第三十四話 『憤激』
「いやいや、なんとも勇ましいと思ってな。しかし……よもや女の口から武者修行などという言葉が出ようとは」
徴税官の言葉を耳にした瞬間、ヒルディアは臓腑の奥が煮えたち、頭の芯に炎が灯るのを自覚した。
この男は、己が剣の腕を磨いていると知り、非力な女が必死に背伸びをしているとでも思ったのだろう。
だが五年間にわたる修行の日々は、文字通り死に物狂いだった。
その不断の努力を見縊られるのは、心外というほかない。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
なにより許し難いのは、師の剣を嗤ったことだ。
己の剣を嘲弄するということは、すなわち、キトネスイガの剣を卑下したも同然だ。
今のヒルディアにとって、これほどの侮辱はない。
絶対に許せない。
そして幸いなことに、この男は斃すべき敵だ。
つまり、斬ってしまっても何の問題もない。
それどころか、敵の大将首でありながら、武装しているとはいえ戦いの心構えもなしに、己の前にその身を晒している。
以前、師匠がこのような状況を表す自国の諺を教えてくれたのを思い出す。
たしか、飛んで火にいる夏の虫、だったか、いや、鴨が葱を背負って来る、だったか。
いずれにせよ、笑えるほどに好都合だ。
実際、顔に笑みが浮かぶのをこらえることができない。
その様子に気付いたのか、スイガに注意される。
「ヒルダ、感情に任せて動くなよ?」
そう、常々言われてきたことだ。
敵を仕留める時ほど気を鎮め、落ち着いてことにおよばねばならないと。
「ええ師匠、承知していますわ」
敵の一挙手一投足に注視し、確実に急所を断って仕留める。
そう考えると即座に、スイガは言葉を継ぐ。
「この男をここで殺すわけにはいかん。わかっているな?」
そうだったとヒルディアは思い出す。
徴税官を殺したところで、補佐官とその部下が砦に残っていたのでは、状況を変えることなどできない。
ならば、とりあえずこの男の命だけは残しておいて、人質にするなり、拷問で情報を吐かせるなりして最大限利用せねばならない。
そんなことにも思い及ばぬとは、やはり私はまだまだ未熟者だとヒルディアは反省する。
そして、師がそんな己の不明を一瞬で見透かしたことに悦びを覚える。
やはりこの人は、誰より私のことを理解してくれているのだ。
「もちろんですわ」
そう応じるも、スイガはなおも釈然としないような表情で、ヒルディアは心苦しく思う。
もっと決然と、されど粛々と、斬るべき者を斬るべき時に斬らねばならない。
そんなことを考えていると、横から徴税官が口を挟む。
「水と食料が必要なのであったな? よかろう、官舎まで来ればお分けしよう。それと、部屋を用意するので今日は泊っていくと良い。ベッドで眠れば旅の疲れもとれよう」
師への思いに水を差され、ヒルディアは衝動的に斬りつけそうになるが、提案を聞いてふみとどまる。
これは、好機ではないか。
砦にさえ入ってしまえば、あとはどうとでもなる。
考えを窺うためスイガに視線を移すが、ふたりの間に徴税官の護衛たちが割り込む。
「ちょっ、あなたたちなん――」
「ただし。用意できるのはひと部屋のみ、よって招待できるのはお嬢さんだけだ」
「は?」
なんのたわ言だと思い、徴税官の方へ顔を向けると、その顔は抑えきれぬ笑みに歪んでいた。
ああこれは、見覚えのある表情だ、とヒルディアは気付く。
女を、弱者を、己の思うままにしようという、欲望と驕りの綯い交ぜとなった顔貌だ。
山で斬ってきた盗賊たちのほとんどは、はじめて己と相対した時点で、同じような表情を浮かべた。
「それとな、こちらとしても貴重な食料を提供しようというのだ、今宵は食事を共にし、酌のひとつでもしてもらいたい」
「……それは、酌だけで済みますの?」
