ひとりじゃないと言って
リーベがクロードに頼んだお茶が運ばれてきた。
彼は傷ついた床に気づいたようだったが、何も言わずに退室した。
黄金色のお茶。偶然なのか、リーベが指定したのかわからないし、そんなことどうでもよかった。
今、そのお茶の効果は、ルシウスにとってありがたいものだった。
カップを手に取る指が震える。
皇帝の支配魔法に触れた。中和を初めて完了することが出来たが、嬉しいと思う余裕はなかった。
加減がわからず、最後は力技で、絡みに絡んだ両者の生命力を解いて馴染ませた。
水魔法に宿る皇帝の意思も、テオドールの感情も、何もかもがない交ぜになって流れ込んできた。
熱いお茶を飲む。口の中が火傷しそうになったが、構わず飲んだ。
麻薬のように、急激にこの気持ちを沈めてくれたらいいのに。
生命力と呼吸が安定しても、恐怖が離れていかない。すぐ後ろに皇帝が立っていて、今にでも首を剣で薙いでくる。追い詰められたような怯えだった。
顔を上げれば、自然とテオドールが右側に映る。ルシウスは、手の中のカップから目を離せずにいた。
強い罪悪感を覚えた。何に対してかわからない。いや、全てだ。
父である皇帝、帝国がしたことも、それで彼が陥った状態も、それを中和したことも。
この場にいることが酷く場違いなのではないか。
――僕は……加害者なんじゃないか。
父の不正を正す息子、なんて良いものじゃない。
ルシウスは、正面にいるエーレとシュトルツを覗き見た。
結局自分も、彼らを苦しめているだけの加害者なんじゃ……
「ルシウス」
エーレと目が合った。彼は不機嫌な顔で、こちらを射抜くように見てきた。
「二度と言わねぇっつっただろ、忘れんなよ」
――お前はルシウスで、俺はエーレだ。
コンラート邸以降、本当に彼は二度と言わなかった。今まで何度もこの心境に陥ってきて、彼の言葉を思い出すたび、どうにか留めてはきたけど……
「生命力。うぜえからひっこめろ。出来ないなら外で待ってろ」
「いえ、ここにいます」
ルシウスは首を振る。息を吐きだし、生命力を体内に留めると、姿勢を正した。
「僕も、話を聞く必要があります」
是も非も言わなかったエーレは、お茶を飲んで、沈黙する。当然のように、誰も口を開かなかった。
「落ち着いたか?」
長いような沈黙を破ったのもまたエーレで、テオドールは向けられた問いにも、すぐには応えず、項垂れた頭がおもむろに持ちあがった。
彼は姿勢を正すと、深く瞑目して、ようやく言った。
「まだ混乱しています。正直を言うと、後日に話を聞きたいくらいには」
「悪いが、今回は待ってやれない。これから話すことは、お前にとって衝撃かもしれないが、俺たちがお前に頼みたいことは、そう難しいことじゃない。まぁ、話を聞いた上で決めればいい」
そうしてエーレは、テオドールの準備を待たずに話し始めた。
エーレの話には、クロノスの権能のことや、それに関与する人物、つまりリクサやゼファは出てこず、霊奏の件も同じだった。
彼らが王国を離れて合流した後、レギオンに所属し、素性を隠して活動していること。
当時の王国内乱は、数年も前から帝国が裏にいたことを、先に伝えていた。
「お前の記憶がどうなってるのかわからないが、説明しておく」
帝国と聖国は深い繋がりにあり、王国は皇帝の支配魔法が蔓延り、帝国の傀儡と化している。
事実上、現国王の統治のもと、上手く回っているため、一部洗脳に対抗できる貴族や、反皇帝派以外の人間は、この異常事態に気づいていない。
彼らも未だ水面下でしか活動できていないため、現状を覆す手段は講じられておらず、自分たちはまず、王国の支配魔法を内部から解いていくことにした。
「俺たちは、とある制限で表立って動けない。そこで王国内部の中枢にいるお前の力を借りたい」
「少し、待っていただけますか……」
テオドールは手をあげて、呼吸を落とした。
思考が追い付いてないらしい彼は、ひとりぶつぶつと何事か呟き、やがてエーレとシュトルツを交互に見た。
「今の話が真実であるかどうか、私には判断できません。いや、貴方がたを疑っているというわけではなくて……つまり、いくつか確認しておきたいことがあります」
「お前の支配魔法を中和――解いておいてなお、今の説明じゃ足りないってなら、言ってみろ」
エーレはソファーに凭れると、足と腕を組んだ。
テオドールはまず、リーベを見て問うた。
「そちらの方は、ヴェルマン様でお間違いありませんか?」
「ああ。エーレと同じくかつてそうであった、と言っておこう」
ルシウスは、右に座る仲間を見る。彼は落ち着きを払ったまま答えていた。
「アイリス王女殿下は……どうされたのですか」
テオドールの視線がぐるりと見渡され、リーベは数秒答えなかった。彼らの空白期間は語られていない。どう説明すべきか迷ったような沈黙だった。
「彼女は……未だ帝国の手中にいる」
「生きておられるということで間違いないんですね?」
「……おそらくは。それに関しては私たちより、貴公の方が確かめられる立場にいるかもしれない」
確答を避けた彼に、テオドールは次の質問を続けた。
「私の支配を解いたその方は――」
「こいつは、味方だとだけ言っておく」
すぐさまエーレが答えた。ルシウスは二人の間で視線を交互させた後、小さく頷く。
「僕は絶対的に、彼らの味方です。安心してください」
伝えることをしなかった事項と同じく、ルシウスの素性もそのうちに含まれるのだろう。それが最後までなのか、今の時点ではなのかはわからない。
自分の素性を明かして、混乱しているテオドールを、更に混乱させることは避けるべきだろう。
いつか伝えるとしても、今そうする必要はなかった。
納得いかなさそうなテオドールは、シュトルツに目を向けた。
「兄上の主のことを教えてください。今しがた私が洗脳されていたというのなら、貴方がたが私の知っている兄やその主、公子様であったという証左を示していただかないと、私は何もかも信じられません」
咄嗟にエーレが口を開こうとした。しかしそれを制するように、シュトルツが言う。
「何を知りたいの? 何を話せば、その証左になる?
