正反対の二人と、夏のベンチで
シュトルツと他愛のない話をしながら、足が向かっていたのはレギオンの方だった。
しまった。まだ散策したりないのに。習慣とは恐ろしい。
「せっかくなんで、どこか案内してくださいよ」
足を止めて仲間へ言ってみる。
「んー、何が見たいの?」
正直期待していなかったルシウスにとって、その返答は蒼天の霹靂というもので、思わずぽかんと口が空いたまま、彼を見る。
彼は三度、笑いをあげる。
「俺の用も終わったし、たまにはお子ちゃまに付き合ってあげないとね~
大人の義務として」
「僕に知ってる大人は、お子様を無碍にしないんですよ」
「それ、どこの国の大人?」
とりあえずいい時間だし、飯とかどう?
そう提案したのはシュトルツだったが、彼は空を一度仰ぐと、何か考えるように沈黙した。
「大体正午回って、半刻なってないくらいかなぁ。
うーん、アポロン第二に俺の気に入ってる店が開くんだけど、今食べたら、お子ちゃま入らないよね?」
「すごくお腹空いてるわけじゃないので、露店で軽く済ませて良いですか?」
答えながら、真似をして空を見上げる。
この男は、空を見るだけで時刻がわかるらしい。勿論、ルシウスには全くわからない。
彼は快諾し、再び中央広場へ足を向けることになった。
昼の広場は、先ほどよりも人で溢れかえり、何かを焼く音、油が跳ねる音、店の人たちが客へ向ける言葉が、あらゆるところで飛び交っている。
その中でもルシウスは、午前から気になっていた、白くふわふわした饅頭のようなものを食べることにした。
「熱いうちに食べるのがいいよ」
店主に勧められたまま、食べてみると、手に持つのが熱いくらいほかほかで、少し味付けされた肉の餡が入っている。外の饅頭のようなものは、見た目とおり軽やかな触感だった。
それを買って食べている間に、シュトルツは両手いっぱいの袋を携えて戻ってきた。
「すぐそこに小さな公園あるけど」
「え、首都に公園なんてあったんですか?」
「そらぁ、あるでしょ。首都だからこそあるものでしょ?」
そういうものかもしれない。
両手に食べ物でご機嫌な彼の先導のもと、数分歩き、綺麗に整備された公園にたどり着いた。
低い木の柵で囲まれていて、中には少しだけ遊具もある。ところどころに設置された花壇には、夏の花たちが元気に陽を浴びていた。
時間に豊かな子供と、その母親らしい数組が騒いでいる。
「あれ?」
その奥に、見覚えのある輪郭を見つけた。
輝かしい銀髪が風と戯れている様子は、遠くからで絵になる。
「リーベじゃないですか」
「あー、邪魔しない方がいいと思うけど」
彼は足を止めて、じっとリーベを見ていた。
言葉の意味がわからなくて、同じようにそうした時、リーベの近くに、小さな生き物が近寄ってきているのが映った。
「あ、猫」
猫なんて久しぶりに見た。
どこにでもいるはずなのに、すごく久しぶりだ。
今すぐ近くにいって撫でたい。リーベが懐から何かを取り出し、猫にあげているのが見えた。
シュトルツは気にも留めずに、近くのベンチに腰掛けると、買って来た袋を開け始める。
「あいつはあれが息抜きらしいから、邪魔したら怒られるよ~」
食事を口いっぱい詰め込み始めた彼の言葉に、ルシウスは仕方なく、その隣に座ることにする。
隣からはいい匂い、向こう側には猫、公園には子供のはしゃぐ声に、暑すぎる日差しとそれを少しだけ和らげてくれる風。木々が揺れる乾いた音。
ルシウスは、自然と深く長い息を吐きだした。
「食う?」
珍しく彼が食料を分けてきたことに驚きながらも、目がいったのはその右手だった。
テオドールに斬られて以降、気がつけば嵌めていた黒の薄い手袋。
「右手、痛くないんですか?」
ルシウスは、パンを受け取りながら尋ねた。
「ん? ああ、痛いよ、普通に」
「明日依頼なのに、困りません?」
彼は手袋を引っ張って奥を覗いてみていた。中に巻かれた包帯が、赤く滲んでいるのが見えた。
「余程じゃない限り大丈夫でしょ。左手だけでも剣は振るえるし」
