混線する下絵
「古文書については一旦、保留にする。俺たちがどうこう出来る内容じゃなかったからな」
部屋へ戻ったルシウスたちを見て、開口一番、エーレがそう言った。
この短時間に、彼は本の古代言語の部分を読み終え、更にリーベと古文書について話し合ったらしい。
内容を聞いてみると、半分は解読不明、半分は論文に近い難解な記述だったそうだ。
これを持って実際に何かが出来るわけではない。しかし使い道はあると、エーレは企み深い表情をしてみせた。
「あのクソ女か、ゼファに貸しを作るにはうってつけだ。よくやった」
「ものすごく悪い顔してますけど……」
たった一刻の間に、見事な手のひら返しを決めた彼を見て、ルシウスは悪いことをしたような気持ちになった。
偶然とは言え、自分が手に入れてきたものだ。それでリクサか、ゼファへ脅しをかけている彼の姿が、易々と想像できる。
利害の一致。同時にそんな言葉も浮かび上がって、ため息がこぼれ出た。
「まぁ、いっか」
「ああ、あと」 エーレが手に持つ古文書を、シュトルツへ預けてこちらを見た。
「明後日、ヘルメス一刻半(二十一時)になった」
何が、咄嗟に言いかけたルシウスは口を噤んだ。
「もう連絡が来たんですね」
公園にいた時間が長く感じて、一瞬忘れていた。
「テオドールは決断さえしたら、行動に移すのが早いやつだからねぇ」
いつの間にかすぐ隣で、シュトルツは古文書をパラパラと捲っていた。ふと視線をやると、中身は白紙。隠蔽がかかっていた。
その魔法をかけた張本人は、机に腰を預け、腕を組みながら難しい顔をしている。
「結局、ヴァルハイド邸で会うんですよね?」
「そうなるな」
不満そうな彼の返答に、ルシウスは不安を感じた。
どこまで中和の効果が出たのかは、会って話しを聞いてみないとわからないが、テオドールが密談を設けたということは……うまくいったってことでいいのかな?
テオドールは現在、混乱の中にいることだろう。
ヴァルハイド卿に中継ぎを頼めと言ったのはエーレなのだから、密談場所がそこでも不思議ではない。ただ……
「場所がどこであるにせよ」 ベッドのふちに腰かけていたリーベも、エーレ同様に難しい顔をしていた。
「卿が余計な詮索さえしてこなければ、問題ないだろう」
その言葉に、ルシウスは頷く。
エリオットに彼らの正体が明らかになるような事態だけは、避けた方がいいだろう。
「ま、大丈夫じゃない? 上手く転んだら、ヴァルハイド卿辺りも協力を仰ぐことになるだろうし? その時はまぁ、どうにか?」
嘘に本当をこう組み合わせて、どうにかね?
エーレさんやリーベの得意分野でしょ?
そう笑って見せたシュトルツの隣で、「ああ」と、ルシウスは腑に落ちる感覚を覚えた。
「やっぱり、そういう感じなんですね」
最近やたらと貴族に関わり、調べているとは思っていたが。どうやら彼らの中では、絵は描かれているのだろう。
まずテオドールを介して、支配魔法の媒体を特定。そこから秘密裏にそれらを除去するためには、他の貴族の協力は欠かせない。
付け加えたシュトルツに、補足したのはリーベだった。
「グライフェンは王家と軍事、どちらの方面に深く携わる家門だ。それが国防を受け持つ改革容認派と手を繋いでくれれば、今までよりも順調に事は進められるだろう」
つまり。ルシウスはその言葉をなぞる。
テオドールとエリオットの家門が受け持つ範囲は、似ていて少し種類が異なる。
それらが仲良くこちらに協力さえしてくれれば、王国に蔓延る支配を取り除くのに助かる、ということか。
なんとなく概要を理解したとき、苦笑と共に机が軋む音がした。
「テオドールはさておき、エリオットが社交にでも目覚めて、味方を増やしてくれれば、願ったり叶ったりなんだがな」
おもむろに扉へ向かっていくエーレの言葉に、引っかかりを覚えたルシウスは、じとりとその背を見据えた。
……どれが本音なのかわからない。
――俺らに割く時間があるなら、社交のひとつでも身に着けて、ひとりでも多く味方をつけておくんだな――
数刻前の、善意を借りた彼の言葉が想起された。
その背を目で追っていた時、扉へ手をかけた彼が、こちら以上の睨みをきかして振り返る。
「睨む暇があるなら、万が一に備えて準備しとけ。前回足りなかった分の中和もやるからな」
扉が閉められる瞬間まで、そちらを見据えていたルシウスの視界で、すぐに明後日のことが浮かぶ。
――万が一、か。
「俺らも、飯食いに行こっか」
軽く肩を叩いてきたシュトルツが、扉へと向かっていく。
「そうですね」
口から自然と出た言葉は、掠れて沈んでしまった。
「ルシウス」
再び肩に温もりが落ちてきたのを知って、隣を見るとリーベが前を見ていた。
そこには、扉を開けて待っているシュトルツの姿があった。
「今日は疲れただろう。食事を済ませたら、ゆっくり休んだ方がいい」
労りの声に、今日一日のことが過る。
たしかに、色々と考えることが多かったかもしれない。
「そうですね」
二度軽く頷きながら出た声には、自覚できていなかった疲弊が滲んでいた。
リーベの言う通り、一旦疲労を回復させることに専念しよう。
自分に言い聞かせて頷いたところに、深い茶色の靴が見えた。途端、それはテオドールの瞳を重なった。
ルシウスは意図せず再び回り始めた思考に、足を止めかける。
「誰が一番たくさん食べられるか、勝負でもしない?」
「そうですね」
軽やかな提案に、ルシウスは意識の外で答えた。一拍後に頭に滑り込んできた言葉に、ハッと顔をあげた。
「――いや、しませんよ!」
「それは残念」
思考に制御を奪われていた体は、いつしかシュトルツの隣まできていた。
ニヤリと口元を引き上げた彼が、軽く頭に手を乗せてくると、首を傾げた。
「疲れてるときは、好きなものを好きなだけ食べて寝るに限るよ。明日になったら余計なことは、ぜーんぶ忘れてるから」
ルシウスは、釈然としない気持ちで眉を寄せた。
そんな器用なことが出来たら、苦労はしていない。
反駁しようと口を開くよりも早く、背をそっと押された。リーベだった。
「ルシウス、計画的に未来を描くことは必要だが、無暗な想像は判断力を低下させるだけだ。
食事に集中して、切り替えることにしよう」
「そうそうー。今俺たちに出来ることは、いかに食事を美味しくいただくということだからね」
森羅万象、生きとし生けるものに、感謝して食べないと。
すぐ後ろで扉が閉められる音と、そんなシュトルツの声に、ルシウスは呆れて首を振る。
「絶対に感謝しながら食べたりしてないでしょ、シュトルツは」
「そもそも、森羅万象ってなんだっけ? 使い方あってる?」
軽快な笑いが、広くない廊下に響く。
「たまには、辞書でも繰ってみることだな」
シュトルツよりも早く隣に並んできたリーベの嘲笑に、ルシウスは彼に耳打ちをした。
「合ってますよね?」
「間違っていることにしておこう。そうすれば、少しは頭を使うようになるかもしれない」
二人の失笑の中、森羅万象を繰り返し、唸るシュトルツの声。
ルシウスは一階にいるだろうエーレと、今から集中すべき食事を思い浮かべる。
頭の中に激しく混戦していた雑音は、少しだけ遠のいていた。




