第四話 『破滅との邂逅』
スイガと名乗った男は、横転した馬車から手綱を回収すると、それを利用して襲撃者たちの馬四頭を手早く繋ぎ、ヒルディアとともに、遺体の転がる襲撃現場を後にした。
森の中を進むと、程なくして、スイガの言った通り河原に出た。
スイガはヒルディアを適当な岩の上に座らせると、枯草を集めて火打石と打ち金を使い瞬く間に火を起こし、川の水を銅製の鍋で温めはじめた。
その手際の良さに驚きながら、ヒルディアは訊ねる。
「何故水を温めるんですの?」
「額と足の傷を洗うためだ」
「それなら、先程洗っていただきましたわ」
出発前、スイガはヒルディアの足の傷を水筒の水で洗い流していた。
「あれでは不十分だ。水も汲んでから時間が経っている。沸かした湯でしっかり濯がねば、後で傷から腐ることもある」
「ひえ」
脅すようなことを言われ、ヒルディアは嫌な想像に顔を引き攣らせた。
スイガは沸いた湯で丁寧に傷を洗うと、傷の上からサラシを巻きはじめる。
己の手当てをするスイガを見つめながら、ヒルディアは問う。
「……あの、なにも事情を訊きませんのね」
「なにも、とは?」
「それは、私が何者かとか、どうしてあの男たちに襲われていたのか、とか」
「訳ありとは察している。が、其処許の事情には、あまり興味がない」
「そ、ソコモト?」
「しかし、聞いてほしいのならば話すと良い。力になれることもあるやもしれんしな」
このような状況になった経緯を話して良いものか、ヒルディアは迷う。
ここへ至るまでに、信頼していた多くの者たちに裏切られすぎた。
それゆえ、恩人とはいっても、さっき出会ったばかりのこの男を信用すべきか、判断がつかない。
しかし、今の自分には、家の力もなければ、先行きへの展望もない。
結局誰かに頼らないわけにはいかないのだと思い至る。
それに、あんな理不尽な体験を、己の胸の内だけに抱え込んでなどいられなかった。
「では、あの……聴いていただけますかしら」
手当てを続けている己の足に視線を落としたまま、スイガが小さく頷くのを確認すると、ヒルディアは訥々と語り始めた。
ヒルディアの父、デラルド・ヴォン・ヴィンガルド=メイベル侯爵は、首席国務大臣として国王に次ぐ権力と財力を持つ大貴族だ。
その娘であるヒルディアは、太すぎる実家の力に加え、現時点での王位継承権筆頭である第二王子の許嫁ということもあり、未だ十代の半ばでありながら、社交界では誰も無視することのできない存在だった。
まして、その比類のない美貌と、単なる赤毛とは違う深紅の髪色は、デール王都に咲く至高のバラなどと喩えられ、〝赤バラの君〟と呼ばれて、とにかくちやほやされていた。
そんな彼女が、絶頂を極めた暮らしから転落するきっかけとなったのが、四月ほど前、王都の貴族の子弟が集まるサロンでの出来事だった。
メイベル侯爵と同じ王党派貴族でありながら、没落寸前と噂されるカルヴァート伯爵家令息ファレル・ヴォン・キーウッド=カルヴァートが、集まった貴族の子弟らの前で紹介した娘が進み出た瞬間、その場の時が僅かな間止まったのを、ヒルディアは憶えている。
「アイラ・ヴォン・ホーリーカース=カルヴァートと申します。皆様、どうかお見知りおきを」
そう控えめに自己紹介し一礼した娘の容姿に、ヒルディアでさえ息を呑んだ。
まるで陶磁器のように白く滑らかな肌、腰の下まで真っ直ぐに伸びた銀髪、わずかに垂れた目の中心でなまめかしく光を反射する深い青の瞳。
白を基調としたドレスこそ慎ましいデザインだったが、幻想的ですらあるその容姿だけで、家門の示威と己の虚栄心を満たすため美を競い合ってきたすべての貴族たちが言葉を失った。
聞けば、アイラと名乗ったその娘は、カルヴァート伯爵の庶子なのだという。
