第一話 偽りの英雄
王都のメインストリートは、かつてないほどの熱気に包まれていた。
空を裂くような歓声。降り注ぐ色とりどりの紙吹雪。沿道を埋め尽くす民衆の瞳は、一様に憧憬と感動で潤んでいる。
彼らの視線の先にあるのは、四頭立ての白馬が引く豪奢なパレードカーだ。
「レオン様! こっち向いてー!」
「聖女マリア様、今日も慈愛に満ちた笑顔をありがとう!」
「戦士ガルド様、その筋肉が素敵ですわ!」
黄色い声援が飛び交う中、パレードカーの中央に立つ金髪の青年――勇者レオンハルトは、優雅に手を振り返していた。
太陽の光を浴びて輝く黄金の鎧、整った目鼻立ち、そして民衆一人一人を包み込むような温かい微笑み。
それはまさに、絵本から飛び出してきた「英雄」そのものの姿だった。
しかし。
その輝かしい英雄の背後、パレードカーの隅っこで、俺、アレンは脂汗を流しながら杖を握りしめていた。
呼吸は浅く、視界はチカチカと点滅している。
(……くっそ、魔力消費が半端ないぞ。今日は王都凱旋だからって、レオンの奴、無駄に「キラキラ・エフェクト」の出力を上げさせやがって)
俺は歯を食いしばりながら、展開している術式の維持に全神経を集中させていた。
俺のジョブは【演出家】。
戦闘能力は皆無だが、対象の視覚・聴覚情報を改ざんし、他者に与える「印象」を操作する支援魔法のエキスパートだ。
今、民衆が見ている「慈愛に満ちた勇者レオン」は、俺の魔法によって作り出された虚像に過ぎない。
現実のレオンは――。
「あー、うっせえなクソ民衆ども。いちいち喚くなよ。鼓膜が破れるだろうが」
レオンは民衆に向かって手を振りながら、口元だけを動かして最悪の暴言を吐き捨てていた。
その表情も、本来なら眉間に皺を寄せ、不機嫌そのものといった顔つきだ。
だが、俺の【印象操作魔法・ランクA『聖人の仮面』】と【音声変換魔法『美声フィルター』】が、そのすべてをリアルタイムで変換している。
民衆の目と耳には、こう届いているはずだ。
『ありがとう、みんな。君たちの声援が僕の力になる。もっと声を聞かせてくれ』
その言葉に合わせて、爽やかな笑顔と、まるで後光が差しているかのような神々しいオーラが付与される。
「キャアアアア! レオン様が私に笑いかけてくれたわ!」
「なんてお優しいんだ……これぞ真の勇者だ!」
民衆が感動に打ち震える様子を見て、レオンは鼻を鳴らした。
「へっ、チョロいもんだな。俺のカリスマにかかりゃ、どいつもこいつもイチコロだぜ」
「さすがはレオンですわ。愚民どもが涙を流して喜んでいますもの」
レオンの隣で扇子を仰いでいるのは、聖女のマリアだ。
清楚な白の聖衣に身を包んでいるが、その本性は強欲で意地が悪い。今も、沿道の少女が差し出した花束を、従者に受け取らせた瞬間に「ゴミを渡さないでくださる? 花粉で肌が荒れますわ」と吐き捨てたところだ。
もちろん、それも俺が『大切にするわね、可愛いお花をありがとう』という慈愛に満ちた言葉と動作に変換している。
「ガハハ! 俺様の筋肉に見惚れてやがるぜ! オラオラ、もっと拝ませてやるよ!」
大斧を担いだ戦士ガルドは、あろうことかパレード中に股間をかくという下品極まりない動作をしたが、俺は慌ててそれを「力強く拳を握りしめるポーズ」に映像置換した。
危ないところだった。
一瞬でも気を抜けば、彼らの「地」が露呈してしまう。
俺は三人のクズたちの挙動をコンマ一秒単位で監視し、不適切な言動を全て「英雄的振る舞い」に書き換えるという、狂気じみた作業を続けていた。
「おいアレン、エフェクトが薄いぞ! もっと俺を輝かせろ!」
レオンが小声で怒鳴る。
