裂きし声は呼び水に
今日ばかりは大目に見てくれたエーレのおかげで、デザートまで食べられたルシウスは、心地よい満腹を抱えて、窓の外を見た。
外はまだまだ明るい。
あとはレギオンに帰って、まったりと一日を終えよう。
「エーレさん、ご馳走さま」
「馳走になった」
シュトルツにリーベが、倣った。
「え?」
ルシウスは会計のため、財布を取り出したエーレを見る。
テーブルまでやってきた店員が、口頭で値段を告げると、彼は数枚の硬貨をテーブルに置く。
「釣りはいらない。取っておいてくれ」
思わず、脳内でお釣りの計算をして、再びエーレを見た。
ルシウスの心境など知らず、先に立ちあがった彼は思い出したように、「ああ、美味かった」と店員へ付け加えた。
ひとり、扉へと先に向かっていくエーレ。二人も店員に一言残して、その背に続いた。
唖然としていたルシウスは、さっと立ち上がり、「美味しかったです!」と置いて行かれる前に、早足で仲間を追う。
店内には、数組の客が食事をしていた。
ドアベルが鳴る。入口では、シュトルツが扉を開けて待ってくれていた。
すでに外に出てしまったらしいエーレに、ご馳走様を言わないと……
更に足を速めた時だった。
「僕には何の関係もないから! もう、連絡してこないで!」
後方からした大きな声に、ルシウスは驚いて、思わず立ち止まった。
左肩に衝撃を受けたことを気づくよりも早く、視界の端に春色の髪が掠めた。
体は押し出され、扉のふちへぶつかったが、それよりも、目は見覚えのある小さな姿を追っていた。
「平気か?」
こちらへ歩み寄ってきたリーベの声に、遠ざかっていく少年を見ながら頷く。
「ルカさん、ですよね? あれ」
「あれは、ルカだねぇ」
シュトルツが同じ方向を見て答え、リーベもその視線を追って、嘆息をこぼした。意味ありげなそれに、ルシウスはやっと、仲間を目に捉え――店内を振り返る。
数組の客、その中にひとり、取り残されたような人の姿を見つけた。
まだ、ルシウスたちしか店内にいなかった頃に入店してきた、鍔の広い帽子を被っていた女性だった。
「ややこしそうなことになってんな」
後方からしたエーレの声に振り返ると、彼もまた、その女性を見ているようだった。
◇◇◇
翌日の夕方から、シュトルツとリーベは依頼を開始した。
二人がいない食卓で、ルシウスはエーレの監視つきの食事にも慣れてきた頃だった。
食事を取り分けるシュトルツがいないせいか、前に座る男は、普段よりもまともに食事を食べようとしない。なのに、こちらにはこれが足りない、あれが足りないと指示してくる。
「二人がいないと、静かですね」
一度フォークをおいてルシウスが、誰ともなく呟く。
この時間帯から夜にかけてのレギオン支部内は、特に人で溢れている。
その上、世間は夏祭りやら、精霊にまつわる祝祭やらで忙しない。
というのに、ラクナで一番賑やかな男がいないこのテーブルだけが、俗世のあらゆるものから切り離されているように見えた。
「別に、毎日一緒に飯食ってるわけでもねぇだろ」
「それはそうですけど……」
その間にエーレが、自分のためには全く使わないフォークで、こちらの更に肉を置いてきた。
肉に、仇敵を見るような視線を送った時、ふと、昨日言い忘れていたことを思い出した。
「あ! 昨日はご馳走様でした」
「ああ」
会話がそれきり途切れ、仕方なくルシウスは食事を再開する。
ここ数日で前よりも食べられる量は増えたし、訓練も効率的に出来ている気がする。
前にレギオン本部に滞在していた一か月と少し。同じような暮らしをしてきたはずなのに……どうしてか、今回は落ち着かない。
この間にも、どこかでは色んなことが動いているはずだった。
それでも待機指示の中、こうして訓練を積み重ねているだけの現状に、そわそわする。
気持ちを持て余している不快感から、ルシウスは現在の状況を再び、頭の中で整理しようと努めた。
「あ」
……そういえば、忘れていた。
「あ?」
「あ……いえ。エーレにまた今度、相談したいことがあって」
彼は怪訝そうに一度眉を寄せたが、「そうか」と一言。やはりそこで会話が途切れた。
ルシウスの頭の中では、自分の部屋に置きっぱなしにしていた、あの古文書が蘇っていた。
つい、また今度と言っちゃったけど、よかったのかな?
