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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
4章

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精霊と人のあいだ

 



 久しぶりのようにすら感じる景色。


 風の精霊との対話を試みたあの草原で、ルシウスはあらゆる色が混ざり合った空を仰いだ。



 一度来たことがあるだけなのに、大袈裟かもしれない。

 そんなことを思いながら、深く息を吸い込む。



「いつきても爽やかな風だねぇ」


「毎日これだと嫌になりそうだ」



 後方からのんびりとした声色。


 ルシウスはそっと瞑目する。しかし、耐えきれず振り返った。



「リーベはともかく、なんでシュトルツまでいるんですか!」


「え?」



 まるで遠足をしに来たように、あちらこちらへとゆったり歩き回っている彼。



「俺は何かあったとき用の伝書鳩だから、気にしないで~」


「伝達ならリーベの分野じゃないですか……」



 エーレを屋敷にひとりにして、まさかついてくるなんて……


 別にシュトルツが付いてきたから、不都合なわけではない。

 でもなんだかやりにくい。



 ルシウスは、そっと地面へと座り込んだ。


 本当はひとりで来たかった。でもリーベはついてくるだろう、そう思っていた。

 ひとりで彼女と対話するのは、まだ危険すぎる。



 ルシウスは風の精霊と対話すべく、ここへやってきた。

 三度目のルシウスの物語を慎重に追った結果、ひとつわかったことがあった。



 二度目のルシウスは、加護の付与の全容を知らないまま、彼女を遠ざけている。

 前回のルシウスは、エーレから概要を、それ以外の詳しいことは、彼女本人から聞いていたようなのだ。


 そして、仲間に報せないまま、彼女にいつか名前をつける。そんな約束を交わしていた。


 それが、‘’いつか‘’だった理由は。



「エーレさんとリーベはああ言ってたけど」



 ルシウスが頭を整理しているにも関わらず、遠慮のないシュトルツの声が飛んできた。



「俺は賛成できないなぁ。世の中から、後天的加護付与の存在は抹消されてるしねぇ」



 目を閉じていたルシウスは、そのまま眉を寄せる。



「少し黙っててください。今考えてるんです」



 本質を歪ませるということがどういうことなのか。彼女と話さなきゃいけない。

 深く息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。そして立ち上がった。



「Eshar, Elne-faen.. Ves,Melas..nira sora」


 ――応えて。僕たち、話をしよう。



 その霊奏と同時に、足元に陣が展開された。リーベだ。

 ルシウスがそちらを見ると、彼は何も言わずに頷くだけだった。



 一陣の風が吹き抜ける。そっと目を閉じて、彼女の気配を探した。

 しん、と静まり返った草原には、なかなか彼女は顕れなかった。


 あのことがあってから、出てきたくないのかもしれない。もう一度呼びかけようと口を開いた時、耳元で小さな音が聞こえた。


 ルシウスは思わず、失笑する。

 先ほどの風に紛れて、いつの間にか側にきていたのだ。



 ――僕と話してくれる?――



 くるり、と風が近くで回った。

 それからルシウスは、彼女が当然のように知っているだろう自分のことを話し始めた。



 帝国の皇太子で、年は十六、怖いことは苦手だし、本当は戦うことだって苦手なこと。

 食べ物の好き嫌いはなく、お酒も好きなつもりだけど、酒癖が悪いらしく飲ませてもらえないこと。


 仲間と出会って、学んだ色んなこと。霊奏を覚えるのには本当に苦労したし、今でもまだ、古代言語の語彙力に自信があるわけではないということ。


 それでも魔法も精霊も好きで、もっと話して仲良くなりたいこと。


 エーレは精霊に弱みを見せないようにと言っていたけど、自分にはどうやらそういうのは向いていないということ。



 そんなことを、ゆっくりゆっくり伝えた。

 話すように(うた)ったのは、初めてだった。


 音が多少外れても、彼女には伝わっている。そんな確信もあった。



 そこまで話し終えた時、甲高い音が二度、近くからした。



 ――変な子――



 たった一言。ルシウスは苦笑する。



 ――僕も貴方のことを知りたいです――



 風が舞い上がる。空中で留まった風が、ふと思い出したように、勢いよく地面へと降りてきた。

 その風模様が、先日、情報の嵐を巻き起こしたことと重なり、一瞬体が硬直した。


 降りてきた風はふんわりと、眼前へやってきただけだった。



 ――怖いのに、私と仲良くなりたいの?――



 姿はない。でも目の前にいることがわかる。ルシウスは正面から目を逸らすことなく、僅かに頷いた。



 ――教えてくれますか? 貴方のこと――



 物語の中の彼女は、いつも楽しそうだった。


 自由気ままで、心のままに動く。我が儘のように見えて、ちゃんと彼らを想って行動していたようにも思える。

 行き過ぎることはたしかにあったけど、ルシウスたち(彼ら)を傷つけるようなことはしなかった。



 精霊と人間とでは存在が違いすぎる。簡単に脅威に変わる。

 だから精霊は、人間との境界線をはっきりとさせて、それを冒さない。


