7.語りましょうか?
古びた絵本が並び、壁には寄付らしき写真や絵画。花も、きっと貰いものだろう。
破けて飛び出たスポンジを押し込めてテープで留めたようなベンチで、ダダをこね始めた子どもを母親が必死にあやす………そんな待ち合い室で。
胸元を開けたシャツに高いスーツ、金の腕時計とネックレスという姿は浮きまくっていた。ただ、足だけは診療所の名前の入ったスリッパである。
「…すみません、お待たせしました」
つい、謝罪の言葉が出た。後ろに座っていた子どもから不思議そうな目で見つめられていたのは、黙っていた方がいいかもしれない。
「いや、こちらこそ急に来てすまなかったね」
オルタービルのオーナー、香宮である。組んでいた長い脚を解いて立ち上がり、笑顔を見せる。
「体の具合はどうだい?」
「なんともなかったみたいです」
体調不良のため早退、病院へ。という理由になっている。
「じゃあ、行こうか」
秋音に『診断の結果問題ない』というのも含めてメールをしたのだが、当然のように心配された。どういう経緯、接触があったのかはわからないが、結果、香宮が優馬を迎えに来て、これから秋音のいるオルタービルへと行く。
「さ、乗って」
「…………」
履き替えた有名ブランドの革靴にもイラッとしたが……。駐車場に窮屈そうに止まっていたのも、当然のように外車。さわやかな笑顔でドアを開けられて、
(こんな車に乗る機会、まずないもんな)
これも経験と、革のシートに身を沈める。車高は低いのにシートは広く、吸いつくような座り心地。スタートの時に低いエンジン音が響いたが、あとは驚くほど静かに、滑らかに走り出す。
この高級感に対する緊張と、居心地の良さによる安心感。
(吊り橋効果みたいなものか。これを錯覚させて口説くんだな)
いったい何人の女性がここに座ってきたのか。勝手な想像をしている優馬に、
「病院を替えたんだね。なにか理由でもあったのかい?」
いつの間にかドライビンググローブをつけ、サングラスをしている。いちいちカンに障る………というのはおくびにも出さず、
「通院の日、友人の付き添いであの診療所へ行ったんです。事情を話したら検査から連絡までしてもらったので、移る事にしました」
「お母さんのいるビルのクリニックの方が都合がいいんじゃないかと思ったんだがね。手続きが面倒ならこちらでやるよ。戻るかい?」
「いえ…」
というか今後、下手に普通の病院には行けない。マスカレーダーとしての異常な回復力がばれてしまう。
と、もちろんそんな事は言わず、
「友人の事もあるので、こちらに通います」
「そうか。距離は……似たようなものだしな」
自宅のあるマンションから駅方面に行くか、郊外に行くかといった感じ。まぁ学校や付近施設を考えればオルタービルのがいい。事情がなければそっちを選んでいたと思う。
「その友人の様子は?ひどいのかい?」
「詳しくは聞いてないですけど……学校には来てましたから」
「そうか。まぁ大事無いようで良かった」
傾き始めた陽に、香宮はサンバイザーをおろす。右折レーンへと車線を変えて………優馬にまだこの辺りの土地勘はないが、駅に近付いている事はわかった。
「この町には慣れたかい?」
質問が多い……のは、こちらから話を振らなければ当たり前になるのか。
「こんな短時間で慣れませんよ。元居たトコからは違いすぎます」
「そうか…、じゃあマンションも初めてだったかな?」
「はい」
「せっかくだから最上階を用意したかったんだけどね。キミのお母さんに断られてしまったよ」
(部屋もこの人が用意したのか)
最上階。そりゃ眺望もいいだろうが、値段も上がるだろう。利便性を考えるならそこそこでいい………と、秋音も思ったに違いない。
ふと、気になって聞いてみる。
「香宮さんはどちらにお住まいなんですか?」
「僕かい?オルタービルの最上階だよ。他の人達にも住んでもらおうと思ったんだけどね、いろいろ詰め込んだらそんな余裕もなくなってしまったよ」
優馬から質問したのが嬉しかったのか、そのまま聞いてもいない事までしゃべりだした。
「もっと都会とは比べるべくもないけど、やはり景色はいいね。電車、車、人……それらが足元を這う快感というのは、一部のモノにしかわからないだろうけど」
ゲートを抜け、車はオルタービルの地下駐車場へと入った。
「最上階の部屋、というのにも、相応しい存在というのがあると僕は思うよ。まぁそれでいうなら、このビルは僕に相応しい高さ、とは言えないけどね」
地下に入ったため、彼がどんな表情で話しているかは見えない。
もう一度、車はゲートを抜けて、さらに下ったスペースで止まった。
「来たまえ。見せたいものがある」
有無を言わせぬ口調で言うと、サングラスとグローブを外して車を降りる。車を降りた優馬とボネット越し、目が合うと、
「キミには、その資格がある」
「…………」
向かった先はエレベーターだった。最上階の部屋とやらを見せられるかと思ったが、香宮はボタンを押したまま、
「Alternative」
(指紋と音声認証……?)
