第23-4話
エリックが戻ってきたのは、何かあったんじゃないかと皆が……そして私が心配しだした頃だった。時計の針は10の半刻を指している。
「……今帰った」
「エリック!!」
思わず玄関まで駆け寄る。身なりはきれいなままだ。けど、表情は明らかに冴えない。「チッ」と彼が舌打ちをした。
「……どうしたの」
「いや……久々にコテンパンにやられただけだ」
「え」
「心配するな、最低限の収穫はあった。それと……シェイドを撃った男に会ったぞ」
「本当なのっ!?」
エリックが忌々しげに頷いた。
「傷を与えるどころか、有り金全て巻き上げられたがな……とにかく、皆を集めてくれ。シェイドは」
「……今起きたにゃ」
上から声がした。シェイド君が、デボラさんに支えられている。
「シェイド君っ!?」
「大丈夫、にゃ。……今の話、本当にゃ?」
「ああ。そっちの話も聞かせてくれ。メディアについては、最低限の情報は仕入れてきた」
「……そうにゃ。ボクも、色々気付いたことがあるにゃ」
ゆっくりと階段を降りてくる。居間から、カルロス君も顔を出してきた。
「メディアについて何か分かったのか!!?」
「ああ。平たく言えば、彼女は人間ではない、らしい」
「え」
衝撃を受けているカルロス君をよそに、シェイド君が「だろうと思ったにゃ」と呟いた。
「表情含め、受けた印象が人間のそれじゃなかったにゃ。魔獣とも違うにゃ」
「ああ。『女神の樹』の『一部』らしい。まるで……」
「昔話の巫女にゃ。でも人間じゃないというのは……」
「オーバーバックも知らないようだ。ただ、体液……多分、涙や血含めて……『万病の薬』らしいな」
カルロス君が「……え」と漏らした。
「……どうした」
「あ……いや。……彼女は、俺と……その、そういうことをするのを、すごく嫌がってたんだ。『まだ早い』って……」
「別に不自然でもないだろ?女ってのは、惚れた男でも……いや、惚れた男だからこそ、簡単に股は開かないものさ。
まだ出会って1ヶ月だろ?むしろ、恋人になるのが早すぎる……」
「いや、確かにちょっと変にゃ」
デボラさんの言葉をシェイド君が遮る。
「え?」
「オーバーバックの言っていたのが本当なら、それは多分全ての体液が含まれるにゃ。
唾液も、汗も、愛液も……薬なら、進んで飲ませたがるはずにゃ。でも、メディアのやっていたのは逆にゃ」
「薬じゃないってこと?」
「断言はできないにゃ。ただ、それがアヴァロンの目当てなのは間違いないにゃ。そして……」
「エストラーダ候がここにいる理由も合点が行く。アヴァロンは、ファリスの薬が手に入ると言ってここに彼を連れてきた。
ただ、ファリスが死んだのはアヴァロンなら知っているはずだ。つまり、エストラーダは騙されていることになる」
「どうしてそんなことを……」
エリックが首を振った。
「分からん。明日、また情報を集めに出るしかないな。しかし、どうすれば……」
「あたしがやるよ」
デボラさんが手を挙げた。
「えっ……!?」
「ここには護衛依頼で何回か来てるからね。シェイドの具合も落ち着いたし、あたしが出た方が具合がいい。まあ、変装ぐらいはした方がいいけどね」
「ボクも行くにゃ」
「シェイド君!?」
「オーバーバックの気配は、何となく分かったにゃ。次は撃たれないにゃ。
デボラお姉様が撃たれるようなことがあったら大変にゃ」
デボラさんがふうと息をついた。
「……まあ、仕方ないねえ。……で、オーバーバックという奴は、何者だったんだい」
「……分からん。色々謎だらけだが……一つだけ言えるのは、あいつは只者じゃない」
苦虫を噛み潰したようにエリックが言う。こんなに悔しそうな彼は初めて見たかもしれない。
「どういうこと?」
「……俺は、『一度も』勝てなかった。一度だけ、お情けで勝たせてもらっただけだ。
後は、全部あいつの掌の上だった。いい手が入ってもそれ以上の手で潰される。ブラフをかけても見透かされる。
『テキ・ポルカ』であんなに負けたのは……ジャック相手にだってない。イカサマもしていないようだった……あまりに、現実離れした強さだった……」
「……そんなに強かったのかい」
「ああ。理不尽なほどに」
ふうむ、とデボラさんが手を顎の辺りにやった。
「……あんたが『テキ・ポルカ』で強いのはよく知ってるよ。あたし含めて、うちのもんじゃ誰も勝てなかった。ジャック先生ほどじゃないけどね。
そのあんたがそこまで言うのは、確かに只事じゃないねえ」
「奴はあれを違う名前で呼んでいた。『テキサス・ホールデム』と。デボラ、聞いたことは?」
「ないねえ。……シェイド、あんたは?」
「……御主人なら知ってるかもにゃ。でも、それは置いとくにゃ。
とりあえず、外見の特徴だけ教えてくれにゃ。見たらすぐ逃げるにゃ」
「ああ。……服は普通の服だった。盗賊が着ているような、薄茶の上下だ。
髪は黒く、短い。そして……黒い眼鏡をかけていた。その下の目は白だ」
シェイド君が訝しげに首を捻る。
「白目?盲人かにゃ?」
「いや、完璧に見えていたようだった。ただ、黒い眼鏡も白目もかなり目立つ。それは確かだ」
