第三十二話 『不意の遭遇』
ジェイムズたちに案内され、村に足を踏み入れた途端、ヒルディアの表情が強張った。
「……これ、は」
家々は小さく、壁は黒や緑のカビに侵され、屋根もところどころ破れて雑草まで生えている。
ある家の前には干物が吊るされているが、干からびすぎて元がなんなのかもわからない。
あるいは、おそらく不要になったと思しき家具が屋外に転がり、朽ちるに任せてある。
ひと目で住民の貧しい暮らしぶりが窺えたが、それ以上に、無気力と諦めが村を支配しているのがわかった。
ヒルディアたちの小屋の近隣にある村々も、貧しさでは決して負けていない。
土地が痩せ、作物の育ちは悪く、獣害も深刻で、食糧事情は常に悩みの種だ。
産業もないので、交易によって他所から食料を仕入れることもできない。
しかし、それでも山の村の住民たちは、山裾の硬い土地を切り拓き、水路を敷設し、獣を立ち入らせぬよう柵や壁、罠を張り、細々とではあるが堅実に、生きるための糧を得ている。
彼らは皆、貧しさと過酷な環境を克服しようと必死で、その在り様からは人の生きる力が伝わるようだった。
一方、ただ生活の痕跡を見ただけで、この村の民が無気力に、ただただ自分たちの境遇から目を背けるようにして生きているのが、ヒルディアには想像できた。
ジェイムズたちのように、自分たちから搾取する権力に抗おうとする者は、おそらく少数派なのではないか。
そして、その少数派が現状を変えようと行動するための原動力は、怒りだ。
きっと彼らは、喜びも安らぎもとうに忘れ、悲しみには慣れ、ただ習慣として作物を収穫する以外の行動を起こすために、怒りという激情に身を任せる以外の術がなかったのだろう。
「うぅ」
おもわず、ヒルディアは口を押さえる。
王族や貴族のような支配者階級の華美で贅沢な暮らしは、こういった人々の犠牲の上に成り立っているのだと思い至ったからだ。
そして己も、かつてはそんな貴族の一員だった。
当時の無自覚な贅沢三昧を思い出し、胸の奥から自己嫌悪がこみ上げる。
「あの、顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
「はっ、あんまり寂れて貧乏くせえんでビビったんじゃねえか? なにせしばらくはここに滞在しなきゃならねえんだからな」
己を気遣うジェイムズと、自虐交じりの皮肉を口にするエヴァンスに、ヒルディアは剣呑な目を向ける。
彼女の渋面に、ふたりは怯む。
「な、なんだよ」
「んぐぎぎ……すみま、せんでしたわぁ」
後悔と罪悪感のためひどく顔を歪めたヒルディアは、他に感情の処し方を思いつかないので、とりあえず傍の男たちに詫びる。
「な、なにがですか?」
「どういう感情だよ」
険しい表情で脈絡なく謝罪され、あまりに意味のわからぬヒルディアの行動に、男たちは怯える。
「おい、人目につくのはまずいのだろう? しゃべっていないで早いとこ滞在先へ案内してくれ」
「え、あ、ああ、すみません」
スイガに促され、ジェイムズは深く息を吐き動揺を鎮めて前へ出る。
「おふたりには当面の間、エヴァンスの家に居ていただきます。彼の家はその、家族が減って多少は空間に余裕がありますし、彼がしばらく荒れていたので、あまり人も近寄りません。身を潜めるにはうってつけなのです」
スイガが視線を向けると、エヴァンスは片笑みながら肩を竦める。
「つっても元が狭えもんでな、お世辞にも居心地良いとは言えねえぞ」
「問題ない。観光に来たわけではないからな」
「ボクの家なら客間も用意できるのですが、今回の計画は父には内密でして」
エヴァンスよりもジェイムズの家の方が広い理由は、同居している彼の父が、この村の村長だからだ。
