特別編 英雄の末路、あるいはただの囚人たちの日常
北の最果て。
一年中、凍てつくような寒風が吹き荒れる極寒の地にある、「嘆きの監獄」こと、王立第三魔導刑務所。
ここは、凶悪な犯罪を犯した魔導師や、国家反逆罪に問われた重罪人が収容される、一度入れば二度と日の目を見ることはないと言われる地獄の底だ。
カァン、カァン、カァン。
薄暗い地下採掘場に、ツルハシが岩を叩く乾いた音が響き渡る。
魔力を封じる「封魔の首輪」を嵌められた囚人たちが、虚ろな目で黙々と作業を続けている。
その中に、ひときわ動きの鈍い、ボロボロの男がいた。
「はぁ……はぁ……くそ、重い……なんだこの岩は……」
男の名はレオンハルト。
かつては黄金の鎧を身に纏い、王都の民から黄色い声援を浴びていた「勇者」だ。
だが今の彼に、その面影は微塵もない。
頬はこけ、肌は土気色になり、自慢だった金髪は汚れと脂でベトベトに固まり、異臭を放っている。
着ているのは、番号が振られた薄汚い囚人服だけ。寒さが骨の髄まで沁みてくる。
「おい、402番! 手が止まってるぞ!」
ビュッ、という風切り音と共に、看守の鞭がレオンの背中を打った。
「ぎゃっ!?」
レオンは無様に地面に転がった。背中に焼きつくような痛みが走る。
「い、痛い……何をするんだ! 俺は勇者だぞ! こんな扱い許されるわけが……」
「あぁ? まだ寝ぼけたことを言ってやがるのか」
看守は冷ややかな目でレオンを見下ろし、唾を吐き捨てた。
「お前はただの詐欺師で、性犯罪者で、暴行魔の402番だ。勇者? 笑わせるな。貴様のようなクズが英雄を名乗るなど、本物の英雄たちへの冒涜だ」
「ち、違う……俺は……」
「さっさと立て! 今日のノルマが終わるまで飯は無しだぞ!」
看守に蹴り飛ばされ、レオンは這いつくばるようにしてツルハシを拾った。
手が震える。マメが潰れ、血が滲んでいる。
かつては、剣を振るうだけで魔物が消し飛び、岩などバターのように斬れた。
だが、それは全てアレンの【筋力増強補助】と【衝撃波付与】のおかげだったのだ。
素のレオンの腕力など、少し鍛えた一般人と変わらない。いや、不摂生を重ねていた分、それ以下かもしれない。
「くそ……アレン……アレン……ッ!」
レオンは岩にツルハシを叩きつけながら、呪詛のようにその名を呟いた。
あいつがいれば。
あいつさえいれば、こんな重い岩など指一本で粉砕できた。
寒さも感じず、疲れも知らず、優雅に笑っていられた。
憎い。憎い。憎い。
自分をこんな目に合わせた元凶が、憎くてたまらない。
◆
昼の休憩時間。
と言っても、与えられるのは泥水のようなスープと、石のように硬い黒パン一つだけだ。
食堂の隅にある湿った床に、かつての「英雄パーティ」の四人が集まっていた。
「……硬い。こんなもの、人間の食べ物じゃないわ」
元聖女マリアが、黒パンを睨みつけながら吐き捨てた。
彼女の姿もまた、無残なものだった。
かつて「天使のようだ」と称えられた美貌は見る影もない。
肌はカサカサに荒れ、目の下には深いクマができ、唇はひび割れている。
アレンの【美肌補正】と【聖なる輝き】が失われた彼女は、年齢以上に老け込んだ、ただのヒステリックな女に見えた。
「文句言うなら俺に寄越せよ。腹が減って死にそうだ」
隣でスープを啜っているのは、元戦士ガルドだ。
かつての巨漢はすっかり痩せ細り、皮がたるんで垂れ下がっている。
筋肉だと思っていたものの正体は、ただの贅肉と、アレンの魔法による「見た目のパンプアップ」だったのだ。
魔力を封じられ、満足な食事も与えられない今、彼はただの無気力な大男に成り下がっていた。
「寄越すわけないでしょう! 私だって死にそうなのよ!」
マリアがガルドの手を叩く。
「いっつッ! なにしやがるこのアマ!」
「なんですって!? 聖女に向かってその口の利き方は……」
「あー、うるさい。黙って食べてくれない? 耳障りなんだけど」
冷たく言い放ったのは、元魔導師のリサだ。
彼女はこの中では一番の新入りで、加入初日に逮捕された不運な女だが、その分レオンたちへの恨みは深かった。
「あんたたちの巻き添え食って、アタシの人生めちゃくちゃよ。どうしてくれんの?」
「お前が勝手についてきたんだろうが!」
レオンが噛み付く。
「俺たちだって被害者なんだ! 全部はアレンのせいだ! あいつが俺たちを嵌めたんだ!」
「はいはい、またそれ。あんたの頭の中、アレンのことばっかりね。本当は大好きなんじゃないの?」
リサが嘲笑う。
「ふざけるな! 殺してやる! ここを出たら真っ先にあいつを八つ裂きにしてやる!」
レオンは叫んだが、その声は虚しく食堂の壁に反響するだけだった。
ここを出る?
