表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/5

第二話 魔法が解けた瞬間

王都の朝は早い。

石畳を叩く馬車の音、市場の売り子たちの活気ある声、そして小鳥のさえずり。

それらが混然一体となって、新しい一日の始まりを告げていた。


俺、アレンは安宿の硬いベッドの上で目を覚ました。

天井のシミをぼんやりと見つめながら、身体を起こす。

昨夜は雨に打たれて冷え切っていたはずだが、今の俺の身体は驚くほど軽かった。

まるで、手足に巻き付いていた重い鎖がすべて外れ落ちたかのような、不思議な浮遊感がある。


「……すごいな。魔力が溢れてくる」


俺は自分の手のひらを握りしめ、体内を巡る魔力の奔流を確認した。

これまで、俺の魔力生成量の九割以上は、勇者パーティの三人にかけ続けていた常時発動型魔法――【印象操作魔法】や【音声補正魔法】、【行動美化フィルター】などの維持費として強制徴収されていた。

自分のために使える魔力など、残りカスのようなものだったのだ。


だが、今は違う。

生成された魔力が、一滴も漏れることなく俺の中に蓄積されている。

指先から少し魔力を放出しただけで、部屋の空気がビリビリと震えた。

これが、本来の俺の力。

ランクA以上の出力を持つ、【演出家】としての真の力だ。


「あいつら、今ごろどうしてるかな」


俺は窓を開け、爽やかな朝の空気を吸い込んだ。

王都の中心部、貴族街の方角には、昨日まで俺たちが泊まっていた最高級ホテル「ロイヤル・クラウン」がそびえ立っている。

一晩経った。

俺がかけた魔法の残滓は、完全に消滅しているはずだ。


「ま、精々頑張ってくれよ。ありのままの自分たちで」


俺は市場で買った安いリンゴを齧りながら、意地悪な笑みを浮かべた。

最高級の料理よりも、このリンゴの方が数百倍美味く感じるのは、きっと自由の味がするからだろう。



同時刻。ホテル「ロイヤル・クラウン」最上階、スイートルーム。


「ふわあ……あー、よく寝た」


勇者レオンは、キングサイズのベッドからのっそりと起き上がった。

豪奢なシルクのパジャマを着崩し、腹をボリボリとかきながらあくびをする。

鏡の前立ち、自分の顔を覗き込んだ。


「うん、今日も俺は最高にイケてるな」


鏡に映っているのは、寝癖で髪が爆発し、目やにがつき、昨晩の酒のせいで顔が少しむくんだ男の姿だ。

だが、レオンの脳内には強固なナルシシズムが存在する。

これまではアレンの【美顔補正フィルター】が、寝起きですら「無造作ヘアが似合うアンニュイな美青年」に見せていたが、今はただの「だらしない男」だ。

しかし、レオン自身はその落差に気づいていない。彼は本気で、自分の全ての瞬間が画になると信じているからだ。


「おい、起きろお前ら! 朝飯の時間だぞ!」


レオンは大声で怒鳴り、隣の部屋のドアを蹴飛ばした。

中から、不機嫌そうなマリアとガルドが出てくる。


「うるさいですわね、レオン。レディの朝は準備に時間がかかりますのよ」

「ガハハ! 腹減ったなあ! 今日は何を食おうか!」


マリアは厚化粧で目の下のクマを隠し、ガルドは獣のような体臭を撒き散らしている。

これまでは【聖女の輝きオーラ】で肌の荒れを光で飛ばし、【野生の香気】という魔法で体臭を「男らしいムスクの香り」に変換していた。

今、この部屋に漂っているのは、ただの中年男性のような加齢臭と、安っぽい香水の入り混じった不快な臭いだけだ。


「おっ、そうだ。今日から新しい仲間が来るんだったな」


コンコン、とドアがノックされる。

現れたのは、深紅のローブを纏った派手な女性だった。

胸元を大きく開け、挑発的な視線を送る彼女こそ、新メンバーの「紅蓮の魔女」リサだ。


「お待たせぇ。アタシが新しい魔導師のリサよ。よろしくね、英雄サマたち」

「おう、待ってたぜ! いやあ、やっぱり華があるねえ。昨日の陰気な男とは大違いだ」


レオンは下卑た笑みを浮かべ、リサの身体をジロジロと舐めるように見た。

リサもまた、まんざらでもない様子で髪をかき上げる。


