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背景モブの付き人ですが、推し悪役令嬢をバッドエンドから救ったら王太子殿下に求婚されました  作者: 黒崎隼人


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第5話「名もなき付き人は影の戦略家として暗躍する(無自覚)」

◆レナルド視点


 生徒会室の空気は、羊皮紙とインクの匂い、そして微かな魔力の残滓に満ちている。

 壁一面の本棚には学院の歴史と規定を記した書物が整然と並び、中央の重厚なマホガニーのデスクの上には、決済を待つ書類が山のように積まれている。

 私は金縁の眼鏡を中指で軽く押し上げ、手元の書類から視線を上げた。

 窓際のソファに深く腰掛けているのは、王太子アルデウス・フォン・セレステ。

 幼馴染であり、この国の未来を背負う男だ。

 彼は窓の外の中庭を見つめたまま、一言も発さない。

 その視線の先にあるものを、私は正確に把握していた。


「殿下。視線の角度から推測するに、中庭のベンチにいるエルヴェティア嬢の付き人を観察していると見受けられますが」


 私の言葉に、アルデウスはゆっくりと首を巡らせる。

 紫水晶の瞳には、隠しきれない興味の色が浮かんでいる。


「……よく見ているな、レナルド」

「生徒会長たるもの、学院内の異常事態はすべて把握しておく義務があります。特に、殿下にトマトスープを浴びせた不敬極まりない女生徒については」


 私は手元の書類の束から、1枚の調査報告書を引き抜く。


「白瀬響音。ローゼヴァルト侯爵家の末端の血筋から召し抱えられた、名もなき付き人。成績は中庸、魔力適性も平均以下。特筆すべき経歴は一切なし。しかし」


 私は報告書をデスクに置き、両手を組む。


「彼女の行動は、不可解の一言に尽きます」

「不可解、か」


 アルデウスは楽しげに唇の端を上げる。

 彼がこんな表情を見せるのは、極めて珍しい。

 常に計算された政治的対応しか見せない彼が、一人の女生徒に対して明確な執着を見せている。


「ええ。彼女はエルヴェティア嬢の影に徹しているように見せて、水面下で極めて高度な心理操作を行っています」


 私は論理を組み立てる。

 集めた情報に基づく、完璧な推論だ。


「ここ数日、エルヴェティア嬢の対人関係が有意に変化している。特に、平民出身の特待生フロリア・サンベルとの接触。本来交わるはずのない二人が、不自然なほどスムーズに距離を縮めている。背後に意図的な設計があることは明白です。そして、その設計図を描いているのは、間違いなくあの付き人だ」

「……君もそう思うか」


 アルデウスはソファから立ち上がり、私のデスクへと歩み寄る。


「あの食堂の一件。彼女は偶然を装っていたが、彼女の動きの軌跡を計算すると、フロリア嬢のスープを弾き飛ばす最適解のルートを辿っていた。私が背後にいなければ、彼女自身がスープを被り、事態を穏便に収拾するつもりだったのだろう」

「自己犠牲を伴う盤上操作。恐ろしい手腕です」


 私は眼鏡の奥で目を細める。


「彼女は、すべての駒の動きを予測し、被害を最小限に抑えながら関係性を再構築している。未知の戦略家が、エルヴェティア嬢の背後に隠れている。白瀬響音という名前、危険人物としてマークしておくべきです」

「危険、か。私はそうは思わない」


 アルデウスは窓の外へ再び視線を向ける。


「彼女の行動原理には、悪意がない。ただ純粋に、主であるエルヴェティア嬢の利益を守ろうとしている。……いや、利益というよりは」


 彼は言葉を切り、小さく息を吐いた。


「彼女は、私を王太子として見ていなかった。スープをかけた時、彼女の目に映っていたのは権力への恐怖ではなく、純粋な焦りだった。自分の計画が狂ったことへの焦り。あの瞬間、私は初めて、盤面の外から干渉された感覚を味わった」


