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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
5章

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決着は二度いらない

 



 なかなかやってこないルシウスを呼んだエーレが、舌打ちを飛ばす。シュトルツは隣で苦笑した。



「まぁまぁ、愛想の欠片もない俺らと違って、あれはあれで長所じゃん?」


「何も言ってねぇだろうが」


「いーや、言ってたね。誰にでも彼にでも、尻尾振りやがってって」



 顔が、とまで言おうとした時、彼の鋭い眼光を晒され、最後の言葉を飲み込む。

 シュトルツは後方の扉を見て、その先にいる弟を思い巡らせた。



「すみません、お待たせしました」



 来るなり謝罪を述べたルシウスがリーベの隣に並ぶと、エーレは何を言うこともせず、こちらを見てきた。次に扉へと視線をやる。

 彼がその一瞬に、思考を巡らせたことをシュトルツは感じ取る。


 その口から出ようとしている提案を、先に言うことにした。



「悪いんだけど、二人にしてもらってもいい?」



 エーレは一度、瞑目を挟んで頷く。



「隠蔽だけ張って、ここで待っておく。話が終わったら呼べ」



 快諾した彼の後ろでは、不安そうに瞳を揺らしたルシウスと、考えの読み取れない視線を送ってきたリーベ。



「大丈夫だよ。ちょっと清算してくるだけだから」



 ルシウスに向けたつもりで言ったはずが、言葉を返してきたのはリーベだった。



「私が言うまでもないことは承知している。だが、言わせてもらう。繰り返さないことだ」



 真っすぐ見つめてきた茶金色の瞳に、シュトルツは過去を見た。


 二度目の回帰。ルシウスの中和を待たずして、テオドールと対峙し、グライフェンの血筋を途絶えさせるという、最悪の結果を選んだあの日。


 今でも、あれが間違っていたとは思っていない。最善ではなかったとは思う。

 最善を選び取れるほどの余裕はなかった。そして、今も――



「聞いてなかった? 清算だから。もう、決着をつける必要はないから」



 決着は、あの日に終わらせた。二度はいらない。

 リーベは答えなかった。その隣でルシウスが口を開こうとした時、エーレが乱暴に肩を押してきた。



「さっさと終わらせてこい。お前に任せる」



 扉を開くには近すぎる距離に押し出されたシュトルツは、眼前の扉を見て、微笑む。



「了解」



 そのまま振り返ることなく、ドアノブを回した。










 扉が背で閉まる。隠蔽発動の波動がした。


 微弱な魔法ではあるけど、ヴァルハイドの二人と――


 シュトルツはソファーに座ることすらせず、部屋の中央で、こちらを向いて立ちっぱなしだった弟を見た。


 テオドールは、この魔法に気づくかもしれない。

 いや、気づいてない。そんな余裕すらない、かな。



 頭の隅でそんなことを考えながら、交わった視線をそらさず受け入れる。

 彼の心境がどんなものだったのか、聞かずともわかった。


 たった二週間の間にやつれたテオドールは、服に着られているように見えた。


 覇気はなく、目の下には、隠しきれない隈。

 どうにか自分を保とうとしていた瞳は、目が合って数秒で、大きく揺らいだ。


 広い一室の中で、十五歩あれば詰められるだろう距離を、一歩詰める。それだけで彼は狼狽を隠さず、足を引きかけていた。



「テオドール、元気にしてた?」



 更に一歩詰めて、口から出たのは、自分でも驚くほど優しい声だった。


 本当はリーベの言葉以上に、自分でも危惧を抱いていた。


 テオドールを見た瞬間、怒りに任せて、あの日の再現をしてしまうのではないか、そんな制御できない恐怖を感じていたというのに……

 どうしてか、不思議と怒りは湧いてこなかった。


 グライフェンの当主というにはあまりにも頼りなく、騎士としてはあまりにも未熟な姿を晒した彼は、遠い昔、まだ幼かった弟と重なって揺れた。



「兄上……」



 どうにか紡がれた声が、怯えを宿す。ひゅっと気道を通る音が、鮮明に聞こえてきた。


 項垂れたテオドールは、視線を下げたまま大股で詰め寄ってきた。何かに突き動かされるように、そのままの勢いで胸倉を掴み上げてくる。



「どうして……なんで、何がどうなって……こんな今更……!」



 微動だにせずそれを受け入れたシュトルツは、混乱の最中にいる弟を見据える。その瞳は、憐憫と非情さを帯びていた。


 シュトルツは掴んできた両手に、右手を置いただけで、何も言わない。更に混乱を露わにさせたテオドールが言った。



「もっと早くに、俺のところへ来るべきだった。

 生きているなら、どうしてもっと早くに姿を見せなかったんですか!」



 テオドールの叫びが部屋に轟く。余韻が消えても、返答はなかった。



「俺のことを放置して……今までどこに、見て見ぬふりを……」



 亡者のように焦点をなくした瞳で、睨んできた彼は、「いや」と思い直すように首を振る。



「兄上は国を裏切って、俺は陛下に……グライフェンの当主として……

 違う、わからない。何がどうなってるか、どうなってるんだ……!」



