第6話「恋愛フラグの乱立はシナリオ崩壊の序曲」
王太子殿下の非公式顧問という、謎の役職に就任してから数日が経過した。
私の日常は、推し活と生徒会業務という二足のわらじにより、過労死寸前の忙しさへと変貌していた。
放課後の生徒会室。
私は与えられた小さなデスクで、学院祭の予算案の書類と睨み合っている。
羊皮紙の擦れる音と、羽根ペンが走る音だけが室内に響く。
アルデウス殿下は向かいの大きなデスクで、同じように書類を処理している。
沈黙が続く中、不意に殿下が口を開いた。
「響音。この他校との合同演習の配置案だが、君はどう見る」
殿下が一枚の地図を私のデスクに滑らせる。
私はペンを置き、地図に視線を落とす。
「……前衛に魔法科を配置し、後衛に騎士科を置く陣形ですね」
「ああ。常套手段だ」
「ですが、演習場の南側は湿地帯です。足場の悪い場所で騎士科が後衛にいると、奇襲を受けた際の機動力が完全に死にます。私なら、西の森に少数の魔法科を伏兵として置き、敵の側面を突きます」
私はゲーム内のミニゲームだった戦術演習の最適解をそのまま口にした。
殿下の手がピタリと止まる。
紫水晶の瞳が、私を驚きと感嘆の入り混じった色で見つめている。
「……なるほど。湿地帯の地形効果まで計算に入れているのか。君は、一体どこでそんな高度な戦略を学んだんだ」
しまった、と私は内心で舌打ちする。
ただのゲームの攻略法をドヤ顔で語ってしまった。
「あ、いや、その……ゲーム、でしょうか。昔、そういう盤上遊戯が好きでして」
「盤上遊戯の研究か。実践にこれほど応用できるとは。君の思考回路は、底が知れないな」
殿下は満足そうに頷き、私の案を書類に書き込み始める。
完全に未知の戦略家という誤解が強化されている。
私は胃の辺りがキリキリと痛むのを感じながら、曖昧な愛想笑いを浮かべるしかなかった。
◆ ◆ ◆
翌日の昼休み。
私は中庭のベンチで、一人でお弁当のサンドイッチを頬張っていた。
春の風が心地よく、桜に似た薄紅色の花びらが舞い散っている。
そこへ、桃色の髪を揺らしてフロリアさんが駆け寄ってきた。
「響音さん! ここにいたんだ!」
彼女は息を切らしながら、私の隣にドスンと座り込む。
その顔はなぜか興奮で紅潮し、目がキラキラと輝いている。
「どうしたんですか、フロリア様」
「あのね、私、気づいちゃったの」
フロリアさんは身を乗り出し、私の顔を覗き込む。
石鹸の甘い香りがふわりと漂う。
「響音さんって、本当はアルデウス殿下のことが好きなのね?」
「ブホッ」
私はサンドイッチを盛大に吹き出しそうになり、必死に口元を手で押さえる。
気管に入ったパンの欠片が喉を刺激し、激しく咳き込む。
「げほっ、ごほっ……な、何を根拠にそんな……」
「だって、いつも殿下と一緒に生徒会室にいるじゃない! しかも、スープ事件の時だって、殿下の気を惹くためにわざと飛び出したんでしょ? 私、鈍感だから最近まで気づかなかったよ!」
フロリアさんは両手を組み、感動したような顔で私を見つめる。
その推理力は完全に斜め上を飛行している。
どこをどう解釈すればそうなるのか。
「ち、違います! 私はエルヴェティア様の付き人として、ただ雑用を押し付けられているだけで! 私はエルヴェティア様の幸せだけを……」
「照れなくていいよ! 大丈夫、私、応援するから!」
彼女は私の肩をバンバンと叩く。
「でも、私も負けないからね! 響音さんは素敵なライバルだよ!」
フロリアさんは満面の笑みでそう宣言すると、スキップを踏みながら去っていった。
私は咳き込みながら、彼女の背中を見送る。
『ヒロインから恋のライバル認定された。どうしてこうなる。私は推しの幸せを願うモブなのに』
頭を抱えてしゃがみ込む私の前に、影が落ちた。
「おや、こんなところで何をしているんだい? 子猫ちゃん」
軽薄な声に顔を上げると、そこには金髪を無造作に遊ばせ、胸元を大きく開けた制服姿の青年が立っていた。
公爵子息、ファビウス・ディーン。
攻略対象の一人であり、学園一のプレイボーイという設定のキャラクターだ。
彼はしゃがみ込み、私の目線に顔を合わせる。
甘い香水の匂いが鼻を突く。
「一人でランチかい? 僕がご一緒しようか」
流し目を送りながら、私の顎に指を添えようとしてくる。
私は無表情のまま、その手をパシッと払いのけた。
「お構いなく。私はもう食べ終わりましたので」
「冷たいね。そんな顔をしていると、可愛い顔が台無しだよ?」
ファビウスはめげずに距離を詰めてくる。
彼の役割は、ゲーム序盤でフロリアにちょっかいを出し、それを他の攻略対象が助けるという引き立て役だ。
そして、エルヴェティア様にも嫌味を言って孤立を深めさせる、厄介な存在。
『この男、表向きは陽キャのチャラ男だけど、実は公爵家の跡継ぎとしてのプレッシャーから逃げるために道化を演じているだけなんだよね。根は真面目でいい奴なのに』
私は立ち上がり、エプロンドレスのシワを伸ばす。
そして、ファビウスの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「ファビウス様。そんな無理して道化を演じなくても、誰もあなたのことを責めませんよ」
ファビウスの笑顔が、ピシリと凍りついた。
彼の手が中空で止まり、瞳孔がわずかに収縮する。
「……え?」
「公爵家のご期待が重いのはわかりますが、本当のあなたはもっと誠実で、優しい方ですよね。無理にチャラチャラしなくても、あなたの本質を見てくれる人は必ずいますから」
私はゲームの設定資料に書いてあった彼の内面を、そのまま口にした。
ただ、これ以上彼にフラグを引っ掻き回されたくないという一心で。
ファビウスは目を見開き、言葉を失ったまま私を見つめている。
その顔は、長年被り続けていた仮面を突然剥ぎ取られた子供のように、無防備で脆かった。
「それじゃ、私はこれで失礼します」
私は軽く頭を下げ、彼を置いて歩き出す。
背後で、彼が何かを呟くのが聞こえた。
「……なんだよ、あの子。僕の素を、一瞬で見抜いた……?」
私はその声を聞かなかったことにして、足早に寮へと向かう。
恋愛フラグが乱立し、シナリオが音を立てて崩壊していくのを感じながら。
私の推し活は、完全に未知の領域へと突入していた。