「む? ふほほ」
ヒルディアが薄く微笑みながら問い返すと、ガーハイムは好色そうに口角を釣り上げ含み笑いを漏らす。
「それはそなた次第であろう。濃密な一夜を過ごしたいというのなら、ワシとしてはやぶさかでないがなぁ?」
そのセリフのおぞましさに、ヒルディアの腕に鳥肌が立つ。
「へーあー、そうですの」
「ほほ、ではそろそろ我らの城へエスコートするとしよう」
そう言ってガーハイムはヒルディアに手を差し伸べる。
そのポーズが、彼女の記憶を呼び覚ます。
五年前、第二王子の刺客に追い詰められた際、己を凌辱しようとした従騎士が、同じように下卑た笑みを浮かべ手を伸ばしてきた。
あの時は、師匠がその腕を斬り飛ばし、救ってくれた。
だが今は、己に向けられるよこしまな意思や力を、己自身で掃うことができる。
さりげなく左手で鞘を握り、腰に差した刀の刃が下を向くよう半回転させながら、ヒルディアは低めた声で伝える。
「……勘違いしてますわね。いつ私が、あなたに同行するといいましたの?」
「ん? それはどういう――」
戸惑うガーハイムの声を、キンッ、という涼やかな金属音が遮る。
ヒルディアが刀の鯉口を切った音だ。
瞬時に、彼女は己の身に一本芯が通ったのを感じる。
「酌をしろ? はっ、魂胆が見え見えですのよ!」
柄を逆手に握って抜刀し、伸ばされた腕を覆う鎧の関節部、肘のつなぎ目に向け刃を振り上げる。
切っ先が肉を裂き、筋を絶ち、骨の間をすり抜ける感触が掌に伝わる。
そのまま振りぬくと、斬り飛ばした腕は宙高く舞い上がり、回転しながら地面に落ちて転がった。
「すっきりしましたわ」
逆手に握ったままの刀を、拳を振り下ろすように血振りしてから素早く納刀すると、ようやく我が身になにが起きたか気付いたガーハイムが、聞くに堪えない悲鳴を上げる。
「ぶぎひぃぃゃああぁぁあぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁあぁああぁああぁぁああああああ!!!」
狩りで仕留めた猪が、とどめを刺す寸前にあげる絶叫みたいだとヒルディアは思う。
「ふっぎ、ぶふっ、ぅふぅぎぃぃぃいぃい痛だぁああぁあぁあぃひぃいいいい!!」
「なっ!? が、ガーハイム様!? いぃ、いったいなにが――」
振り返った三人の共が、主に駆け寄ることもできず、唖然とした顔で立ち竦んでいると、男たちを押し退けるようにして、スイガがヒルディアに駆け寄る。
「ヒルダ、いったいなにを!」
「師匠! 安心してくださいまし! お言いつけは守りましたわ!」
「は? え? ん?」
スイガは、腕の断面を抱え込むように、中腰で呻いているガーハイムを一瞥する。
「いや、どこがだ!」
「え? ですから、殺していないでしょう」
「斬っとるじゃないか!」
「あら、斬っていけないとは言われておりませんわ」
「感情に任せて動くなと伝えただろう!」
「ええですから、このうえなく冷静に、落ち着いて腕の肘関節から切断いたしました」
「そういうことではなく!」
ふたりが言い合いをしている間に、ようやく護衛たちが主に駆け寄る。
「ガーハイム様! 大丈夫ですか!?」
「がぎぎぎ、ぐぅうひぃぃ、はあっはあっ! ぐぅぅづ、だ、だ、大丈夫なわけ、ねえだろうが、っのバカヤロウどもがぁ!!」
半狂乱の主から面罵され、男たちは竦み上がる。
「ぶふぅー! ぶふぅー! ぅぐうぅぅ、わ、ワシの、ワシの腕をぉ、うぅ、落とし、やがってぇえ! ふぐぅぅ! よくも! よくもぉぉお!!」
その様子を離れて窺っていたジェイムズたちは、あまりの急展開に混乱し、互いを窺い合いながら震え声で騒いだ。
「な、なにが、起きてるんだ?」
「おいおい、ヤベエぞこれ! 絶対えヤベエ!」
「どっ、どうすりゃいいんだぁ!?」