「にしても、なぜあなたに危害を加えなかったのかしら」
「……アヴァロンには雇われていると言ってた。もちろん、俺のことも知っていた。
だが、俺を殺すことには興味がないらしい。完全に他人事だったな」
色々妙な人らしい。シェイド君を撃ったけど、殺そうとしたわけでもないみたいだ。悪い人ではないのかな。
「……まあ、考えても仕方ないにゃ。今日はシャワーでも浴びて寝るにゃ。デボラお姉様も一緒に寝……あたっ」
「馬鹿言うんじゃないよ。そんな口が叩けるなら、もう大丈夫だね」
「2階に3部屋ある。俺は下で寝るから、適当に割り振ってくれ。まあ、女は女で寝るのが普通だと思うが」
「……と言ってるけど、どうするかい?」
「そうします」
エリックの様子が気になったけど、そっとしておこう。私が声をかけて、どうなるって話でもなさそうだし。
#
「……ふう」
お湯につかり、私は軽く息をついた。お風呂は外にあって、海を見ることができるようになっている。
温泉を引いているらしく、お湯は白く濁っている。疲れが芯から溶けていく気がした。
「入るよ」
後ろから声がした。デボラさんだ。胸は大きいけど腹筋は締まっていて、鍛えているのがよく分かる。……私のポヨポヨした身体とは、随分違うなあ……
「あっ、はい。どうぞ」
「フフ、遠慮しなくていいんだよ。……久々にロックモールに来たけど、やっぱり温泉は格別だねえ」
「護衛とかで、よく来てたんですよね」
「ああ。ゴンザレス家にも世話になったことがある。何であの親父が豹変したのかは、未だによく分かってないんだけどね」
「そうなんですか?」
デボラさんの表情が暗くなった。
「……突然だったからね。旦那……マルケスはカルロスの父親を護衛し終わった帰りに、後ろから刺されたのさ。ゴンザレス家の傘下、チャベス組の連中にね。
そして、連中はベーレン家とモリブス政府に牙を剥いたのさ。ロックモールの独立を叫んで、ね」
「……何でそんなことを」
「……さあね。ただ、万病の薬ってのが本当なら、それを狙っていた可能性はあるかもしれないね……」
彼女はお湯を掬い、それを顔にかけた。
「1年前から、メディアさんは狙われていた?」
「どうだろうね。あんたの魔法なら、少しは分かるかもしれないけど。ただ、どこでいつまで時を戻せばいいのやら。
そもそも、そんな娘が1年間どこにいたのかも謎だね。一度、メディアに会ってみないと」
「でも、どうやって」
「そこだねえ……まあ、行ってから考えるさ。情報が色々足りなさすぎるしね。
それにしても、いいのかい?エリックを放っておいて」
「ひあっ!!?な、何ですか急に」
ニヤニヤとデボラさんが笑う。顔の温度が急に上がった気がした。
「あんだけ凹んでるエリックはほとんど見たことがないからねえ……てっきり、今日は傍にいるものだと思ってたよ」
「……心配じゃない、と言えばそうですけど……どんな声をかけていいのか、分からなくて」
「同じ空間にいるだけでも意味はあるものさ。まあ、あんたの言うことも分かるけどね。
あいつは下手に触るとへそ曲げるからねえ……」
確かに、エリックが怒る時は一気に沸騰する印象がある。
普段は落ち着いていて紳士ですらあるけど、触れられたくない部分には絶対に立ち入らせない、壁みたいなものが彼にはあった。
そういうのは、乗り越えるべきものなのだろうか。それとも、そこは触れないままにするのがいいのだろうか。……私には分からない。
にゃあ、と猫の鳴き声がした。……シェイド君?思わず辺りを見渡すと、デボラさんが「ククッ」と笑った。
「大丈夫だよ。あいつじゃない」
「でも……」
「意識が戻ってから少し話したんだよ。……オーバーバックに凹まされたのは、エリックだけじゃないってことさ。
あいつがあたしたちと一緒に来た理由も聞いたよ。意識を失ってる間、『これじゃダメにゃ』と譫言をずっと言ってた」
言われてみれば、おちゃらけたことを今日のシェイド君は言ってない。デボラさんに支えてもらってた時も、前なら胸を触ろうとかしてたはずだ。
「……変わろうと、してるんですかね」
「多分ね」
デボラさんはそう言うと、海をじっと見つめた。
もう、日付は変わろうとしている頃だろう。長い一日が、やっと終わろうとしていた。
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翌日、デボラさんにある事実が突き付けられることを、この時は誰も知らない。
用語解説
ロックモール温泉
ロックモールに沸く温泉。白濁しており、皮膚病や美肌に効果があるとされる。
その他内臓病にも効くとの評判は高い。一説には「女神の樹」の加護であるとも言われている。いつから湧いていたかは不明。
なお、飲用しても効果はある。煮詰めたものは媚薬としての効用もあり、これがロックモールを「絶頂都市」足らしめたと言えるだろう。
なお、煮詰めた高濃度の温泉にはもう一つの使い方がある。静脈注射することで爆発的な力を得るという麻薬である。
ただ反動も大きいため、実際に使われることは現在ではほぼなくなっている。抗争の際に鉄砲玉に射たせることはなくはないようだが。