「あの男、アレンって言ったかしら? 挨拶もしないで消えたらしいじゃない。マナーのなってない底辺ね」

「違げえねえ! 自分の無能さを恥じて逃げ出したんだろ。せいぜい野垂れ死んでるさ」


四人はひとしきり俺の悪口で盛り上がると、朝食をとるために一階のレストランへと向かった。

これから起きる「異変」になど、微塵も気づかずに。



ホテルのメインダイニングは、朝から多くの客で賑わっていた。

宿泊客の多くは地方の貴族や富豪たちで、落ち着いた優雅な朝食を楽しんでいる。

そこへ、勇者パーティが足を踏み入れた。


「よう皆! 英雄レオン様のお出ましだぞ!」


レオンは入り口で両手を広げ、大声で宣言した。

いつもなら、この瞬間に食堂全体がどよめき、拍手喝采が巻き起こるはずだ。

アレンの魔法が、彼の声を「心地よいバリトンボイス」に変え、周囲に「カリスマの風」を吹かせていたからだ。


しかし、今日は違った。


シーン……。


食堂が一瞬にして静まり返る。

だがそれは感動の静寂ではない。

「なんだあの騒がしい連中は?」「朝から大声を出して、品がないな」という、冷ややかな困惑の沈黙だった。


「……ん? なんだ、みんな緊張してんのか?」


レオンは首を傾げた。

反応が薄い。いつもなら黄色い声援が飛んでくるはずなのに、今日は誰も彼を見ようとしない。

むしろ、目を逸らしてヒソヒソと話している。


「ま、いいか。圧倒的なオーラに声も出ないってやつだな」


都合よく解釈したレオンは、ズカズカと中央の席へ向かった。

そこには先客がいたが、レオンは当然のように彼らを睨みつけた。


「おい、そこ退けよ。俺たちの席だ」

「えっ、でも私たちは食事中で……」

「あ? 俺は勇者レオンだぞ? 王国を救った英雄に席を譲るのは国民の義務だろうが」


レオンは客の皿を勝手に横に押しやった。

これまでなら、この横暴も【英雄の強引さ】として、「強気なところが素敵!」「どうぞ座ってください!」と好意的に受け取られていた。

だが、フィルターのない今、それはただの「チンピラの恫喝」でしかない。


「ひっ……わ、わかりました」

客たちは青ざめて席を立った。

周囲の視線が厳しくなるが、レオンたちは気づかない。

ふんぞり返って椅子に座り、近くを通ったウェイトレスの少女を呼び止めた。


「おい、ねーちゃん。水」

「は、はい。ただいま」


駆け寄ってきたのは、昨日も担当してくれた新人の看板娘だ。

愛嬌のある顔立ちで、レオンのお気に入りだった。

レオンはいつものように、ニヤリと笑って彼女の腰に手を回し、そのお尻を無造作に撫でた。


「今日も可愛いねえ。夜、俺の部屋に来ない?」


これはレオンにとっての「スキンシップ」であり、毎日のルーティンだった。

昨日までは、アレンの魔法が即座に発動していた。

触る手つきは「紳士的なエスコート」に見え、セクハラ発言は「ウィットに富んだジョーク」や「詩的な口説き文句」に変換されていたのだ。

だから娘も、『まあ、レオン様ったらお上手なんだから!』と頬を染めて笑っていた。


だが、今はアレンがいない。

魔法は発動しない。

現実は、残酷なまでにそのままだ。


「――ッ!!?」


ビクッ、と娘の身体が跳ねた。

次の瞬間。


「きゃあああああああ!!」


悲鳴が、食堂中に響き渡った。

娘は持っていた水差しを取り落とし、ガシャーンと派手な音を立てて割れた。

彼女は真っ青な顔で後ずさり、涙目で自身の尻を押さえている。


「な、何をするんですか……!?」


娘の声は震えていた。

当然だ。見知らぬ男に、いきなり尻を触られ、気持ち悪い笑みでホテルに誘われたのだ。

恐怖と嫌悪感以外の何物でもない。


「は……?」


レオンは固まった。

予想外の反応に、思考が追いつかない。

「おいおい、なんだよその反応。いつもみたいに笑えよ。俺だぞ? 勇者レオンだぞ?」


「さ、触らないでください! 変態!」

「へ、変態!?」


レオンの顔が引きつる。

自分が変態? この国の英雄である自分が?