思い出話ならいくらだってしてやれるけど、今のお前にそれが必要?」
黙ったテオドールを見て、ルシウスは視線をそれぞれに辿らせた。
支配魔法が解けたばかり、混乱している上、二度同じ失敗を繰り返したくないのかもしれない。
目の前にいる自分たちが、彼の知っている人物であるという証左。ルシウスが同じ立場なら、欲しいと思う。
「俺とお前しか知らないことを話したとして、今のお前が完全に信じられるかって言うと、そうじゃないよね?」
シュトルツは、今まで手をつけなかったお茶をようやく一口飲んだ。
「正直、別に俺がお前の兄かとかはどうでもいいよ。大事なのは、俺たちとお前の目的の一致だから」
「しかし……」
テオドールは反射のように小さく首を振った。
「それでも私には必要です。情けないことですが、ひとりではないという確信が、私には必要です」
「生きていくために?」
「はい」
沈黙が訪れた。
ルシウスの脳裏にふと、あの日の情景が過った。たったひとりで追ってから逃げ、無我夢中で深夜の森を駆けた、あの記憶だった。
状況は違えど、テオドールもまさに今、孤独の最中にいるのかもしれない。
手を差し伸ばしてくれる人を、求めているのかもしれない。
それが自分の信頼を寄せた人ならば、それ以上のものはなかった。
「シュトルツ。教えてあげてください」
気が付けばテオドールに代わって、懇願するような声をあげていた。
彼は自分の思い描く、兄弟の感動的な再会なんてしようとしていない。
そんなことわかりきってはいたけど――今の僕には、それが必要らしい。
テオドールに自分を重ね、自分の傷を癒したい。それを知ったルシウスは、自嘲を飲み込んだ。
シュトルツは、じっとこちらを見つめてきていた。そして、ため息と共に、頭を項垂れる。
「ほんっとに、簡単に言ってくれるねぇ。俺が、どれだけ色々抑えてると思って……」
彼はそのままの態勢で、自分の経歴を並べるように話し始めた。
「ヴィンセント・エルンスト・グライフェン――」
生まれた年から始まり、父と母のこと、その両親との関係、二年後に生まれた弟のこと……
シオンの存在を知り、彼の従者になるまで、なったあと。テオドールとは別に、どういった意図があって廃嫡されたのか。
「テオには色々悪いことした思う。今になって気づいたよ。
俺はグライフェンとしてではなくて、ひとりの騎士としてシオンを選んだ。それがたまたま王族で、俺がグライフェンだったから勘違いしてたけど。
正直あの時は、国のことなんてどうでもよかった。シオンが裏で国を支えるっていうから。俺も立場的にそうだったし」
彼はそこまで言うと、エーレを見た。
「ああ、いや。責任をエーレさんに転嫁しようとしてるわけじゃないよ」
「いちいち弁解してんじゃねぇよ。んなことわかってる」
エーレは腕と足を組んだままで、嫌そうに首を背けていた。
シュトルツは苦笑を落として続ける。
「わかってると思うけど、俺らは名前も立場も捨てたし、取り戻すつもりがない。
だから、昔話は極力したくないんだよね。俺らであったってだけで、今の俺らとは切り離して考えてる」
彼は一度言葉を迷わせると、「その上で、ひとつだけ言うと――」と、テオドールを見た。
「もういつだったかも覚えてないけど、厳しかった父上が、一度だけ言ってた」
『グライフェンで在ることと、ひとりの人間として在るということの、そのどちらが大切なのかは、その折々に各自が判断しなさい。
国の中枢を担う者として、個人としての感情を排すべき時ばかりになるだろう。
それでもお前たちが譲れないという場面が来たら、その時はひとりの人間としての選択をしなさい。
私は止めはしないし、諫めることもない。
但し、私がグライフェンとしてお前たちと対立するようなことがあれば、二度と後戻りはできない。
主と自己の一進一退をよく考えるべきだということを、肝に銘じておきなさい。
私個人としては、お前たちの幸せを願っている』
それを話すシュトルツの瞳は、父を映しているように、哀しそうだった。
「残念だけど、俺はそこを降りてる。今のグライフェンはお前しかいないんだよ、テオ」
テオドールは全てを飲み込むように、伏せた顔を両手で覆った。
「先ほどの父上の言葉は、私が十の時ですから、貴方が十二の時。
つまり兄上が主を得てから、すぐのことだと思います」
顔をあげた彼が口元を酷く歪ませた。
シュトルツは乾いた笑いをあげて、「そっか、そうだった気がする」とだけ答える。
感動的な再会とは程遠い。それでも、二人の間にある何かが溶け合ったように見えた。




