第三十一話 『到着』
高台のようになっている丘の上から、前方に広がる景色を指さし、ジェイムズが言う。
「あれがボクたちの村です」
ヒルディアとスイガは、ジェイムズが示した先へと視線を向ける。
たしかに、密集した粗末な作りの家々と、耕された畑が広がっている。
そこから少し離れた場所に、目立つ建造物を認め、スイガが問う。
「村の奥に見える小城のようなものはなんだ」
ジェイムズは一瞬顔を苦々しく歪めてから答える。
「あれが、徴税官たちの滞在している官舎ですよ」
説明され、スイガはあらためて建造物をよく観察する。
おそらくは石造りで、周囲を高い壁に囲まれている。
かなりの大きさに見え、もしかしたら百人以上を収容することもできるのではないかとスイガは感じる。
「……官舎というより砦だな」
「ええ、実際砦として建造されたのだと聞いています」
「こんな辺境にか?」
「はい、戦争の時に」
「先の戦の際には、防衛のため国の東側に数え切れないほどの要塞や城が建造されたそうですわ」
「……なるほど」
国境を護るための砦だろうとスイガは察する。
そういえば、ここはデールラントの東の果てだ。
戦をしていた隣国と直接国境を接しているわけではないが、山岳地帯を超え、迂回して攻めて来る可能性は十分にあっただろう。
もしそうなった場合、警備のため駐留している兵は、近隣の農民を砦に収容し、援軍が来るまで応戦するよう命じられていただろう。
かつて故郷で参加した戦を思い出し、スイガはこの国の戦時を想像した。
「他国の軍から攻められても耐えられるように想定して建造された砦か……つまり、あそこに籠られれば、徴税官とやらを排除するのも難しくなるわけだ」
「排除……」
その言葉に、ジェイムズたち三人がグビリと喉を鳴らす。
元よりそのつもりであったはずだが、村を前にスイガが口にしたことで、あらためて、これから支配者への反攻を始めようとしているのだと強く意識したのだろう。
「ん?」
視線を動かし、目にとまった別の建物を、スイガは指さす。
「あれはなんだ?」
「え?」
スイガに問われ、ジェイムズは指の示す方角に視線を向ける。
村の手前側に、明らかに民家よりも大きな木造建築の尖った屋根が見える。
「ああ、教会ですよ」
「教会?」
そういえば、この国にも宗教はあったかとスイガは思い至る。
「いやしかし、宗教施設があるのなら、教団は官僚の横暴を諫めぬのか?」
ジェイムズは目を伏せて首を振り、エヴァンスは舌打ちする。
「以前は司祭が駐留していたのですが、徴税官がやって来てから程なくして、夜逃げ同然に村を去りました」
「けっ! クソの役にも立ちゃしねえ! 布施が払えねえ農民なんざ助けてやる価値もねえってことだろうぜ!」
「というより――」
エヴァンスが毒づくと、ヒルディアがそっけなく言い添える。
「今の教会には、もはや王権に対抗できるだけの力などないのですわ」
「そうなのか?」
「ええ。以前、教会には対立するふたつの派閥があったのですけれど、その一方を王が庇護し、もう一方を国から追放したのです。そして王は、残った派閥から、味方した対価として、その財産の大半を没収。教会の虎の子である星辰騎士団も白光芒聖騎士団と名をあらためて王国軍に吸収したことで、この国の教会は完全に骨抜きとなり、今や王の傀儡というわけですわ」
ヒルディアの解説を聞き、ジェイムズたちは言葉を失う。
さすがに、そのあたりの事情は元貴族であるヒルディアの方が圧倒的に詳しいようだ。
「……王はどうしても、国のすべての権力を己に集約したいようだな」
「欲深い方でしたから」
小さくつぶやいたヒルディアに、スイガはチラと視線を向ける。
この国の王ということは、ヒルディアを都から追放し、刺客まで放ったという元フィアンセ、第二王子の父親でもあるはずだ。
王は直接その件に関わってはいないのかもしれないが、息子の婚約解消を容認し、腹心である侯爵の娘の追放を止めなかったのは間違いない。
そんな相手に対してどんな想いを抱いているのかとスイガは思うが、ヒルディアの顔からはなんの感情も読み取れない。
