオを粉砕するため、三方向へ同時に手を打つ決意を固めていた。


 最初の標的は、フロリアさんだ。

 私は昼休みの中庭で、彼女を呼び止めた。

 太陽の光が降り注ぐベンチに座る彼女の横顔は、何の陰りもなく明るい。

 私は周囲に人がいないことを確認し、声を潜める。


「フロリア様。学院祭の当日、大広間の舞台には近づかないでください。何か理由をつけて、別の場所にいてほしいんです」


 私の真剣な声色に、フロリアさんは持っていたサンドイッチを置き、目を丸くする。


「え? どうして? 私、舞台の装飾係だから、どうしてもいなきゃいけないんだけど」

「危険なんです。ローゼヴァルト家の息のかかった貴族たちが、フロリア様を貶めようと計画しています。公衆の面前で、逃げ場のない状況を作られる」


 私は具体的な内容は伏せつつ、危機感だけを伝えようとした。

 彼女は数秒間瞬きを繰り返し、やがてその瞳にみるみると涙を溜め始めた。


「響音さん……っ」


 彼女はいきなり私の両手を固く握りしめる。

 その手の力強さに、私は思わずたじろぐ。


「あなた、殿下のことが好きなのに、恋のライバルである私にわざわざ警告してくれるのね。なんていい人なの」

「違います、私は殿下のことなど微塵も」

「わかってる! 私のために自分が危険な立場になるかもしれないのに、動いてくれたんでしょ。私、響音さんのこと、もっと好きになっちゃった」


 彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 完全に話のピントがずれている。

 私が何を言っても、彼女の中では美しい友情と自己犠牲の物語に変換されてしまうようだ。


『ダメだ。このヒロイン、私の言葉を曲解する天才だ』


 私は頭を抱えたまま、次の作戦へと向かうしかなかった。


◆ ◆ ◆


 放課後。

 私は生徒会室の重厚な扉を開け、アルデウス殿下のデスクの前に立った。

 羊皮紙とインクの匂いが漂う静寂の中、殿下は羽根ペンを動かしていた。


「殿下。折り入って、ご報告がございます」


 私の声に、殿下は顔を上げ、紫水晶の瞳で私を見つめる。


「どうした。学院祭の予算案に不備でもあったか」

「いえ。それよりも重大な懸案です。学院祭当日、ローゼヴァルト侯爵家が何らかの政治的扇動を行う兆候があります。彼らの標的は平民の生徒であり、舞台を利用して王家への忠誠を歪んだ形でアピールする可能性があります」


 私は言葉を選びながら、侯爵家の動向を匂わせた。

 殿下が先手を打って警備を強化し、舞台の進行を掌握してくれれば、事件を未然に防げるはずだ。

 殿下の羽根ペンが止まる。

 彼は深く椅子に寄りかかり、両手を組んで私をじっと見据えた。


「……君は、私に警告をしているのか」

「はい。事態が大きくなる前に、殿下のお力で抑えていただきたいのです」

「そのために、自分がどれほど危険な立場になるか、分かって言っているのか」


 殿下の声が、一段低くなる。

 彼は立ち上がり、ゆっくりと私の前へと歩み寄ってくる。

 背が高く、肩幅の広い彼の体躯が、私を見下ろす形になる。


「君はローゼヴァルト家の付き人だ。家の計画を王太子に密告したと知れれば、君自身の命の保証はない。なぜ、そこまでして危険を冒す」


 殿下の瞳が、私を射抜いて離さない。

 その視線には、政治的な計算ではない、強烈な感情の熱が孕んでいるように感じた。

 私は後ずさりしそうになるのを必死に堪える。


「私は……ただ、誰も傷ついてほしくないだけです」

「自分の身を削ってまでか。君は本当に、奇妙なほど自己犠牲的だな」


 殿下の手が伸び、私の頬をかすめるようにして背後のデスクに手をついた。

 逃げ場を塞がれた形になり、私は息を呑む。

 彼の制服から漂う、微かな白檀の香りが鼻を掠める。


「君の警告は受け取った。だが、私は君が傷つくことを容認するつもりはない。下がっていい」


 私は足早に生徒会室を後にした。

 心臓が不規則に跳ね、冷や汗が背中を伝う。

 殿下の対応は予想外だった。

 私の警告を信じてくれたのは良いが、なぜあんなに私個人の安否を気にかけるのか。

 シナリオの歪みが、私の制御を超えて広がっていく恐怖を感じた。


◆ ◆ ◆


 そして夜。

 私はエルヴェティア様の自室で、最後の手を打つことにした。

 入浴を終え、鏡の前で髪を梳かす彼女の背中を見つめる。

 絹のナイトガウンが擦れる音が、静かな部屋に響いている。


「エルヴェティア様」


 私は絞り出すような声で呼びかける。

 彼女は鏡越しに私と視線を合わせた。


「家の計画には、乗らないでください。フロリア様を舞台で糾弾するなど、エルヴェティア様の本意ではないはずです」


 私の直球の言葉に、彼女は手にしていた象牙の櫛をゆっくりとテーブルに置いた。

 振り向いた彼女の瞳には、かつての冷たい仮面はない。

 しかし、そこにあるのは深い諦観と、冷徹なまでの決意だった。


「……響音。あなたはすべてお見通しなのね」

「お願いです。あんなことをすれば、貴女は取り返しのつかない傷を負います。家のためになんて、自分を犠牲にしないでください」


 私は床に膝をつき、祈るように彼女を見上げる。

 しかし、エルヴェティア様は静かに首を横に振った。


「貴女が心配するほど、私は弱くないわ」


 その声は平坦で、感情の揺らぎを感じさせない。

 彼女は立ち上がり、窓の外の夜の闇に視線を向ける。


「私はローゼヴァルトの娘。この血に刻まれた義務からは、逃れられない。それが私の役割なのよ」


 彼女の瞳の奥で、何かが燃えているのが見えた。

 それは、ゲームの中で見た「虚ろで従順な悪役令嬢」の目ではない。

 自らの意志で、何かを決定しようとする者の目だ。


『違う。私の知っているシナリオと、何かが違う』


 3つの作戦は、すべて空振りに終わった。

 誰も私の思い通りには動かず、皆がそれぞれの意志で走り出している。

 私の手から、物語の手綱が完全に滑り落ちていく。

 焦燥感だけが胸の中で渦巻き、私はただ冷たい床の上で立ち尽くすことしかできなかった。

 学院祭当日へのカウントダウンが、無情に時を刻み続けていた。

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