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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
5章

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生きて贖え

 


「シュトル――」


「ルシウス、残りの中和任せてもいい?」


「それは勿論ですけど……」



 困惑してシュトルツとテオドールに目を迷わせたルシウスをすぐにやってきたリーベが、肩を叩いた。

 そのまま何を言うでもなく、ひとりソファーへ向かっていく。


 ルシウスが、おじおじとこちらへ来た時、ようやくエーレが姿を見せた。


 彼は、状況を確認するようにゆっくり全てを見渡し、最後にこちらを見た。眉が哀しそうに寄せられる。



「シュトルツ」



 名前が呼ばれた。彼は後に続く言葉を言いかけて、しかし選べなかったのか、珍しく迷わせた末に、首を振った。


 労いや慰めの言葉をかけようとしたが、見当たらない。そんな様子は先ほどの、テオドールに向けた自分を見ているようで、シュトルツは失笑と共に頷く。


 後方で足をとどめた彼から目を離して、足元へと声を投げた。



「テオ。いい?」


「兄上に従います」



 数瞬の沈黙を経て、掠れた声で答えた彼に、シュトルツは一瞬迷った。


 全てを話すのは、中和を完璧に終わらせた後が良い。



「頼むね」



 ルシウスに告げた。

 未だに残っている支配の影響は、テオドールの内に根深く残っている何かと共鳴しているものだろう。


 これから何がなされようとしているのかわかったらしい彼は、躊躇いに動きを止めたが、やがて観念したように、顔を伏せる。


 膝を折ったままのテオドールの前へ、しゃがんだルシウスがこちらを見る。シュトルツは頷いた。



 水の生命力が、強くテオドールに流れ込む気配が肌に伝わってくる。先日、彼を机に押さえつけた記憶と重なった。


 弟の一言一句全てを覚えている。向けられた言葉の全てが、シュトルツの胸を深く刺していた。



 王家の剣としての在り方。グライフェンを背負う者の立ち方。同じなようで同じではない。


 父と陛下は王家の剣としてではない、テオドールにグライフェンと王国の未来を託したのだ。


 彼まで、道連れにして死ななくてもいい。せめて、と賭けるような気持ちだったのかもしれない。


 そして、おそらくヴィンセントに対しても……



 ルシウスの額から汗が伝っていく。険しいその表情に、彼が苦戦しているのがわかった。


 テオドールは、自らの生命力に干渉される不快さに、目を強く瞑って耐えている様子だった。



「あと、もう少し……」



 そう言ったルシウスが、流す生命力を少し強めた時だった。



「――やめろ! 嫌だ……、やめてくれ!」



 途端、暴れ出したテオドールの拳が、乱暴に正面へ向けられる。それでも魔法を中断しなかったルシウスに代わって、防いだのはエーレだった。


 更に激しく抵抗を見せたテオドールを抑え込んだ彼が、顎をしゃくる。シュトルツもそれに加勢したとき、隣から「ルシウス、続けろ」と、冷淡な声が飛んだ。


 ルシウスはテオドールから目を離すことをせず、まるで彼が痛みに晒されているような表情のまま――さらに魔法を強めた。



 テオドールの叫びが部屋に響き渡る。


 同時にルシウスが腰を抜かしたように、尻餅をつき、手を離した。



「終わった、はずです……」



 そこに先ほどまでソファーで様子を見守っていたリーベがやってくると、心神喪失状態に陥ったテオドールの肩を後ろから触れ、頷いた。



「私が感知できる範囲では、極端な濁りは消えた。今、安定させている」



 彼はテオドールへ土魔法を施した後、ルシウスへ肩を貸してソファーへと連れて行くと、同じように生命力を安定させていた。


 疲労困憊の様子で息を切らすルシウスを見て、シュトルツは感謝の念と共に、再び足元へ視線を落とす。



 おもむろに、テオドールがこちらへと顔をあげた。

 憔悴しきったように焦点を失くしていたが、その顔はよく知る弟のものだった。


