決着は二度いらない
なかなかやってこないルシウスを呼んだエーレが、舌打ちを飛ばす。シュトルツは隣で苦笑した。
「まぁまぁ、愛想の欠片もない俺らと違って、あれはあれで長所じゃん?」
「何も言ってねぇだろうが」
「いーや、言ってたね。誰にでも彼にでも、尻尾振りやがってって」
顔が、とまで言おうとした時、彼の鋭い眼光を晒され、最後の言葉を飲み込む。
シュトルツは後方の扉を見て、その先にいる弟を思い巡らせた。
「すみません、お待たせしました」
来るなり謝罪を述べたルシウスがリーベの隣に並ぶと、エーレは何を言うこともせず、こちらを見てきた。次に扉へと視線をやる。
彼がその一瞬に、思考を巡らせたことをシュトルツは感じ取る。
その口から出ようとしている提案を、先に言うことにした。
「悪いんだけど、二人にしてもらってもいい?」
エーレは一度、瞑目を挟んで頷く。
「隠蔽だけ張って、ここで待っておく。話が終わったら呼べ」
快諾した彼の後ろでは、不安そうに瞳を揺らしたルシウスと、考えの読み取れない視線を送ってきたリーベ。
「大丈夫だよ。ちょっと清算してくるだけだから」
ルシウスに向けたつもりで言ったはずが、言葉を返してきたのはリーベだった。
「私が言うまでもないことは承知している。だが、言わせてもらう。繰り返さないことだ」
真っすぐ見つめてきた茶金色の瞳に、シュトルツは過去を見た。
二度目の回帰。ルシウスの中和を待たずして、テオドールと対峙し、グライフェンの血筋を途絶えさせるという、最悪の結果を選んだあの日。
今でも、あれが間違っていたとは思っていない。最善ではなかったとは思う。
最善を選び取れるほどの余裕はなかった。そして、今も――
「聞いてなかった? 清算だから。もう、決着をつける必要はないから」
決着は、あの日に終わらせた。二度はいらない。
リーベは答えなかった。その隣でルシウスが口を開こうとした時、エーレが乱暴に肩を押してきた。
「さっさと終わらせてこい。お前に任せる」
扉を開くには近すぎる距離に押し出されたシュトルツは、眼前の扉を見て、微笑む。
「了解」
そのまま振り返ることなく、ドアノブを回した。
扉が背で閉まる。隠蔽発動の波動がした。
微弱な魔法ではあるけど、ヴァルハイドの二人と――
シュトルツはソファーに座ることすらせず、部屋の中央で、こちらを向いて立ちっぱなしだった弟を見た。
テオドールは、この魔法に気づくかもしれない。
いや、気づいてない。そんな余裕すらない、かな。
頭の隅でそんなことを考えながら、交わった視線をそらさず受け入れる。
彼の心境がどんなものだったのか、聞かずともわかった。
たった二週間の間にやつれたテオドールは、服に着られているように見えた。
覇気はなく、目の下には、隠しきれない隈。
どうにか自分を保とうとしていた瞳は、目が合って数秒で、大きく揺らいだ。
広い一室の中で、十五歩あれば詰められるだろう距離を、一歩詰める。それだけで彼は狼狽を隠さず、足を引きかけていた。
「テオドール、元気にしてた?」
更に一歩詰めて、口から出たのは、自分でも驚くほど優しい声だった。
本当はリーベの言葉以上に、自分でも危惧を抱いていた。
テオドールを見た瞬間、怒りに任せて、あの日の再現をしてしまうのではないか、そんな制御できない恐怖を感じていたというのに……
どうしてか、不思議と怒りは湧いてこなかった。
グライフェンの当主というにはあまりにも頼りなく、騎士としてはあまりにも未熟な姿を晒した彼は、遠い昔、まだ幼かった弟と重なって揺れた。
「兄上……」
どうにか紡がれた声が、怯えを宿す。ひゅっと気道を通る音が、鮮明に聞こえてきた。
項垂れたテオドールは、視線を下げたまま大股で詰め寄ってきた。何かに突き動かされるように、そのままの勢いで胸倉を掴み上げてくる。
「どうして……なんで、何がどうなって……こんな今更……!」
微動だにせずそれを受け入れたシュトルツは、混乱の最中にいる弟を見据える。その瞳は、憐憫と非情さを帯びていた。
シュトルツは掴んできた両手に、右手を置いただけで、何も言わない。更に混乱を露わにさせたテオドールが言った。
「もっと早くに、俺のところへ来るべきだった。
生きているなら、どうしてもっと早くに姿を見せなかったんですか!」
テオドールの叫びが部屋に轟く。余韻が消えても、返答はなかった。
「俺のことを放置して……今までどこに、見て見ぬふりを……」
亡者のように焦点をなくした瞳で、睨んできた彼は、「いや」と思い直すように首を振る。
「兄上は国を裏切って、俺は陛下に……グライフェンの当主として……
違う、わからない。何がどうなってるか、どうなってるんだ……!」
シュトルツは目を細めた。再び視線がかち合う。弟は射抜くような瞳で訴えてきた。
