扉は開いている
ルカがレギオンへ戻ってきたことを知るのには、苦労しなかった。
号泣せんばかりに、彼を迎え入れるカイの声が、地下の訓練場まで聞こえてきたからだ。
「エーレ、ルカさんのこと。何か知ってるんですよね?」
訓練を挟んだ休憩時、ルシウスは問うた。
「なんだ、知りたいのか? 別に知らなくても――まぁ、いい。
ここじゃ話せねぇし、部屋にいくか」
彼は訓練場を見渡すと、剣を携えたまま、階段のある方へ足を向けた。
ホールには、未だ騒ぎ足りない様子のカイを牽制するアランと、いつもと変わりないようなルカがいた。
ルシウスは、待ち構えていたように、豆の飲み物を渡してきた職員に、礼を言って受け取る。
彼女は、あからさまに嫌そうなため息を吐いて、ジュティケイターを目だけで見た。
「もうしばらく続くようでしたら、マスターに報告しようと思っていました」
レギオンマスターバルトの権威を借りたその声に、ルシウスは乾いた笑いで応えるしかなかった。
絞れそうなほどの汗で濡れたシャツを着替え、エーレの部屋を訪ねると、彼は机に向かって、何かしらを書いている最中だった。
近頃、こういう彼をしばしば見かけている。
「何書いてるんですか?」
窓際に机があるため、彼の背からしか様子はうかがえないし、覗き見る趣味もない。
「今後のことだ」
彼がペンを置く。ノートを閉じるかと思いきや、さっとそれをこちらへ渡してきた。
意外に思いながらも、歩み寄って受け取ると、どこにでもありそうな薄い羊皮紙の束だった。
流れるような達筆で、埋め尽くされている、情報はあまりにも断片的だった。
上部の数行は終わったことらしい、横線が引かれていて、その下には――
・グライフェン、テオドール中和。屋敷内媒体探索
・アルノ―、エルグラート、ヴァレッタ商会
・ヴァルハイド→王家、又は、改革容認派貴族
と、並んでいた。
ヴァレッタ商会の上にはオリーブの木と付け足されており、随分と離れたところに、何かを書いて上から潰した痕跡もあった。グライフェンとヴァルハイドは、丸で結ばれている。
更にその下には、ルカの名前があったり、レギオン、帝国、反皇帝派、トラヴィスという名称。
優先順位のように、数字も振られていた。
ルシウスはそれらに目を通して、ノートを返した。
「ぜんっぜん、わかりませんけど」
彼の頭の中では、これを見たら、全部繋がるようにできているのだろう。
それでもルシウスはひとつ、わかったことがあった。今回の何かしらにルカが関わっていることだ。
「俺がわかればいいんだよ」
彼はノートを不満げに睨んでいた。
「書きださないと、うまく繋がらくなってきたからな」
なにげないその声に、ルシウスは一瞬、言葉を詰まらせる。
エルフの里での、シュトルツの言葉が脳裏に過った。
――エーレは、僕が代償の詳細を知ってしまったことを知らない。
「今回の、夜会の件――」
動揺を悟られないように、ルシウスは考えるよりも早く、言葉を紡ぐことにした。
「関わるつもりはなかったんじゃないんですか?」
エーレは一度、視線を斜めに逸らした。彼はこちらに手招きをすると、机にノートを広げ、ペンを手に取る。
「直接関わるつもりはない。けど、うまくやれば、中和が予定よりも順調に行きそうだからな」
ルシウスが隣に並ぶと、ペンがエルグラートと書いた文字を、軽く丸で囲った。
「ルカがどう動くかだが……。あいつが今回の夜会騒動の解決に積極的になってくれれば、エルグラートも含め、アルノーやヴァレッタ商会を抱えている貴族にも、手が出せるかもしれん」
まぁ、アルノーはグライフェンを経由してもいいし、ヴァルハイドは問題なさそうだ。
ヴァルハイドの影響力は、更に強くなっているからな、いい意味でも悪い意味でも。改革容認派貴族を……
エーレはこちらに説明するというよりかは、ひとり思考を整理するように話し始めた。
彼が言葉を重ねるにつれ、頭の中には疑問符が増えるばかりで、
「――ってな方向で、いくことにするか」
こちらを見てきた彼に、思わず半眼になった。
「今、僕が何割理解できたと思います?」
眼前の眉が徐々に寄せれていき、彼は数秒沈黙した。
「レギオン本部で、色んな資料漁っただろ」
「だからって、全部覚えてるわけじゃありませんよ! エーレみたいに、一度読んだだけで覚えるような頭はしてないんです!」
これほど状況を整理して、流れるように話した彼。
自我の同一性を失くしていっているという話は、嘘なんじゃ……
ルシウスが、思わず疑いを持った時だった。
――逆だよ、逆。
