第七話 『勘違いの契り』
「……人生を、やりなおす」
ヒルディアの心に希望の光が射しこみかける。
もう一度生きなおせるというのなら、今度こそ自分は、あれほど希求した愛を手に入れることができるかもしれない。
しかし、すぐに甘い考えだと気付く。
「無理、ですわ」
「何故だ? どうして決めつける?」
「私は、従者を付けずに家から出たことさえないんですのよ? 自分で食い扶持を稼ぐことはおろか、生活していくうえでの常識さえ知らないのです。そんな私が、家から放逐された今、たったひとりでどうやって生きていくというのですか」
「なんだ、そんなことか」
「そ、そんなことって――」
「其処許の先行きについては、己が責任を持つ」
「……え?」
一瞬、ヒルディアの思考が空白になる。
僅かな間を置いて、彼女はスイガの言葉を繰り返す。
「…………責任、を?」
「うむ」
スイガにしてみれば、助けた以上は、責任をもって自立のための手を貸すという意味で伝えたに過ぎない。
しかし、人生について話していたこともあって、ヒルディアはまったく別の意味に受け取る。
「そ、そ、それって――」
「ん?」
「プッ、プロ、プロ、プロ――」
「ぷっぷろぷろぷろ? 知らん言葉だな」
プロポーズではないのか、とヒルディアは思う。
「へぇえ!? なん、なんでですの!? ここ、困りますわいきなり!」
「は? 其処許が困らないようにと考えての提案なのだが」
「い、いえ、でも――」
あまりに唐突な申し出で、受け入れるか否か以前に、どう反応して良いのかわからない。
「え、ええっと……そ、そうですわ! 持参金! 今の私では、持参金が払えませんわ!」
婚姻に際し、女性は嫁ぐ相手に持参金を払うのが、この国の常識だ。
自己紹介した際、スイガは豪族の家の生まれだと言っていた。
ということは、結婚には相応の金額が必要となるはずだ。
しかし、今のヒルディアには、銅貨一枚の財産すらない。
「金?」
ヒルディアの言葉を聞き、スイガは一瞬眉根を寄せる。
「見くびるな。金が欲しくて言ったのではない」
「うぇ!? じゃ、じゃあ、持参金は要らないとおっしゃいますの!?」
「無論だ」
スイガにしてみれば、結婚を申し込んだつもりなどないので、ヒルディアが単に、助ける見返りに金銭を払わなければならないと受け取ったのだと解釈した。
当然、金目当てで助けるわけではないため、勘違いされたのは甚だ不本意だった。
一方ヒルディアは、利害が生じないのに結婚を求められたのだと受け取り、激しく動揺する。
貴族にとって結婚とは、家門になんらかの利益をもたらすため行われる契約といって過言ではない。
なんのメリットもないどころか、刺客に狙われているという意味では大きな面倒事を抱えている己との結婚など、重荷でしかないはずだ。
にもかかわらず、彼は些かの迷いすらみせず、己の人生を引き受けると言う。
「そんな……そんなのって――」
まさしく愛ではないか。
「……うう」
ヒルディアは両手で顔を覆う。
顔が熱い。
おそらく赤面しているだろう。
心臓も早鐘を打ち、呼吸も荒くなるのを抑えることができない。
そんな取り乱した姿を見られることに、羞恥を覚える。
ヒルディアの様子に、どうもこの娘は困っているようだとスイガは察する。
家から追い出されて頼る先などないのだろうと思い、今後についての責任を持つと申し出たが、もしかしたら助けてもらえるあてがあるのかもしれない。
だとすれば、出過ぎた提案をしたということか。
彼女にしてみれば、恩人からの申し出を断るのは気が引けるため、返答に窮しているのだろう。
などと考えて、スイガは小さく溜息を吐くと、ヒルディアに伝える。
「いや、すまん」
「へ?」
「其処許を思っての提案だったのだが、かえって困らせたようだ。さっき言ったことは忘れ――」
「そんなことはありませんわ!!!」
これまでにない大声で言葉を遮られ、スイガはおもわず身を跳ねさせる。