だがこうして、王国に反旗を翻えそうという者たちに率先して手を貸しているのだ。
自分からすべてを奪った権力そのものである王には、深い恨みを抱いているのかもしれない。
あるいは、自分と同じく権力の犠牲者であるジェイムズら農民に肩入れし、義憤を覚えているのだろうか。
無表情の奥に隠された弟子の想いの重さを推し量り、その感情に呑まれるなよとスイガは内心で思う。
一方、当のヒルディアはといえば、王の話題を口にしながら、実のところ表情そのままに、特になんとも思っていない。
スイガは完全に思い違いをしているが、彼女は婚約者と友人からの裏切りも、身分を失い都を追われたことも、恨むどころか今となってはどうとも思っていなかった。
というか、そのおかげでスイガと出会えたのだから、むしろ僥倖であったとさえ考えている。
だから国王に対しても、その独裁っぷりを呆れているぐらいで、べつに恨みも義憤も抱いてなどいないのだった。
スイガはヒルディアに向けていた視線を外すと、ジェイムズたちに向き直る。
「では村まで案内してくれ」
「わかりました」
五人は休ませていた馬に乗ると、農民らの先導で村へと向かう。
高台から続く隘路をしばらく駆け降りると、比較的舗装状態の良い道へと出る。
「これが村へ続く道です。ここまで来れば、到着まですぐですよ」
ふたり乗りの馬上で、手綱をエヴァンスに握らせているジェイムズが振り返ってそう言うと、スイガは無言で頷く。
「ヴォン!」
狼の吠え声が耳に届き、ヒルディアは並走するキニスとニクスを見下ろす。
「どうしましたの?」
馬上から問われ、二頭は主へ向けていた顔を進行方向の左側へと向ける。
その鼻先の方角に、小さな泉が湧いているのを見てとり、ヒルディアは二頭の意図を察する。
「喉が乾きましたのね? いいですわ、飲んでいらっしゃい」
二頭はもう一度短く吠えると、道を外れて泉の方へと駆けて行く。
「ボクたちも寄っていきますか?」
ジェイムズに問われ、ヒルディアは首を横に振る。
「お気遣いは不要ですわ。先を急ぐのでしょう?」
「え、でも、あの狼たち、はぐれてしまいませんか?」
「ご心配なく。匂いをたどってすぐに追いつきますわ」
「あ、ああ、そうなのですか」
狼ならそれも可能かとジェイムズは納得する。
実際、あの二頭はここまでの旅の間にも、何度か一行の傍を離れ、しばらく姿を消すことがあったが、いつの間にか戻ってきていた。
ヒルディアによれば、自己判断で水分補給や腹ごしらえをしているのだという。
たしかに、姿を消した後、戻った顔が血まみれだったり、口の端から獣の毛や鳥の羽がはみ出していたことが何度かあった。
だから、彼女の言う通り、置き去りにしてもすぐに追いつくのだろう。
ただ、ここは既に自分たちの村の近くだ。
目を離している間に、家畜が襲われたりしないかが心配だ、と彼は思う。
しかし、ヒルディアの心証を損ねるのを怖れ、口に出して伝えはしなかった。
さらに馬を走らせると、丘の上から見えた教会が視界に入る。
「あそこで馬を降り、徒歩で村へ入りましょう。いきなり馬四頭で駆け入ったりたりすれば目立ちますので」
「わかった」
近付くと、しばらく手入れをしていないからか、教会の建物はだいぶ傷んでいるのがわかった。
壁の板材の一部は剥がれ落ち、屋根にも小さな穴が空いている。
建物の前にたどり着くと、教会の周りを囲う木の柵に、一旦馬を繋ぐ。
荷物を置いてから、後でレナードが厩舎へ連れていくという。
三人の中でもっとも無口なこの男は、家畜の扱いには慣れているらしく、旅の中で馬の世話を率先して行い、今では四頭ともかなり気を許している。
馬丁の素養があるなこの男は、とスイガは思う。
「早く馬から荷を降ろして移動しましょう。お二人のことは、まだ村の者にも知られるわけにはいきません。今なら村民の多くは畑に出ていますが、足腰の悪い老人など一部残っている者もおりますので」
どうも村の全員がジェイムズらの目論見に賛同しているわけではないらしいと、ふたりはここまで来る旅の間に聞いていた。
権力に楯突こうというのだから、保守的な層が反対するのは当然ではある。
徴税官らを恐れる者に知られれば、保身のため密告でもされかねない。