 災厄を生むと、それが巡って精霊を穢すことを知っているからだ。


 その例外を人は忌み嫌い恐怖し、遠ざけようとする。



 闇の精霊も、彼女のような精霊も。

 怖がって遠ざけるばかりじゃ、何もわからない。


 風の精霊は沈黙していた。何か悩むように風がゆらゆらと不規則に揺れる。



 ――私が私のことをわからないから、教えようがないよ――



 しおらしいとも思える返答に、思わず微笑んだ。



 ――僕と同じですね。僕も全然僕のことがわからないんです――



 一緒に見つけていきたい。見つけていけるかもしれない。

 三度目のルシウスのことが頭に過った。


 もし加護を受けるなら、この空間じゃないといけない。でもそうするということは、ひとつ間違えば、彼女を精霊という存在から離脱させてしまう危険性がある。



 本質を歪めるということはつまり、集合体であるはずの存在を、人間に近しい存在に替えてしまうということだった。



 形のないものに名前を与え、ひとつの個として認めてしまう。

 勿論、そうならない方法もある。固定してしまうかどうかは、ルシウス自身にかかっている。



 けれど本質を歪ませた先で、更に精霊が堕ちることがあれば――



 彼女に与えられた記憶から、知識だけを得たルシウスは首を振った。


 たとえ加護付与が成功したとしても、関係性を健全に保ち、彼女の本質を歪めないという自信は、とてもじゃないがなかった。


 今でさえ、こうして話している彼女を、世界のどこにでもいる精霊ではなく、個人として認識してしまっているのだ。


 むしろこの知識がなかったときは、精霊が人間のような単一的な存在ではなく、集合体であることなんて、ピンときていなかった。




 ――私と同じで、色んなこと、悩んでるんだね――



 耳元で囁かれたような声に、ルシウスはため息をついた。



 ――あなたが人間みたいだから、もっと悩んでるんですよ――



 彼女がもう少し、精霊らしい精霊であったなら、また違ったかもしれない。

 思わず出た本音に、風の精霊はけたたましい音が響かせた。


 ルシウスは思わず、肩を跳ねさせる。


 怒ったのか、笑ったのか区別がつかない。



 ――本当にそう思ったの? どういうところがそう思ったのか教えて――



 その声は、嬉しそうだった。

 あれほど、()()()()()、みたいな言い方をしていたのに。



 ――どこっ、て言われても説明は難しいんですけど、意思疎通がしやすかったり、距離の詰め方……とか?――


 ――そうなんだ――



 突然ご機嫌になった彼女に、ルシウスは首を傾げたい気分だった。



 ――私ね――



 風が旋回する。大気を得て、空高く舞った風の塊は、渦巻きながら地へと降りてきた。

 足首にかかる草が、楽しそうに乾いた音を立てる。


 彼女は少し離れた場所で、つむじ風のように細く立ち上がっていた。



 ――人間に生まれられたらよかったのにって思うんだ――



 ルシウスは目を見開く。



 ――だからもし、私が歪んで堕ちたとしても、後悔しないよ。

 だってそれは、君の分身になれるってことでしょ?――



 彼女の言葉が、甘い囁きに聞こえた。

 同時に、とても残酷でおぞましいもののようにも思えた。



 ルシウスは首を振る。

 違う、違う。そうじゃない。


 精霊が本質を失い、堕ちるということは、還るところをなくすということだ。



 加護を結んだ人間の感情を引き受け、浄化を受け入れられない存在となって、死すらないまま、亡霊のように在り続けなければいけなくなる。


 精霊でも人間でもない。あらゆる負の感情を背負った、歪な存在として。



 ――だめだ。それじゃダメなんです――



 記憶の渦にはない、三度目のルシウスもこの考えに至った結果、‘’いつか‘’だったのかもしれない。


 彼女は人間の真似をしすぎた。だからこそ、加護を受け入れることは出来ない。

 僕がこの先、僕を保ち続けられる保証も、彼女に寄りかからない自信も、まだない。



 正面で渦巻いていた風が、さらりと形をなくしていく。



 ――そっか。どうしてだめなのか、私にはわかんないや――



 激昂すると思われた彼女は、それだけを残して、どこかへ消えてしまった。


 空へと彼女を見送った時、ルシウスは張りつめていた体から一度に力が抜け、重力に引かれるまま、地に尻餅をついた。



 こんなに近くに感じるのに、わかり合うことは出来ない。わかり合う日はこない。

 そんな確信を痛感する。


 衝撃のあまり、焦点を失った視界へ、ふとよく知る靴が映った。



「一度戻ろう、立てるか?」



 差し出されたリーベの手を掴むが、膝に力が入らない。



「しょうがないなぁ」



 すぐ後ろからした声を知った時には、気が付けばシュトルツに背負われていた。



「まぁ、よく頑張ったんじゃない?」



 ルシウスは、頷くことができなかった。


 彼が刻む一歩ごとに、頭が揺れる。



 先ほど立っていた場所が遠のいていくのをぼんやりと見ていた時、すんっと鼻腔に香りが漂った。


 その匂いに、彼女が残した最後の言葉が脳裏に過る。


 ――彼女が激昂しなかったのは、悲しかったからだ。



 自分のことに必死で、ただ否定する形になってしまったことを、ルシウスは悔いた。


 彼女を呼び止めなかった自分の臆病さに、うんざりするしかなかった。




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