第四話 もう遅い
月が雲に隠れ、王都は重苦しい闇に包まれていた。
深夜の静寂を切り裂くように、王宮の地下牢から爆発音が響き渡る。
「どけ! 邪魔だ雑魚ども!」
鉄格子を無理やりねじ切り、衛兵をなぎ倒して飛び出してきたのは、かつての英雄レオンとその仲間たちだった。
だが、その姿に「英雄」の面影は微塵もない。
囚人服は破れ、泥と血にまみれ、髪は振り乱されている。その瞳には狂気じみた焦燥と、ドス黒い殺意だけが渦巻いていた。
「はぁ、はぁ……クソッ、どいつもこいつも俺を見下しやがって……!」
レオンは奪い返した剣を杖代わりにし、荒い息を吐きながら石畳を駆けた。
その後ろを、化粧の落ちた顔を隠そうともしないマリアと、靴を片方なくしたリサ、そして唸り声をあげるガルドが続く。
「レオン、追っ手が来るわ! 早くあいつを探さないと!」
マリアが悲鳴交じりに叫ぶ。
「分かってる! アレンだ……あいつさえ捕まえれば、全て元通りになるんだ!」
彼らの思考回路は、極限状態の中で完全に歪んでいた。
自分たちが投獄されたのも、民衆に罵倒されたのも、全てはアレンがかけた「呪い」のせいだ。
ならば、アレンを見つけ出し、脅してでも魔法をかけ直させればいい。そうすれば、再びあの輝かしい日々が戻ってくる。
そう信じ込むことでしか、彼らの精神は崩壊を免れなかったのだ。
「どこだ……どこにいやがる、アレン……ッ!」
レオンは血走った目で闇夜を睨む。
あてもなく彷徨おうとしたその時、王都の中央広場の方角から、一本の強烈な光の柱が立ち上がった。
夜空を貫くような、鮮烈なサーチライト。
それはかつて、レオンたちが勝利の凱旋をする際に、アレンが演出として使っていた「英雄の道標」そのものだった。
「あれは……!」
「アレンね! あそこにいるんだわ!」
光を見た瞬間、レオンたちの顔に醜悪な笑みが戻った。
「ハッ、自分から居場所を教えるとはな。観念して謝罪するつもりか?」
「行きましょう! たっぷりと土下座させてやりますわ!」
四人は光に吸い寄せられる蛾のように、中央広場へと全速力で走った。
それが、彼らのために用意された「処刑台」への道だとも知らずに。
◆
中央広場は、静まり返っていた。
普段は噴水があり、恋人たちが語らう憩いの場だが、今は人っ子一人いない。
ただ、広場の中央にある噴水の縁に、一人の男が優雅に腰掛けていた。
アレンだ。
彼は右手の人差し指を天に向け、そこからあの上空を照らす光を放っていた。
隣には、冷ややかな視線を向ける銀髪の美女、シルヴィアが立っている。
「よう。待ちくたびれたぞ、脱獄犯たち」
アレンはレオンたちの姿を認めると、ふっと指を下ろした。光が消え、広場は再び月明かりだけの薄暗さに戻る。
だが、アレンの周囲だけは、ほのかな魔力光によってステージのように照らし出されていた。
「アレンッ!!」
レオンは息を切らして広場に飛び込み、アレンの目の前で立ち止まった。
「てめぇ……よくも俺たちをこんな目に……!」
「探したぞ! さあ、早くこのふざけた状況をなんとかしなさいよ!」
レオンとマリアが唾を飛ばして怒鳴る。
アレンは眉一つ動かさず、まるで出来の悪い劇を見る評論家のような目で彼らを見下ろした。
「『こんな目』? 『ふざけた状況』? ……何のことだ? 君たちは今、かつてないほど『ありのまま』じゃないか」
「ふざけるな!」
レオンが剣をアレンに向けた。切っ先が震えている。
「俺は英雄だ! 民衆に愛され、王に認められた選ばれし存在なんだ! それがなんだ、今のこの扱いは! 石を投げられ、泥棒扱いされ……これもお前の呪いのせいだろう!」
「呪い、か」
アレンは呆れたようにため息をついた。
「まだ気づかないのか。僕は何もしていない。ただ、君たちにかけていた『厚化粧』を落としただけだ」
アレンは指をパチンと鳴らす。
空中に巨大な幻影スクリーンが出現した。
そこに映し出されたのは、昨日の食堂でのレオンたちの姿だ。
尻を触ってニヤつくレオン。老婆を蹴り飛ばすマリア。暴れるガルド。
「見ろよ。これが『フィルターなし』の君たちだ。客観的に見てどう思う? ただの性犯罪者と、暴力女と、野獣だろ?」
「う、うるさい!」
レオンは画面から目を逸らした。直視できないのだ。自分の醜さを。
