使者のもたらすもの
それからというもの、リーベは同じ場にシュトルツが居ても、本当に必要なこと以外、沈黙を通していた。
ルカの件について、エーレが報告した時でさえも、彼はシュトルツの取るに足らない言葉は、全て聞かなかったものとして答えず、場が微妙な雰囲気に包まれることもしばしば。
しかし当のシュトルツは、さほど気にした様子もなく、「でさ~、エーレさん」と暢気に話題を変えて、エーレといつも以上に仲良くしているだけだった。
シュトルツに対してそうするだけで、二人にはいつもと同じように接している。
そういった場面が増えるたび、最初こそ戸惑っていたルシウスは、器用なことするなぁ、と感心すら覚えるようになっていた。
喧嘩のようなものが始まって三日目のヘリオス、二十六の日。レギオンへ一人の使者がやってきた。
使者。そう、使者と言うに相応しい。フードを目深に被り、外套を羽織っている細身の男性の雰囲気は、貴族の使いのそれで、エントランスホールの人々の目を引いた。
上位クランに、貴族から依頼があることは珍しくない。大体においてややこしい案件ではあるが、それだけだ。
ホールには、すぐに喧騒が戻る。ルシウスは丁度、午後の訓練を終えたばかりで、職員から豆の飲み物を受け取っているところだった。
カウンターへやってきた使者が、何気ない様子でこちらを一瞥した時、視線が合った。
あ……。ルシウスは咄嗟に、仲間の姿を探した。
早々に訓練場を退室したエーレは見当たらず、他二人もいない。
「クラン、ラクナ殿へ今すぐ取り次ぎたいことがあ――ございます」
明瞭で淡々とした声が途中、妙に丁寧な口調に切り替わった。職員がこちらを見る。
――どうしよう。
ルシウスは半分まで飲み干した豆の飲み物と、前の二人を交互に見た。
反射的にいない仲間の姿を探しかける。彼は観念の吐息をと共に、コップをカウンターへ置くと、前へ出ることにした。
「僕がラクナのマスターです」
使者はこちらへ向き直ると、つま先から頭のてっぺんまで精査するように眺めた後、怪訝そうな表情をする。
こんな子供がマスター? と言われているようで、思わず顔が引きつりかけた。
ルシウスは感情を表に出すのをぐっと堪えて、あと半歩詰め寄ると、「グライフェン伯爵家の使いの方ですか?」と小声で尋ねた。
少し高い位置にある瞳が、ほんの少しだけ驚愕を表す。
「失礼致しました」 使者は一歩下がると、小さく頭を垂れた。
「貴殿へ、伝えるべき用向きを預かっています」
テオドールからの使いなら、少しでも早くに対応する方がいい。
カウンターの奥を見た時、同じようにレギオン職員が、その方向を指差した。
「直接のお伝えでしたら、奥の部屋を使っていただいても大丈夫ですよ」
ルシウスは彼女に会釈で応えて、使者へ尋ねる。
「他のメンバーも呼んできて構いませんか?」
「随意に」
彼は隙のない動作で、短く肯くだけだった。
職員の先導のもと、一度は踵を返した彼は、不意にこちらへ戻ってくると、先ほどよりも距離を詰めて前に立った。腰を屈めた彼の堀の深い顔が、眼前へやってくる。
――あれ、見覚えがあるような。
「申し添えますと、私はヴァルハイド家の使いです」
「ああ!」
初めてエリオットと会ったとき、お茶を出してくれた人だった。
「失礼しました。すぐに仲間を呼んできます」
早足で二階へ向かったルシウスは、階段の途中、ふと疑問を感じて一階を見た。
使いの人は、まだこちらを見ていた。
どうして、ヴァルハイドの人がきたんだろう?
いや、それよりもみんなはレギオンにいるのかな……。エーレはいるはずだ。
「まぁ、エーレだけいてくれたらいっか」
僕だけじゃ心許ない。ルシウスは残りの階段を駆け上がった。
レギオン支部の一階には、基本的に応接室が設けられている。
職員とクランとの面談だったり、クラン内の紛争解決のための話し合いだったり、今回のように貴族からの依頼を聞くためだったり。用途は様々だった。
併設されている宿を借りる人が大半なので、部屋で済ませるクランもいたが、応接室の方が壁は分厚く、職員によって管理されているため、情報傍受の心配もほとんどない。
ルシウスはその応接室で、ヴァルハイド家の使いと向き合っていた。
隣にはエーレ、後ろにはシュトルツ。リーベは外出中だった。
「どこにいったかは知らないよ~。俺と口聞いてくれないし」
彼らを呼んだ時、シュトルツはそう言った。
その言葉を思い出したルシウスは、吐きかけたため息を喉の奥で飲み下す。
職員により、しっかり閉められた扉をそれぞれが確認したような気配のあと、使者がようやくフードを外す。
「先日は、当主がお世話になりました」
向かい合った彼は、固い所作で一礼して言った。
「家宰がわざわざ出向いてきた用ってのは?」
礼を受け取ることも、挨拶すら交わさなかったエーレが、怪訝そうな声色で本題を尋ねた。
彼がヴァルハイド家の家宰だったことを、今知ったルシウスは、小さな驚きと共に、今一度、正面の男性を見た。
明るい色の髪に混じってある白髪が、あまり目立たない初老の男性。文でも伝達でも構わないはずだった。
彼は咳払いをひとつすると、一本の棒が伸びたような背筋を、更に正して言った。
「ご安心を。あれ以降、当家に何かが起きたという話ではなく。
エリオット様の方より取り次がせていただいた、グライフェン家当主のことであります。
あちらの当主様より、貴殿らと当家での面会を望まれております」