 自然と伸ばしかけた手をぐっと引き戻し、シュトルツは淡々と告げる。



「テオドール・アウグスト・グライフェン。お前が死ぬことは許されない。

 主を死に追いやり、国に背を向けた罪は、生きて贖ってもらう」



 俺たちがそうしたように。


 これから一生、最期の瞬間まで、死んでも死にきれない後悔に身を焼かれながら、生きていけ。

 死よりも辛い断罪の言葉を、シュトルツは口にした。


 二度と戻らない主を想い、亡くした全てに首元を締められるような日々の辛さをよく知っていながら、それでも言うしかなかった。



 ――ごめんな、テオドール。良い兄貴になれなくて。



 今も昔も、血を分けた弟ではなく、ただひとりの主のために生きている。

 そのためなら、弟が苦しむ選択を突きつけられる。



 宣告を受けたテオドールは、目を見開いたままだった。


 やっと言葉の意味を理解したような彼は、体を折り、頭を抱えながら、呼吸を取り戻そうと激しく息を引きつらせる。


 数秒後、彼はほとんど衝動的に見える動作で、腰に下げた剣を引き抜いた。


 反応するのに遅れた。いや、自身の首に剣を薙ごうとしている弟を、どうしてか止められなかった。


 躊躇いなく剣を振る動作に隙はない。躊躇した自分に代わって、受け止めたのは、エーレだった。



 眼前で黒髪が揺れる。彼の手から大量の血がこぼれ落ち、テオドールの服を濡らした。



「エーレ」



 強い視線を送ってきた彼に、シュトルツは伸ばしかけた手をさっと引いた。



「テオドール。あの日、俺が言ったことを覚えているか?」


「止めてくれるな!」



 向き合ったエーレの声を聞くことはせず、言葉にならない言葉を共に、なお剣に力を籠めたテオドールが、今にも泣きだしそうな顔で睨みつけてくる。



「お前の怒りを受け止める理由が、俺にはある」



 刃を防ぐ手が剣を握る。痛みに眉を激しく寄せながらも、彼はそのままテオドールの首から剣を引き離した。


 両者の間に、視線が交わったのがわかった。


 反駁に口を開きかけたテオドールは、ふと何かに気づいたように目を見開き、瞬かせる。

 彼はエーレを凝視したまま、動きを止めた。



「もう一度言う。俺にはお前の怒りを受ける理由がある。アクシオンや、お前を遺していったやつらに代わって」


「貴方は……」



 ようやく言葉を聞き入れたテオドールは、答えを探すようにシュトルツを見た。



「ずっとお前に黙ってたことがあるんだ」



 話す必要がある。今まで、弟に話してこなかったことの全てを。


 シュトルツは、剣身を上から抑え、エーレの手首をそっと掴むと、治癒をかけた。

 そして、彼の姿を偽らせている魔鉱石のブレスレットを抜き取る。



「この人が俺の主――いや、主だった人なんだ」


「アクシオン殿下……」



 驚愕の表情を染めたテオドールはエーレを見つめたまま、彼の主の名前を口にする。



「似てるだろ、目元とか」



 目の形は少し違う。綺麗に通った鼻筋と、顔の輪郭、目と眉の距離や、眉の形……


 少しずつだけ似ているその顔に、誰とはわからずとも、テオドールは何かを察したらしい。

 彼が握りしめていた剣が床に落ちた音が、何故か軽快に聞こえた。


 剣から落ちた数滴の血が、近くにあったラグを汚していた。



「お前が――」 エーレが、ふいにこちらを一瞥した。


「お前たちが至らなかったせいじゃない。お前たちの忠誠ごと、全てを背負い応えるべきだった俺たちが、そうできなかったことこそが元凶だ」



 その口から渡された赦しに、シュトルツは答える言葉を持たなかった。



「そんなこと……たとえ貴方が誰であっても……俺は取り返しのつかないことをした。

 もう何もかもが遅い。俺が生きている意味なんて――」


「シオン」



 拒絶を示したテオドールに、エーレが言葉を阻む。



「シオン・ルクリツィア・アルバ・ディ・エーベルシュタイン」


 それが俺のかつての名前だ。



 苦虫を噛み締めたような表情で名乗った彼を、今一度確かめるように見つめたテオドール。


