ご褒美?
広いテーブルを埋め尽くす料理たちに、ルシウスはそっと首を回して後方に広がる店内を見渡す。
未だ、他の客の姿は伺えない。
小さなワイン瓶を一本開け、二杯目のエールを呷っているシュトルツ。その隣で最初の数口で食事を終えたエーレは、甘味を食べていた。
リーベはワインを嗜む程度に飲みながら、ルシウスと並んで、ゆっくり食事を満喫している。
静かな店内、しかしあまりいつもと変わらない食事模様。それが何故かルシウスに安心感を与えた。
「美味しいですね」
レギオンに比べると薄味ではあったが、素材の質はよく、口にもお腹にも優しい美味なものだった。
「でしょ~、割とここ気に入ってたんだよね」
「あんなこと言ってた割に、シュトルツって首都に詳しいですよね?」
「まぁ、ほら。やっぱり女性をエスコートするには、詳しい方がいいじゃん?」
普段よりも随分行儀のいいシュトルツが、肉をナイフで切りながら口端を上げた。
「いつも女性に声かけて、振られてるじゃないですか。いつそのエスコート発揮するんですか」
そういえば最近、シュトルツのそんな姿を見かけていないことに気づいた。
女性と遊ぶ時間なんてないせいもあるだろうが、彼の言っていることとやっていることの矛盾に、ルシウスは首を傾げる。
ふと、目に灰緑色の髪が蘇った。
「そういえば」 正面の赤い瞳と視線がかち合う。
「さっき、リーベが描いた絵と似てる人が――」
途端、盛大に咽こんだシュトルツが、勢いよくエールを呷り、ルシウスの隣では、数度苦笑が飛ぶ。
「灰緑色の長い髪の女性か?」
フォークを置いて尋ねてきたリーベに、ルシウスは頷く。
どこかで見覚えがあると思っていたら、あれはコンラート邸で隠蔽の魔鉱石にイメージ固定をしたときだ。リーベが描いた絵の女性だった。
綺麗と可愛いと足して割った感じの、とても愛らしい姿の女性。
背丈はルシウスよりも低く見えたし、お淑やかな中に、少し勝気な雰囲気が混ざっていて、ふんわりと柔らかな感じの女性だった。
絵と先ほどの女性を頭の中で並べていたとき、またリーベの苦笑が飛んだ。
エーレが甘味に乗っていた黄金色の果実を、さっとシュトルツの皿に避けたのが見えた。
果実を皿に落としたエーレが、シュトルツを見る。
その視線を受けた彼は、数瞬考えるようにして、緩やかに首を振った。
「会ってないよ。また繰り返すつもりもないし」
「別になんも言ってねぇだろうが」
「俺の愛は、エーレさんのものだから」
「だから何も言ってねぇし、思ってねぇよ。てめぇは、いちいち気持ちわりぃ言い方を選ぶな」
リーベの絵と先ほどの反応、交わされた端的な二人の会話。
ふと、昨日の会話を思い出したルシウスは、ようやく気付いた。
「あ! もしかして恋人だった人!」
思ったより大きな声が出て、咄嗟に口を閉じる。隣で三度目、リーベの苦笑がそれを打ち消してくれた。
「お前はどうも、アメリ・ヴァレッタと縁があるようだな」
「勘弁してよ。俺の中では終わったことなの。いつの話してるんだよ……」
声を落としたシュトルツが、不満げに口に肉を詰め込んでいく。ルシウスは三人を、交互に目だけで一瞥する。
すごく、気になる。でも、詳しく聞けるような雰囲気ではない。
あれだけ女性に声をかけているんだから、彼に恋人のひとりやふたりがいても、特段おかしいとは思わない……はずなんだけど。なんだか想像が出来ない。
彼にとって一番は、エーレなわけだし。
思考の先で、視線がその男に行きついた。
「あ?」 その彼は、まだ黄金色の果実を、ひとつひとつシュトルツの皿に移している途中だった。
「なんだ、お前もそろそろ恋人がほしい年ごろか?」
「どうしてそうなるんですか! いや、ほしくないことはないですけど……」
思わず口が滑って、素直は感想がこぼれ出る。
あらぬ方向に行きそうな会話の流れに、いつもの癖でリーベを見ていた。彼は優しく微笑むと、ワイングラスを持ち上げる。
「私たちは貴方の自由を制限しない。やりたいようにやればいいと思うが……」
その視線がシュトルツへと向けられた。
「あの男の真似だけはしないように」
「ちょ、俺何もしてないからね!?」
「どの口が言っている。お前の貞操観念を、ルシウスが見習わないように忠告しただけだ。
アメリ・ヴァレッタのことを言っているわけではない」
その名前が出た途端、シュトルツが押し黙った。
どこか嫌な雰囲気になり始めてきたのを察したルシウスが、小刻みに首を振る。視線がたどり着いたのは、黄金色の果実だった。
「それ、南部でしか取れない黄金果ですよね?」
最後のひとつをフォークに指したエーレが、「いるか?」と果実を向けてきた。
「いや、嫌いなのかなと思って」
「嫌いというより体質に合わねぇんだよ。食うと気分が悪くなる」
「あー」
ルシウスには身に覚えのない感覚だったが、たしかに特定の食べ物が体質に合わないという人を、それなりに見かけてきた。
「ひとつ、もらってもいいですか?」
宙に浮いたままのフォークがこちらへとやってきて、黄金果が皿に乗せられた。昔に何度かだけ食べたことがあるものだった。
口にした途端、甘酸っぱい果汁が口の中に広がって、ふと妙な現実感が浮上した。エルフの里に入る前のあれと同じ感覚だった。