固くしっかりした家宰の言葉尻に、エーレの吐き出した息が重なる。
「連絡する手間が省けたな」
「よかったですね」
テオドールが自ら動いてくれたことに、ルシウスは賛同を示した。
ふと後ろからした音に振り返ると、シュトルツは何かを考えるように腕を組んでいた。その小さな沈黙の間にもエーレが続けた。
「言伝はたしかに受け取った。正確な日時が決定したら、すぐに報せてくれ」
「件に関してですが、日中、両家の都合の合う日が設けられないようでありまして、陽が沈んだ時刻からでも――」
「待て」
視線を逸らすことなく、淀みなく話す家宰の言葉を、エーレが遮った。
「どうして、エリオット卿が面会に同席することで話が進んでる」
二人を交互に見たルシウスも、同じ心境だった。
以前と同じようにヴァルハイドは、テオドールとの面談のための中継ぎをしただけじゃ……
家宰は再び咳払いをすると、ひとつ頷いた。
「先ほど申し上げたように、当家での面会はグライフェン当主の意向であります。
それ以上のことを拙めは存じ上げておりませんが、添え申し上げられることと言えば、エリオット様がこの機会に、貴殿らを正式に招待しもてなしたい、と仰っていたということだけであります」
途端、先ほどより盛大なエーレのため息が部屋に漂った。彼は腕を組むと、うんざりしたように項垂れた。
「あのなぁ、別に正式に招待なんぞしてほしくないし、密談の場だけ設けてくれたらそれでいい。
こっちからしたら、いい迷惑なんだよ。
そっちも、どこから矢が飛んでくるかわからん状況なんだ。軽率な行動は控えろ。
そんなことに割く時間があるなら、社交のひとつでも身に着けて、ひとりでも多く味方をつけておく方がよっぽど有意義だ。
――帰って、そう伝えとけ」
捲し立てるように言った彼は、時刻はいつでもいいこと、当日のエリオット卿の同席は、こちらの用が済んでからにしてほしいこと、日時が決まり次第すぐに連絡を寄越すことを追加で述べる。
家宰が何かを言う隙を与えず言い終えると、彼はさっと立ち上がり、踵を返した。
テオドールの動きを待っていたはずの彼にしては、いつも以上に素っ気ない対応に見えた。
身じろいだ家宰よりも早くにルシウスは立ち上がる。
クランマスターとして礼を尽くすべく、そのまま小さく頭を垂れた。
「伯爵家の家宰ともあろう方が、こんなところまでご足労いただき、ありがとうございました。
その、彼に悪気はないので、えっと……」
体を起こしながら、ちらりと扉を見る。我先に退室したエーレが扉を閉めたところだった。
ほとんど音を立てずに立ち上がった家宰と、不意に目が合うと、彼は瞳を意味ありげに細めてきた。
「いえ、とんでもありません」
扉を気にしたような彼は、もう一度こちらをしっかり見つめてくる。思わず眉を寄せかけた時、彼が言った。
「謙虚な言動も、時には大事であろうと思いますが、あの方のような傍若さも、身に着けておいて損はない。これは拙めの経験からですが」
固かった表情は、途端、冗談を言うように微笑まれ、彼はひとつの提案差し出すように、手のひらをこちらへ差し伸べてきた。
家宰が普段つけているだろう、手袋のないその手は、どう見ても剣を握る者の手だった。
ルシウスは苦笑と共に、頷く。
「肝に銘じておきます」
「では、拙めはこれにて失礼。すぐにご連絡差し上げられるかと思います」
数秒後には、扉がしっかり閉められた。
音の余韻と共に訪れた静寂の中で、シュトルツがようやく口を開いた。
「なんか言っておいた方がよかったかな?」
彼は隣にどかりと座り込むと、大きく凭れて脚を組む。
ルシウスもそれに倣って、再び腰を下ろすことにした。
大した話はしていないはずなのに、どっと疲れた気がする。
「ーーあの爺さんの覇気に当てられた?」
「……え?」
覇気? ルシウスは、先ほどまで前に座っていた家宰の姿を思い返してみた。
今まで見てきた家宰とは、少し毛色は違っているようには見えたが、貴族に仕える人特有のお堅い雰囲気以外は、特に何かを感じることはなかった。
「あの人、すんごい牽制してきてたじゃん」
「……え?」
二度目の自分の腑抜けた声が、部屋に頼りなく鳴った。完全にだらけているシュトルツは、前のソファーを目だけで見ながら、おかしそうに口端を引き上げている。
「エーレさんも機嫌悪そうだったし、使いとして来てるなら。この場だけでも穏やかにしてほしいよねぇ」
誰ともなく、ひとりごちたシュトルツ。
彼がそういうのだから、あの家宰がこちらを牽制してきたのは事実なのだろう。
腹から息を吐きだしてようやく、ルシウスは体中の筋肉が強張っていたことを知る。
エリオットがレギオンの輩を気に入っているのが、気に食わなかったのか。それともただ単に、武人出身のあの家宰が、こちらの力量を見極めようとしたのか。
ふと、分厚い手のひらを思い出した。
「貴族の家宰って、みんな武術の達人か何かなんですか……」
あの人と真正面からやりあったら、勝てるのだろうか。
ルシウスは頭の中で、先ほどの細身の家宰と対峙してみる。
それはいつしかコンラートにすり替わっていて、咄嗟に首を振った。
「まさか」
シュトルツが軽快な笑いを上げた。
「でもまぁ、国防を担ってる貴族にはそれなりに多いことだよ。何かあった時に主人を守れないとね」
国の境に領土を持つ辺境伯家の家宰。彼は主人のため綺麗に整えた燕尾服を纏いながら、会敵した瞬間、勇敢に敵をなぎ倒すのだろう。
ルシウスは更に疲れを感じて、ソファーに大きく凭れた。