ありえない。そんな言葉、一度も言われたことがない。


「おい貴様! 無礼だろう!」

レオンは立ち上がり、娘に詰め寄ろうとした。

だが、その瞬間、食堂内の空気が一変した。


「おい、見ろよあれ……」

「最低だ……女の子のお尻を触ったぞ」

「いくら勇者だからって、やっていいことと悪いことがあるだろう」

「あんな下品な男だったのか?」


ひそひそ話が、徐々に大きな非難の声へと変わっていく。

軽蔑、嫌悪、敵意。

これまで「称賛」しか向けられてこなかったレオンにとって、それは未知の感覚だった。


「な、なんだよお前ら! 俺は勇者だぞ! ちょっとしたジョークじゃないか!」

レオンが叫ぶが、逆効果だった。

唾を飛ばして喚くその姿は、英雄の威厳など微塵もなく、ただの酒場の酔っ払いと変わらない。


「レオン、落ち着きなさいな。民衆が混乱しているだけですわ」


見かねたマリアが立ち上がった。

彼女は扇子を開き、優雅に(と本人は思っている)娘の方へ歩み寄る。


「あなた、英雄に触れられて光栄だとは思わないの? 感謝こそすれ、悲鳴を上げるなんて失礼極まりなくてよ」


マリアは「聖女の微笑み」を浮かべたつもりだった。

だが、アレンの補正がない彼女の笑顔は、口の端が歪んだ、見下すような嘲笑にしか見えない。

そして、その言葉の内容はあまりに傲慢だった。


「な……なにを……」

娘はさらに怯え、他の従業員の後ろに隠れてしまった。


「ちっ、貧乏人はこれだから嫌いですわ。教育がなっていませんこと」

マリアが舌打ちをした瞬間、近くの夫人が眉をひそめた。

「今の聞いた? 聖女様が舌打ちを……」

「それにあの言い草。まるで私たちを見下しているみたいだわ」


ざわめきが大きくなる。

ガルドがダンッとテーブルを叩いた。

「あーうるせえ!! 飯が不味くなるだろうが!! 文句ある奴は表に出ろ! 俺様が捻り潰してやる!」


ガルドの怒号がビリビリと窓ガラスを震わせる。

それは勇敢な戦士の叫びではなく、どう聞いても凶暴な魔獣の咆哮だった。

近くにいた子供が「わーん! 怖いよー!」と泣き出し、母親が慌てて抱きかかえて逃げていく。


「どいつもこいつも、どうしちまったんだ……?」


レオンは呆然と立ち尽くした。

いつもなら、ここで「さすがレオン様、ワイルド!」「マリア様の高貴なお言葉!」「ガルド様の迫力!」と拍手が起こるはずなのだ。

なぜ、誰も笑わない?

なぜ、ゴミを見るような目で俺たちを見る?


「ふん、ここは空気が悪いわね。行きましょ、レオン。あんな女、相手にする価値もないわ」

リサが退屈そうに髪を弄りながら言った。

彼女にとっては、この程度の騒ぎは日常茶飯事なのかもしれない。だが、今のレオンたちにとっては、根幹を揺るがす異常事態だった。


「……そ、そうだな。行くぞ」


レオンたちは逃げるように食堂を後にした。

背中に浴びせられる「最低」「野蛮人」「二度と来るな」という罵声を、必死に無視しながら。



「くそっ! なんだあの店は! 店員の教育はどうなってやがる!」


ホテルを出て、大通りを歩きながらレオンは毒づいた。

「まったくだわ。王家に言いつけて、営業停止にしてやりますわ」

マリアも不機嫌そうに扇子をバシバシと手のひらに当てている。


彼らは気を取り直して、冒険者ギルドへ向かうことにした。

ギルドに行けば、いつものように冒険者たちが尊敬の眼差しで迎えてくれるはずだ。

そう信じていた。


「どけ! 邪魔だ!」


レオンは雑踏をかき分けながら進む。

これまでは【人払い】と【英雄の道】という魔法のコンボで、彼らが歩くと自然と人が避け、まるでモーゼの海割りのように道ができていた。

だが今は、普通に人と肩がぶつかる。


「痛っ! なんだお前!」

「おい、どこ見て歩いてんだ!」


通行人たちが振り返り、怒声を上げる。

「あ? 俺はレオンだぞ! お前らが避けろよ!」

レオンが言い返すが、通行人は怯むどころか睨み返してくる。


「レオンだか何だか知らねえが、謝れよ!」

「王都の道はお前だけのものじゃねえぞ!」


おかしい。

何かがおかしい。

なぜ、俺の威光が通じない?