「……了解しました、レオン」
俺は残りの魔力を振り絞り、追加の光源魔法を発動させる。
(……帰りたい。もう限界だ)
王都を救った英雄パーティの影で、俺の精神は摩耗しきっていた。
◆
パレードが終わり、俺たちは王都で一番格式高い高級宿の最上階スイートルームにいた。
王家主催の祝賀会までの休憩時間だ。
豪勢な料理と最高級のワインがテーブルに並んでいるが、俺に与えられたのは端っこの硬いパンと水だけだった。
「ぷはーっ! やっぱ英雄になった後の酒は美味えな!」
レオンがソファにふんぞり返り、行儀悪く足をテーブルに乗せる。
マリアは鏡の前で自身の髪を弄り、ガルドは肉を手づかみで貪り食っていた。
俺は部屋の隅で、今日のパレードで使用した魔法のログを確認し、魔力ポーションで枯渇したMPを回復させていた。頭痛が酷い。吐き気もする。
だが、そんな俺を労う言葉など、このパーティにおいて一度たりとも掛けられたことはない。
「おい、アレン」
レオンが不機嫌そうに声をかけてきた。
「はい、何でしょうか」
「今日のパレード、なんだあれは。俺の輝きがいつもより2割減だったじゃねえか」
「……すみません。連戦続きで魔力が完全には回復していなくて。あれが限界でした」
「言い訳すんな無能が。お前が地味だから、俺たちの華やかさが相殺されちまうんだよ」
レオンは手に持っていたワイングラスを、俺の足元に投げつけた。
ガシャン、という音と共に、赤い液体が俺のローブと床を汚す。
「きゃっ、汚いわね。早く掃除してちょうだい」
マリアが汚いものを見る目で俺を睨む。
「おいおい、レオン、あんまりいじめてやるなよ。こいつは戦いじゃ役に立たねえんだから、せめて雑用くらいさせてやらねえとなあ! ガハハ!」
ガルドの嘲笑が部屋に響く。
俺は黙って床に膝をつき、ガラス片を拾い集め始めた。
悔しくないわけではない。
だが、俺には幼い弟妹がいる。田舎の孤児院に仕送りを続けるためには、このパーティでの高額な報酬が必要だった。
だから耐えてきた。彼らの暴言も、理不尽な要求も、すべて仕事だと割り切って。
「……で、だ。アレン。大事な話がある」
レオンの声色が、ふと変わった。
いつもの横柄な響きの中に、奇妙な冷たさが混じっている。
俺は床を拭く手を止め、顔を上げた。
「何でしょうか」
「お前、今日でクビな」
思考が一瞬、停止した。
クビ? 追放ということか?
あまりにも唐突すぎる宣告に、俺は言葉を失う。
「……あの、それはどういう……」
「どういうもこういうもねえよ。お前、いらねえんだわ」
レオンは面倒くさそうに鼻をほじりながら(これも俺がいないと民衆にはそのまま映るのだ)、淡々と続けた。
「俺たちはこれから、さらに上のランクを目指す。世界的な英雄として歴史に名を残すんだ。そのためには、もっと派手で、強力な攻撃魔法を使える奴が必要なんだよ」
「そうそう。アレンさんの魔法って、なんか地味じゃない? 『雰囲気を作る』とか言ってるけど、結局私たち自身の魅力が高ければ必要ないものね」
マリアが追従する。
俺は耳を疑った。
彼らは本気で言っているのだろうか。
「待ってください。僕の魔法がなければ、あなたたちの対外的な評価は……」
「はあ? まーた始まったよ、アレンの『俺のおかげ詐欺』」
レオンが呆れたようにため息をつく。
「いいか? 民衆が俺たちに熱狂するのは、俺たちが強くて、美しくて、カリスマがあるからだ。お前の魔法なんて、せいぜい隠し味程度のスパイスにすぎねえんだよ。それを『俺が全部やってる』みたいに偉そうに語るな。気分が悪い」
俺の背筋が凍りついた。
まさか。
こいつら、本当に気づいていなかったのか?