その事実を旅の間に聞かされた時、スイガはジェイムズが他のふたりより礼儀正しく知恵がまわる理由を察した。
おそらく、村長の後継者として、相応の教育を受けてきたのだ。
「しかし、其処許らの目論見が村の存亡にかかわる以上、いつまでも秘密にはできんだろう」
「え、ええ、わかっています。ただ、普通に打ち明けたところで、反対されるのは目に見えていますから、どうにかして父が受け入れざるを得ないような状況、を……」
話していたジェイムズの声が尻すぼみになり、歩いていた足も止まった。
「どうした?」
スイガの後ろ、今度はエヴァンスとレナードも立ち止まる。
その顔色は一瞬で青褪め、表情も強張っている。
なんだ? と思ったスイガが、三人の視線を辿ると、少し離れた建物の陰から現れたらしい、武装した男たちに気付く。
防具の下、もしくは上に着用している服はそれなりに仕立ての良いもので、ジェイムズたち農民の衣類とはまるで質が違う。
人数は四人。
恰幅の良い年長の男が、三人の若輩より明らかに上等な身形で、集団の主のような立場だと察せられる。
若い男らはそれぞれ短弓と矢、棒に括り逆さに吊るした兎を担いでおり、おそらく年配男の狩りの護衛兼荷物持ちだと推察できた。
「あれは何者だ?」
スイガに問われ、狼狽しきった様子のジェイムズは、声を震わせながら答える。
「ガーハイム……奴が徴税官です」
「は?」
当面の敵の頭目ではないか。
あの砦を流用した官舎にいるのではなかったのか。
スイガは声を低めながら問いを重ねる。
「何故村にいる?」
「それは、あいつは狩りが趣味のようで、そのついでで、気まぐれに村へ寄ることもあるので」
「な、鉢合わせする可能性があるなら、事前に斥候を先行させておくなり、何故対策しておかなかった!」
「ほ、本当に滅多にないことだからですよ! まさか今日この時間に来るなんて、最悪の偶然すぎる!」
認識が甘かったと、スイガは自省する。
もっと慎重に動くべきだった。
ヒルダとの暮らしが長くなりすぎたため、味方が足を引っ張るという発想を欠いていた。
戦場では、時として味方が、敵以上に敵となるのだ。
ましてジェイムズたちは、荒事に慣れていないただの農夫なのだ。
こうなる可能性を己が想定して動くべきだった。
「ヒルダ」
「わかっていますわ、師匠」
スイガとヒルディアは、徴税官たちから顔を見られぬよう、羽織っているマントのフードを目深に被る。
そのまま身を隠そうと移動しかけるが、一瞬早く徴税官らがこちらに向かって歩き出したため、気付かれたと察して思いとどまる。
せめて目につかぬようにと、ふたりはジェイムズたちの後ろへ隠れるように立ち位置を移す。
すると、背後を振り返ることもできないジェイムズが、悲鳴に近い声でスイガに問う。
「ど、どうすれば!? 畑仕事もせずよそ者と一緒にいたのでは不審に思われます!」
「落ち着け。企みを悟られたわけではないんだ。旅人に助けを求められたとでも言ってやり過ごせ」
「うぅ、やってみます」
この場で徴税官とその郎党を斬るのは簡単だ、とスイガは考える。
だが、ジェイムズたちから事前に聞いた情報によれば、砦にはまだ補佐官と二十名を超える兵士が残っている。
こんな寒村を治めるのには過剰すぎる戦力だが、おそらく、ここは国の端の村ということで、国境警備も兼ねているのだろう。
そういった性質の戦闘集団である以上、頭目が斬られたとなれば、即座に早馬を走らせ、より立場が上の役人に反乱が起きたと報せようとするはずだ。
そのうえで、応援が来るまでの間、敵が砦に籠れば、小勢の己らには為す術がなくなり、鎮圧のための軍が派遣されてきた時点で反乱の計画はご破算となる。
だから、この場は穏便に収めなければならない。
思考する間にも、徴税官らは声を交わせるまでに距離を詰めてきた。