こちらからは見えないが、もしかしたらカメラによる認証もあるかもしれない。
エレベーターの奥に陣取り、優馬はポケットに手を入れたまま階数表示を見上げた。表示はすぐ「-」となったが、下へ行くのを感じる。
「ひとつ、質問だ」
さんざん聞いてきたじゃないか、と思いつつどう対処するか………迷った隙に、香宮はかまわず問いかけてきた。
「天才に必要なのは、才能と………なんだと思う?」
こういう質問は、だいたい何を答えても外れる。そもそもが語りたい事への誘導なのだから。
反射的に努力や環境などが浮かぶが、出方を見るためにもこう答えておく。
「優秀な指導者」
「ふっ、いい答えだ」
エレベーターが止まり、扉が開く。仮にも町の中心部、そこまで深くはないだろうとは思うが………。天井が高く、物や仕切りが少ないせいでかなり広く感じる。基礎や柱など、所々むき出しで仮設の感がいなめない。
見えるのは数台のパソコンが乗ったデスク。床を這うケーブル。ガラスで仕切られた向こうには標本のような物が並んだ………
「…ぅっ」
思わず声が漏れた。
ガラスで仕切られた先、乱雑に並ぶのは液体の入った瓶などだが、中身は人体の一部に見えた。
フィクションならば“月並み”とでも表現するが、生々しさが違う。
「人手が足りなくてね。まだ設備は整ってないんだ」
見せたいものとは、コレの事だろうか。優馬の予想では、もう少しソフトなものからと思っていた。
「さきほどの話だが……」
香宮がキーボードを叩くと、メインモニタに新聞記事らしきものが映った。
日付は二十年ほど前。都心の路地裏で惨殺死体がみつかった、というもの。
「僕はね、天才に必要なのは“運”だと思う」
失踪、行方不明、人体の一部らしきものがみつかった……そういった記事から、雑誌と思しきものに変わってく。内容も、壁に謎の傷跡、崩壊したビル、金属人間などオカルトじみたものに。
「その才能を発揮できる、そういう場を得る“運”。こればかりは自分ひとりで出来るものではない。世界が、それを用意していなければ」
モニタの見える位置で立ち止まった優馬。対し香宮はかまわず足を進め、上着を脱いで近くの椅子へと無造作に放り投げた。
「逆に、才能を発揮できる場を用意されたならば、使命をも用意されたと考えられないかね?その才能を発揮する使命を」
ボタンを外して袖をまくりながら振り返って。その腕を伸ばしてみせた。
「キミにもある。特殊な才能が」
伸ばした指先が。こんな場所でもなければ気付かないほど小さな音を立てて硬質化していく。金属の鱗が爪を、肌を覆っていく。
まるで鎧のように肘までを覆い、その変化は止まった。
「………驚かないね。気付いていたのかい?」
「……………」
一度、目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
──あんた、マスカレーダーなのか。その呼び方を知ってるということは、G.O.と接触したのかな。一体どういうつもりだ。キミにも教えたいだけだよ、変貌した世界を、ヒトを超えた景色を。
シナリオ通りならば、そんなところだろう。だからこれからやるのは、プレイヤーとしては褒められた行為ではない。でも………
(決めたはずだ。斜め上を目指すって)
「……あぁ。あんたに試された時には驚いたけどな」
「ほぅ、そこまで気付いたか」
「このビルのクリニックで治療を受けた段階で目を付けられてたんだ。人気のないところで“試し切り”をして………もしダメだったら、あそこの標本の仲間入り。“運よく”生き残ったのなら、実力を確かめて手駒にでもするつもりなんだろう。暴力的で雑な選民だ」
「無口かと思ったら……良く回る舌と頭だ」
最後に批評を付けたのに、香宮はむしろ機嫌良くうなずいてみせた。金属に覆われた腕を見せるようにしながら、ゆっくりと語る。生徒の間違いを正す教師のように。
「少し訂正しよう。まず、キミを手駒にするつもりはない。手駒にするために試してはいない。試すのは次なるステージに相応しいかどうか。そもそもの素質………天から与えられた才がないものを試すつもりもない。ゆえに、選民ではない」
反論を………しようとして。氷でも飲み込んだように腹の底が冷えた。
「いつから……、オレに目を付けてた…?」
「僕の居る町に偶然越してきたとでも?ただ待ってるだけで願いが叶う、なんて思っていないよ」
だとしたら、いつからだろう?
