第三十話 『初めて人を斬る』
「がっ!」
鮮血が飛び散り、ヒルディアの顔に生暖かな液体が降りかかる。
男は首が肩に着くほど曲がった状態で、吹き飛ぶように倒れた。
「え、ええ?」
両断するつもりが、首を折っただけの感触に、ヒルディアは戸惑いながら握った剣に視線を向ける。
とんでもないなまくらだ。
剣といえばスイガの刀しか扱った経験のないヒルディアには、握った刃の切れ味の悪さが信じ難いほどだった。
一方の賊ふたりは、いきなり仲間が切り伏せられたことで、状況が飲み込めず唖然としている。
「な、なんだ、このお――っごぉ!?」
賊のひとりとの間合いを一足飛びに詰め、ヒルディアは相手の鳩尾に切っ先を突き入れる。
男は己を貫いた剣を抱えるようにして、前のめりに倒れる。
そのためヒルディアは、剣を手放してしまうが、倒れた男を蹴り転がすと、その腰から別の剣を奪う。
「……あら?」
身を起こしたヒルディアが最後の賊を窺うと、男は子どものひとりを抱え込むようにして、その首に剣の刃を当てている。
「なんの真似ですの?」
「うぅ、動くなぁ! いぃい一歩でも近寄ったら、こっ、このガキ、ぶっ殺すぞ!」
「それがどうかいたしまして? どうしてその子どもが人質になるとお思いですの?」
この男には、己が子どもらを奪還するために追って来たとは悟られていないはずだ。
ゆえに、ヒルディアはあえて子どもの安全になど興味がないように振る舞う。
しかし、それでも賊は子どもを放そうとしない。
「うぅうるせえ! 黙れ黙れえぇ! 近寄るな! 近寄るなあぁぁああぁああ!」
どうやら己の思惑を見抜いているわけではなく、単に錯乱しているだけだとヒルディアは察する。
しかし、正気を失っているからこそ、危険だ。
特に考えもなく、衝動的に子どもを傷付けるかもしれない。
だからヒルディアは、相手を宥めにかかる。
「ちょっと、落ち着きなさい。子どもを盾にしたって意味はないと言っているでしょう? それよりも、身包みを置いてとっとと失せなさいな。そうすれば、追いかけたりはしませんわよ」
「ざっけんな! 兄弟殺されて逃げられるか! テメエだけは! テメエだけはこの手で八つ裂きにしてやるぁ!」
「はあ、ならさっさとかかって来たらいいでしょう? 子どもの後ろに隠れなければ虚勢も張れませんの?」
「こっ、のぉ、アマぁ! 不意打ちでそいつらを殺したからってい、いい気になんなよ!? い、いや、そうか! こいつを盾にして後ろから斬り付けりゃいいんだ!」
「盾になんてできるわけないでしょ。その子の上背はあなたの胸よりも低いんですのよ?」
「だったら、突き飛ばしてぶつけてやるよ! よろめいたところを斬りかかりゃ、うまく受けることもできねえはずだ! へ、へへ、そ、それがいい!」
ヒルディアは小さくため息を吐くと、剣を下ろし、呆れたように問う。
「どうやって?」
「ああ!?」
「どうやって斬りかかるというんですの? あなた、もう死んでいらっしゃるのに」
「てめえ、なにを言って――」
反論しようとする賊の言葉は、女が己の胸のあたりを指さしているのに気付いて途切れる。
男が視線を下げると、肩をつかんだ子どもの頭の上に、月の光を赤く反射した刃を発見する。
そしてそれが、己の胸から突き出ているのに気付き、思考が真っ白になる。
「…………え?」
刃が引き抜かれると同時に、溢れた血が気道をせり上がり、男の口から吹き出る。
相対するヒルディアは、それを頭から被り、慌てて身を引きつつ、右手を上にかざして頭をかばう。
「ああもう! 汚らわしい!」
賊は正面の子どもに向かって倒れかけるが、その肩を背後からつかんだ手が、横へ押し退ける。
「無事か?」
最後の賊を背後から仕留めたスイガが、ヒルディアに問う。
「いえ、血でずぶ濡れですわ」
「そうか、無事だな」
スイガはひと息ついて、血振りした刀を鞘に納める。
「まったく、無茶をする……うまく賊を排除できたからよかったものの、失敗したら怪我ではすまなかったかもしれんぞ」
「あら、私なら徒手でもこの程度の相手は制圧できましたわよ」
「そういう問題ではない。子どもだって危険に晒したのだぞ」
たしかに、錯乱した賊が、考えもなく子どもを盾にしたのは想定外だったとヒルディアは反省する。
「でも、私が気を引けば、人質を取られようと隙は作れると確信しておりましたわ。そして、師匠は私の意図を察して後ろから仕留めてくださいました。すべて想定通りでしたわ」
「ヒルダ、己が言いたいのは、どうして指示を待たず勝手に動いたのかということだ。結果的にうまくいったが、おまえは今回が初実戦だ。自己判断で動くなど無謀にも程がある」