遠くにきた実感、仲間と当たり前のように過ごす時間。そこに、しっかりと存在している自分。
そんな着地感が、ルシウスを勇気づけてくれた。
「そのアメリさんは、大商会の方なんでしたっけ? それもあって、今回の件は、テオドールさんに任せるしかないって感じですか?」
「その認識で合っている。アメリはヴァレッタ商会の一人娘で、私たちが通っていた貴族院に、特例で入った人物なんだ。私はさほど面識はないが、シュトルツはそれなりに面識がある。つまり、隠蔽が効果を成さない」
なるほど。リーベの説明に、ルシウスは口の中で呟き、深く納得した。
アメリにも、伯爵令嬢にも顔を知られているのなら、間接的にすら動きようがない。
どうにせよ、夜会の騒動は彼らにとって、さほど重要ではないとのことだった。
誰が裏幕であれ、アルノ―侯爵家がどうなるにせよ、王国内部を中和さえできればそれでいい。
騒動が目的の邪魔になるのであれば、対策を練るしかなくなるが、そうでないなら干渉の余地はない。
シュトルツの心境はやはりそれとは別のようだったが、そこはもうテオドールに任せるしかない、という結論は覆らなかった。
「テオから、いつ連絡くるかなぁ」
黄金果を口に放り込んだシュトルツが、さして興味なさげにごちた。
「まだ一週間もたってねぇだろ」
「そうなんだけどさー」
エーレの返答に、彼がこちらに一瞥をくれた。その視線の意図がわからず、首を傾げて応えてみると、残った黄金果を、無言で皿に移してくる。
食べ物ならなんでも好きなはずのシュトルツの挙動に、思わず行き来していくフォークを目で追っていた。
「テオドールって、どうでもいい嫌なことは先に済ませるけど。こういうことは、じっくり考える慎重な性格でもあるからさ。いつになるかなぁって」
「テオドールさんから、絶対に連絡がくるって言い方ですね」
テオドールを断絶で意識を落として中和に入った。誤魔化すのが面倒だったため、執務室の窓から退散したわけではあったが。
「ん」 彼は最後の黄金果を皿に落とす。 「来るよ。俺の知ってるあいつは、そういうやつだから」
何を当然のことを言っている、と言わんばかりの口調。ふとテオドールの姿が頭に過る。
年齢よりも、随分と落ち着きと威厳を兼ね備えていた。高位(位としては中位ではあるが、王家の剣となるとまた別だろう)貴族として、自己の信念のもと、一歩を譲らなかった姿勢。
彼は、支配魔法の中にいてもなお、彼らへ最大の譲歩を示した。
洗脳の影響で話こそ出来なかったが、それさえなければ、力強い味方になるかもしれない。
あの日、酷く混乱していたルシウスは、今ではそう思うようになっていた。
「テオドールさんってどんな方――」 「そんなことよりさ」
問いが、シュトルツに遮られた。
どう考えても意図的なそれに、ルシウスはもう一度聞くのはやめて、果実にフォークを刺す。
前では彼が、店をぐるりと見渡していた。
「どう思う? リーベ」
「特に、問題はなさそうに見えるが」
「だよねぇ」
また、僕の知らない話を始めた。ルシウスは二つ重ねて刺した、黄金果を口に詰め込んだ。
「明日からの警護任務はここだから、俺らしばらく夜いないけどよろしくね~」
酸味が喉に引っかかり、咽こみそうになった。
ルシウスはシュトルツを見たあと、振り返って店内を見る。丁度その時、入り口のドアベルが鳴って、鍔の広い帽子を被った女性が入店してきた。
「ご褒美というか、完全に下見じゃないですか……!」
そういえば、依頼書にオリーヴの木という文字があったような、なかったような……
しっかり見ていなかったから、覚えていなかった。
不満を訴えながら、もう一度店内を見てみるが――警護任務?
彼らの言った通り、特段に何があるようには見えなかった。
「俺が、この店を気に入ってるのは本当だから。ね? 美味かったでしょ?」
「それは、そうですけど……だから受けたんですか? この依頼」
その問いに答えたのはシュトルツではなく、リーベだった。
「オリーブの木は、ヴァレッタ商会直轄経営なんだ。近頃、周りに怪しい者が気配、何か探られている様子があるらしい。警護及び、可能な範囲での原因追及、との依頼だった」
その依頼内容に、ルシウスの頭には、今までの色んな情報が頭に流れた。
エリオットの開発や爵授与から始まり、夜会の騒動、アルノ―侯爵令嬢、テオドールの中和、ヴァレッタ商会、この警護依頼。
点と点はばらけいて、うまく整えられないけど。
……なんだか繋がっている気がする。
訴えるようにエーレを見ると、彼はそれ以上の眼光で、睨み返してきた。
「言っておくが、俺は指示してねぇからな。こいつらが勝手にしてるだけだ」
それでも疑いの目線を送り続けてみると、彼は何故かテーブルに残った料理を、前に押し出してきた。
「せっかくのご褒美だから言わずにいてやったが、もっと肉を食え、肉を」
ご褒美、という単語を強調して言ったエーレ。
そんなつもり、さらさらなかったくせに……
もうすっかりフォークを置こうとしていたルシウスは、口を引きつらせて、シュトルツを見る。
彼は残ったエールを呷りながら、「俺はもうお腹いっぱーい」と腹を擦る真似を始めた。
……ご褒美ってなんだっけ。
ルシウスは最後の黄金果を口に放り込んで、大きなため息を吐きだした。