「俺はそんなつもりじゃなかった! お前が! お前がうまく誤魔化してくれれば、それは『愛嬌』になったんだよ! お前の職務怠慢だ!」
「その通りですわ!」
マリアも髪を振り乱して叫ぶ。
「私が老婆を蹴った? 違うわ、あれはスキンシップよ! あなたが『聖女の光』で包んでくれれば、奇跡の治療シーンになったはずなのに!」
あまりの言い草に、隣で聞いていたシルヴィアが冷ややかな声を出した。
「……呆れた。腐っているとは思っていたけれど、ここまで救いようがないとはね。自分たちの悪行を棚に上げて、隠蔽しなかったアレンを責めるなんて」
「あぁん? 誰だこの女」
リサがシルヴィアを睨みつける。
「アタシたちの会話に入ってこないでくれる? 部外者が」
「部外者、か」
シルヴィアは口元に薄い笑みを浮かべた。
次の瞬間、彼女の足元から冷気が爆発的に広がった。
広場の地面が一瞬にして凍りつき、リサの足元まで氷が侵食する。
「ひっ!?」
リサは慌てて飛び退いた。
「私はシルヴィア。アレンの新しいパートナーよ。彼に指一本でも触れてみなさい。その薄汚い魂ごと凍らせてあげる」
圧倒的な魔力圧。
元宮廷筆頭魔導師の実力を見せつけられ、リサとマリアは恐怖に顔を引きつらせた。
だが、レオンとガルドは引かなかった。
「パートナーだと……?」
レオンのプライドが刺激されたのか、顔色が紫色に変色する。
「アレン、てめぇ……俺たちを捨てて、すぐに新しい女を作ったのか? 俺たちという最高の仲間がいながら!」
「最高の仲間、ねえ」
アレンはゆっくりと立ち上がった。
「給料はピンハネ、雑用は押し付け、最後は身一つで追放。それが君たちの言う『仲間』の定義か?」
「だ、だから迎えに来てやったんだろうが!」
レオンは焦ったように声を張り上げた。
「分かった、悪かったよ! 追放は取り消してやる! 俺たちのパーティに戻ることを許可してやる!」
レオンの中では、これは最大の譲歩だった。
あの無能なアレンを、再び英雄パーティに入れてやると言っているのだ。泣いて喜ぶに違いない。
「給料も上げてやる! 今までの倍……いや、三倍だ! それで文句ないだろ!?」
「私も許してあげますわ。また私のドレスの手入れをさせてあげてよ」
「ガハハ! 俺様の武器磨きも任せてやるぞ!」
彼らは手を差し出した。
汚れた手。血と泥にまみれたその手は、彼らの浅ましさを象徴していた。
アレンはその手をじっと見つめ――そして、吹き出した。
「ぷっ……はははは!」
「な、何がおかしい!」
「いや、ごめん。あまりにも滑稽で」
アレンは涙を拭いながら、冷徹な瞳で彼らを射抜いた。
「断る」
短く、重い拒絶の言葉。
レオンの表情が凍りついた。
「は……? お前、今なんて……」
「断ると言ったんだ。誰が戻るか、そんな泥船」
アレンは吐き捨てるように言った。
「それに、勘違いしているようだけど。僕が君たちに力を貸していたのは、君たちに魅力があったからじゃない。孤児院への仕送りが必要だったからだ。金のためだけに、吐き気をこらえて『お守り』をしていたんだよ」
「な……」
「でも、今は違う。シルヴィアと共に、本当の意味で世界を変える仕事が見つかった。君たちのような偽物を着飾るだけの虚しい仕事とは大違いだ」
アレンはシルヴィアの肩を抱き寄せた。
美男美女のその姿は、月明かりの下で一枚の絵画のように美しかった。
魔法による補正などない、本物の信頼と絆がそこにはあった。
「く、くそッ……ふざけるなあああ!」
レオンの理性が弾け飛んだ。
プライドをズタズタに引き裂かれ、未来への道を閉ざされた絶望が、彼を凶行へと走らせる。
「戻ってこないなら……死ねッ! お前がいなけりゃ、どっちみち俺たちは終わりなんだよ! 道連れにしてやる!」
レオンは剣を振り上げ、アレンに襲いかかった。
「殺してやる! 殺してやる!」
ガルドも斧を構えて突進する。マリアとリサも、半狂乱で攻撃魔法の詠唱を始めた。
「死ねえええええ!」
殺意の塊となった四人が迫る。
だが、アレンは動じない。杖を構える素振りすら見せない。
ただ、静かに口を開いた。
「……観客の準備は整った。幕引きだ」
アレンが指をパチンと鳴らした、その瞬間。
『確保オオオオオッ!!』