レオンの額に、じわりと冷や汗が浮かぶ。


その時だった。

道端でうずくまっていた物乞いの老婆が、ふらりとマリアの足元に倒れ込んだ。

「お、お恵みを……」

汚れた手が、マリアの純白のドレスの裾を掴む。


「きゃっ! 汚い!」


マリアは反射的に足を振り上げ、老婆を蹴り飛ばした。

ボグッ、という鈍い音がして、老婆が地面を転がる。


「あら、ごめんなさいね。ドレスが汚れるかと思って、つい」


マリアは冷ややかに言い放ち、ハンカチで靴を拭いた。

これもまた、彼女の平常運転だ。

以前なら、アレンが即座に映像を改変し、「老婆がつまずいたのを、マリアが魔法の風で優しく受け止めた」ように見せかけていた。

あるいは、「老婆に金貨を握らせて励ましている」ように見せていた。


だが、現実はこれだ。

弱った老婆を、聖女が蹴り飛ばした。

ただそれだけの、救いようのない事実。


「……おい」

「今、蹴ったよな?」

「聖女様が、お婆さんを蹴り飛ばしたぞ!」


周囲の通行人が足を止め、マリアを取り囲んだ。

その視線は、先ほどの食堂の比ではない。

明確な「殺意」に近い怒りが込められていた。


「な、なによ。この薄汚い老婆が触ってきたのが悪いのよ。私は被害者ですわ!」

マリアが金切り声を上げる。

「ふざけるな! 謝れ!」

「あんたそれでも聖女かよ!」

「悪魔だ! 鬼女だ!」


誰かが投げた野菜くずが、マリアの頬にピチャリと当たった。

「ひっ……!」

マリアが悲鳴を上げる。

「貴様ら! 俺の女に何をする!」

レオンが剣の柄に手をかけると、群衆の怒りはさらにヒートアップした。


「剣を抜く気か!」

「民衆に武器を向ける勇者なんて聞いたことねえぞ!」

「衛兵を呼べ! こいつら頭がおかしい!」


収拾がつかない。

罵声の嵐の中、レオンたちは立ち尽くすしかなかった。

自分たちが築き上げてきた(と思っていた)栄光が、音を立てて崩れ去っていく。

しかし、彼らはまだ理解していなかった。

なぜ、急に世界が自分たちに牙を剥き始めたのかを。



その騒ぎを、少し離れた建物の屋根の上から、俺は見下ろしていた。

手にはまだ半分残っているリンゴ。


「……始まったな」


眼下では、民衆に取り囲まれ、顔を真っ赤にして何かを喚いている元仲間たちの姿があった。

滑稽だ。

彼らはまだ、「自分たちは正しい、周りがおかしい」と思っているだろう。

だが、その傲慢さが通用したのは、俺というフィルターがあったからこそだ。


「マリア、蹴りはまずいだろう。今まで俺がどれだけ苦労して、お前の暴力沙汰を『奇跡の治療』に見せかけてきたと思ってるんだ」


俺はシャクっとリンゴを齧る。

甘酸っぱい果汁が口の中に広がる。


「レオンもだ。セクハラが許されるのは、イケメン補正とカリスマ補正が掛かっている時だけだ。今のただの『勘違い男』のお前がやれば、それはただの犯罪なんだよ」


群衆の怒号は、ここまではっきりと聞こえてくる。

石が投げられるのも時間の問題だろう。

あるいは、衛兵隊が来て連行されるか。

どちらにせよ、彼らの「英雄ごっこ」は終わりだ。


「さて、と」


俺はリンゴの芯を放り投げ、立ち上がった。

彼らが落ちるところまで落ちるのを、特等席で見物させてもらうとしよう。

それに、そろそろ「彼女」との待ち合わせの時間だ。


俺はフードを目深にかぶり、混乱する大通りを背にして、軽やかな足取りで屋根を飛び移っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