"物語"と僕
目を覚ましたルシウスは、今までにない妙な感覚を覚えた。
少し前まで混沌を巻き起こしていた記憶たちは、随分と遠のいていて、はっきりと自分がどこにいるのかわかる。その上で頭の中には、しっかり膨大な物語が残っていることを感じ取れる。
物語の中のルシウスの思考も感情も、引き出そうとすれば鮮明に思い出せるだろう。
それでもあれは僕じゃない。そう区別できる確信があった。
「ルシウス」
声をした方向を見ると、隣のベッドの向こう側に、リーベがいた。そのベッドにはエーレが眠っている。
仲間の姿を見て、ルシウスは深い安堵を感じた。それは、自分がしっかり今の仲間を認識できていると言う安心だった。
「混乱は収まった……という認識で合っているか?」
こちらへやってきたリーベの、珍しく自信なさげな問いに、ルシウスは一度の瞑目と重い頷きで応える。
前よりも随分、意識ははっきりしている。けれど、体が重くて声を出すのも億劫だった。
リーベの深い安堵の息を心地よく受け取った彼は、今一度エーレを見た。
「エーレなら問題ない。生命力を消費しすぎて眠っているだけだ。
それよりも彼女とは、どうなった? と聞きたいところだが……」
彼はそれ以上言わずに水の入ったコップを持ってくると、ルシウスの頭を抱え、水を飲ませてくれた。
喉の渇きが癒えた彼は、どうにか声を絞り出す。
「彼女が、どうにかしてくれました。多分、もう大丈夫です。でも……体がだるくて……まだ眠くて……」
「把握した。眠りたいだけ眠った方がいい。記憶が馴染むまでには時間がかかる」
ルシウスは小さく頷くと、体が望むまま、瞼を閉じることにした。
その眠りでも彼は夢を見た。けれど、それは起きた時には、ぼんやりと思い出せない類の夢だった。
どれくらい眠っていたのかわからない。体のだるさも、頭の重さも消えきらない。
それでも喉の渇きと空腹を訴えた体に従って、ベッドを出ることにした。
ふと、扉へと視線を巡らせると、
「エーレ」
簡素な机の前の椅子に座ったまま、腕を組んで眠っているエーレがいた。
呼びかけても反応がない。
自分が意識を混濁させていた間に何があったのか、余程疲れているのだろう。
彼を起こさないように、そっと扉を開けて廊下に出たところで、すぐにシュトルツと鉢合わせた。
「思ったより、早いお目覚めだったね。体調はどう?」
その手にはお盆に乗せた料理がある。最近、こういう彼しか見ていない気がしたルシウスは、思わず失笑した。
「もう大丈夫です。心配かけてすみません」
「いんや、お子ちゃまが悪いわけじゃないからねぇ。それよりお腹空いてるでしょ? 食べる?」
隣に並んで見せてきた料理は、どう考えてもエーレがまだ好んで食べるものだった。
「それエーレのやつじゃ――」
「まだ寝てるでしょ?」
シュトルツは、今しがた出てきた扉を見て言った。
「何があったか教えてもらえませんか?」
「俺は直接見てたわけじゃないけどね」
そんな前置きをしながら、シュトルツが部屋の扉を開けた。
シュトルツとお互いに起きたことを話している間、ルシウスは慎重に咀嚼しながら料理を食べた。
エーレが机の前にいることと、まだ本調子じゃないだろうから、という理由でベッドでの介抱つきの食事だった。
意識の混濁によりルシウスが眠った後、エーレが風の精霊と対話をしに向かった、ということをまず聞かされた。
それ以前のことをルシウスは尋ねた。彼自身、その間の記憶が薄かったからだ。
自分が自我の揺らぎを抱えながら、ベッドで何を言って、どうなっていたのか。リーベに聞いた範囲でだけ教えてくれた。
意識の中に風の精霊がやってきて、記憶を整理してくれたのは、エーレが彼女を説得してくれたおかげなのだろう。
ルシウスもまた、シュトルツに夢の中であったことを話した。
食べ終えた皿を丁寧にお盆にまとめた彼に、この間、随分と面倒をかけたという気持ちと、思っていた以上に心労をかけたことを知ったルシウスは、謝罪を重ねる。
「本当に色々すみませ――」
「お前が謝ることじゃない」
そこに眠っていたはずのエーレの声が飛んできた。
「エーレ、大丈夫なんですか?」
「あ?」
片目だけ開いた彼はまだ眠そうだったが、すぐに首を回しながら立ち上がる。
「別に、あいつと話すのに生命力を使いすぎただけだ。大したことじゃない」
「でも顔色がまだ――」
自分がもう一度眠ってから、それなりに時間が経っていると聞いた。それなのに、彼の体調はまだ回復しているようには見えなかった。
「俺も少し考えるところがあっただけだ。気にするな」
それ以上何も言おうとしない彼に、自然とシュトルツを見た。
「ああ、顔色の良いエーレさんを最後に見たの、いつだっけなぁ」
笑ってお盆を持ち上げたシュトルツに、ルシウスは半眼になる。
「貴方たちはいつもいつも、シュトルツが話したこと以外は本当に何もなかったんですね?」
「んー、たぶん?」
右肩だけ上げて上に視線を投げた彼に、嘆息がこぼれる。
「俺が、この空間だと生命力の安定がしにくい。それだけだ」
不本意そうなエーレの声色にルシウスは目を見開いた。
「なんでそれ、先に言ってくれなかったんですか」
だから霊奏でこれほど消耗したのか。合点がいって、更に嘆息がこぼれた。
「霊奏の訓練つけるくらい問題なかったからな。それに、リーベが土魔法で生命力消費を抑えてくれてただろ」
エーレの言葉に、首を傾げかけた時、シュトルツが付け足した。
「あれあれ、リーベが指定魔法してたでしょ?」
「あー、そういえばたしかに……」
風の精霊とひと悶着あって、何気に展開されたリーベの魔法のことはすっかり忘れていた。
「土ってそんな特性もあるんですね……」
「魔法使用者がその場から動けないという欠点があるから、中々使うところはない。そんなことより――」
説明をしながら隣までやってきたエーレが、不意にルシウスの肩を押した。
「まだ寝とけ」
思わず反駁が喉まで這い上がってきたが、寸前で飲み込んだ。
まだ体調が万全ではない。自分もエーレも。
風の精霊ともう一度対話するにしても、今の調子じゃ消耗だけが激しくなる。
「エーレもちゃんと食事摂ってくださいね」
ルシウスはそれだけ言って、布団をかぶり、回復を優先することにした。