広場の四方八方から、怒号と共に無数の影が飛び出した。
完全武装した近衛騎士団。そして、松明や農具を手にした大量の民衆たちだ。
「なッ……!?」
レオンが足を止める。
気づけば、広場は数百、数千の人々によって完全に包囲されていた。
彼らの目は、アレンではなく、レオンたちに向けられている。
軽蔑。怒り。失望。
「い、いつの間に……」
「最初からだよ」
アレンは淡々と告げた。
「僕がこの広場に『光の柱』を立てた時、君たちだけじゃなく、衛兵や民衆も招集しておいたんだ。『脱獄した元英雄たちがここに現れる』とね」
これは罠だったのだ。
アレンは自分が囮となり、彼らをこの「公開処刑場」へと誘き出したのだ。
「貴様ら! 神聖な広場で何を騒いでいる!」
近衛騎士団長が剣を抜き、レオンたちに突きつけた。
「脱獄の罪に加え、一般市民への殺害未遂! もはや言い逃れはできんぞ!」
「ち、違う! 俺たちは英雄だぞ! こいつが、アレンが俺たちを騙して……!」
レオンは必死に叫ぶが、その声は民衆のブーイングにかき消された。
「黙れ犯罪者!」
「アレン様を傷つける気か!」
「お前らの化けの皮はもう剥がれてんだよ!」
「私たちの期待を返して!」
石礫が飛んできた。腐った卵が、泥団子が、雨のようにレオンたちに降り注ぐ。
「ぐわっ! や、やめろ!」
「痛い! 私の顔が!」
「俺様は英雄だぞ! お前ら、ひれ伏せ!」
ガルドが斧を振り回して民衆を威嚇しようとしたが、
「黙れ!」
騎士団長の一撃が斧を弾き飛ばし、そのままガルドを地面にねじ伏せた。
「ギャッ!」
巨体が地面に叩きつけられる。
それを見たマリアとリサは戦意を喪失し、その場にへたり込んだ。
「いや……牢屋は嫌……」
「アタシは……アタシは悪くないのに……」
残ったのはレオンだけだ。
彼は剣を握りしめたまま、包囲網の中で震えていた。
誰も彼を応援していない。誰も彼を見て目を輝かせない。
あるのは、冷たい敵意の壁だけ。
「なんでだ……なんでこうなるんだ……」
レオンは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、アレンを見た。
「アレン……頼むよ……魔法を……かけてくれよ……」
それは、かつての傲慢な命令ではなく、惨めな乞食の懇願だった。
「俺を……カッコよくしてくれよ……みんなに愛される俺に、戻してくれよ……」
アレンは、そんな元相棒の姿を、哀れみの目で見つめた。
そして、最後の宣告を下す。
「無理だよ、レオン」
アレンの声は、優しく、しかし残酷なほど響いた。
「魔法はあくまで『演出』だ。素材が悪ければ、いくら飾っても限界がある。君のその腐った性根までは、どんな魔法でも隠しきれない」
「ア……アレン……」
「さようなら、レオン。冷たい牢獄の中で、一生かけて自分の素顔と向き合うといい」
アレンが背を向けた瞬間、騎士たちが一斉にレオンに飛びかかった。
「うわあああああ! 離せ! 俺は英雄だ! 俺はああああああ!」
断末魔のような絶叫が広場に響き、やがて拘束されたレオンの口に猿轡がかませられると、それも聞こえなくなった。
かつて国中を熱狂させた英雄パーティは、ゴミのように荷馬車に放り込まれ、再び闇の中へと消えていった。
民衆からは、安堵のため息と、アレンへの感謝の拍手が巻き起こった。
だが、アレンはその歓声に手を振ることはしなかった。
もう、誰かのために偽りの笑顔を作る必要はないのだ。
「行こうか、シルヴィア」
「ええ、アレン」
アレンはシルヴィアの手を取り、広場を後にした。
東の空が白み始めている。
新しい朝が来る。
それは、「英雄の影」として生きたアレンの終わりであり、一人の「演出家」として、あるいは「革命家」として生きるアレンの始まりだった。
「ねえアレン、今度はどんな演出を見せてくれるの?」
シルヴィアがいたずらっぽく笑いかける。
アレンは朝日に目を細め、清々しい表情で答えた。
「そうだな。今度は『嘘』のない、世界中が心から笑えるような……最高のハッピーエンドを演出してみようか」
二人の背中は、昇り始めた太陽の光に照らされ、長く、力強く伸びていた。
その光景には、もはやどんな補正魔法も必要なかった。