「なんで……俺を殺しに来てくれなかったんだよ……」
声色も表情も言動も、全てはちぐはぐの弟に、それでもシュトルツは口を開かなかった。
「どうにか言ってくれよ、兄貴!」
言葉を重ねるたび、強く掴まれた胸元が締めあげられる。シュトルツの口からようやくこぼれたのは、浅い吐息だった。
「……言いたいこと、それで全部?」
非情なまでに優しい声色に、テオドールがハッと瞳を見開く。
途端、脱力するように手を離し、項垂れた彼は、おもむろに膝を崩した。
「何が真実なのですか……俺は何をしてきたんですか……俺は本当に……」
「水魔法。知ってるか知らないけど、人の弱みにつけこんで洗脳する魔法があるんだよ」
テオドールが理解するのに、それだけで十分だったらしい。彼は全てを理解したように、硬直すると額に手をあてた。
「俺はなにを、なんてことを……
本当に俺が、主を裏切った? あれは、父上に、いやそれでも俺は……」
酷く取り乱した声色の先で、飲み込み切れない何かを飲み下すように、彼は喉を鳴らす。
「何が真実なのか、お前が一番知ってるでしょ」
シュトルツは更に一言、足元へ言葉を突き落とす。
テオドールは重く乾いた、笑いにもならない吐息が数度吐き出した。
「アレクシオン――」
その名を口にしたテオドール自身が、息を吸い込む。
「主……俺が、主を……」
顔を上げた弟の表情は、自らの罪を懺悔する大罪人のようだった。
「後生です、兄上……! どうか……俺を殺してください……」
テオドールはただ裁きの瞬間を待つように、頭を垂れ、静かに請うた。
それきり静寂が、重く沈んだ。
シュトルツは、おもむろに彼が腰に下げた鞘から剣を抜き取り、胸に引き寄せた。剣身に映った自分は、思った以上に冷めた顔をしていた。
刻まれた紋章。何かを問うように見つめてくる、翼を広げた大鷲。シュトルツは緩く首を振る。
テオドールの支配魔法は、中和しきれていない。中途半端な中和が、彼の記憶を激しく混同させている。
その彼に何を言うべきなのか……、わからなかった。
ただ、自分に彼を裁く権利がないことだけは、確かだった。
「王家の剣、か……」
残されたのは、もうこの世に軌跡を刻むことを許されていない自分と、足元で断罪を待つ弟。
グライフェンをここまで繋いできた父、祖父、更に前の当主たち……
シュトルツは申し訳なさに、息をこぼした。
「本当、面目が立たないよ」
その場に片膝をついたシュトルツは、微動だにしない彼へと呼びかけた。
「グライフェンの剣で、お前を斬ることは出来ない」
この剣でも、腰に下げた双剣でも。
顔をあげた彼は激痛に耐えるように、顔を歪めていた。
言葉にならない何かをこぼし、それはやがて涙声に代わっていく。
「兄上、俺、俺が……、俺が殿下を殺したんです……
俺が! 俺が主を……!」
主を失った従者の気持ちは、痛いほど知っている。テオドールのそれは、シュトルツが知っている以上に辛い現実に違いなかった。
父の命令とは言え、己の保身のために主を裏切った。結果、それは主を殺すことになった。
まだ幼かったテオドールは、内乱の中で、何を思って、父に従ったのか。
父がテオドールに向けた言葉ひとつひとつを知る由もなく、その場にいなかったシュトルツが、当時のテオドールを止めることも出来なかった。
「仕方なかった、テオドールは悪くない」
あの日、正気ではなかった彼に向けた言葉を繰り返す。
「そう言ってやれたらいいけど、俺はそうは言えないし、お前を殺してやれもしない。ごめんな」
鞘に剣を収めた音が冷たく響く。テオドールは脱力しきり、呆然とどこかを見ていた。
シュトルツは天井を仰いだ。
いつか……昔にもこんなことがあった気がする。
テオドールは俺の後ろをついてくる、可愛い弟だった。
俺に剣で勝てたことはなく、その度に悔しがっていたけど、純粋な尊敬を向けてきた眼差しは、今でもよく覚えていた。
――いつか絶対に、兄貴に追い付く。
爛々と輝く瞳で、剣を突きつけてきた負けず嫌いなところ。
完璧主義を持て余し、上手くいかないことを、泣きながら相談してくる甘えたなところ。
自分のことは後回しで、疎かにする面があった俺を見て「兄貴はこれだから仕方がない」と、年上面をして、世話を焼こうとしてくる生意気なところ。
俺がシオンの従者になると決めてから、テオドールとは距離が出来た気がする。
あの頃から彼が妙に突っかかってきたり、素っ気なくなったりした。
今、こうして彼を前にすると、悪いことをしたように思う。
思った以上に覚えていることが多かった事実に、シュトルツは半ば驚きながらも、苦笑を落とした。
「みんな、おまたせ。もういいよ」
情けない姿を他人に晒すのは、テオドールとしては嫌だろうけれど、長居するわけにもいかない。
扉に向けて言ってすぐ、先に入ってきたのは、ルシウスだった。