自分の放つ暴言がなぜか「名言」として称賛され、略奪まがいの徴収が「寄付」として感謝され、だらしない生活態度が「ワイルドな魅力」として受け入れられている理由を。
すべて、俺が裏で死ぬ気で魔力を回し、常時発動型の術式で現実を歪曲していたからだということに。
「……レオン、本気で言ってるのか? 僕が抜ければ、君たちの行動はそのまま民衆の目に晒されることになる。君のその口の悪さも、マリアの強欲さも、ガルドの粗暴さも、すべてフィルターなしで伝わるんだぞ」
俺は最後の情けとして、事実を告げた。
だが、返ってきたのは爆笑だった。
「ギャハハハ! フィルターだとよ! こいつ、頭湧いてんじゃねえか?」
ガルドが腹を抱えて笑う。
「アレン、お前こそ鏡を見てみろよ。その冴えない顔、陰気な目。お前みたいなのが近くにいるだけで、俺たちのブランド価値が下がるんだよ」
レオンは憐れむような目で俺を見下ろした。
「新しい魔導師はもう決まってるんだ。王都でも評判の、『紅蓮の魔女』リサだ。巨乳で派手で、お前とは大違いだぞ」
リサ。その名は知っている。
火力だけは高いが、周囲への被害を一切考慮しないトラブルメーカーとして有名な魔導師だ。
よりによって、一番相性の悪い奴を選んだものだ。
「……分かった。そこまで言うなら、僕は抜ける」
これ以上言っても無駄だ。
彼らの傲慢さは、もはや俺の言葉が届くレベルを超えている。
「おう、物分かりが良くて助かるぜ。あ、そうそう」
レオンはニヤリと笑い、俺の懐に手を伸ばした。
「このパーティで支給した装備品、全部置いてけよ? それは俺たちの金で買ったもんだからな」
「……このローブも、杖もか?」
「当たり前だろ。あと、路銀もなしな。今まで俺たちのおこぼれで散々いい思いしてきたんだ、最後くらい手ぶらで消えるのが礼儀ってもんだろ」
俺は装備を剥ぎ取られ、みすぼらしい平服一枚にされた。
財布も、アイテムポーチも、すべて取り上げられた。
残ったのは、胸の内にある僅かな魔力と、これまで培ってきた技術だけ。
「じゃあな、アレン。これからは路地裏がお似合いだぜ」
「せいぜい野垂れ死なないように頑張ってくださいまし」
「ガハハ! 達者でな、元・仲間!」
ドンッ、と背中を強く押され、俺は部屋から追い出された。
重厚な扉が目の前で乱暴に閉められる。
廊下に一人取り残された俺は、しばらく呆然とその扉を見つめていた。
怒りが湧いてくるかと思った。
だが、意外なことに、俺の心は凪のように静かだった。
いや、むしろ――清々しさすら感じていた。
「……終わったんだ」
あの地獄のような介護生活が。
24時間365日、彼らの尻拭いをし、世間体を繕い続ける日々が、ようやく終わったのだ。
俺はホテルの廊下を歩き出し、従業員用出口から外へと出た。
外は雨が降り始めていた。
冷たい雨が頬を打つが、不思議と寒さは感じない。
俺は雨に打たれながら、深く息を吸い込んだ。
そして、意識を集中させる。
これまで、俺の魔力の大半を食らい続けていた「常時発動型」の術式群。
勇者パーティの三人に付与していた、幾重もの【印象操作魔法】。
【英雄の威光】、【聖女の慈愛】、【豪傑の覇気】、【不祥事隠蔽フィルター】、【暴言翻訳機能】……。
それらのリンクが、俺の脳内に光の糸として可視化される。
俺は一本一本、その糸を指で弾くようにイメージした。
「……警告はしたからな」
彼らは言った。「お前の魔法など必要ない」と。
彼らは信じている。「自分たちのカリスマは本物だ」と。
ならば、証明してみればいい。
俺という「演出家」がいなくなった舞台で、彼らがどれだけの喝采を浴びることができるのかを。
「解除」
俺が呟いた瞬間。
プツン、プツン、と脳内で何かが切れる音がした。
同時に、身体が羽が生えたように軽くなる。
今まで彼らの虚像を維持するために消費されていた膨大な魔力が、俺の中に戻ってくる感覚。
全能感が指先まで満ちていく。
その一方で、遠く離れた高級宿のスイートルームでは、今この瞬間から「魔法」が解けているはずだ。
レオンのニヒルな笑みは、ただの「卑しいニヤケ顔」に。
マリアの流し目は、ただの「意地の悪い睨み」に。
ガルドの豪快な笑い声は、ただの「下品な騒音」に。
世界は、ありのままの姿を取り戻す。
俺は雨空を見上げ、初めて心からの笑みを浮かべた。
「さあ、ショータイムの終わりだ。現実にようこそ、元英雄様たち」
俺は振り返ることなく、暗い路地裏へと歩き出した。
明日、王都がどのような騒ぎになるか。
それはもう、俺の知ったことではない。




