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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
5章

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夕暮れに詭弁

 



「あ」



 傾き始めた陽が、窓から差し込むベッドの上で大の字になっていたルシウスは、唐突に思い出した。

 首だけゆるりと動かして、簡素なキャビネットを見る。そこには、今にも崩れ落ちそうな古文書が、気配を消して存在していた。



「また忘れてた」



 アヴィリオンのルフという男性。かなり衝撃的な出会いであったはずなのに、何故か印象には残りづらい人物で、やがて本は、部屋の景色に溶け込んでしまっていた。



「あー」



 こんなことならあの時、エーレに渡しておくべきだった。


 ルシウスの頭の中には、あらゆる情報が錯綜していた。

 どうしたものか、と悩んだのは一瞬だった。



「今のうちに持って行かないと」



 勢いよく起き上がり、本を取り上げた彼は、いくつか隣のエーレの部屋を訪ねた。

 ノックするよりも早く、「開いてる」という中からの声に扉を開く。まずシュトルツの姿を見つけたが、リーベの姿は見当たらない。



「どうしたの? お子ちゃま」



 ベッドを我が物顔で独占している男の視線が、まっすぐ腕の中の本へと視線を注がれていた。



「お前」



 背を向けて机に向かっていたエーレが、椅子の背もたれの縁に、肘をかけながら振り返る。彼もすぐに古文書に見ると、ため息が吐き出された。どうやら、こちらから切りだす必要はなさそうだった。



「面倒せえ時に、面倒くせえもん拾ってきやがって」


「そんな、動物を拾って来たみたいな言い方しないでくださいよ」


「動物の方が数倍可愛い。なんだ、その妙な気配は」


「気配?」



 ルシウスは、手の中へと視線を落とす。

 そんなものするだろうか?


 エーレは立ちあがると、大股で近づいてきて、乱暴に本を取り上げていった。普通の本と繰るときとは違う、脆く乾いた音が数度響き、激しく眉を寄せた彼が、大きな舌打ちをひとつ飛ばした。



「いつどこでどうやって手に入れた?」



 抑揚なく早口で尋ねてきたエーレに、ルシウスはあの日の経緯を説明した。



「……ルフか。まぁいい」



 何かを飲み下したような彼の反応に、ホッと息を吐きだした。

 渡すことが遅くなったことのお咎めは、避けられたらしい。


 エーレは椅子をこちら側に向けて、腰を下ろす。説明している間に、本を読んでいたシュトルツへと、うんざりしたような視線を送った。



「何が書いてある?」


「うーん、序盤ずっとエルフ語で綴られてるから、俺にはなんとも。後半になって古代言語出てきてるけど、小難しいこと書いてる」


「エルフ語? よく読める状態で残ってたな」


「どっかの遺跡から出てきたとか? 保存魔法でもかけられてたのかもだけど、奇跡に近いね」


「妙な気配の正体はそれか」



 本を受け取ったエーレは、鑑定士のように本の端から端まで眺め始めた。



「俺にはよくわんないけどね。言われてみればそんな気がするってくらいで」



 首を傾げて答えたシュトルツ。

 会話に耳を傾けていたルシウスも、首を捻ってばかりいた。


 妙な気配なんてものは、これっぽっちもわからない。どうにしろ、僕が読んでも到底理解できないことが書かれているみたいだから、開かなくて正解だった。



「――結局何なんですか? それ。そんなに古いものなんですか?」



 古代言語は伝承として残っているけど、エルフ語なんて聞いたことすらない。



「ああ、これはたぶん……そうだねぇ。神話の時代の物の可能性があるね」


「神話の時代……?」


「聖アメリアの時代よりも、ずっともーっと昔。エルフがまだ地上にいた時代」



 つまり二千年よりも更に昔?