 シュトルツは目を細めた。再び視線がかち合う。弟は射抜くような瞳で訴えてきた。



「なんで……俺を殺しに来てくれなかったんだよ……」



 声色も表情も言動も、全てはちぐはぐの弟に、それでもシュトルツは口を開かなかった。



「どうにか言ってくれよ、兄貴!」



 言葉を重ねるたび、強く掴まれた胸元が締めあげられる。シュトルツの口からようやくこぼれたのは、浅い吐息だった。



「……言いたいこと、それで全部?」



 非情なまでに優しい声色に、テオドールがハッと瞳を見開く。

 途端、脱力するように手を離し、項垂れた彼は、おもむろに膝を崩した。



「何が真実なのですか……俺は何をしてきたんですか……俺は本当に……」


「水魔法。知ってるか知らないけど、人の弱みにつけこんで洗脳する魔法があるんだよ」



 テオドールが理解するのに、それだけで十分だったらしい。彼は全てを理解したように、硬直すると額に手をあてた。



「俺はなにを、なんてことを……

 本当に俺が、主を裏切った? あれは、父上に、いやそれでも俺は……」



 酷く取り乱した声色の先で、飲み込み切れない何かを飲み下すように、彼は喉を鳴らす。



「何が真実なのか、お前が一番知ってるでしょ」



 シュトルツは更に一言、足元へ言葉を突き落とす。

 テオドールは重く乾いた、笑いにもならない吐息が数度吐き出した。



「アレクシオン――」



 その名を口にしたテオドール自身が、息を吸い込む。



「主……俺が、主を……」



 顔を上げた弟の表情は、自らの罪を懺悔する大罪人のようだった。



「後生です、兄上……! どうか……俺を殺してください……」



 テオドールはただ裁きの瞬間を待つように、頭を垂れ、静かに請うた。



 それきり静寂が、重く沈んだ。


 シュトルツは、おもむろに彼が腰に下げた鞘から剣を抜き取り、胸に引き寄せた。剣身に映った自分は、思った以上に冷めた顔をしていた。


 刻まれた紋章。何かを問うように見つめてくる、翼を広げた大鷲。シュトルツは緩く首を振る。



 テオドールの支配魔法は、中和しきれていない。中途半端な中和が、彼の記憶を激しく混同させている。


 その彼に何を言うべきなのか……、わからなかった。

 ただ、自分に彼を裁く権利がないことだけは、確かだった。



「王家の剣、か……」



 残されたのは、もうこの世に軌跡を刻むことを許されていない自分と、足元で断罪を待つ弟。


 グライフェンをここまで繋いできた父、祖父、更に前の当主たち……

 シュトルツは申し訳なさに、息をこぼした。



「本当、面目が立たないよ」



 その場に片膝をついたシュトルツは、微動だにしない彼へと呼びかけた。



「グライフェンの剣で、お前を斬ることは出来ない」



 この剣でも、腰に下げた双剣でも。


 顔をあげた彼は激痛に耐えるように、顔を歪めていた。

 言葉にならない何かをこぼし、それはやがて涙声に代わっていく。



「兄上、俺、俺が……、俺が殿下を殺したんです……

 俺が! 俺が主を……!」



 主を失った従者の気持ちは、痛いほど知っている。テオドールのそれは、シュトルツが知っている以上に辛い現実に違いなかった。


 父の命令とは言え、己の保身のために主を裏切った。結果、それは主を殺すことになった。


 まだ幼かったテオドールは、内乱の中で、何を思って、父に従ったのか。


 父がテオドールに向けた言葉ひとつひとつを知る由もなく、その場にいなかったシュトルツが、当時のテオドールを止めることも出来なかった。



「仕方なかった、テオドールは悪くない」



 あの日、正気ではなかった彼に向けた言葉を繰り返す。



「そう言ってやれたらいいけど、俺はそうは言えないし、お前を殺してやれもしない。ごめんな」



 鞘に剣を収めた音が冷たく響く。テオドールは脱力しきり、呆然とどこかを見ていた。


 シュトルツは天井を仰いだ。



 いつか……昔にもこんなことがあった気がする。


 テオドールは俺の後ろをついてくる、可愛い弟だった。

 俺に剣で勝てたことはなく、その度に悔しがっていたけど、純粋な尊敬を向けてきた眼差しは、今でもよく覚えていた。


 ――いつか絶対に、兄貴に追い付く。


 爛々と輝く瞳で、剣を突きつけてきた負けず嫌いなところ。

 完璧主義を持て余し、上手くいかないことを、泣きながら相談してくる甘えたなところ。


 自分のことは後回しで、疎かにする面があった俺を見て「兄貴はこれだから仕方がない」と、年上面をして、世話を焼こうとしてくる生意気なところ。



 俺がシオンの従者になると決めてから、テオドールとは距離が出来た気がする。


 あの頃から彼が妙に突っかかってきたり、素っ気なくなったりした。

 今、こうして彼を前にすると、悪いことをしたように思う。


 思った以上に覚えていることが多かった事実に、シュトルツは半ば驚きながらも、苦笑を落とした。



「みんな、おまたせ。もういいよ」



 情けない姿を他人に晒すのは、テオドールとしては嫌だろうけれど、長居するわけにもいかない。


 扉に向けて言ってすぐ、先に入ってきたのは、ルシウスだった。


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