静かに、しかし厳しく窘められ、ヒルディアは消沈する。
「申し訳、ありません……師匠の言う通り、ですわ」
「……なぜ先走った」
「それは……少しでも早くこの子たちを助けたくて……」
その言葉に、スイガはハッとなる。
たしかに、賊が寝るまで待てば、より安全で確実に子どもたちを奪還できただろう。
しかし、夜が更けるまでの間も、子どもらは耐えがたい恐怖と不安に晒され続けたはずだ。
己はそれを仕方ないと割り切ったが、彼女にはそれができなかったのだろうと、スイガは察する。
かつて騎士たちの襲撃に遭い、一方的な暴力に晒された経験のあるヒルディアにとって、子どもらの置かれた状況は他人事と思われなかったのかもしれない。
そして、弱者の気持ちに寄り添うがゆえ行動を起こさずに居られなかったのだとすれば、その想いを頭ごなしに否定するべきではないとスイガは考える。
「心意気は買う。だがおまえの隣には己がいるのだ。動かねばならないとしても、まず先に相談してほしい」
「は、はい師匠」
「わかったのならいい。子どもたちを保護するぞ」
師の言葉を受け、スイガは子どもらに視線を向ける。
人質に取られていた子どもは、スイガと話す間に他のふたりに駆け寄り、三人身を寄せ合うようにしている。
ヒルディアは三人に歩み寄ると身を屈め、できるだけ優しい声音を作って話しかける。
「皆さん頑張りましたわね。私たちはあなたたちを助けに来たのですわ」
しかし、子どもたちは青褪めた顔を強張らせ、全身をおこりのように震えさせる。
「まあ、よほど怖かったのですわね。でももう大丈夫。賊はひとり残らずやっつけましたからね」
「いや、たぶんその子らは、おまえの顔に怯えているのだと思うぞ」
「ええ!? ど、どういうことですの!?」
賊の返り血を浴びたヒルディアの顔は、夜の闇の中でひどく不気味に見える。
ただでさえ精神的に追い詰められている子どもたちには、さぞかし恐ろしげに見えることだろうとスイガは察する。
「これで顔を洗って拭え」
そう言ってスイガは皮革製の水筒と手拭いを差し出す。
子どもたちに夜の山を歩かせるわけにはいかない以上、賊の遺体が目につかぬぐらいの距離を移動し、夜を明かさなければならない。
また、賊に殴られた子には、手当を施すべきかもしれない。
栄養状態によっては食事や水を与える必要もあるだろう。
だが、この血まみれの姿のヒルディアに子どもらのケアをさせるのは、彼らの精神衛生上よろしくない。
「うぅ、わかりましたわ」
ヒルディアは水筒と手拭いを受け取る。
「それとな――」
スイガはヒルディアから目を逸らしつつ続ける。
「これで体を包むといい」
今度はマントを脱いで差し出す。
一瞬、意図をはかりかねたヒルディアだったが、胸元が露出したままだったのを思い出す。
スイガが目を逸らしたのは、気を使ったのか、それとも弟子に女を感じたためか、いずれにせよヒルディアはその反応に思いがけず悦びを覚え、口元を緩める。
「えへ、ありがとうございます師匠」
マントを受け取るヒルディアの、血まみれの笑みを目にして、子どもたちはさらに竦み上がった。
「……せい……師匠」
「む?」
微睡んでいたスイガは、ヒルディアに呼ばれて顔を上げる。
「ヒルダか。どうした」
「そろそろ歩哨を代わりますわ」
「いや、大丈夫だ。寝ているといい」
「そういうわけにはいきませんわ。今もうとうとなさっていたではありませんか。師匠がそんな状態で誰かを近付けるなんて、はじめて見ましたわ」
それは、相手がヒルディアだからだとスイガは思う。
近寄ってきたのが賊や獣であれば、離れていても気配を察知し、即座に対応していたはずだ。
「だがまあたしかに、久しぶりの旅で、多少は疲れているのかもしれんな。夢うつつのような状態で過去を思い出すとは」
「過去? 故郷の思い出とかですの?」
「そんな昔ではない。おまえが初めて己の仕事に同行した時のことだ」
ヒルディアは二年ほど前の出来事を思い出し、微苦笑する。
「あの時は、独断で動いたり、返り血をかぶって子どもたちを怯えさせたり、今思い出すといろいろ反省すべきことばかりでしたわね」
「たしかにな……しかし、あれから二年の間に、おまえはさらに修練を重ね、荒事も多く経験してきた。もはやあの時のように、独断で動いたり、無謀な行動をとるようなことなどあるまい……そうだな?」
ヒルディアは、どんっ、と自分の胸を叩き、得意げな顔で応じた。
「もちろんですわ!」