「たしかに急な申し出で戸惑いはしましたけれど、困るなんてことあるものですか!! だってこれまで、たくさんの人に裏切られて憎まれて、殺されかけて、私の人生はもう終わりだって思っておりましたのよ!? そんな私の命を救ってくれて、手を差し伸べてくださって、とても助かりますし、涙が出るほど嬉しかったのですわ!!」
「う、うむ」
前のめりにそう訴えるヒルディアに気圧され、スイガはやや上体を仰け反らせる。
一方のヒルディアは、ようやく腹を括る。
この人に助けられなければ、己は刺客たちに凌辱された後で殺され、遺体は森に打ち捨てられたまま朽ち果てていただろう。
拾ってもらった命であれば、この人にこの先の運命を委ねてみようと考える。
それに、これほど強くて思慮深く、なにより自分を思いやってくれる相手に、好意を抱かぬはずがない。
そう自覚した瞬間、ヒルディアは、ここに至るまでの苦難のすべては、今、この瞬間を迎えるために課せられた試練だったのだと思い至る。
ついに己は、あれほど欲し続けた愛を得られるのだ。
「で、で、ですから……その、私は、あなた様のお申し出を、う、うぅ受けたいと、か、考えておりますわ」
「……わかった。ともあれ、手当ても済んだことだし、まずはここから移動しよう。この馬たちなら日暮れ前には宿場町まで辿り着けるだろう」
スイガは立ち上がると、岩に腰かけているヒルディアに手を差し伸べる。
「立てるか?」
「……え、ええ」
ヒルディアは差し伸べられた手をつかんで腰を上げる。
スイガが引こうとする手を握ったまま、ヒルディアははにかんだ顔で伝える。
「あの……不束者ですが、よろしくお願いいたしますわ」
「うむ、承知し――ん? ふつつか?」
己に熱っぽい視線を向けるヒルディアに、スイガは首を傾げた。
それから約五年後。
ふたりが出会った王領の森より遠く離れた山中にて、ヒルディアは頭に鈍い痛みを感じて我に返った。
「うっ…………あ、え?」
ぼんやりと視線を彷徨わせると、未だ森の中だとわかった。
しかし、妙に地形が険しい。
草や灌木の緑に覆われていた地面は、ところどころ赤茶けた岩が剥き出しになっており、樹木の種類も変わっているように感じる。
それに、なんだか思考がはっきりしない。
そもそも、森で助けられ、河原を発った後どうなったのか、思い出すことができない。
「見事だ」
横から聞こえた声に気付き、ヒルディアはそちらへ顔を向ける。
そこには、己を救ってくれた異国の剣士、キトネスイガが腕を組んで佇んでいた。
ただどういうわけか、装いが変わっている。
体を包んでいたマントは消え、釦のない濃紺の上服を着て、墨色のスカートのような下履きを履いている。
とはいえそんなのは些細なことだ。
そう思って駆け寄ろうと考えたところ、動き出す前にスイガは言葉を継いだ。
「あれだけの修行に耐え、よくぞここまで技を練り上げた。よもやひとりで人食い熊を斃しきるとはな」
「は?」
なんの話か、と思いつつ半歩踏み出した途端、足元で鳴った粘着質な水音に気付いて視線を落とす。
「……へ?」
己の周囲の地面に、赤黒い血だまりが広がっていた。
そして、すぐ近くには、ヒルディアの上背の倍近くはあろうかという巨大な獣が仰のけにひっくり返っており、その裂けた首元から噴水のように血が噴き出している。
「ひっ! なっ――!?」
動揺のあまり後退ると、血に足をとられてバランスを崩しかける。
体勢を立て直そうと腕を振りあげ、右手になにか重いものを握っていると気付く。
視線を向けると、手には緩く湾曲した剣が握られており、刃も腕も鮮血に染まっている。
よたよたと後退り、後ろに聳えていた巨木に背をぶつける。
ヒルディアは剣を握った右腕を正面に掲げて見つめながら、戸惑いの叫びをあげた。
「ど、どっ……どうなってますのこれえぇぇぇぇぇぇぇえええ!!!」
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