どうやって?
魔力も封じられ、体力もなく、社会的信用もゼロの自分たちが?
その時、近くのテーブルで食事をしていた看守たちの話し声が聞こえてきた。
「おい、見たか? 今朝の新聞」
「ああ、見た見た。王都の『新しい英雄』の話だろ?」
レオンたちの耳がピクリと動く。
「すごいよな、アレン様は。あの大氾濫を、たった数人の部隊で鎮圧しちまうなんて」
「しかも、被害者ゼロだってよ。魔法による誘導と防壁の使い方が神業らしいぜ」
「隣にいるエルフの奥さんも美人だしなあ。まさに理想の英雄だよ」
アレン様。
エルフの奥さん。
理想の英雄。
その単語が、レオンの脳天をハンマーで殴られたような衝撃を与えた。
「……な、なんだと?」
レオンは思わず立ち上がり、看守たちの元へふらふらと歩み寄った。
「お、おい! 今なんて言った!? アレンが……なんだって!?」
看守は嫌そうな顔でレオンを見た。
「あぁ? なんだ402番。お前には関係ない話だ」
「関係ある! 大ありだ! あいつは俺の元仲間だぞ! 俺の下僕だぞ!」
レオンが喚くと、看守はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、読んでいた新聞を床に放り投げた。
「ほらよ。読みたきゃ読め。お前らがここでのたれ死にかけてる間に、世界がどうなってるか教えてやるよ」
レオンは泥にまみれた新聞を、震える手で拾い上げた。
一面トップに掲載されていたのは、魔法写真だった。
太陽のような笑顔を浮かべるアレン。その隣で微笑む、銀髪の美しいエルフ、シルヴィア。
背景には、復興した村で歓声を上げる人々の姿。
見出しには、こう躍っていた。
**『救国の英雄アレン、新魔法省の大臣に就任! 王国に新たな黄金時代をもたらす「演出の魔術師」』**
記事の内容は、アレンへの称賛で埋め尽くされていた。
かつての勇者パーティが放置していた問題を解決したこと。
腐敗していた貴族たちを一掃したこと。
そして、彼が開発した新しい生活魔法具によって、民衆の生活が劇的に向上したこと。
「う、そだ……」
レオンの手から新聞が滑り落ちた。
そこには、かつて自分が夢見ていた「英雄」の姿があった。
いや、それ以上だ。
レオンが求めていたのは「チヤホヤされること」だけだったが、アレンが得ているのは「心からの尊敬と信頼」だ。
写真の中のアレンは、レオンが見たこともないほど生き生きとして、輝いていた。
俺の魔法がなくても、あいつはこんなに輝いている。
いや、俺がいなくなったからこそ、あいつは輝けたのか?
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だッ!!」
レオンは新聞を踏みつけ、絶叫した。
「なんであいつばっかり! 俺は!? 俺はどうなるんだ!? 俺だって英雄だったんだぞ!?」
「あんたは『偽物』だった。それだけの話でしょ」
背後から、リサの冷徹な声が刺さる。
振り向くと、マリアが新聞を拾い上げ、食い入るように見つめていた。
その目は嫉妬で血走り、爪が紙を突き破っている。
「許せない……このエルフ……私より綺麗じゃない……!」
マリアが呟く。
「アレン……どうして私を選ばなかったの? 私の方がずっと高貴で、美しいのに! 私が横に立つべきだったのに!」
彼女はまだ分かっていない。
美しさも高貴さも、全てアレンが作ってくれていたものだったということを。
素のままの彼女など、このエルフの足元にも及ばないという現実を。
「くそっ、俺様がいれば! 俺様が斧を振るえば、スタンピードなんて一撃だったんだ!」
ガルドがテーブルを叩くが、その腕は枯れ木のように細い。
「アレン! 戻ってこい! 俺様にバフをかけろ! そうすれば俺は最強なんだ!」
哀れだった。
彼らは誰一人として、「自分が悪かった」とは微塵も思っていない。
ただ、「アレンがいないせいで自分たちは不当に評価されている」と思い込んでいる。
だからこそ、この地獄は終わらない。
反省なき者に、救済は訪れないからだ。
「おい、騒ぐな!」
騒ぎを聞きつけた看守長がやってきた。
手には警棒を持っている。
「402番、403番、404番。お前ら、また騒ぎを起こしたのか」
「ち、違います! 俺たちはただ……」
ドゴッ!