だからまずは身を潜めながら村の様子と徴税官らの官舎を窺い、十分に情報を得てからスイガが今後の方針を立てる手筈となっている。
「くそっ! この荷物、やたら重え! おいレナード、持ってくれ!」
「わかった」
エヴァンスに言われ、体の大きなレナードが馬から降ろして地面に置いた荷物を担ぎ上げようとするが、両手で持って踏ん張っても、脛のあたりまでしか持ち上げられない。
「うっ、重……」
「おいおい、なにが入ってんだよ」
「武器とか調味料とか、いろいろですわ」
横からつかんでレナードの手から奪った荷物を、ヒルディアは軽々と背負う。
「これは私が引き受けますので、おふたりは自分の荷物と、そちらの衣類や食料の入った袋を持ってくださる?」
「う、ウソだろ」
男たちは、栄養不良で肉付きこそ良くないが、畑仕事で鍛えられているため、決して非力ではない。
そんな自分たちの手に負えないほどの重量を、涼しげな顔で持っているヒルディアをふたりは唖然とした顔で見つめる。
一方、スイガも荷物を背負い、村へと向かうため歩き出しかけるが、ふと教会の入り口の上へと視線を向け、足を止める。
「スイガ様? どうなさいました」
顔を上げたまま動きを止めたスイガにジェイムズが声をかけ、その視線の先にあるものに気付いて首をかしげる。
「六芒星がどうかしましたか?」
「あれは、教会のシンボルだったな」
デールラントをはじめ、この地方で活動を行う宗教団体は、星を信仰の対象としている。
だから教会のような施設には、必ずシンボルである六芒星が掲げられている。
ただ、スイガは宗教というものが排他的な性質を備えていることをよく知っているので、己が異邦人、異端者であることを自覚し、これまで意識的に教会へは近寄らないようにしてきた。
ゆえに、こうして足を止めてまじまじと観察するのは、実は初めてだった。
「そうです。私たちにとっては、よく見なれた馴染みの深いものですが、遠方からやって来られたスイガ様には珍しいのでしょうか」
「珍しいというか……己の故郷でも、星を信仰していたものでな。それに、やはり星の印が信仰のシンボルだったので、少し気になった」
もっとも、故郷で祀られていたのは、六芒星ではなく五芒星だったが、とスイガは思い出す。
「へえ! それはすごい偶然ですねぇ!」
「偶然?」
スイガは六芒星から視線を外し、感心した様子のジェイムズ向きなおる。
「おそらく、偶然ではないな」
「え?」
「己は長い間旅をして、異なる宗教をいくつも目にしてきたが、その多くが、やはり星を信仰の対象としていた」
夜空で光を放つ星は、身近でありながら決して人の手の届かぬ存在だ。
その神秘性を鑑みれば、人々の信仰の対象になるのは、まったく不思議でない。
ただスイガは、たくさんの国々を巡ったことで、長い歴史があって多くの国で幅を利かせている宗教のほとんどが、星を崇拝していると知った。
いくらなんでも、それが偶然とは思えない。
だからおそらく、遠い昔に離れた地域で星が信仰対象となった、何らかの明確な理由があるのではないかと、彼はずっと考えてきたのだ。
「そ、そうなんですか? えっと……」
ジェイムズは戸惑いの表情を浮かべ、ごにょごにょと曖昧に相槌を打つ。
あからさまに、反応に困っている様子だ。
考えてみれば、農民である彼らは、人生のほとんどを同じ土地に留まって暮らす。
今回、自分たちを訪ねてきたのも、おそらくは生まれて初めての大冒険だったのだろうとスイガは察っしている。
そんな者たちには、他所の土地の宗教のことなど、想像もできないだろう。
だから、こんな話題を振ったところで、関心など持てるはずもないと思い至る。
「いや、なんでもないんだ。気にしないでくれ」
「はあ」
首をかしげたジェイムズの背後から、荷物を担いだエヴァンスが声をかける。
「おい、早く行こうぜ! 見つかるのはマズいんだろうが!」
「え? あ、ああ、わかった! スイガ様、行きましょう」
急かされて歩き始めたジェイムズに続き村へと向かいながら、スイガはこの国の民が信仰する宗教の名をつぶやいた。
「……神星教、か」