(いつから『シヴァルリー』の世界に……)
最初から?いやルールブックは消えた。記憶がある。なら後付けなのか?記憶を疑うべきか。
「キミの力についてもそうだ。悪いけど、タイムリミットを設けさせてもらうよ」
些末な事、と無理やり頭の隅においやる。今重要なのは、それじゃない。
「どういうことだ?」
「人は、追い詰められた時に真の力を発揮する。このビルに、誰が居るか忘れたわけではあるまい?」
タンッ、とキーボードを押す。記事が消え、モニタに映ったのは無機質な部屋だった。椅子がひとつと、そこに座るスーツ姿の秋音。目隠しとさるぐつわをされ、ぐったりとしている。
「G.O.とも接触したのだろう?キミに与えるのは考える時間と、奴らをおびきよせる時間だ。キミの答えがなんであろうと、奴らには退場してもらう。増援を呼ばれても面倒だから、そこまでの猶予はあげられないが……」
「……必要ない」
「?」
モニタに背を向けている香宮に告げる。できるだけ、余裕たっぷりに聞こえるように。意識してゆっくりとした口調で。
「音声、繋いでみろよ。手下のひとりも配置してるだろ?」
「………」
一瞬、警戒と逡巡を見せたのち。それでも優馬の演技が効いたか、万が一を考え確認すべきと思ったか。
「…そちらの状況を報告しろ」
マイクとスピーカーのスイッチを入れた。かすかなノイズのあと、聞こえてきたのは男の声。問題ない、と答えて………
「日立秋音は職場に返しておく」
「!?」
それ以上情報を渡すつもりはないらしい。向こう側から通信が切られ、映像もノイズに変わる。
(これで、母さんは何事もなかったと思うはずだ)
おそらく“デュエル・コート”を使ってさらったはず。未覚醒なら抵抗も出来ないし、記憶にも残らない。ぐったりとしていたのは心配だが、あくまで脅し、制限のため。この段階では無事なはずだ。なにか覚えていたとしても、その辺りのケアはG.O.が行える。
見張りを頼んでよかった。
「………想像以上に頭が回るようだ、キミは」
ブラックアウトした画面をみつめていた香宮が、こちらを向く。
「そんなことないさ」
ただ、何百と継ぎ込んだTRPGの時間が、ゲームマスターとしての経験が、『こういう展開』と囁くだけだ。………自分がやるなら、こういう展開と。
「さきほどキミは『必要ない』と言ってたね。それは僕の誘いに対しても、考える時間は必要なく、答えはすでに出ているという意味かな」
「G.O.の手を借りてる時点で察しは付いてると思うけど。それでも一応聞こうか、あんたの望みを」
導火線に火が付いたような状況での問いかけ。これもTRPGの醍醐味と言えるが、それだけではない。
マスカレーダーがローグとなっているかどうか。その見極めはメタライゼーションの侵蝕と、もうひとつ。その“望み”“願い”は、他者を省みず引く事を知らない。凝り固まり、己がための欲望となる。
メタライゼーションの侵蝕が全身に及んでおらず、香宮の“望み”次第では、彼はローグではなくただの悪党マスカレーダーという事だ。
(それで許すかどうかってのは別だけどな)
秋音を人質に取った事、物部を切りつけた事、優馬自身の命も危なかった事、この地下にある“標本”の事………。ローグではなかったとしても許される事ではない。
「僕の“望み”か……」
ゆっくりと移動する。響く靴音が……
「いまさらキミが同意するとも思えないがね。それでも教えてあげよう。僕はね、相応しい場所へと導こうとしているだけだよ」
響く靴音が、硬くなる。芝居がかった素振りの手が……
「キミは、今の居場所に満足かい?言葉だけの平等や公平の下、切り揃えられ、型に詰められてると感じたことは?違う場所からの景色を望んだことは?」
芝居がかった素振りの手が、腕が、金属へと覆われていく。そしてその顔も……
「社会、常識、教育も………あらゆるモノに縛られ、押さえつけられている。その下には素晴らしい可能性を秘めているのに。自分はこんなモノのはずじゃあない………」
そしてその顔も、頬から口、口から鼻、鼻から目と覆われ、仮面の下に消える。
「…そう思ってる人も多いはずだ。そしてそのまま、埋もれていく人も。僕はね、そんな人たちを導きたいと思ってるだけだよ」
「………その、人を捨てた姿にか」
「この、人を超えた世界に、だよ」
ローグによるオーヴァーエクステント。全身を硬質化した鎧で覆い、高い耐久と戦闘力を得る。要はHPと判定にボーナス………だったが、ここでは文字通りの意味になるのだろう。
どこかで見たヒーローのように、というのは相応しくないか。“変身”したとも言えるその姿に、優馬は確信する。
ローグかどうか確かめるための会話だったが、その姿と………そしてその“望み”。人のためと言っているが、その手段と合わせて考えれば底の浅いおためごかしだ。おそらくコイツは………
優馬も、右手を硬質化させる。静電気でも帯びるような感覚とともに、どうしようもない高揚感が湧き上がる。戦うという不安を塗りつぶす。
憧れたゲームの中にいる。そんな思いが、理性を振り切った。
「オレはヒトとして、ヒトの中に生きるために……。オレの世界を守る!」
突き出した右手を握りしめ、叫ぶ。その手の中に、
「〈抜剣〉!」
一振りの剣が生まれた。




