第三話 転落するカリスマ、評価される実力
王都の裏路地。
表通りの喧騒とは打って変わって、ここでは湿った風が吹き抜け、野良猫の鳴き声だけが響いている。
俺、アレンは、指定された場所――古びたレンガ造りの倉庫の前で足を止めた。
「ここか」
昨夜、俺が宿を追い出された直後、一通の手紙がポケットに入っていたことに気づいた。
差出人の名はなく、ただ場所と時間だけが記されていた。
だが、その筆跡には見覚えがあった。
ギィィ、と錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、重い鉄扉が開く。
薄暗い倉庫の中には、一人の女性が佇んでいた。
黒のローブを目深にかぶり、顔は見えない。だが、その隙間から覗く銀色の髪と、静謐な魔力の気配で、俺は彼女が誰か確信した。
「……久しぶりだな、『氷結の魔女』シルヴィア」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりとフードを外した。
透き通るような白い肌、宝石のアメジストを思わせる紫色の瞳。そして、人間離れした美貌を持つエルフの女性だ。
かつて勇者レオンたちが討伐対象として追い回し、「邪悪な魔女」の烙印を押した相手でもある。
「来てくれたのね、アレン」
鈴を転がすような、涼やかな声。
彼女は俺の方へ歩み寄り、至近距離で俺の目を覗き込んだ。
「昨日の夜、あなたが王都の結界網に干渉するのを感じたわ。正確には、あなたが張り巡らせていた『あの奇妙な術式』が一斉に解除されるのを」
「……さすがは元宮廷魔導師。耳が早いな」
「当然よ。あんな大規模な精神干渉魔法、私以外に誰が気づくというの?」
シルヴィアはふっと笑みをこぼした。
かつてレオンたちは彼女を「国を滅ぼそうとした悪女」と呼んだが、真相は違う。
彼女は王宮内の腐敗を暴こうとして逆に罠にはめられ、追われる身となったのだ。
そして、その追跡部隊の先頭に立っていたのが、何も知らない(知ろうともしない)レオンたちだった。
「それで、用件は? まさか、かつての敵対者への復讐か?」
俺が尋ねると、シルヴィアは首を横に振った。
「いいえ。私はただ、あなたを勧誘しに来ただけよ」
「勧誘?」
「ええ。あなた、勇者パーティをクビになったんでしょう? しかも、あの馬鹿な勇者たちは、自分たちが『英雄』でいられた理由すら理解していない」
シルヴィアは憐れむように肩をすくめた。
「あなたの魔法技術は異常よ。複数の人間の言動を、リアルタイムで数万人規模の人間の認識に『好意的に』誤認させるなんて。歴史上、そんな芸当ができた魔導師はいないわ」
「……褒め言葉として受け取っておくよ。でも、それはもう過去の話だ」
「だからこそよ。その力を、今度は『正しいこと』に使ってみない?」
シルヴィアは俺の手を取り、真剣な眼差しを向けた。
「私は今、この国の腐敗を一掃するためのレジスタンスを組織しているの。あなたの『演出力』があれば、私たちは影からこの国を変えられる。民衆を扇動するのではない。真実を、正しく伝えるためにあなたの力が必要なの」
俺は彼女の手の温かさを感じながら、少し考えた。
これまで俺は、クズたちの虚像を守るために力を使ってきた。
だが、もしこの力を、本当に価値のあるもののために使えたなら?