 私は沈黙する。

 生まれてから一度も本物の偶然を知らない王太子が、想定外のバグに魅了されている。

 これは、セレスティア王国の歴史において、極めて重大なイレギュラーだ。


「レナルド。手配を頼む」

「手配、とは」

「彼女を、私の手元に置く」


 アルデウスの紫水晶の瞳が、静かに燃えていた。

 私は小さくため息をつき、新しい羊皮紙を引き寄せた。


◆ ◆ ◆


 寮の自室に戻った私は、ベッドの上に放り投げられた1枚の封筒を前に、完全にフリーズしていた。

 上質な純白の羊皮紙。

 封を閉じるのは、セレスティア王家の紋章が刻印された真っ赤な封蝋。

 宛名は、白瀬響音。

 送り主は、王太子アルデウス・フォン・セレステ。


『嘘でしょ。なんで。私、何か不敬罪で呼び出された? スープの弁償代の請求書? いや、あれから3日も経ってるのに』


 心臓が肋骨を突き破りそうな勢いで暴れている。

 封を切る手が震え、中から1枚の便箋を取り出す。

 そこには、簡潔な文字でこう書かれていた。


「明日の放課後、生徒会応接室に出頭すること」


 血の気が引いていくのがわかる。

 ゲームのシナリオには、王太子が名もなき付き人を呼び出すイベントなんて存在しない。

 本来なら、これはヒロインであるフロリアさんが呼び出され、王太子の目に留まるという重要な恋愛フラグのシーンだ。


『私が間違えて招集されたに違いない。モブである私が王太子と関われば、シナリオはさらに崩壊する。穏便に辞退して、元の流れに戻さなければ』


 翌日の放課後。

 私は胃に鉛を飲み込んだような重さを抱えながら、生徒会応接室の重厚な扉の前に立っていた。

 ドアノブに触れる指先が冷え切っている。

 扉の向こうからは、一切の音が聞こえない。

 息を殺してノックを3回。


「入れ」


 アルデウス殿下の声が響く。

 私は覚悟を決め、扉を押し開けた。

 部屋の中央、深紅のベルベットのソファに、アルデウス殿下が一人で腰掛けていた。

 窓から差し込む西日が彼の金髪を照らし、後光が差しているように見える。

 私は深く頭を下げ、カーペットの上に視線を落とした。


「お呼び出しにより、参上いたしました。白瀬響音にございます」

「顔を上げろ」


 静かな声に促され、私は顔を上げる。

 殿下の紫水晶の瞳が、私を真っ直ぐに射抜いている。


「白瀬響音。単刀直入に言う。学院の非公式顧問として、私に協力してほしい」

「…………は?」


 間抜けな声が漏れた。

 非公式顧問。

 意味がわからない。ゲームのどこにもそんな役職は出てこない。


「あの食堂での動き。そして、その後のエルヴェティア嬢とフロリア嬢の関係構築。君の盤上操作の手腕は、生徒会においても有用だと判断した」


『盤上操作? 戦略? なにそれ怖い。私、ただ推しのフラグを折ってただけなんですけど。生徒会にスカウトされるような頭脳なんて持ち合わせてないんですけど』


 混乱する頭で、必死に言葉を紡ぐ。


「恐れながら殿下。私のような平々凡々な付き人が、殿下のお役に立てるはずがございません。何かの間違いでは……」

「断れる立場ではないことは分かっているだろう」


 殿下の目が、細められる。

 王族特有の、逃げ場を塞ぐような絶対的な圧力。

 スープの件で弱みを握られている以上、私に拒否権はない。

 絶体絶命だ。

 私が言い淀んだその瞬間。

 背後の扉が、音を立てて開け放たれた。


「あら。殿下が私の響音を? それは光栄ですわ」


 振り返ると、そこには腕を組み、冷ややかな笑みを浮かべたエルヴェティア様が立っていた。

 金糸の髪が揺れ、サファイアブルーの瞳がアルデウス殿下を射抜く。


「エルヴェティア様!?」

「喜んでお受けしますわ。ねえ、響音」

「え、あ、いや、私は……」

「主が承諾したのよ。もう付き人には断る権限はないわね」


 エルヴェティア様は私の隣に並び立ち、にっこりと笑う。

 その笑顔の奥に、『殿下にいいようにされるくらいなら、私が監視してやる』という明確な意思を感じる。

 いや、監視する方向が間違っている。

 こうして私は、ヒロインの代わりに、王太子の隣という最も危険なポジションに強制配置されることになったのだ。

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