要するに、伯爵が若い頃、自領の町娘に手を出してこさえた、妾腹の子だ。
それが、母親を流行り病で亡くしたことで、伯爵が正式に娘として家へ迎えたのだという。
普通なら、何故今更そのような真似をと訝るところだが、本人を前にしたことで、ヒルディアにも理由を察することができた。
伯爵家は、先の戦争で大きな手柄を立てるどころか、現当主の兄である当時の嫡男が不名誉な最期を遂げたうえ、戦費によって経済的にも困窮することとなったという事情がある。
現当主とその嫡子に家門を立て直す手腕もない。
そこで伯爵は、庶子である娘の美貌を利用して、他の家門との繋がりを作ろうと考えたのだろう。
そう気づいたところで、ヒルディアはアイラと名乗った娘の前へ進み出ていた。
その行動に、とり巻きの貴族令嬢たちをはじめ、サロンの誰もが意表を突かれた。
腹違いの妹を紹介したファレルは、動揺に顔を引き攣らせながらヒルディアに声をかける。
「あ、〝赤バラの君〟……い、いらっしゃったのですか」
ヒルディアは扇子で口元を隠しつつファレルに流し目を送る。
「あら、私のことなど目にも入らなかったと?」
サロンは広いうえに人が多く、しかも、壁に設置されているランプは光源として弱い。
己を見つけられなかったとしても仕方ないとわかっていながら、ヒルディアはあえて非難するような言葉を口にした。
政略結婚は、貴族の子女にとって避けられぬ定めのようなもの。
そうとわかってはいても、腹違いとはいえ血の繋がる妹を家門存続の道具にしようというこの男の性根が、ヒルディアは気に入らない。
絶大な権力を持つ侯爵家の令嬢の、金色の瞳に見据えられ、ファレルはしどろもどろに応じる。
「い、いえ、決してそのようなことは!」
ファレルは目を逸らし、額から流れる汗を拭う。
この侯爵令嬢の不興を買えば、社交界での立場を失くすことになる。
そうなれば、妹を売り込もうという目論見もご破算だ。
ヒルディアはそんなファレルの焦りを察する。
「い、妹を皆様に紹介せねばと気負うあまり、ご挨拶が遅くなりましたこと、お詫びいたします。アイラ、この御方は――」
「ヒルディア・ヴォン・ヴィンガルド=メイベルと申します」
話を遮られ、ファレルは慌てて口を噤む。
一方のアイラは、意外にも落ち着いた様子で、スカートを持ち上げつつ深々と腰を落として一礼する。
「お初にお目にかかりますヒルディア様。どうぞお見知りおきくださいませ」
その優雅な所作に、ヒルディアは感心する。
とても元平民の娘とは思えない。
カルヴァート伯爵は、余程優秀な教師をこの娘に宛がったようだと察した。
無論、アイラ自身も優秀なのだろう。
放蕩者で家の財産を食いつぶすしか能のない、父や兄とは大違いだ。
「社交界はなにかと決まりごとの多い場所ですわ。勝手のわからぬうちは、戸惑うことも多いはず。ですので、よろしければ私が、いろいろと手ほどきして差し上げたいと思うのですが、いかがかしら」
周囲で微かなざわめきが起きる。
社交界の主役であるヒルディアが、落ち目の伯爵家の娘、しかも元平民に手を差し伸べるなどとは、この場の誰も予想していなかったのだ。
「は、はは、そりゃあいい! 光栄なことだぞアイラ! 是非お受け――」
横ではしゃいだような声をあげたファレルは、ヒルディアから睨まれてふたたび口を噤む。
アイラはというと、落ち着いた声音で淡々と応じる。
「ヒルディア様、お気遣いくださりありがとうございます。是非ご指導いただければと思います」
「ええ、よろしくってよ。仲良くいたしましょうね、アイラ」
こうして、その日からアイラ・ヴォン・ホーリーカースは、数多いるヒルディアの取り巻きのひとりに加わった。




