秩序を冠する女王の選択
一階の大きなテーブルを囲んだ三人は、それぞれ一息つける時間を過ごし、エーレだけが、食事に手を伸ばしていた。
「意外だったねぇ」
さして美味しくもないエルフのお茶を呷った正面のシュトルツが、真っ先に声を上げた。
「どのことだよ」
生命力は回復しているが、安定はしきっていない。
その上、精神的なことが顔色に表れているのを知ったエーレは、嫌々食べ物を咀嚼しながら尋ねた。
「そらぁ、リクサでしょ」
「それには私も同意だな」
どこか気怠そうに背もたれに凭れ、腕を組んだリーベが頷く。
先ほどルシウスとシュトルツが話している途中で、意識は覚醒していた。
そのおかげで、リクサがルシウスの意識に介入してきた件も、大体把握できている。
「意外も何も、ゼファの時だってあの女はそうしただろう」
秩序神テミスの化身であるリクサが、天秤を傾ける選択をする。それは化身として許されないことだ。
その代償として、リクサは片目を失ったのだろう。
エーレはそう推測する。
「それはそうだけどさ、今回はちょっと違うじゃん。前はゼファのためだったし」
「おそらくだが、今回の介入は許容水準を、かろうじて超えない範囲だったんじゃないか?
一時的にルシウスを記憶の渦から引きはがした、それが秩序の天秤に関わるかどうか、私には判断できないが」
「っぽいけどねぇ。なーんか、あの人らしくないよね。エルフのためなら、そんなこと思わないけどさ」
シュトルツとリーベの会話を聞きながら、たしかに同じような違和感は抱いていた。
リクサとエルフの間では、遠い昔に交わされた約束がある。
ゼファのためなら天秤を傾けることも厭わないだろう。あの時――エルフ島防衛提案時、エーレはそう判断したからリクサを煽った。
しかし今回、ルシウスを助けるために介入してきた。
「同方者か……」
リクサは、ルシウスに何を期待しているのか。
「あの人、未だに俺たちのことそう呼ぶけど。俺らが目的を達した先で、何をやりたいのか知ってる?」
エーレの呟きを拾ったシュトルツが、誰ともなく問う。
「あ? そんなの知らねぇよ」
そうすぐに反駁したとき、
「ありきたりな推測だが――」と、リーベの声が挟まった。
「身動きが取れずにいる、エルフの安全な居場所の確保。私はそう思っている」
彼が自分で言ったように、ありきたり。だが、エーレの推測もまさにそうだった。
リクサやゼファ自身から、彼女たちの目的は聞かされていない。聞いたことはあったが、本人たちは是が非でも答えなかった。
「まぁ、このままだとエルフが絶滅するのはわかるし、そうだとしても。
それと俺たちが目指してる未来。同方者が繋がらないんだよねぇ」
シュトルツの言葉を最後に、三人の小さなため息が重なった。
ルシウスが帝国の玉座につき、アイリスを救い出す。その未来の先に、リクサの目的は達せられる。
エルフが脅かされずに棲める居場所を作るには、何かしらの条件が必要なのだろう。それが偶然、自分たちの望む未来と重なった。
その条件が何かは知りようがない。
わかることと言えば、エルフはこのままいくと緩やかに種を途絶えるしかないということだった。
ふとエーレの脳裏に、随分と昔に呼んだ古文書が過った。
遥か昔、神話の時代。人間、獣人、エルフ、さらには現存しない種族の間で起きた、種族大戦と呼ばれた激しい戦いがあった。
それ以前は、エルフたちも地上で暮らしていたという。
しかし大戦の途中、圧制を敷いていたエルフたちがいきなり地上から消え去り、その後人間が大陸を支配するようになった。
その史実の信ぴょう性はともかく、今でもエルフが総力を持ってすれば、地上の人間を滅ぼすことなんて容易い。
しかし、エルフには人間を滅ぼせない理由がある。
――地上が血と悲鳴で塗れると、それに呼応した精霊たちが堕ちるからだった。
エルフの不治の病を、エルフたちが加速させるにはいかない。
そうして幾千年もの間、エルフたちは穢れに侵された同種を地上に隔離し、この中途半端に作り上げた空間に引きこもっている。
「精霊が堕ちるのを防ぐ方法。そんなものあると思うか?」
ひとつの結論に至ったエーレが、唐突に言った。
「え? どゆこと?」
「ああ、そうか。そんな理想が実現できれば、エルフは安泰だ」
飛躍したエーレの言葉に声をあげたシュトルツを差し置き、リーベが納得したように頷く。
「え!? どゆこと!?」
「うるせぇな。わからないなら、わからないでいい」
「待って、考えるから!」
この空間に来ても、ひとり、いつもと変わらない様子のシュトルツは口を閉じ、唸り出した。
エーレは残り僅かの食事を、無理矢理口に詰め込む。
前から聞こえる唸り声と、うんざりする食事に苛立ちを覚えながら、それでも頭を回していた。
元々人間だったリクサが、神の化身になった経緯は知らない。
それでもそのリクサだけを頼りにするエルフ。
どうして、リクサはそこまでして……
とまで考えて、意識的に飛ばした舌打ちで思考を止めた。
最近、余計なことを考えすぎている気がする。
エーレは飲みかけのまま残されていたシュトルツのコップを手に取って、一度に呷った。
不味いったらない。その味を意識しながら、彼は無駄に巡っていた思考を隅の隅まで追いやると、音を立てて立ち上がった。
「あ、わかった」
シュトルツの声が同時だった。
「よかったな。俺はもう一度寝てくる」
エーレはうんざりしたような深い息を吐きだして、二人を置いたまま部屋に戻ることにした。