 一目でわかる、闇の本質持ちの姿に、ようやく腑に落ちたようにして、顔を伏せ――彼は膝を折った。



「聞いてない。兄貴に主がいるとは思ってはいた。どうしていつも、俺だけ何も知らないんだよ」



 震える声で訴えたそれは、言葉とは相反して、自己への否定してるようだった。



 王太子の従者であった彼が背負っているものは、シュトルツが思う以上に多い。


 アクシオンと共に、国を全面的に支えていくはずだった彼の弊害にならない配慮と、庇護の意味で、言わないことがあった。

 そうあるべきだと思っていた。おそらく父も同じだったはずだ。


 その全てがこうして、テオドールを苦しめる結果になってしまった。



 シュトルツは弟に落としていた視線をふと、天井へと迷わせる。



 陛下、父上……俺ら、もう少し上手く出来なかったのかな?



 非情な言葉を突きつけておいて、憐憫と葛藤を覚えた自分を知り、自然とエーレを探した。


 彼は、酷く眉を寄せたまま、何かいいたげに睨んできたが、どうしてか意図を汲み取れない。それでも目をそらさず、受け止めることにした。



 エーレは再びテオドールを見ると、吸い込んだ息を吐きだす。



「お前の言う通り、何もかもが今更で、嘆いたところで何一つ変わらない」



 どこまでも冷淡で優しさはなく、何故かこちらへ突き付けられているような気分にすらなった。

 テオドールは酷く傷ついた表情で、顔をあげた。瞳は救いを請うように昏く光る。



「今までの全てを罪として抱えたいなら好きにすればいい。

 だけどな。だからって死んでもらっちゃ困るんだよ。テオドールである前に、お前はグライフェンだ。やるべきことが残ってるだろ」


「……今更、私にどうしろと仰るつもりですか。私は、グライフェンとしても騎士としても、全てを失った。死んだも同然です。剣を握ろうとも……いや、握ることを許されない」



 頭を垂れているのか、項垂れているのか判別がつかない、生気を失った声が床に沈む。


 その時、強く一歩を踏み出したエーレが、テオドールの胸倉を掴み上げた。



「本当にそれだけか!? 負い目と罪悪感だけなのか。

 あの状況に追いやり、お前をこうさせた仇敵への憎しみは? お前を残して死んでいった親への恨みは?

 国の窮地に、戦えすら出来なかった俺たちへの怒りは?

 それでも、ひとりでどうにかしようとした自分への誇りは? 国を想う矜持は!?」



 言葉を重ねるごとに胸元を引き寄せ、怒鳴るように告げるエーレに、テオドールは目を見開いたままでいた。



「テオドール。お前が命令を必要としてるなら、アクシオンに代わって言ってやる。

 生きろ。生きてもう一度、グライフェンとしての剣を取れ!」



 掴まれていた手が、乱暴に放される。

 床に投げ出されたテオドールは、尻餅をつく直前、何かに弾かれたようだった。

 彼は僅かに離れたところの落ちた剣を手に取ると、床に剣を指す。鈍く重い音が部屋を打った。



「ふざけるな!」



 勢いよく立ち上がった彼は、心底悔しそうな表情で訴えた。



「俺に命令できるのはアクシオン殿下だけだ。あの人を侮辱するな!

 今更になって出てきて……何なんだよ! ふざけるなよ!」


「テオ――」



 エーレへ殴りかからんばかりの彼を呼びかけた時、激しい怒りを宿した瞳がこちらへ向けられた。


 刹那、剣から手を離した拳が眼前に迫った。

 シュトルツはそれを避けることはしなかった。


 頬に受けた衝撃と痛みに視界が揺れた時には、胸倉を掴み上げられていた。



「俺がどんな気持ちでここまで来たのか、知らないだろ!

 みんな俺を置いて死んでいって……主を裏切ってまで俺に生きろ?

 国を守れ? 俺ひとりで? どうやって!

 味方なんてひとりもいない。全てを奪った仇敵に尻尾を振りながら、生き恥を晒せって?

 そうした俺も、そんなことを命令した父上も、許容した陛下も、そんなときにいなかった兄貴も――」



 ――ふざけるな!



 テオドールの叫びは、頬よりも痛く鼓膜に響いた。

 彼がエーレを見た後、更に胸倉を強く引き上げた。



「兄貴は今も、その人が側にいるじゃないか! 全部失った俺がどんな気持ちで……!