不意に近くからシュトルツの声がした気がして、咄嗟に後ろを見る。
勿論彼はいるはずもなく、前からため息が聞こえてきただけだった。
「いいか? 一から全部説明してやるから、よく聞け」
「出来るだけ、わかりやすくお願いします」
ルシウスは、ペンで示しされたエルグラートという文字を、じっと睨んだ。
レギオンランク第二位、ジュティケイター。
そのマスター、ルカの正体は、エルグラート子爵家の第五子。
一番末の子の第二令息。つまり次男で、本名はリオセル・エルグラート。
幼い彼が、どうしてレギオンに籍を置くようになったのか。
大体予想はつくとは言っていたエーレは、その予想を語らなかった。
アランはさしずめ、ルカの付き人、もしくは護衛だったのだろう。
途中挟みこまれた推測に、ルシウスはふと、アランの言葉が思い出す。
――これが私の本分ですから
彼の本分。それはルカの隣にいることなのかもしれない。
「カイ・オルドレン? 今のオルドレンは貴族じゃない。没落した後、商家として立て直し、それなりの功績を認められて、家名を名乗ることを許されただけだ」
王国では、それなりに有名な話らしい。
ルシウスは、ジュティケイターの三名を頭に浮かべて、妙な納得感を覚えた。
レギオンに所属するクランは、本当に面倒な事情を抱えた人たちばかりだ。
ルカが貴族と聞いても、ルシウスは驚くどころか、諦念に近い共感を覚えるだけだった。
「そこまではわかりましたけど、そのルカさんの――えっと、エルグ……子爵家が、今回の夜会と何の関係があるんですか?」
「エルグラートだ。ヴァレッタ商会の魔鉱石部門のお抱えが、アルノ―だとは言ったな?」
「言ってましたね。あの令嬢……イリスさんの夜会の件、それも相まって伯爵家が裏幕なんじゃないかと疑われてるって」
エーレはノートのエルグラートとアルノーをペンでトントンと差すと、次にヴァレッタ商会を示した。
「この両家は共同事業をしてる。その一つが、ヴァレッタ商会の魔鉱石だ。
つまりアルノ―が疑われるってことは、当然そこにエルグラートも含まれてる」
なるほど、ルシウスは口の中で呟いた。
「ルカさんの実家はエルグラート子爵家で、今その共同事業関係で困ってる。
だからルカさんが、疑いを晴らすために動いてくれたら、都合がいいって話ですか?」
先ほどエーレがひとりで話していた内容は、結局そんなところだった。
しかし、レギオンに籍を置いているということは、つまり彼は家に帰っていないということで、その彼が動くとは思えない。
エーレはこちらを見ると、小さな息を吐いて答えた。
「まぁ、希望的観測の話だ」
怪訝そうに首を捻ったルシウスの頭に、再びあの店でのルカの声が蘇った。
――僕にはもう何の関係もないから! 連絡してこないで!――
そんな言葉を吐き捨てていた彼。メンバーに告げず数日行方をくらましたのは、それほど何かに悩んでいたからだろう。
「ルカさんも、色々抱えてるんでしょうね」
自然とこぼれ出た意見に、エーレがこちらを一瞥する。
「レギオンにいるやつらは大体そうだ。
まぁ、嫁いだ姉がわざわざやってくる程度には、色々あるんだろ」
嫁いだ姉。あの店にいた女性は、ルカの姉だったのか。
ちらり、と疑いの目を向けてみると、エーレはその情報をシュトルツから聞いたらしかった。
彼女とは貴族院で同期だったと。
「シュトルツって、割と顔広いですよね」
オリーブの木で、店内に背を向けていたルシウスにはわからなかったが、シュトルツは目ざとく、その女性が誰かまで把握していたのだろう。
ルシウスの単なる感想に、エーレは答えなかった。代わりに間を繋ぐように、ノートの上を規則的に指で叩きながら、窓の方へ視線をやっている。
その間、ルシウスはノートを眺めていた。
並んでいる貴族の家名を見て、思考の整理を試みる。
しばらくの沈黙の中、窓にうっすら映るエーレと目があった気がした。
「結局、ルカさんを利用できたら利用しようって魂胆ですよね」
とりあえず、そういうことだろう。頭の中を駆け巡るいくつもの単語を、それでまとめあげる。
しかしエーレは、こちらへ首を回して、眉を寄せた。
「人聞きがわりぃな」
「でも、そうなんじゃないんですか?」
重ねて問う。ノートを叩く音が止んだ。
「別に利用するつもりはねぇよ」
彼は、おもむろに椅子を引くと、
「ルカが動くつもりがあるなら、多少協力するのも悪くねぇってだけで……、利害の一致ってやつだ」
後ろを振り返った。
「鍵はかけてない。用があるなら、入ってこい」
すぐに開かれた扉の先には、謙虚に一礼をしたアランがいた。