どうやらまだ治癒する気はないらしい。彼には彼なりの何かがあるのだろう。
ルシウスはそれ以上聞くことをやめて、パンを一口頬張った。
なんの味つけもない、しかしほんのりと甘いパンだった。
最後の一口を食べ終えて、空を仰ぐ。
穏やかだ。口の中で呟くと、更に体の力が抜けていった。
心地よさが、体全体を柔らかく包み込んでいく感覚は、湾港都市で見た海を思い出させた。
そっと閉じた瞼の裏に、明るい日差しを受ける。それは海が輝く様子に変わっていく。
「ルシウス」
名を呼ばれて目を開けると、いつしか右隣にはリーベがいた。
「生命力が漏れている」
「あ、すみません。つい……」
あまりの心地よさに、意識の外で空間と同調していたことを知って、すぐに生命力を手元に戻す。
そういえば、あの時もそうだった。レネウスでリーベの力任せ気味な教えを乞うた時が、懐かしく思えて、思わず小さく笑ってしまった。
シュトルツが、少し左に移動する。ルシウスがリーベ分の椅子を開けた時、シュトルツの腕が前を通った。
「リーベも、パンいる?」
「どうした、珍しい」
「気が向いただけ」
「そうか」
二人の会話はそれっきりで、両隣から黙々と食事をする音だけが聞こえてくる。
ふと、男三人が好んで同じベンチに座っている姿が、客観的な映像として、ルシウスの頭に浮かぶ。
「知らない人が見たら、すごく仲いいか……それとも、変な三人って思われるんですかね?」
二人が同時に、こちらを見た。
「どこからどう見ても、仲いいでしょ」 「危ない大人に囲まれている少年に見えるかもしれない」
「はー、嫌だねぇ。猜疑心まみれの大人は」 「なにをどう見たら仲良く映るのか、教えてほしいものだ」
自分を挟んで、重なり続けた会話。
一拍遅れて理解したルシウスの笑いが、木々のざわめきに溶け込んでいく。
その余韻は、シュトルツの笑い声が軽快に繋ぎ、紛れるようにして、右から短い笑いが数度だけ続く。
ルシウスは思わずリーベを見ていた。彼が声をあげて笑うのを、初めて見たからだ。
感情を表に出すのが苦手なのだと思っていたが、それは半分間違いなのではないか。
彼は自らの感情を押し殺そうとしている。いつしか、そう思うようになっていた。
ルシウスは胸に、うまく言い表せない喜びと穏やかさを感じて、再び小さく笑った。
「リーベとシュトルツって、本当に正反対ですよね」
「そうかな?」 「そうだろうな」
自分を中心に再び、二人の視線が交わる。
「私はこの男を理解するのに、随分時間がかかったが」
「それでも、理解できたんですね」
苦笑気味に首を振ったリーベは、「いや――」数瞬沈黙を挟んで、シュトルツの手の中に残ったパンをさっと取り上げた。
「あ! それ最後なのに!」
叫びに構わず、パンを一口咀嚼し終えた後、リーベは続けた。
「思考回路や行動パターンはわかっても、私にこの男は理解できない。無論、共感もだ。こいつはこういう人間だ、と納得することにした」
「はー」 淡々と並べられた言葉に、シュトルツの声が滑り込むように舞い上がった。
「俺だってリーベのこと、未だにわかんないね。大体反対だから読めはするけど。
でもさ。俺のことそう思うなら、もうちょい、優しくしてくれていいんじゃないの?」
シュトルツがリーベを見る。ルシウスもそちらを見た。
彼は、パンへと一瞬視線を落とすと、それを勢いよく、シュトルツの口に押し込んだ。
左からのぐむっという形容しがない声と、目前に通過したリーベの腕に、ルシウスは目を瞬かせる。
「今でも十二分に優しいだろう。お前はルシウスと違って、甘やかすとどんどんつけあがっていくじゃないか」
「俺は褒められて伸びるタイプなんだけど~」
もぐもぐと咀嚼しながら、わかってないなぁと呆れるようなシュトルツの声が続く。
ルシウスは両隣からの声に、失笑をこぼした。
本当に正反対だ。
「本当に、仲がいいですよね」
「まぁね~」 「そうかもしれないな」
シュトルツの軽快な笑い声、リーベの嫌そうな苦笑。ルシウスは空を仰いで、途切れなく重なっていく穏やかさに、瞼を閉じた。