どうせなら、全員揃っているときの方がいい気もするし。
まぁ、いいか。ルシウスは口の中で呟き、自分を納得させた。
◇◇◇
四日経っても、シュトルツとリーベは、依頼を継続していた。
そう簡単に、怪しい人物は尻尾を出さないのだろう。
特に変わらない日々の中で、ひとつ変わったことと言えば……
「マスター! マスター! ああ、我らが可憐なマスターは、どこに……!」
一昨日からレギオン支部内で、そんな叫び声が響き渡るようになっていた。
この上ないほど愛している相手を呼び求めるような、カイ・オルドレンの声は、時間を問わない。
朝から言っているときもあったし、深夜に叫んでいる時だってあった。
最初こそ何事だとレギオン内で騒ぐ人たちもいたが、三日目になると皆、ただの音の一部として処理し始めたようだ。
ルシウスが今日のやるべきことを終えて、ゆっくりとお茶を飲んでいた時、またしてもその声とともに、カイがホールの隅から隅まで徘徊し始めた。
どう考えても、ルカを探しているんだろうけど……
前にいるエーレは知らぬふりをして、ゆったりとお茶を啜っている。
「エーレ。あの日のこと、教えてあげなくていいですか?」
そっと声を落として、聞いてみた。
「あ? なんで俺がわざわざ……。あいつらの問題だろ」
「でも、あの日のルカさん。様子がおかしかったし、どうみても探してるじゃないですか」
ジュディケイターの印象は、正直あまりよくない。でもこれだけ血眼になって探しているのを見ると、どうも放っておけない気もした。
あの日、あの店に彼がいたことだけでも言ってあげれば、少しは……
そう思って、カイを見た時、彼はすごい形相でこちらへとやってきていた。
「今! マスターの名前を口にしたな!?」
長身の彼が、隣で見下ろしてくる。眼鏡の奥の瞳は充血していて、下には隈が出来ているし、前見た時よりも随分とやつれていた。
彼の異様な迫力に圧倒されたルシウスは、身を引いて口を引きつらせた。
前ではエーレが、呆れかえったようなため息を盛大にこぼしている。
「だから言わんこっちゃない」
彼はちらりとカイを一瞥する。同時にカイは、詰める余地のない一歩を詰めて、テーブルを叩いた。空になった皿がぶつかる音が響く。
ああ、見覚えがある。ルシウスは激しい既視感を覚えて、二人を見た。
「マスターがどこにいらっしゃるのか、知っているのか!」
彼はエーレへ喚いた。そんなことを聞いておきながら、一瞬後には、
「ああ、私にはどこに行くのかも教えてくださらないのに……どうして、どこの馬の骨とも知れないやつらが知っているのか……」
など、ひとり嘆き始めている。
あれ? ルシウスはもう一度二人を順に見た。もしかして……
「お前、また俺とやり合うつもりか?」
「誰だ、君は! 私は君のような者と、剣を交えたことはない!」
ああ。ルシウスは大きな嘆息を飲み込んで、納得した。
クラン名を変更してから、レギオンに所属するほとんどのクランは、ラクナが元カロンであるということに気づかない様子だった。一部だけを除いては。
事情を知っているレギオン職員はさておき、広場であったアリシアはすぐにわかっていたし、ランカーでなくても数人は、情報操作や隠蔽に惑わされない者たちもいた。
あらゆる背景から事情を察しても、レギオンに所属する人たちは、余計な詮索も、噂もしない。
しかし、この男は……
聞かせるような、エーレの盛大なため息が漂う。
「この支部にわけのわからん規則を敷いたのは、お前だろう。カイ・オルドレン。
――レギオン内では、出来るだけ静かに」
その視線は、カイの襟元に向けられていた。
服装は正しく乱れなく、まで言いたかったのかもしれない。何せ彼は、前見た時とは別人のように、服装が乱れていた。
カイは咳払いを一つすると、眼鏡の鼻当てを人差し指でくいっと持ち上げる。
「私と君は初めて会うと思うが? 上位ランカーになんたる不遜な態度」
どこかで聞いたことがあるような会話を始めた二人に、ルシウスはうんざりしそうだった。
エーレが言い返すよりも早く、情緒がおかしいらしい男が、「ああ!」と一度叫ぶ。
「そんな規則、マスターがいない今、なんの意味も成さない! もしや、君たちがマスターを……!