 忘れようとして何が悪いんだよ! 耐えられなかった。何度も死のうとした。

 それでも生きて、父上の命令を守ろうとしたんだ……、それの何が悪いんだよ!」



 眼前の涙をためていく瞳を、シュトルツは心が千切れるような気持ちで見つめていた。

 目を逸らすべきではない。全てを受け止めることしかできない。


 恐れるに足らないはずの叫びに、心が怯えを宿していた。



「殿下はもういないんだ……どんなに辛くて、主のことを忘れた自分が許せない。それならまだ、あの時に死んでおけばよかった。全部思い出して……なのにまた、俺にあの地獄を生きろっていうのか……!

 それならいっそう、ここで死なせてくれよ!」



 気付けばテオドールを抱きしめていた。震えているのが弟なのか、自分なのかわからなかった。

 シュトルツはそれを抑えるために、更に弟を強く抱きしめる。



「ごめん、テオ。ひとりにしてごめん。ごめんな」



 一瞬は腕から逃れようと動いたテオドールは、脱力したように腕を下ろす。抱擁に応えることはない、立ち尽くした彼は、一瞬の静寂の後、声をあげて泣き始めた。



「どうしたら、よかったんだよ……教えてくれよ、兄貴。

 俺は俺なりに必死に……辛くて、怖くて、どうしてようもなくて……わかってくれよ……!」



 泣きじゃくる弟の手が、腰の服をぎゅっと掴んだ。


 肩を濡らす温かな涙を感じながら、シュトルツは何も言えずにいた。



 昔と似ている。でも確実に違う。あの時にかけられた言葉を、今はもうかけられない。


 わかってるよ、こうしたらよかったんだよ。今度はこうしてみろよ。お前ならどうにかやれるだろ。


 何一つ、口からは出てこなかった。


 代わりに自然と謝罪が口からこぼれ出る。


 少しだけ低い肩に、水滴がひとつ、落ちる。その時になって、シュトルツは自分が涙を流したことに気が付いた。


 ハッと顔をあげると、正面にはエーレがいた。

 彼は痛みに堪えるような表情で、こちらを見つめたまま、一度瞑目した。


 それは許可のように思えて、シュトルツは酷く顔を歪めて、無理やり笑った。



 どんな地獄でも俺にはエーレがいた。それだけでどんなに辛くても、ここまで来れた。

 テオドールは……



 腕の中の体温を感じ取る。


 自分以上に、多くのものを背負ってきた。主を失い、それでもひとりで立ち向かおうとした。


 主を忘れたことを、グライフェンとしての在り方に背いたことを裁ける権利は、自分にはない。



 シュトルツは、今まで自分が口にしてきた断罪を、恥じる思いで、顔を伏せる。


 これほど近くにいる弟の痛みや苦しみを、俺はわかってやれない。

 辛かったな、なんて言葉、死んでも口にできない。


 謝罪は、どこまでいっても謝罪でしかなかった。



 顔をあげて、弟の背を優しく叩いた。

 一拍も二拍も遅れて、テオドールがそっと顔をあげた。


 怒りだけではなく、あらゆるものが混ざっている涙でぐちゃぐちゃな顔に、シュトルツは再び顔を歪める。


 一歩、足を引くと、当然離れていった体温に、動揺と安堵が同時に湧いてくる。


 肩越しに映ったエーレは逡巡するように視線を逸らして、待機していた仲間の方を見た。


 シュトルツは小さな息を吐きだして、もう一歩離れると、弟を見て微笑んだ。


 上手く笑えていない、そんなことわかっていたけど、どうしても言葉は出てこなかった。



 足元に転がった剣を手に取って、テオドールへ渡した。

 難しい顔をして剣をじっと睨み、数秒怖い物にでも触れるように躊躇い、彼は剣を掴んだ。



 もし、この剣でもう一度、彼が自分の首を切り裂こうとしたのなら――

 もう自分には止められない。たとえそれがエーレの意思に反しようとも。


 そう思った自分のこの感情が、憐憫なのか同情なのか、酷い共感なのか。シュトルツにはわからなかった。


 二人の間に鞘が差し出された。エーレの渡してきた鞘をテオドールは受け取ると、剣を収めた。




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