「……悪くない話だ。それに、無職になったばかりだしな」
「ふふ、契約成立ね。歓迎するわ、アレン」
シルヴィアが微笑んだ瞬間、倉庫の外から爆発音のような騒ぎが聞こえてきた。
どうやら、表通りでの「喜劇」は、いよいよクライマックスを迎えているらしい。
◆
王宮、謁見の間。
荘厳なシャンデリアの下、国王と重臣たちが玉座に座している。
その前に、ボロボロになった勇者パーティの四人が引き立てられていた。
「レオンハルトよ。街中での騒乱、民衆への暴行、そして聖女マリアによる老婆への傷害……これらは事実か?」
国王の声は厳しかった。
これまでの謁見なら、王は「おお、我が国の英雄よ!」と両手を広げて歓迎してくれたはずだ。
だが今は、まるで罪人を見るような冷たい目で彼らを見下ろしている。
「へ、陛下! 誤解です! 全部あいつらが悪かったんです!」
レオンは必死に弁明した。
髪は乱れ、黄金の鎧には腐ったトマトのシミがついている。あの後、怒り狂った民衆から逃げるようにして王宮に駆け込んだのだ。
「民衆が、俺に敬意を払わなかったんです! 勇者である俺に席を譲らず、道を空けなかった! だから少し教育してやっただけです!」
「教育、だと?」
国王の眉がピクリと動く。
「そうだ! 俺はこの国を救ったんだぞ!? 多少の無礼討ちは許されるはずだ!」
レオンの主張は、彼の中では正論だった。
これまでは、どんな暴言もアレンが【王への忠誠心】というフィルターを通して「民の蒙を啓くための愛ある叱咤」として届けていたからだ。
王も「うむ、英雄ならではの覇気であるな」と笑って許していた。
だが、今は違う。
「……無礼な。余の民を『教育』などと称して傷つけるとは。増長も甚だしい」
宰相が横から冷ややかに言い放つ。
「なっ……宰相、てめぇまで俺に逆らうのか!」
レオンは逆上し、あろうことか宰相に向かって指を突きつけた。
「この古狸が! いつも俺にヘコヘコしてたくせによお!」
空気が凍りついた。
近衛騎士たちが一斉に剣の柄に手をかける。
「ひっ……!」
マリアとリサが青ざめて震え上がる。ガルドだけは「やるかコラァ!」と鼻息を荒くしているが、完全に状況が見えていない。
「……レオンハルト。貴様のその態度、もはや看過できぬ」
国王が静かに立ち上がった。
「余は、貴様らの実力と人柄を見込んで英雄の称号を与えた。だが、今の貴様らはなんだ? 品性は下劣、言動は粗暴。まるでゴロツキではないか」
「ち、違います! これは何かおかしいんです! きっと呪いです! 誰かが俺たちを貶めようとして……そうだ、アレンだ! あの陰気な魔導師が俺たちに呪いをかけたんだ!」
レオンは思いついたように叫んだ。
「アレンだと?」
「そうです! 昨日クビにした無能な魔導師です! あいつが逆恨みして、俺たちの魅力を下げる魔法をかけてるに決まってます!」
国王は深いため息をついた。
「……アレン殿か。彼については、余も以前から注目していた」
「え?」
国王の意外な言葉に、レオンはポカンと口を開けた。
「宮廷魔導師団からの報告によれば、貴様らの戦闘ログには不可解な点が多いと聞いていた。派手な魔法の裏で、極めて高度かつ緻密な支援魔法が常時展開されていた形跡があるとな」
「は……?」
「つまり、貴様らが英雄として振る舞えていたのは、そのアレン殿の尽力あってのことではないのか? 彼がいなくなった途端、その本性が露呈した。そう考えるのが自然であろう」
図星だった。
だが、レオンはそれを認めるわけにはいかない。
「ち、違います! 俺は俺自身の力で……!」
「黙れ!!」
国王の怒号が響き渡った。
「これ以上、見苦しい言い訳を聞くつもりはない! 衛兵、こやつらを捕らえよ! 地下牢へぶち込んで頭を冷やさせろ!」
「はッ!」
数十人の近衛騎士が、一斉にレオンたちに飛びかかった。
「くそっ、離せ! 俺は勇者だぞ!」
「きゃあああ! 私のドレスが!」
「ぶっ殺してやるううう!」
「ちょっと、アタシは関係ないでしょ! 今日入ったばっかりなのよ!」
四人はもみくちゃにされ、床に押さえつけられた。
かつての栄光など見る影もない、無様な姿だった。
「連れて行け!」
引きずられていくレオンたちの悲鳴と罵声が、謁見の間にむなしく響いた。
その様子を、物陰からこっそりと撮影している水晶玉があったことに、誰も気づかなかった。
◆
地下牢の中は、カビと汚物の臭いが充満していた。
鉄格子の向こうには、かつての英雄たちが力なく座り込んでいる。
「……なんでだよ」
レオンは頭を抱えていた。
鎧は剥ぎ取られ、薄汚い囚人服を着せられている。
「なんで俺がこんな目に……。俺は世界を救ったんだぞ……」
「うるさいわね! あんたのせいで私もこんなところに入れられたじゃない!」
リサがヒステリックに叫び、鉄格子を蹴飛ばした。
