第三話 『金鎖の手向け』
男の答えを聞いたヒルディアは動揺のあまりよろめく。
「ユーグ王勅騎士団ですって!?」
助けた娘が唇を震わせているのを目の当たりにして、事情のわからぬ黒髪の男が訊ねる。
「知っているのか?」
「お、王家直属の騎士団ですわ……王国常備軍の中でも、親衛隊のような役目を担っていますの」
戸惑いのため、ヒルディアは視線を彷徨わせる。
「で、でもわかりませんわ! どうしてかの騎士団の団員が、王都を去る貴族家の娘を狙うというのです!」
その問いを受け、苦痛に顔を歪めていた襲撃者の口元が吊り上がり、息を荒げて呻き声を漏らしていた口から、押し殺したような笑いが漏れる。
「く、くく……かかか……ほ、本当は、気付いてんだろ、あんた」
ヒルディアはぎくりと身を強張らせる。
「え? な、なんのことですの?」
「あんたを殺すよう、くふは、オレらに命じたのが、誰かってことをだよ」
「命じ、られた? 誰かの指示で、私の命を狙ったというんですの?」
「へへ、なんだよ! まぁだすっとぼけんのか!? それともマジでわかってねえのかい!?」
「い、いいから答えなさい!」
「ふっ、オレたちに、あんたを殺せと命じたのはなぁ――」
襲撃者の男は、息を呑んで一瞬の間を開けてから、抑え込まれている身を起こすようにして黒幕の名を口にする。
「キャリル・フラム・ジ・ホーゲイル・ヴェン=デール、王太子殿下……つまり、あんたの元フィアンセだよ」
ゆっくりと首を振りながら、ヒルディアは無意識に一歩後退る。
「う……嘘、ですわ……そんな出鱈目を、誰が信じるものですか」
「かはっ! 嘘なもんかい! 考えてもみな! 誰が王都からあんたを追い出した!? この世で一番あんたを目障りに思ってんのは誰だぁ!? そもそも、王族直下の軍人を命令ひとつで動かせる人間なんざ、王陛下を除けばひとりっきゃいねえだろうがよ!!」
「そ、んな」
へなへなと座り込んだヒルディアは、震え声でつぶやく。
「いくらなんでも……あんまりですわ」
その下瞼が小さく膨らんだかと思うと、目の端から雫が零れ、続いてぼろぼろと涙が流れる。
「ううぅ、そんなに……殺すほど、私が憎かったというんですの?」
「げはは! いいツラだぜ! できれば上に乗った状態でその顔を拝みたか――」
ヒルディアを嬲るようなことをわめく襲撃者の声が、途中で途切れる。
黒髪の男が、素早く喉を裂いたからだ。
「誰が余計なことまで囀れと言った」
そうつぶやいて極めていた左腕を放してやると、襲撃者の男は絶命に至るまでのわずかな間、喉を掻き毟るようにして藻掻いた。
その様子を呆然と見つめながら、涙で顔をぐちゃぐちゃにしたヒルディアの前で身を屈めた黒髪の男は、腰のベルトに通した鞄から手拭いをとりだして差し出す。
「事情はわからんが、命を狙われているのなら、泣くのは後にした方が良い」
差し出された粗末な布切れを数秒ほど見つめていたヒルディアは、半開きの口を引き結ぶと、鼻をすすり上げ、手拭いを受け取る。
「…………そう、ですわね」
ヒルディアは目元を拭った手拭いを鼻に当て、ちーん、と音を立ててかむ。
「すっきり、ぐしゅ、しましたわ」
丁寧に鼻を拭うと、丸めた手拭いを差し出された手に戻す。
助けた娘が鼻をかんだ手拭いを見下ろし、黒髪の男は呆れるよりもむしろ感心する。
なるほど、この無遠慮さは、いかにも世慣れしていない良家の子女らしい。
それによく見れば、身に纏うドレスは高級品とわかるし、艶やかな髪も肌もよく手入れされてきたものと見てとれる。
たった今襲撃者の男が、王太子の元婚約者だと言っていたが、おそらく事実なのだろう。
面倒事に巻き込まれたかもしれないと考え、黒髪の男は小さく溜息を吐きつつ、汚れた手拭いを鞄の中へ戻す。