いや、マスターがこんな低俗な輩に拐かされることなんて、万にひとつも――」
他クランの目線は、先ほどから痛いほど、こちらに注がれている。
本日のエーレは、良くも悪くもカイを相手にする気はあるようで、お茶を啜りながら、嘲笑をひとつ飛ばした。
「低俗なのは、お前の頭だろ。ジュティケイターのマスターが不在、あまつさえ第三席が行方を知らない、なんてこと言いふらしていいのか?」
その反論は、実に的を得ていた。
レギオンランク第二位のクランに何かあったとわかれば、今のうちに自クランの貢献度をあげようとする人たちも多いだろう。
「そんなことは、大した問題ではない! マスターをどこへやった!?」
再びカイの咆哮と、テーブルの皿が跳ねる音が響く。
ルシウスはとっくにルカのことを教える気をなくしていた。
どうも、このカイ・オルドレンという人物は、好きになれない。いや、嫌いだ。
ジュティケイターが、ルカの信者のような集まりであることは、すでに知ってはいたが、ここまでとなると、今まで取り合おうとしなかった仲間の態度が、正解である気がしてきていた。
だというのに、今日のエーレは何故かそれをしない。
シュトルツがいなくて退屈しているのかもしれない。
――早く二人、戻ってきてくれないかなぁ。
その時、反駁に口を開きかけたエーレが、正面扉へと目を向けた。
つられてそちらを見た時、扉が重い音を立てて開かれた。
「アランさん!」
そこには、いつ見ても疲弊しきった表情のジュティケイター第二席、アランという壮年の男性が、汗を拭いながら入ってきていた。
「また騒いでたのか、カイ」
足早に迎え入れたカイを見て、更に疲労を顔にした男は、こちらに目を留めると会釈する。
「どうも、うちのメンバーがご迷惑をおかけしました。皆さんも」
彼は真っ先にこちらに謝罪をしたあと、辺りを見渡して、同じようにした。
「謝っている場合ではありません! どうやら、この輩がマスターのことを知って――」
「カイ。口を閉じなさい。迷惑だろう」
こちらへ歩み寄ってきたアランの後ろで、カイが押し黙った。
「本当に失礼しました。ルカは見つけましたので、もう騒ぐこともなくなると思います」
近くで再び、小さく頭を下げた彼に、エーレは苦笑にもならない息を吐きだした。
「お前も苦労するな」
「これが、私の本分なものですから」
珍しく労いの言葉をかけたエーレに、アランは苦笑を返す。
後ろではカイがアランの言いつけを守りながらも、何か言いたそうにエーレを睨んでいた。
交わされた二人の短いやりとりに、ルシウスは扉を見つめてみるが、ルカが入ってくる様子はない。
「オリーブの木……」
口からついて出た呟きに、シュトルツとリーベが依頼で潜伏しているだろう、あの飲食店の内観が頭に過る。次に浮かんだのは、その店から走り去っていくルカ。
記憶は自然と遡り、ドアベルを鳴らした女性が蘇った。
一見して裕福な暮らしをしているだろう、服装と振る舞いだった。
「ああ、そうか」
ルシウスが思考を回しているとき、エーレが思い出したように呟いた。
「ルカなら、自由が利くな」
誰に向けられたでもない言葉に、アランが怪訝そうに彼を見る。
「ルカに言っておけ。相談くらいなら乗ってやるってな」
アランに言った彼の表情には、愉しげな企みが孕まれていた。
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