「アタシは期待の新人だったのよ!? なんで初日から犯罪者扱いされなきゃならないのよ!」
「ああっ……神よ、なぜこのような試練を……」
マリアはブツブツと祈りを捧げているが、その目は虚ろだ。
ガルドはいびきをかいて寝ている。この状況で寝られる図太さはある意味才能だが、今はただの現実逃避にしか見えない。
「おい、出せよ! ここから出せ!」
レオンは鉄格子を掴んで揺さぶった。
だが、見張りの衛兵は冷ややかな目で一瞥しただけだ。
「静かにしろ、元勇者。石を投げられたくなければな」
「元……勇者……?」
その言葉が、レオンの心に重くのしかかった。
一日で。たった一日で、全てを失った。
名声も、地位も、金も、信頼も。
「……アレン」
レオンの口から、無意識にその名が漏れた。
あいつがいれば、こんなことにはならなかった。
あいつがいれば、衛兵に捕まることもなく、民衆に石を投げられることもなく、今頃はスイートルームでワインを飲んでいたはずだ。
「そうか……あいつ、本当に……」
レオンはようやく、アレンの最後の言葉の意味を理解し始めていた。
『僕がいなくなれば、君たちの『英雄としての評価』は地に落ちる』
あれは脅しでも呪いでもなく、ただの事実の通告だったのだ。
「くそっ……くそおおおおおッ!」
レオンは壁を殴りつけた。
拳から血が滲むが、痛みよりも後悔と、それ以上の逆恨みの感情が彼を支配していた。
「アレン……てめぇ、絶対に許さねえ……! 俺をこんな目に合わせやがって……!」
彼はまだ、自分の過ちを認めていなかった。
全てはアレンのせいだ。アレンが魔法を解いたせいだ。
あいつさえ捕まえて、無理やりにでも魔法をかけさせれば、また元の栄光の日々に戻れるはずだ。
「……脱獄するぞ」
レオンはボソリと呟いた。
「は? あんた正気?」
リサが呆れた顔をする。
「俺たちの力なら、この程度の牢屋、簡単に破れる。ここを出て、アレンを探すんだ。あいつを見つけ出して、俺たちに謝罪させて、元に戻させる!」
レオンの目は血走っていた。それは英雄の目ではなく、獲物を追う狂獣の目だった。
◆
一方、アレンはシルヴィアのアジト――王都の地下水路に隠された秘密基地にいた。
そこには数台の大型モニター(魔導スクリーン)が設置されており、王都中の情報が集約されている。
「見て、アレン。これ」
シルヴィアが指差したスクリーンには、ネット(魔導通信網)の掲示板のスレッドが表示されていた。
【悲報】勇者パーティ、ただの半グレ集団だった
【炎上】聖女マリア、老婆を蹴り飛ばして「汚い」発言
【動画あり】レオンのセクハラ現場、拡散中
【衝撃】実はこれまでの活躍、全部「演出」だった説
そこには、今日一日の彼らの悪行が詳細に記され、目撃証言や、水晶玉で撮影された動画がアップされていた。
コメント欄は阿鼻叫喚だ。
『マジかよ、ファンだったのに幻滅したわ』
『いや、俺は前から怪しいと思ってたぞ。なんか不自然なくらいキラキラしてたし』
『動画見たけど、レオンの顔キモすぎwww』
『マリアちゃん天使だと思ってたのに……鬼畜じゃん』
『追放された魔導師の人がブレーキ役だったんじゃね?』
『↑それな。あいつがいなくなった途端にこれだもんな』
世論は完全に反転していた。
一夜にして、彼らは「国民的英雄」から「国民的恥晒し」へと転落したのだ。
「すごい勢いね。あなたが何もしなくても、彼らは自滅したわ」
「まあ、元々が砂上の楼閣だったからな。基礎が抜けたら崩れるのは当たり前だ」
俺は淡々と画面をスクロールした。
胸がすくような思いはある。だが、それ以上に「哀れだな」という感情が湧いてきた。
彼らは自分自身の実力を見誤り、他者の支えを軽視した代償を払っているのだ。
「それで、これからどうするの? 王宮の情報だと、彼らは地下牢に入れられたそうだけど」
シルヴィアがコーヒーを淹れてくれた。
「……あいつらのことだ。大人しく反省するようなタマじゃない。きっと脱獄して、俺のところへ来る」
「あなたを殺しに?」
「いや、あるいは『魔法をかけ直せ』と命令しに、かな」
俺はコーヒーを一口啜った。
苦味が、頭を冴えさせる。
「迎撃の準備をしよう、シルヴィア。これが最後の『演出』になるかもしれない」
「ええ、手伝うわ。あなたの最高の舞台を整えましょう」
俺たちは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
かつては敵対していた関係だが、今はこの上なく頼もしいパートナーだ。
俺の【演出魔法】と、シルヴィアの【氷結魔法】。
この二つが組み合わされば、どんな「英雄」だろうと手玉に取れる。
「さあ、レオン。来いよ。現実の厳しさを、骨の髄まで教えてやる」
モニターの光に照らされた俺の瞳には、かつての卑屈な色はもうない。
そこにあるのは、自分の人生を取り戻した男の、確固たる意志の光だった。