「そんな時代があったんですか……」



 シュトルツの説明に、ルシウスは唖然としたままそれしか言えなかった。



 まだ古代言語が作られる前、エルフにはエルフだけの文字があったらしい。

 彼らが地上から姿を消す――つまり、種族大戦というものが起きる前に、古代言語は作られたらしい。

 結果的にそれを用いた霊奏は、大戦で人間の多大な勢力になったと言う。


 古代言語を人間に教える仲介をしたのは、そのエルフだったとか。



 どれもこれも、彼らが昔読んできた古文書に記されたもので、信ぴょう性は薄いらしいが、ルシウスは到底想像が追い付かない歴史を聞かされている気分だった。


 その間、本を丁寧に読んでいたエーレは、眉間を指で挟むようにして唸ると、

「読めるところは今日中に読んでおく」とだけ残して、さっさと机に向かってしまった。


 しばらくの静寂の中、夕陽を遮る布を引く音で部屋に、闇の帳が下りた。すぐにシュトルツによって火が灯される。



「うーん。悪いんだけど、リーベ探してきてくれない?」



 彼は遠慮げな声と共に、こちらへ振り返った。ルシウスは先ほどの夕陽から、ざっとした時間を割り出して、仲間の顔を思い浮かべる。



「まだ戻ってきてないんですか?」


「俺がいくと嫌がるだろうし、生命力も極限まで抑えてるみたいで、探知に引っかからなくてさ」



 ルシウスは、その言葉が誰かの言葉と重なった感覚を覚えた。


 そうだ。ルフという男性に、アリシアがそんなことを言っていた。

 生命力を抑えれば、探知に引っかかりにくくなるのか。とはいえ――



「いや、シュトルツがわからないのに、僕が探しても無駄足なんじゃ……」



 そこに、がさりと紙を繰る硬い音が挟まった。



「リーベなら近くにいる。詳細な場所まではわからんが。探してこい」



 本へと視線を落としたままのエーレが言った。窓に映った彼はいつも間にか眼鏡をかけている。

 彼も古文書について、リーベの意見が聞きたいのかもしれない。


 エーレが伝達を――言いかけて、ルシウスは口を噤んだ。伝達も相手の生命力が特定できなければ、難しいに違いない。

 行く先を無くした言葉を、ため息として逃がして、頷くことにした。



「わかりました。見つからなくても仕方ないですからね」



 まったく。面倒くさい時に、どうしてこの人たちは、面倒くさいことを放置しているのか。

 エーレの言葉を、そのまま心の中で繰り返し、悪態をついたルシウスは、二人を一瞥だけして、部屋を後にした。







 ◇◇






 日暮れまで、あと一刻もないだろう。

 仰いだところには、一日を惜しむような青空が、かすかに残っていた。逆側の建物の隙間からは、夕陽が存在を主張している。


 酷く輝く橙は、青さを吸い込んでいっているようで、その周りには、染料を重ね塗りしたような半透明な白さ広がっている。


 それはルシウスに、エルフの里の空を思い出せた。



 あれから数度、仲間の真似をして生命力探知を試みた。

 しかし、うんともすんとも言わない。ルシウスは小さな苛立ちを持て余しながら、自然と中央通りに向かっていた。


 リーベが人の多い通りにいるとは思えないし、他に彼が行きそうなところなんて、ほとんど知らない。


 行き交う人々を見つめながら、希望的観測で夕陽によく映える銀色を探してみるが……

 そもそも彼の姿は、探す間もなく、目を引く。つまり無駄な努力であることに気づいて、他の方角へ足を向けることにした。



「うーん。魔鉱商、書店。他には……」



 不機嫌な時、人は無意識に自分の機嫌を取ろうと好きな場所にいくものだ。

 今まで見てきた彼の姿を想像した時、ふと一つの絵が浮かんだ。



「あ、公園」



 木製のベンチに座って、猫に食べ物を与えていたリーベの姿だった。



「僕なら、公園で動物を見てたほうが――」



 彼が自分と同じ発想だとは思えない。それでも直感に従って、それほど遠くない公園へ向かうことにした。


 夕暮れの公園には、日中よりも随分人は少なく、そこにはやたらと目立つ男が一人、ベンチにかけていた。

 ルシウスは正解を引き当てたことに喜びながら、声をかけようとした時、不意にシュトルツの声が蘇った。



 ――あいつはあれが息抜きらしいから、邪魔したら怒られるよ~



 随分離れて座っているリーベからは、ほとんど生命力を感じ取れなかった。

 そこまでしてひとりにしてほしい気分なのだろう。


 彼は前傾で膝に両肘を乗せ、足元の猫をぼんやり眺めている。


 見つけられたのはいいけど、どうしよう。

 彼が動物を見て、安らぎを得ようとしているなら、今行くと邪魔することになる。


 いや、彼はもう、僕がここにいることに気づいているはずだ。なのに、こちらを見ようともしないということは、邪魔をするなという無言の牽制なのかもしれないし……


 ルシウスの頭の中で、いくつもの思考が流れ始めた。



 探してこいとは言われたが、連れて戻ってこいとは言われていない。

 散々仲間の詭弁を聞いてきたせいか、自然とそこに着地した答えに、ルシウスは妙な満足感と共に頷く。


 こんなに近くにはいるんだし、すぐに戻ってくるかもしれない。

 リーベにも、ひとりになる時間は必要だろう。



 そう思って、身を翻す。砂に混じった小石を巻き込む靴裏の音は、妙に心地よく聞こえた。

 温い風が、背から体を通りすぎていく。



「ルシウス」



 その中で不意に浮かび上がったのは、張った声ではない――風が気まぐれに耳に運んできたような囁きに近かった。

 今しがた逸らした体を戻すと、リーベが静かにこちらを見ていた。



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