レオンの言葉が終わる前に、警棒が横腹に叩き込まれた。
「ぐへぇッ!?」
レオンはカエルのような声を上げてうずくまる。
「弁解は聞かん。罰として、お前ら三人は今日から『最深部』行きだ」
最深部。
その言葉を聞いた瞬間、周囲の囚人たちが息を飲んだ。
そこは、地下採掘場の中でも特に魔素濃度が高く、瘴気が充満している場所だ。
普通の人間なら三日で精神を病み、一ヶ月で廃人になると言われている。
「い、嫌だ! 嫌だああああ!」
マリアが悲鳴を上げる。
「私は聖女なのよ! そんな汚いところに行けるわけないでしょ! 王宮に連絡して! お父様に言いつけてやるわ!」
「お前の実家なら、先日取り潰されたよ」
看守長が淡々と告げた。
「お前らの悪行が露見した後、実家の伯爵家も脱税や横領が発覚してな。一族郎党、国外追放だそうだ。誰も助けになんて来ないぞ」
「あ……あぁ……」
マリアは白目を剥いて倒れ込んだ。
最後の心の拠り所だった実家すら、自分のせいで消滅していたのだ。
「連れて行け」
看守たちがレオン、ガルド、そして気絶したマリアを引きずっていく。
リサだけはその場に残されたが、彼女もまた、この地獄で一生を終える運命に変わりはない。
「待ってくれ! 頼む、待ってくれ!」
引きずられながら、レオンは泣き叫んだ。
涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだ。
「俺はレオンだ! 勇者レオンハルトだ! こんなところで終わっていい人間じゃないんだ!」
「アレン! どこだ! 助けてくれ! 謝るから! 靴でも何でも舐めるから!」
「誰か! 俺を見ろ! 俺を称えろ! 俺は英雄なんだあああああ!」
鉄の扉が重い音を立てて閉まる。
その向こう側へ、レオンたちの絶叫は吸い込まれていった。
◆
扉が閉ざされた後の暗闇の中。
瘴気が漂う最深部の坑道で、レオンはツルハシを握らされていた。
周囲には、魔物に喰われて白骨化した死体が転がっている。
「……寒い」
レオンはガチガチと歯を鳴らした。
ここにはもう、アレンの温かい魔法はない。
【温度調整結界】も、【疲労回復】も、【精神安定】もない。
あるのは、圧倒的な「現実」だけだ。
レオンはふと、かつての栄光の日々を思い出した。
パレードの歓声。最高級のワインの味。ふかふかのベッド。
そして、いつも自分の後ろで、黙って杖を振っていた地味な男の姿。
『レオン、その言い方は誤解を招くよ』
『レオン、もう少し民衆に配慮を』
『レオン、魔力の残量が……』
あぁ、うるさい。
本当にうるさい奴だった。
いちいち小言を言って、俺の気分を害する生意気な部下。
だから追放したんだ。
俺の完璧な人生に、あんなシミのような存在は不要だと思ったから。
だが。
その「シミ」こそが、俺という絵画を支えていたキャンバスそのものだったのだ。
キャンバスを捨てれば、絵の具はただ地面に落ちて泥になる。
そんな当たり前のことに、全てを失ってから気づいた。
「……戻りたい」
レオンはポツリと呟いた。
英雄に戻りたいのではない。
あの、アレンが後ろにいてくれた、何不自由ない「守られた日々」に戻りたい。
文句を言いながら、アレンに全てを押し付けて、自分は王様のように振る舞っていた、あのぬるま湯のような日々へ。
「アレン……戻ってきてくれよ……」
レオンは岩に向かってツルハシを振り下ろした。
カキン、と小さな音がして、火花が散る。
岩は傷一つついていない。
逆に、レオンの手首に激痛が走る。
「痛い……」
涙が溢れてくる。
止まらない。
後悔と、絶望と、そして尽きることのない他者への依存心。
彼は最後まで、自分の足で立つことを知らなかった。
「俺は……勇者なのに……」
その呟きは、誰の耳にも届くことなく、冷たい闇の中に消えていった。
彼に残された寿命は、あとわずか。
だが、その短い時間は、かつての栄光の記憶に苛まれ続ける、永遠にも等しい苦痛の時間となるだろう。
それが、偽りの英雄に与えられた、相応しい末路だった。