「あなた様のおかげで命拾いいたしました」
そう言ってヒルディアは深々と首を垂れる。
「心より感謝いたしますわ」
「……まあ、見過ごすわけにもいかなかったからな」
「それと、まだ名乗ってもいませんでしたわね。私はヒルディア・ヴォ――」
途中で声を詰まらせ、ヒルディアは小さく俯き、訂正する。
「いえ……ヒルディアです。ただのヒルディア、ですわ」
家名を名乗らない。
やはり、なにか訳ありかと黒髪の男は察する。
「己は、鬼刀禰錐牙という。東方より流れてきた、旅の者だ」
「キトネスイガ、様ですか」
「キトネが家名で、スイガが名だ。好きに呼んでくれ」
「スイガ様……家名をお持ちということは、あなた様も貴族ですの?」
「貴族というか、豪族の端くれではあったな」
それなのに、どうして旅などしているのだろうとヒルディアは考える。
家督を継げなかったからだろうか。
どんな理由にせよ、顔立ちや装いから、かなり遠方から流れてきたのではないかと、世間知らずながらヒルディアにも想像はできた。
考え込んでいると、スイガと名乗った男は立ち上がって手を差し伸べる。
「それより、この場を離れるぞ」
「え?」
「こ奴らの仲間がやって来ないともかぎらん」
「え、ええ、そうですわね……痛っ!」
男の手をとって立ち上がろうとしたヒルディアだったが、左の足首に痛みを覚え、ふたたび身を屈める。
「どうした?」
スイガは、ヒルディアが押さえる足首に目を向ける。
「切り傷だな。おそらく、矢が掠めたか」
背後を窺うと、地面に矢が突き刺さっている。
彼女の足を止めるため、襲撃者のひとりがクロスボウで射ったのだろうと察せられた。
射抜かれずに済んだのは幸いだったといえる。
「立てそうか?」
「えっと……どうでしょう」
困り顔のヒルディアを、スイガは抱き上げる。
「え! あぁ、あの!?」
「少し、じっとしていろ」
そのまま襲撃者の馬へ歩み寄ると、放るようにしてヒルディアを鞍の上へ乗せる。
「連中の馬をいただくとしよう。近くに沢があるので、傷はそこで手当てする。移動する前に、回収する荷物などはあるか?」
そう言ってスイガは、横転した馬車を目で示す。
「あ、い、いえ、ありませんわ。この身ひとつで修道院に送られるところでしたので。ただ、お願いがございます」
「なんだ?」
「馬車の近くで亡くなっている従者を、できれば葬ってあげたいのですけれど」
男が視線を巡らせると、たしかに、馬車から少し離れたところに、年かさと見える男が横たわっている。
「いや、急いでこの場を離れたい」
「そう、ですか……ではせめて、これをあの者の手に握らせてきてくださいませ」
ヒルディアは首飾りを外すとスイガに手渡す。
すべて金でできており、輝く星をモチーフにしたトップの細工は極めて細密だ。
おそらく、ただの宝飾品ではなく、宗教的な意味合いを持った装身具なのだろうとスイガは察した。
「良いのか? かなりの高級品のようだが」
今さっき、娘は身ひとつで修道院へ送られるところだったと言った。
しかも、権力者から命を狙われている。
訳アリなのは間違いない。
なればこそ、金に換えられそうなものを軽々に手放してよいのかという意味で問うた。
「かまいません」
ヒルディアは使用人の方へ向けた目を伏せる。
「あの者は私の巻き添えで命を落としたのです。しかも、傷を負いながら、最後まで私を守ろうとしました。その献身に報いる術を、私は持ちません。その首飾りは、天に召されるあの者への、せめてもの手向けですわ」
「……そうか」
スイガは娘の人となりが少しわかったような気がした。
「承知した」
そう言って、従者の亡骸の方へ歩いて行った。




